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「イェルダっ!!!」
悲鳴のような、怒号のような声が聞こえたと同時に、私を蹴りあげていた木偶が吹っ飛んだ。
やっとまともに呼吸ができると息を吸うと、喉からひゅーひゅーと情けない音が出た。
ルカが駆け寄って来て、私の身ををゆっくりと抱き起こす。
治癒魔術をかけてくれたのか、あたたかい感覚に身体が包まれた後、少し痛みが和らいで息がしやすくなった。
お礼を言おうと、ルカを見ると水色の瞳が不安で揺れていた。今にも泣き出しそうな顔をして、私を見ている。
「ル、ルカはどうしてここに?」
「あのブレスレットが作動したら、僕に連絡が来るように設定していたんです。遅くなってすみません、また、貴女をこんな目に遭わせてしまった」
「いや、これはルカのせいじゃないよ。私が勝手に暴走しちゃっただけなんだから、ルカは何も悪くないよ」
彼がこんなに取り乱しているのを久しぶりに見た。
こんなに心配させてしまうなら、裏道なんて通らず大人しく表通りを通って帰ればよかった。以前、魔力欠乏で王宮で倒れた時だってあんなに心配させてしまったのに。完全に油断した私が悪い。
と、そこまで考えて女の子のことを思い出す。
「ねえルカ、この近くで女の子と会わなかった?あの子は無事?」
「ええ、大丈夫です。彼女はモニカが保護してくれてます」
「モニカが?」
「少し仕事関係で用事があって会ってたんです」
そうだったのか。モニカがいるなら安心だ。あとで彼女にも無事だということを知らさなければ。心配させてしまっているかもしれない。
しかし、ほっとしたのも束の間。
ギギ、と音をさせながら倒れていた木偶が起き上がる姿が見えた。
「……わ、あ、あいつ、まだ動くの?」
かなり強く蹴られたはずなのに、どれだけ丈夫な魔道具なんだ。
あんな魔道具、どうやって作るのか想像もつかない。
「アレがイェルダにこんな傷を負わせたんですよね」
「え、あ、うん」
「少し、待っててください」
口調は穏やかだし私に触れた手もとても優しいものだったけど、額に青筋が浮かんでいるのが見えて、サッと血の気が引く。
あ、これ、ルカ相当怒ってる。
やばい、と思った時には既にルカの手から攻撃魔術が放たれていた。
木偶が反撃する暇もないほどに連続して放たれるそれは、人間に当たれば一発で即死してしまうほどの高威力だ。
「ル、ルカ、待って!ストップ、ストップ!!」
慌てて声をかけると、ピタリと攻撃魔術が止まる。
木偶は本当に頑丈に作られているようで、あの攻撃魔術の嵐を受けてもなお、形を保っていた。
良かった、ギリギリセーフだ。
「あの、一旦落ち着いて。多分その木偶、一連の事件の犯人に繋がる手がかりだから、壊しちゃダメ」
「事件って、家畜の事件ですか」
「そう!だから壊さないで欲しい」
「……なら、貴女を傷つけたのは一連の事件の犯人ということですね」
「え?あ、まあ、そう、かな?」
犯人の目的は私ではなくあの少女だったが、まあ結果的に私はあの木偶によって怪我を負ったので、そう言えないこともない。
曖昧に頷くと、ルカは「分かりました」と頷いた。
「それなら早く犯人を見つけ出しましょう」
……私の気の所為だと良いのだが、今の話の流れだと、もしやルカは木偶の代わりに犯人に攻撃魔術をブッ放そうとしていないか?
いや、まさかね。あの威力の魔術をぶつけたら犯人は死んでしまう。そんなこと、ルカがする訳ない。
「穏やかに、あくまでも穏やかにいこうね」
だけど、やっぱり少し怖いので保険をかけておいた。
◇◆◇
ルカの魔術のおかげでなんとか動けるようになったので、手を借りつつモニカと少女が居るという場所に向かう。
ちなみに例の木偶は、怒涛の攻撃によってついに壊れたようで動かなくなったため、現在はルカの魔術によって亜空間に保管されている。
「おかあさん!!」
少し離れていたところにいたモニカが私のことを見つけ、駆け寄ってきてくれた。
その隣には先程別れた少女の姿もあった。
元気そうなその姿にほっと息を吐く。
「おかあさん、大丈夫?!怪我痛いよね?!歩ける?!」
「心配させてごめんね、大丈夫よ。服に血がついてるけど、これは口の中切っちゃっただけだから大したことないし」
「もう、無事で本当によかった……!折角会えたのに、またいなくなっちゃったらどうしようって私……」
「ごめんね、モニカ。私は大丈夫だから、ごめんね」
顔を覆ってしまったモニカを抱き締める。
本当に死ぬ気なんてなかったし、今でもあれが最善の選択だったと思っているけど、心配をかけてしまったことは本当に申し訳ない。ルカにもモニカにも本当に悪いことをしてしまった。
「あの、ごめん……なさい。オレのせいで、怪我させちゃって。オレがあの時、声をかけてなければ怪我なんかしなかったのに……」
自分の考えの至らなさに反省していると、おずおずと少女が私に近づいてきた。
「いえ、それは違います!貴女が私に助けを求めてくれたから私は貴女を助けることが出来たんです。だから謝ることなんて何も無いんですよ。悪いのは全部あの木偶なんですから」
突然、意味も分からずに襲われてどれ程の恐怖を味わったのだろう。
それを考えるとルカには穏やかにと嗜めたものの、私も犯人の顔面に一発食らわせたい気持ちになってくる。
「それよりも怪我は無いですか?」
少女は一度頷くと、深々と頭を下げた。
「助けてくれてありがとう」
「いえ、貴女が無事で本当に良かった」
声を震わせる彼女になんと言えばいいのか分からなくて、結局そんな当たり障りのない言葉しか返せなかった。
「それじゃあモニカ、この子のことを家まで送り届けてあげて」
その後、少女も少し落ち着きを取り戻し、どう動くのか考えていると、ルカがそんなことを言った。
「分かった。ルカ兄はどうするの?」
「僕はジゼルを送ったら、後から二人を追いかけるつもりだよ」
「追いかけるって言ったって、この子の家の場所分からないでしょ?」
「うん。だからこれを持ってて。これがあればモニカ達の居場所がわかるから」
ルカがモニカにブローチのような魔道具を渡した。
「え、ちょっと待って。私も一緒について行くつもりだったんだけど……」
「え?!いや、おかあさんは怪我してるんだから今日はもう帰って休みなよ」
「でも私がいた方がこの子の保護者に事情を説明しやすいでしょ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「いえ、ジゼルには帰宅してもらいます」
口ごもるモニカの隣でルカがキッパリと言い切った。
「治癒の魔術をかけたとはいえ、然るべき手当てをして身体を休めさせるべきです。大体貴女、ご家族に連絡もしていないでしょう?もう遅い時間ですから、きっと心配してますよ」
「そ、それは……」
「保護者への説明は責任をもって僕とモニカがしますから、貴女は帰宅です」
言葉を詰まらせているともう一度、念を押すようにそう言われてしまった。
「いいですね?」
「......分かった」
取り敢えず今日のところは引こう。
あの子に会いたければ、ルカに家の場所を聞いてまた別日に私一人で会いに行ってもいいわけだし。
それに、私自身、両親にそろそろ連絡を入れなければとは思っていたので、そこをつかれると強くは出られない。
「じゃあモニカ、また後で」
「うん。おかあさんのこと、よろしくね」
ルカが私の手を掴み、我が家がある方向へとずんずんと進んでいく。
後ろを振り向くと少女がぽかんと口を開けてこちらを見ていたので、手を振っておいた。




