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「やっちまったぁぁ……」
翌日。
カテリーナの家の手伝いに来ていた私は、お店のカウンターに突っ伏していた。
脳裏に浮かぶのはもちろん昨日の王宮での出来事だ。
結局あの後、言いたい事を言って我に返った私は、呆気にとられた様子のルカと眉を顰め完全に不審者を見る目をしていた橙髪の男から逃げるようにしてあの場を去った。
いわゆる、言い逃げというやつだ。
思い出すだけでも叫びだしたくなるくらい恥ずかしい。
一目見るだけで満足とか言っておきながら、実際はわざわざルカの事を引き留めてまで自分の思いを押し付けて。しかも、押し付けるだけ押し付けて逃げだすだなんて、情けないにも程がある。こんなんじゃ保護者失格だ。
ルカも突然あんなことを言われて困ったに決まっている。というか、知らない人から突然あんなこと言われたら普通に怖いだろう。本当に考えれば考えるほど申し訳なくて埋まりたくなってくる。
しかも確かあの時、すぐに我に返った私は場の雰囲気に耐え切れず、へらへらと笑いながら「えっと、そう言う事なんでお時間取らせてすみませんでした」とかなんとか言って逃げた記憶がある。なにそれ、我ながら気持ち悪い。そう言う事ってどういうことだよ。
「あー、もう本当に無理……」
「ジゼルがそんなに取り乱すなんて珍しいわね、何かあったの?」
一人で羞恥と自己嫌悪に悶えていると、品出しから戻ったカテリーナが笑いながら私の隣へと座った。
「何かあったっていうか、なんて言うか……」
「なによ~、気になるでしょ」
「いや、自分ってつくづく意志薄弱なダメ人間だなって思って」
「あら、そんなこと今更じゃない」
はあ、と溜息をつく私にカテリーナはあっけらかんとそんなことを言った。
「貴女の意思の弱さは今に始まった事じゃないでしょ?ほら、前も早起きを頑張るって言った次の日に結局起きれなくてお昼まで寝ちゃって落ち込んでたし、あとダイエットを始めるって言ったその日に蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキを口いっぱいに頬張ってた事もあったわね。そもそも、もう三回くらいダイエット宣言してるけど一回も上手くいったことないわよね?」
「うぐっ⋯⋯」
カテリーナからの鋭い追撃は私の心にグサグサと突き刺さる。
やめて、もう私のライフはゼロよ⋯⋯。
「でも、ジゼルは確かに意思は弱いけどその代わり、芯がしっかりしてるわ」
「へ?」
意外な言葉に顔を上げると優しい表情のカテリーナと目が合った。
「自覚してないかもしれないけど、貴女って自分のことに関しては意志が弱いけど、誰かのために動く時は最後まで必ず責任をもってやり通すの。それがどんな事であろうとも。私は貴女のそういうところ尊敬してるわ」
「カテリーナ⋯⋯」
「まあ、だから、何に対して落ち込んでるのか知らないけど、そんな自分のことダメ人間だなんて言わないでよ」
「か、かてりぃなぁぁ⋯⋯」
自分の言葉に恥ずかしくなったのか、頬を赤くしてプイッと顔を背けるカテリーナに私は涙声になりながら抱きつく。
カテリーナのこういう優しいところや恥ずかしがり屋なのに自分の気持ちを正直に伝えてくれる所が私は大好きだ。
本当にいい友達を持ったと改めて思う。
「あー、もう。私が男だったら絶対にカテリーナと結婚するのに」
「ありがとう。でも私はジゼルが男でもボリスと結婚するわ」
ボリスというのはカテリーナの幼馴染の彼氏の名前だ。
「酷い!でもそんなつれないところも好き!!」
「ねえ、そんなことよりもさ」
「そんなこと?!」
「そろそろお腹空かない?」
愛の言葉をさらりと流され、ショックを受ける私にカテリーナはニッと笑った。
言われてみると、確かにお腹が減っている。
時計を見ると、針は既に正午を過ぎていた。
「もうすぐお父さんも帰ってくると思うからお父さんが帰ってきたら二人で何か食べに行こうよ」
「い、行くいく!」
私はさっき自分の言葉をスルーされた事なんてすっかり忘れて元気に頷いた。
「じゃあ、今日は最近街に新しくできたカフェに行かない?ほら、この前話してたところ」
「いいね!私、あそこのオムライス気になってるんだよね」
「それなら決まりね。じゃあ私、お父さんが帰ってきたらすぐ出かけられるように裏で商品整理してくるからジゼルは店の前の立て看板を違うのに交換してもらって良い?」
「分かった」
カテリーナの言葉に頷いて言われた通り、代わりの看板をもって店の外に出る。
手早く看板を設置して店の中に戻ろうとすると、突然大きな手に腕を掴まれた。
「待ってください」
出かけた悲鳴を飲み込み振り返ると、見覚えのある綺麗な銀髪が視界に映った。
切れ長で美しく優しい色を湛えた水色の瞳は私と目が合うと、安堵したようにふっと柔らかく緩む。
――ルカ。
音にならない呟きが私の口から零れ落ちた。
……どうしてここに、この子がいるのだろうか。
「突然引き留めてしまい、申し訳ありません」
「い、いえ」
驚きに固まる私の腕を離したルカは小さく頭を下げた。
状況が全く理解出来ていない私は戸惑いながらも言葉を返す。
「あ、あの、どうしてここに……?」
「失礼ですが、昨日王宮で僕と会ったことは覚えていますか」
「え、ええ、そりゃあもちろん」
もう二度と会えないと思っていたルカにもう一度会えた上に言葉まで交わし、挙句の果てには自分勝手にお気持ち表明までしてしまったのだ。忘れようとしても忘れられるものではないし、忘れる気もない。
私が頷くと、ルカは羽織っているローブの中から見覚えのある髪留めを取り出した。
「これってもしかして……」
「ええ、その時に貴女が落としていったものです」
ルカが手に持っていたのは私が昨日王宮につけていったお気に入りのバレッタだった。
実は私も家に帰って来てからバレッタを落としてしまった事に気付いたのだが、昨日は精神的にそれどころじゃなかったし、いつなくしてしまったのかもわからず、もう諦めていた。
「も、もしかして、拾ってくださったんですか?」
「ええ、気付いたときには貴女はもう去ってしまった後だったので、どうしようかと迷ったんですが、ちょうど今日街に行く用事があったので、もしかしたらどこかで貴女を見かけるかもしれないと思って一応持って来たんです。出会う確率は限りなく低いと思っていたのですが、まさかまた会えるとは」
そう言うと、ルカはふわりと顔を綻ばせた。
「無事お返しできて安心しました」
あんな不審者ぶりを発揮した私にすら、こんな思いやりの心を忘れないなんてこの人、あまりにも聖人すぎないか。気のせいか後光まで見える気がする。
ルカからバレッタを受け取りながら、私はこれを家宝にしようと密かに心に誓った。絶対に末代まで大切に受け継がせる。
「本当にありがとうございます!お気に入りのものだったのですごく嬉しいです。なんとお礼を言ったらいいか⋯⋯」
「いえ、お礼を言われるほどのことでは。それに実を言うと僕自身、もう一度貴女と話をしたいと思っていたのでこうしてまたお会いできて良かったです」
「え」
話をしたい、という予想外の言葉に私はポカンと呆けてしまった。
それはどういった意味合いの言葉だろうか。
昨日の自分の行動を振り返ると悪い想像ばかりが浮かんできてしまい、血の気が引いていく。
やはりあれだろうか。昨日の私の言動について色々とお怒りなのだろうか。それとも受付をせずに王宮に入ったことがバレてしまったとか?そうだとしたら門番の二人に申し訳が立たない。
「あの、その話というのはもしかして忠告とかそういう類のものでしょうか⋯⋯?」
「はい?」
もしそうだったら土下座でも何でもして謝ろうと思い切って聞いてみると、ルカはきょとんとした表情で首を傾げた。
どうやらそういう訳では無いらしい。
「貴女に一つ、聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと、ですか?」
「はい。廊下でぶつかる前に貴女が歌っていた鼻歌、あれは東洋の歌ですよね」
ぶつかる前に歌っていた鼻歌?
言われて、昨日ルカとぶつかった時の事をよく思い出してみる。
⋯⋯ああ、そう言えば歌ってたかもしれない。その後の出来事が衝撃的過ぎてそんなことすっかり忘れていたけど。
しかし、それが一体どうしたと言うのだろうか。