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花瓶に生けられた花が窓から入ってきた風に揺られる。
「今日はジゼルも一緒なのよ」
ベッドで眠るボリスにカテリーナが優しく話しかける。
今日は久しぶりに彼に会いに来た。
カテリーナは相変わらず毎日来ているようで、彼のお母さんに「いつもありがとう」と感謝されているのを聞いた。
しかし、以前とは違って「あの花、ジゼルがお見舞いにくれたの」と笑う彼女に今にも壊れそうな危うさは無い。
その事に安心しつつ、私は彼が一刻も早く目覚めることを心の底から祈った。
病室を出て、曲がり角のところでカテリーナが振り返る。
「私はもう少しボリスのお母さんと話してから帰るつもりなんだけど、ジゼルはどうする?」
「私はそろそろ帰ろうかな」
「そっか。……あれ?ジゼル、そんなネックレス持ってたっけ?」
カテリーナが不思議そうに首を傾げた。
私の首についている水色の宝石がついた首飾りのことを言っているのだろう。
「ああ。これはこの前ルカがくれたの」
つい二日前の事だ。王宮に行った際に突然渡された。
「オーバリ様が?!ジゼル、やるじゃない!」
「え、なにが?」
「もう、鈍いわね!普通、好きでもない相手にネックレス送らないわよ」
「いやいや、これはそういうやつじゃなくて……」
「石もオーバリ様の瞳の色なのにそういうやつじゃない訳ないでしょ!」
そう言えば、自分の瞳と同じ色の宝石があしらわれた装飾品を送るのは独占欲を示す意味があるんだったか。
「受け入れるも受け入れないも自由だけど、ちゃんと向き合わないと後悔することになるかもよ」
思わぬところからの鋭い攻撃に私は「う」と呻く。
「想像してみて。全く知らない女とオーバリ様が楽しそうに話してたらどう感じる?」
「……な、仲良いのかなあって」
「じゃあその女にオーバリ様が「好きです」って笑いかけてるとしたら?!」
以前の私だったらきっと、それがルカの良い人なのだろうとはしゃいでいたに違いない。
だけど今は、あの美しい瞳を蕩けさせ見知らぬ人に愛を囁く彼の姿を想像するだけで胸がチクチクと痛んだ。
いつから私はこんなに欲張りになったのだろうか。
「そう、だよね。そろそろ私も覚悟を決めないと」
「ジ、ジゼル、それってもしかして……!」
「でもこのネックレスはそういうのじゃないから!!」
目をキラキラと輝かせるカテリーナに釘をさしておくと、彼女の目がジトリと湿度を帯びたものに変わる。
「もう、変なところで頑固ね。とにかく今度遊ぶ時に洗いざらい話してもらうからね」
「お手柔らかにお願いします」
顔を見合せて、二人でふっと吹き出す。
「じゃあ私、そろそろ行くね」
「うん。今日は来てくれてありがとう」
「いえいえ。ボリスくんのお母さんにもまた今度ちゃんと挨拶させて下さいって伝えておいて」
「ええ、伝えておくわ」
じゃあねと互いに手を振って、カテリーナと別れた。
◇◆◇
病院を出ると、あたたかな日差しが降り注ぐ。
もうすぐルカの誕生日なので、この後は色々とお店を巡ってプレゼント候補をいくつか探すつもりだ。
誕生日というのは普通その名の通り自身が誕生した日のことを言うが、ことルカに関してはその限りでは無い。
彼は自分が生まれた日を知らなかったからだ。
知らないのならば作ってしまえと好きな日はないかと問うと、ルカは私と出会った日の日付を口にした。
だからルカの誕生日は私が彼と出会った記念日でもあるのだ。
毎年皆でお祝いしていたが、今年は再会してから初めての誕生日だから盛大に祝いたい。皆で集まれるのなら集まりたいし、人参のマリネもたっぷりと作ろう。
「んー、あとはプレゼントをどうするかだよな」
十六年前は、自作の魔道具や魔道具を作るのに使う工具をよくプレゼントしていた。ルカが一番喜ぶのがそういうものだったのだ。
しかし、自作の魔道具を作るのはもう難しいだろうし、昔と違って工具だって揃っているだろう。一度それを使うと決めてしまえば、工具を買い換えることは滅多にないから、プレゼントする品には相応しくない。
……となると、アクセサリーとか?
でもルカってあんまり装飾品を身につけてるイメージ無いんだよな。
「……ジゼルさん?」
何がいいのかと悩んでいると、背後から声をかけられた。
振り向くと、そこに居たのはフェルモさんだった。
思わぬ出会いに一瞬、反応が遅れる。
「……あ、こんにちは」
「こんにちは。偶然ですね」
「ですね」
「先日は楽しい時間をありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、とても楽しかったです」
「それは良かった。あのつかぬ事をお聞きしますが、この後ってお時間ありますか?」
「へ?どうしてですか?」
「あの日からずっとマレナが次はいつ貴女に会えるのかと聞いてくるんです。もしよければ、少し顔を見せてやってはくれませんか?」
「え、そうなんですか」
「どうでしょう?」とフェルモさんが眉を下げて笑う。
服の上からネックレスを弄りながら、私は少し迷う。
……ルカの誕生日まではまだ時間があるし、プレゼントは今日じゃなくてもいい。それに私も色々聞きたいことがある。
「はい、大丈夫ですよ」
「本当ですか?こんな突然誘ってしまい申し訳ありません」
「いえいえ。私も近いうちにまた伺おうと思っていたので」
二人で雑談をしながらゆっくりとフェルモさんの家へ向かう。
「マレナちゃん、とても良い子ですよね」
「ええ。まだまだお転婆なところもあるので大変な時もありますが」
「あはは、確かに。とても元気な子ですもんね」
「まあ、一人寂しく暮らしていた頃に比べると中々活気があって良いですけど」
「……マレナちゃんが言ってましたよ。フェルモさんは自分を引き取ってくれた恩人だって」
「あの子がそんなことを?初めて聞きました」
「本人に話すのは恥ずかしいのかもしれませんね。ということで、今の話はご内密に」
口に人差し指を当てて、フェルモさんにお願いする。
彼は少し笑って「わかりました」と頷いた。
「さあ、お先にどうぞ」
フェルモさん宅に着くと、彼が扉を開けてくれた。
「……お邪魔します」
緊張しながら家にお邪魔する。
「おっさん、思ったより遅かった……って、え?」
家の奥から出てきたマレナが私を見て、固まる。
「ただいま」
遅れてフェルモさんが入ってきた。
「おっ、おっさん、な、なんでこの人……?!」
「偶然街で出会ってね、お茶をしないかと誘ったんだ」
「ふ、ふーん、へー。そ、そうなんだ」
なんだかやけにマレナがソワソワしている。
本当にいきなり来てしまって良かったのだろうか。
隣を見ると、フェルモさんは苦笑した。
「彼女、照れるといつもあんな感じなんです」
そう小声で教えてもらう。
「今、お茶を淹れますね」
そして、フェルモさんは部屋の奥へ行ってしまった。
「こんにちは。あの、急にお邪魔しちゃってすみません」
「べ、別に来たいなら来ればいいし。それにおっさんが誘ったんだったら謝る必要ねえと思うけど!」
「そうかな」
口をとんがらせるマレナの愛らしさに思わず頬が緩む。
「あ!」
その時、突然奥からフェルモさんの大きな声が聞こえてきた。
「おっさん、どうかしたのか?」
マレナが声をかけると、フェルモさんが顔を見せる。
「茶葉が無いのをすっかり忘れてて……」
そういう彼の手には空っぽの茶葉の容器が。
「どうしようか……」
「ほ、他に茶葉ないのか?」
「残念だけどないんだ」
「じゃあオレが買ってくる」
「折角の機会なのに、いいのかい?」
「急いで行ってくるから大丈夫!」
「……それじゃあ悪いけどおつかいを頼むよ」
「うんっ!」
マレナは元気よく頷いて、フェルモさんからお店の場所を描いた地図を預かる。
「あ、でもアンタ!」
グルンっと振り向かれ、少し驚く。
「私?」
「そう!オレが帰ってくるまでは絶対に帰るなよ!」
「わ、分かりました」
「絶対だぞ!」
「はい」
「約束だからな」
神妙な顔で頷くと、マレナは満足気に「それじゃあ行ってくる」と家を出ていった。
「いや、本当にすみません。うっかりしていて……」
「いえいえ、気にしないで下さい」
「先に茶菓子だけでも召し上がって下さい。今、用意しますね」
「あ、すみません」
フェルモさんが奥へ戻る時に棚にぶつかり、その拍子に棚から何かが落ちる。チャリン、と高い金属音がした。
近づいて床に落ちたそれを拾う。
それは魔道具技師の必需品である、あの鉤状の工具だった。
屈んだ拍子に出てきたネックレスを再び服の下にしまう。
「お待たせしました」
バウムクーヘンを載せたお皿を持ったフェルモさんが戻ってくる。
話をするならマレナがいない今しかない、と思った。
「あの、フェルモさんって魔道具作ったりするんですか?」
一瞬キョトンと目を丸くしたフェルモさんだったが、私の手元を見て納得したように「ああ」と恥ずかしそうに笑う。
「実は少しだけ。下手の横好きのレベルですけどね」
「……下手の横好き、ですか。随分と謙虚なんですね。昔、『ラポール』という魔道具屋を営んでいたくらいなのに」
瞬間、フェルモさんからストンと表情が抜け落ちた。