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「イェルダ、ご飯の用意が出来たからそろそろ起きておくれ」
懐かしい、声がした。
「イェルダ」
呼び掛けに答えるように、暗闇に沈んでいた意識が浮上していく。
目を開くと、見慣れた家の天井と優しく笑うロイさんがいた。
視界の端に深緑色の髪が見えた。
ああ夢か、とすぐに分かった。
いつもと違う髪色に今とは少し家具の間取りが違う魔道具屋。そして、今はもうこの世に居ないロイさん。
懐かしくてあたたかな光景がそこにはあった。
久しぶりに見る大好きな人の姿に胸がぎゅうっと絞られるように痛んだ。亡くなる前の痩せた姿ではなく、元気だった頃のロイさんだ。おひさまのように笑うあのロイさんだ。
「ロイさん、おはよう……」
「おはよう」
言葉を発したつもりは無いのに、勝手に口から言葉がこぼれ落ちた。それなのに、私が声を出そうとしても口は動かない。
どうやら、この夢に今の私は干渉出来ないらしい。
「今日のご飯はなに?」
「サンドイッチだよ。イェルダ、好きだろう?」
「うん。ロイさんのサンドイッチ、大好き」
テンションが上がって、ベッドの上で飛び跳ねる私を見てロイさんは目を細めた。
私はロイさんがこれまで何をしてどのように生きてきたのかを知らない。唯一知っていることといえば、昔大きな魔道具屋に居たということくらいだ。それ以外のことを彼は語りたがらなかったし、私も聞こうとは思わなかった。誰にも必要とされず、どこにも居場所がなかった私を拾ってくれた恩人。その事実だけで十分だった。
ただ時々、例えば今みたいに私がはしゃいだ時や笑った時、ロイさんは決まって遠い昔を思い出すように、何かを懐かしむように目を細めた。きっと、私を通して誰かを思い出しているのだろうと気づくのにあまり時間はかからなかった。それが誰なのかまでは分からなかったけど。
ふと、ロイさんの姿が朧気になって、一気に空間が歪み出す。
一体何が起こっているのかと混乱しているうちに再び空間が正常に戻った。
しかし先程とは異なり、私がいるのはベッドの上ではなく、ロイさんが魔道具を作る作業場として使っていた部屋だった。
どうやら場面転換したらしい。夢の中なので、色々と唐突だ。
「ロイさん。この匂い、なあに?香ばしくていい匂いがする。おやつ作ってるの?」
作業中のロイさんの背中に声をかける。
今なら魔道具を作っている最中に声をかけるなんて迷惑で危ないことは絶対にしないが、この時の私はまだ魔道具に関して殆ど素人でそんなことも知らなかった。
魔道具の制作には繊細な工程が必要とされる。集中しているところに声をかけられて邪魔だろうにロイさんは作業を中断して、わざわざ私の方に向き直ってくれる。そういう優しいところも大好きだった。
「いや、これは食べ物の匂いじゃないんだ」
「じゃあ、何の匂い?」
「これだよ」
ロイさんの手には青色の鉱石があった。
見たこともない美しい輝きに目が奪われる。
「綺麗……」
顔を近づけてまじまじと観察するが、あの香ばしい匂いはしない。
「あれ?ロイさん、これ匂いしないよ」
「うん。このままだとまだ匂いはしないんだ。これにあることをするとさっきみたいな匂いがする」
「あることってなに?」
私の問いかけにロイさんは少し困ったように眉を下げて、黙り込む。
この光景を私は昔見たことがある。
確か私が十四、五歳ほどの時に全く同じことをロイさんに問いかけた。その時も彼は今と同じように困ったように眉を下げて、そして……。
「動物の血液をかけるんだ」
俯きがちに、そう言った。
「え、動物の血をかけるの?!どうして?!」
「そういう手法で作る魔道具があってね、それを作る時にナッツを炒るような香ばしい匂いがする」
「へえ、すごい。そんな方法もあるんだね」
丁度、この頃は魔道具に興味が出てき始めた時期でもあって益々鉱石への興味が湧いたことをよく覚えている。
だけど、鉱石を見せるロイさんの顔にはどこか影があった。
「確かにこの鉱石を使えば、高精度で高威力の魔道具を作ることが出来る。だけど、今はまだ使えないんだ」
「……どうして?」
「さっきも言った通り、この鉱石の力を発揮するためには動物の血液がいる。魔道具に使おうと思ったら、かなり量の血液を必要とするんだ。この方法を一般化してしまえば、いつか血液は足りなくなる。そうすれば動物を乱獲して血を抜き、血液を売る人間も出てくるかもしれない。せめてもう少し使用する血液の量を少なくできるまでは使うべきでは無い、と僕は考えてる。コストパフォーマンスの面でも改善すべき点は多くあるしね」
ロイさんは私の頭を優しく撫でた。
しかし、その目は私を見てはいない。きっとまた私を通して誰かを思い出しているのだと思った。
「それに、この方法はまだ成功例も少ないしね」
「試作中ってやつ?」
「そうだね。しばらく試していなかったけど、今日はなんだか試作したい気分だったんだ」
ふーん、と相槌を打ちつつ、作業台の上に目をやる。
「あれ?この鉱石はさっきのやつとは違うやつ?」
作業台の上に載っている鉱石は形こそ似ているものの、先程の鉱石とは違い、紫色の光を放っていた。
澄んだ青色の鉱石と比べると、なんだか禍々しさを感じる輝きだった。
「いや、それはさっき見せたのと同じ鉱石だよ。あの鉱石は血液をかけると、青色から紫色へ変色するんだ」
「え、そうなんだ!全然違う鉱石に見える!」
「不思議だよね」
「うん」
少し顔を近づけると、ナッツを炒った時のような香ばしい匂いがした。
「こらこら、作業台には危ないものが沢山あるからあまり近づいてはいけないよ」
「あ、ごめんなさい」
「……イェルダは魔道具に興味があるのかい?」
「うん。私もいつかロイさんみたいに魔道具作ってみたい」
「そっか」
「ロイさんは私が魔道具に関わるのは反対?」
瞳に複雑な色を浮かべたロイさんを見て不安になった私はそう問いかける。すると、彼は優しく微笑んだ。
「いいや。イェルダがそう思ってくれるのはとても嬉しいよ。それなら今度、魔道具の基礎について一緒に勉強しようか」
「え、いいの?」
「もちろん。こういう道具の使い方に関しても教えよう」
そう言ってロイさんは先が鉤状になっている金属を見せてくれる。
これは魔道具を製作する時に特によく使われる工具の一つだ。魔道具製作を学ぶ人は恐らく殆どが一番にこの工具の使い方を学ぶ。
約束通り私も後日、ロイさんに使い方を教えてもらった。
また視界がぼやけて、空間が歪む。
少し痩せたロイさんが現れた。
「イェルダ。魔道具を作る際は使う時のことを思い浮かべて作ると良い。そうしたら、きっと良い魔道具を作れる」
これはロイさんの口癖だった。私が魔道具を作るようになってからことある事に口にしていた。
視界がぼやける。空間が歪む。
ベッドの上に横たわるロイさんが現れる。
「魔道具は使い方次第で悪にも善にもなる。魔道具を作る僕達はそれを忘れてはいけない。常に自分の作品には責任を持ちなさい。魔道具屋としての矜恃を持ちなさい」
晩年になると、彼はなにかを恐れるようにこの言葉を繰り返した。言い聞かせるその時に握られた手は、僅かに痛みを感じるほどに力が籠っていた。応えるように頷くと、いつも安心したように柔らかく微笑む。結局、最後までロイさんが私を通して誰を見ていたのか。過去に何があったのか、聞けなかった。
聞けないまま、ロイさんは永遠の眠りにつき、私は独りになった。
そうして、私はルカと出会った。




