30
「あの、ルカ、ごめんなさい」
無言で歩くルカの背中に声をかけると、彼はチラリとこちらへ振り返り「何がですか?」と聞く。
「色々と迷惑をかけて。元々はこんなに遅くなる予定じゃなかったの。だけどヴィリアムのお店でご飯を食べていたらこんな時間になっちゃって......」
「今は僕よりもご両親への言い訳を考えた方がいいんじゃないですか」
「......う"。まだ常識外れに遅い時間ではないと思うんだけど、やっぱり怒られるかな?」
ヴィリアムのお店を出た時点でかなり遅い時間だったが、その後のゴタゴタで更に遅くなってしまった。
普段はここまで遅くに外を出歩くことは無いので、少し両親の反応が心配なところではある。
「......怒るというよりも、心配されてると思いますよ。それと言っておきますけど、世間一般的にはこの時間は十六歳の少女が出歩くには十分遅い時間です」
「そ、そうなの?」
「ええ。貴女、昔からそういうところアバウトですよね。平気で真夜中に一人で出掛けようとしてましたし」
「出掛けるって言ってもちょっと近所にある魔道具を直しに行ったり、気分転換に家の周りを散歩するだけよ?」
「ちょっと直すだけだって言って結局手こずって、一時間くらいかかってましたよね?」
「あー、そ、そんなこともあったね」
「家の周りを散歩するって言って、知らない裏道に入って迷子になったのはどこの誰でしたっけ?」
「......そ、そんなこともあったっけ?」
「ありました」
本当はしっかり覚えている。
どちらの時も深く考えずに外に出ようとしたところをルカに引き止められて、夜遅くに私の用事に付き合ってもらった記憶がある。
散歩の時に関しては本当に私用でしか無かったので、一人でも大丈夫だと伝えたのだが「何言ってんだこいつ」的な氷点下の眼差しを向けられてしまい、着いてきてもらうことになった。
もう寝ようとしていただろうに申し訳ない限りだ。
「よ、よく覚えてないなあー......」
ジトリと物言いたげにこちらを見るルカを視界に入れないようにしてとぼけると、一つ大きな溜息が聞こえてきた。
「とにかく貴女はもう少し危機管理能力を身に付けてください。あの魔道具が三回も発動する事態なんて普通に生きていればまず無いですからね」
耳の痛い言葉に私は「はい」と返事をして項垂れる。
「......あ。そう言えばさ、私がまたあの女の子に会える機会ってある?色々と聞きたいことがあるんだけど......」
忘れないうちに聞いておこうと尋ねると、ルカはピタリと歩みを止めた。なんの前触れもなく立ち止まったので、そのまま彼の背中に私の顔がめり込んだ。
「ぷぎゃ」
鼻が潰れる。
「いきなり立ち止まってどうしたの?」
問いかけに返答はない。
「ルカ?」
「......貴女をあの少女に会わせるつもりはありません」
彼がゆっくりと振り返った。
「この事件の調査は今日で打ち切りです」
街灯もない暗い道では今ルカがどんな顔をしているのか、見えなかった。
「う、打ち切りって」
「もちろん国としては今後も変わらず調査を進めていくつもりですが、今後ジゼルに調査の進捗や情報を伝えることはありませんし、貴女が事件の調査をしようとするのならば僕は全力で阻止します」
「そんな、どうしていきなり」
「いきなりじゃありませんよ。最初に事件の調査をすると決めた時に言いましたよね。貴女に何か危害が及ぶようなことがあれば、すぐに事件の調査を打ち切ると」
「で、でも、今日のことは不可抗力で別に私が狙われたわけじゃないわ」
「貴女が狙われたかどうかは関係ありません。重要なのは貴女が傷を負い、生命を脅かされるほどの目にあったという事実です」
「生命を脅かされるってそんな大袈裟な……」
「大袈裟ですか?それなら聞きますが、もしあの時、僕が来なかったらどうするつもりだったんですか?身を守ってくれる魔道具もなくなり、魔術を発動できるだけの魔力もなく、あの木偶から逃げるだけの力もないのに、どうやってあの場面を脱しようとしていたんですか?」
「それは……」
「人通りのある道に戻って誰かに助けを求める方法だってあったのに、よりによって貴女は一番最悪な方法を選んだ」
「助けを求めてる間にあの子が連れ去られる可能性だってあったわ」
「それでも非力な貴女が単身で突っ込んでいくよりもずっと安全で確実な方法です。はっきり言って、貴女のとった行動は自殺行為ですよ。普通に考えれば、その行動がどれだけ危険なことか分かるはずです。それとも、死んでもいいと思って突っ込んでいったんですか」
「ち、違う!私はただあの子を助けないとって、ただそれだけで死ぬ気なんてさらさらなかった!」
「それなら、どうしてあんな自分の命を危険にさらすような真似をしたんですか」
決して声を荒げているわけではないのに、叫んでいるような悲痛さを持ったその声色に熱くなっていた頭がすっと冷めていく。
「貴女はいつもそうだ。何度言っても言葉を尽くしても、自分を大切にしてくれない。いざとなれば自分を犠牲にしようとする」
今度はそんなことは無い、とすぐに否定することは出来なかった。
少女を逃がして木偶を足止めしていたあの瞬間、私はその先のことなんて考えられなかった。
私にとってはあの時、少女を逃がすことが一番で、その後自分がどうするのかを全く考えていなかった。
死ぬ気はなかった。だけど、私が多少の犠牲を払うことで少女が助かるのならば構わないと思ったのも事実だ。
「木偶に蹴られて蹲りながらも縋り付く貴女を見た時、僕がどんな気持ちになったか分かりますか?この世で一番大切に想っている存在が石畳の上でボロボロになっている姿を見て、また失うかもしれないとどれだけ恐怖したか、息をしている貴女を見てどれだけ安堵したか、分かりますか」
反論できず、黙り込んだ私にルカが詰める。
その声は淡々としていたが、それは無感情故のものではなく、むしろ何か激情を抑えようとした結果のものに聞こえた。
「貴女が事ある事に僕達の身を案じてくれるように、僕達も貴女の身を案じているんです。心身ともに健やかであって欲しいと、いつも願っているんです。僕達のことを大好きだと言ってくれるのならば、僕達が何よりも大切にしているものにも、ジゼル自身にも少しはその愛を向けてください。もっと、自分を大切にしてください。僕がどれだけ貴女を守りたいと思っても、貴女が自分を守る気がなかったら、全て無駄なんです」
雨なんて降っていないのに、ポタっと石畳の上に一滴雫が落ちた。
「貴方、泣いているの......?」
ひとつの可能性に思い至り確かめるためにルカに近づくと、暗がりの中で揺らめく水色と目が合った。美しい瞳から透き通った一筋の涙が流れる。
彼の涙を見るのなんて、どれくらいぶりだろう。
弱音すら滅多に吐かない彼から零れ落ちた感情の形は、見ているだけで痛いほどに私の胸を締め付けた。
「ル、ルカ、泣かないで。ごめんね、全部、私が悪かったわ。無茶をして本当にごめんなさい。でも、死ぬ気なんてこれでぽっちもなかったの。こんなところで死ねないって、本当に私、そう思ってたのよ。あ、貴方への返事もまだ出来てないし。私、馬鹿だからとにかく助けなきゃってその一心だったの」
自分が泣かせてしまったのだと思うと、とても冷静ではいられず、私はルカの頬を伝う涙を拭いながら必死に謝罪をすると、顔に添えた手を包み込むように取られた。
「少しでも僕に悪いと思ってくれるなら、もう調査はしないでください。貴女は今回の件で犯人に認知された可能性だってある。今後、何か危害を加えられる可能性だってゼロではない。僕はただ、貴女に傷ついて欲しくないだけなんです」
向けられる眼差しのあまりの強さに呼吸すら忘れる。
どれくらい経ったか、少ししてルカが視線を下げた。
無意識に詰めていた息を吐き出す。
「......今後は警備体制をさらに引きあげ、犯人確保に尽力するつもりです。しかし万が一のことを考えて、念のため夜は出歩かないでください。事件関係者の元に話を聞きに行くこともやめてください」
先程までの私ならば、何もそこまで厳重にしなくてもいいだろうと反論していたかもしれない。
だけど、ルカの涙を見たあとでは簡単にその言葉を否定することなんて出来なかった。




