45
「私、前に一度言わなかったっけ?貴女は魔力が少ないから無理しちゃダメよって」
「……言われました」
「それならどうして以前より酷い魔力欠乏を起こしてここに運ばれてるのかしら?」
「…………え、えへへ?」
王宮にある医務室に運び込まれ、ベッドの上で目覚めた私に久方ぶりの再会となる女医さんが微笑んだ。にこやかなのにどこか凄みのあるその笑みに、私は曖昧に笑い返してやり過ごす。
「貴方達二人もよ。どうしてこの子が魔力欠乏になるようなことをさせるわけ?前回も同じ面子だったわよね、学習能力ってものがないの?」
怒りの矛先が部屋の隅で待機していたルカとラミロへ向かう。しかし、二人とも俯いたまま何も言わない。
私の目が覚めてから二人ともずっとこんな感じなので、女医さんも返事をするとは思っていないらしく、肩をすくめた。
「取り敢えず、その点滴が終わるまでは安静にしてなさい」
女医さんが私の腕に繋がれている管を指差す。
今回の魔力欠乏は回復までに少し時間がかかるらしいので代謝を手助けする点滴をしてくれているらしい。恐らく前回と違って動きを止める対象が二人だったから身体への負担が大きくなってしまったのだと思う。
「それじゃあ、私は部屋の前にいるから何かあったら呼んで」
「え、どうして部屋の外に出るんです?」
「こんな気まずい空気の中にいたくないからに決まってるでしょ!早いとこ、話をしてこの空気どうにかしてちょうだい、居心地悪いったらありゃしないから」
ああ、なるほど……。
「重ね重ね申し訳ないです」
「全くよ」
女医さんは大きな溜め息を残して、部屋を出ていった。
本当に色々申し訳なさすぎる。改めて後日お詫びをしなければ。
扉が閉まり、部屋に静寂が訪れる。
「……すみませんでした」
ポツリと謝罪の言葉を口にしたのはルカだった。
「何が?犯人を半殺しにしたこと?」
「いえ、それに関しては後悔も反省もしていませんが」
いや、してよ。
「僕たちのせいでまた貴女に無理をさせてしまったことです。あの時は、制止の声すら聞こえなくなっていて、動きを止められてそこでようやく貴女がどんな顔をしているか気づきました」
俯いているせいで彼がどんな表情をしているのかは分からなかったが、声色からしてかなり沈んでいるのは分かった。
「……まだ身体しんどいのかよ」
ラミロに問いかけられる。
「ううん。もう大丈夫」
「…………無理させて、悪かった」
こちらもかなり沈んでいるようだ。
「結局あの後、どうなったの?」
二人の様子を見てるかぎりでは大丈夫だとは思うが、あの男の行方が気になり一応聞いてみる。
「あの後、男は逮捕され、治療を施した上で今は地下牢に拘束されています。目が覚めてからはずっと恨み言を呟いており、会話が出来ないため、取り調べは後日行う予定です」
「……そう」
その時、胸に浮かんだ感情がどんなものだったのか、自分にも分からない。ただ、心は酷く凪いでいた。
「あっ、マレナちゃんは?!あの子、おつかいに出されてたでしょう?ちゃんと保護した?」
「……その事なんですが」
言いづらそうなその様子に嫌な予感がした。
「まさか保護、出来てないの?」
「いえ、保護はしました。ただ、保護されてからも「あの人がそんなことをするはずがない」と抗議し続け、男が治療されているところに乗り込んだそうです。そこで運悪く男の目が覚めてしまい、罵詈雑言を彼女に浴びせたそうで、今は心のケアのためにカウンセリングを受けています」
「……そっ」
「そ?」
「そういうことは早く言いなさいよ!彼女は今どこにいるの!?」
「こ、この前ジゼルに事情聴取を行った部屋です」
あそこなら私でも行ける。
点滴を外すと、素早くベッドから飛び降りて部屋を出る。
まだ少しだるい気もするが、体調はだいぶ回復した。
「ちょっ、ジゼル?!」
「うわっ、ちょっと何よ?!って、貴女まだ安静にしてろって言ったでしょ?!」
背後からルカと女医さんの声が聞こえた。
心の中で謝りながらも足を止めることなく、記憶を辿って少女の元へと向かう。
部屋の前まで行くと、ちょうど中から白衣を着たカウンセラーらしき人が出てくるのが見えた。
「あ、あの、中の女の子は、マレナちゃんは大丈夫ですか?」
息が整うのを待たずに質問すると不思議そうに首を傾げられる。
「えっと、貴女は……?」
「わ、私は、その、マレナちゃんの、と、友達でして」
いかん。挙動不審すぎて眉を顰められた。
私は慌ててマレナちゃんと出会った経緯などを補足で話し、必死で不審者じゃないですよ〜とアピールをする。
すると、信じて貰えたのか相手の表情が和らいだ。
「成程、そういう事でしたか。貴女も色々と大変でしたね」
労ってくれるその気持ちは大変有難いのだが、今は私のことよりもマレナちゃんだ。もう一度彼女はどうしているのか問いかけると、彼の表情が曇った。
「……ちょうど今、カウンセリングをしていたところなのですが、相当ショックが大きかったようで何を話しかけても応答がなくて」
少し落ち着く時間を設けるべきだろう、とカウンセリングを中断したところらしい。
「もし良ければ、顔を見せてあげてください。彼女も知っている人がそばに居てくれた方が安心するでしょうから」
三十分程したらまた様子を見に来ると言うカウンセラーの人の言葉に頷き、私は扉を二度ノックした。
「ジゼルです。こんにちは、マレナちゃん。部屋に入ってもいいかな?」
返答は無い。
少し迷ってから、私はゆっくりと扉を開けた。
部屋にはこの前と変わらず机を挟むようにソファが二つ置いてあり、マレナちゃんは右側のソファに居た。
「……マレナちゃん」
私が入ってきたことにも気づいていない様子だった彼女は、名前を呼ぶとゆっくりとこちらを向く。虚ろだった瞳が驚きに彩られた。
「お、前……」
泣き腫らしたのか、その目は赤くなっていた。
声をかけようとして、何を言えばいいのか分からず、口を閉じる。事情はどうであれ私は彼女の生活を壊した側の人間だ。
何を口にしても白々しく聞こえてしまう気がした。
「なんでここに?」
「マ、マレナちゃんがここにいるって聞いて」
「そうか」
「うん」
気の利いた言葉も思いつかず、そこで会話が途切れる。
「……お前はあの人が何をしてたのか、知ってたのか」
少しの沈黙の後、小さく震えた声で問われた。
「ううん、マレナちゃんに出会った時は知らなかった。だけどずっと事件について調べていて、それで二日前にあの人がしている事を知った」
「……本当に、本当に、あれはあの人がやった事なのか?」
「………うん」
「か、家畜の事も、攫われた女の子のことも、オレを、お、襲ったのも、全部あの人なのか……?」
くしゃりと絶望に顔が歪められる。瞳から堪えきれなかった涙がポトリと零れた。
そんな姿を見ていられなくて、私は思わず彼女を抱きしめた。
「……う、うあぁぁぁあん」
悲痛なその泣き声が、震える華奢な身体が、あまりにも幼く頼りなくて私はますます抱き締める力を強くする。
あの男を捕まえたことは一切後悔していないし、あの男を許す気もない。だけど、この子のことを想うとどうしたってやるせない気持ちになる。
私は涙が止まるまでずっと彼女の背をさすり続けた。
◇◆◇
嫌な予感はしていたのだと震えた声で彼女は言った。
涙やら鼻水やらでぐじゃぐじゃになってしまっている顔を拭いながら私はその声に耳を傾ける。
「あの木偶に襲われた時、時々家の奥から漂ってくる匂いと同じ匂いがしたから。それにあれに似た魔道具の設計図を見たことがあった」
筋が浮きでるほどに強く握りしめられている彼女の手を握ると、瞳からぽたぽたと止まったはずの涙が落ちる。
「……だけど、あの人は初めて優しくしてくれた大人だったから、仕事としてじゃなく、か、家族として、接してくれてるって、思ってたから、変なことを言って嫌われたくなかった。邪魔だって思われたくなかった。あの人がそんなことするわけないって、ずっみないふりをしてた」
吐露されたそれと同じような気持ちを私は知っていた。
ロイさんに拾われたばかりの頃、私は彼に嫌われたくなくて、邪魔だと思われたくなくて、必要以上に良い子であろうとした。自分の意見を表に出すのが怖くて仕方がなかった。いつか嫌われて追い出されてしまうのではないかとずっと脅えていた。
彼女は昔の私そのものだった。
「せっかくオレのことを助けてくれたのに、事件のこと調べてるって知ってたのに、黙ってて、ごめんなさい」
それなのに、慕っていた大好きな人に嫌われたくないと思うその気持ちをどうして責めることが出来よう。涙を流して頭を下げる少女をどうやって罵ることが出来よう。ましてや、彼女は身寄りがなく自分で安定した生計が立てられるような年齢でもない。本来ならば、大人の庇護下で沢山笑って色々な経験をして巣立ちに向けて準備をする時間なのだ。
――かつて、嫌われることを極度に恐れていた私にロイさんは言ってくれた。
「僕は君が言いたいことを飲み込んでしまう方が悲しいよ」と。
何かをする時、どこかへ出かける時、必ず彼は私の意見を聞いてくれた。尊重しようとしてくれた。そうして私がしたい事を口にすると、嬉しそうに楽しそうに「いいね」と笑うのだ。だからいつからか自分の意見をロイさんに伝えるのが怖くなくなった。私は安心して大人になることが出来た。
今の彼女にもきっと必要なはずだ。
安心して自分の意見を言えて、信頼出来る人間に囲まれて過ごす、そんなあたたかな時間が。そして、深く傷ついたであろう心を休ませられる場所も。
「……マレナちゃん」
ビクリと小さな肩が揺れる。
「一つ提案があるの」
「て、提案……?」
「そう。全ての決定権は貴女にある。断りたければ断ってもいいし、拒否したからと言って貴女の状況が不利になることもない。だから一意見として気軽に聞いて欲しいんだけど……」
まだ僅かに怯えの色が浮かぶ彼女に私は笑いかける。
「もし良かったら、うちに来ない?」
「……え」
「えっと、私と一緒に暮らさないかって意味ね」
彼女の大好きな人を捕え生活を壊した張本人が何を、と自分でも思う。しかし、だからこそとも思うのだ。自分が生活を壊してしまったからこそ、最後まで責任を持ちたいと。
なにより、傷ついた彼女をこのまま放っておくなんて出来ない。痛みがわかるからこそ尚更に。
「とても大切なことだから返事はすぐじゃなくて良い。どれだけ長くなっても、どういう返答になっても、私は待ってるよ。勿論、うちに来なくても私に出来ることがあるなら何でも協力する。直接言いづらかったら他の人を経由して伝えてくれても良いし」
真情が伝わるよう、変な憂いを生じさせないよう、ゆっくりと丁寧な説明を心がける。
「…………じゃないのか」
「え?」
「……お、お前は、迷惑じゃないのか?オレはや、役立たずだし、じゃ、邪魔になると、思うけど」
唇をキツく噛み締め、目を伏せる彼女の様子にルカの言葉を思い出す。確か、彼女はあの男から罵詈雑言を浴びせられたと言っていた。「役立たず」も「邪魔」という言葉も、もしかしたらあの男に言われたことなのかもしれない。
「……私はマレナちゃんと暮らせたら嬉しいし、楽しいだろうなって思ってる。だからマレナちゃんは変な事は考えず、自分がどうしたいかってことだけを考えて欲しい」
彼女は視線をさまよわせながらも、小さく縦に頷いた。
その後、女医さんからは安静にしてろって言ったよな、とお叱りの言葉を、ルカとラミロからはもう一度謝罪の言葉を頂いた。
もう大丈夫だと何度も言っているのに、心配からくっつき虫と化した二人を説得し仕事に送り出してから私は家へ帰宅した。
夜になり、両親に大まかに事件のことやマレナちゃんが望んでくれるなら一緒に暮らしたいと思っている旨を話すと、彼らはあっさりと許可してくれた。それどころか、例えうちにこなくともいつでも遊びに来ればいいと伝えてくれとまで言っていた。両親のこういう所を尊敬しているし、好きだと思う。
事情聴取やら何やらで日々は忙しく過ぎていき、事件から一週間が経ったある日。
ルカがマレナちゃんを連れて、うちへ来た。
彼女は顔を真っ赤にしながら、それでもしっかりと私の目を見て先の提案への返答を自らの口で伝えてくれた。
その日、我が家に可愛らしい家族が一人増えた。




