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おかあさんという人

時系列、視点ともに変わります。



考えてみると、ルカ兄とはもうかなり長い付き合いになる。

小さな頃から一緒にいて、様々な出来事を経験してきた。他人の前では完璧超人として隙のないルカ兄も、私たちの前では多少気を抜いてくれるし、なによりも家族として他の人が知らないルカ兄の一面も知っていると自負している。

しかし、そんな私が断言する。

こんなルカ兄は今まで一度も見たことがない、と。


「……本当に最悪だ」


そう言ったルカ兄は、現在私が営む店のカウンターに突っ伏していた。

普段の凛々しい頼りがいのある姿は微塵もなく、なんなら液状化しそうな程に脱力した状態で落ち込んでいる。


そもそも彼が今日ここに来たのは、いくつかの魔道具の試作品の引き取りが目的だった。

ルカ兄はこうして時々、魔術開発研究本部の手が足りない時や個人的に頼みたい仕事があるときに私に魔道具の試作を依頼してくることがある。今は特に、例の黒いローブの不審者の事件の事件協力もしているらしいのでとにかく忙しいらしく、とても助かっていると感謝された。私としても自分の考えには無い魔道具を作れるのは楽しいし、勉強になるので、こちらこそ有難いと思う。

ルカ兄本人は試作品を確認したらすぐにこのまま帰宅するつもりだったようだが、その様子がどこかおかしいように感じて引き止めた。彼が心乱されることなんておかあさんが関係することに決まっている。これは何かあったなと質問攻めにしたところ、十六年前の事件の真相がバレたことなどのおあかさんとの大まかなやりとりを教えてもらったというわけだ。あと、ヤケクソ気味におかあさんに想いを伝えたことも教えてもらった。

ルカ兄は普段ならこういうことは絶対に教えてくれない。

それなのに、こうして弱音とも取れる言葉を吐いているということは、それだけ精神的にキているということだろう。

事の経緯が経緯だけに「やっと伝えられたのか」とはしゃぐことも出来ずに思わず、同情の目を向けてしまう。


しかし、だ。

いくら恋愛対象として見てくれる気配がなくとも、相手は私たち子供の押しにめっぽう弱いおかあさんだ。

それはルカ兄もよく知っていることのはずだ。取り敢えず、告白して押しまくるというのも一つの手段として有効だろうに、どうして今まで想いを伝えなかったのだろうか。

ルカ兄の性格を考えるに、勇気が出なかったからとかいう理由ではない気がする。


いつもは教えてくれないだろうけど、今なら答えてくれるかもしれない。

疑問に思ったことをそのまま聞いてみると、ルカ兄はカウンターに顔を伏せたまま、視線だけをこちらに向けた。


「……仮にイェルダが生きている時に告白しても、彼女は絶対に受け入れてくれなかったよ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「あの人、自己肯定感というものが恐ろしく低いから」


おかあさんの自己肯定感が低い、と聞いても私にはピンとこなかった。

確かにおかあさんは何かと自分を後回しにする癖があるし、私達のことを最優先に考えがちだけど、それは親バカ的なもので自己肯定感が低いと言うのとはまた少し違う気がする。

私が納得がしてないことに気づいたのか、ルカ兄は苦笑した。

それからまた目を伏せる。


「イェルダは僕達の幸せに自分を含めてないんだよ」

「……どういうこと?」

「言葉の通り。あの人は自分の幸せは子供達が幸せになることだってなんの躊躇いもなく言うくせに、僕達の幸せに自分が入ってるだなんてこれっぽっちも思ってない。自分がいなくなっても僕達が幸せになれると、当たり前のようにそう思ってる」


そう言われると、少し分かる気がした。

自分の死を過去のものとして、私達の前に現れるつもりはなかったと言っていたおかあさん。

あの人は遠慮でも謙遜でもなんでもなく、自分の存在が今の私達には必要ないと心の底から思っていた。


「あの人は、僕たちがどれだけあの人を大切に思っているのか、分かっていないんだ。愛情を与えてばかりで、与えられることに慣れていない。好意にも鈍くて、自覚がない。自分が愛されるはずがないと思っている」


おかあさんは私達が好きだと言えば「私も大好きよ」と必ず返してくれる。

だけど確かに思い返してみると、幼い頃は、おかあさんは私達が好意を伝える度に酷く驚いた顔をしていたような気がする。

ずっとあの表情はどういう意味なのかと思っていたが、もしかしてあれはルカ兄の言う通り『与えられることに慣れていない』故の反応だったのだろうか。


そのことを問いかけると、ルカ兄は微妙な顔をした。


「そうだね、最初の頃は特にその傾向が強かった。僕なんて、無理に私のことを好きになろうとしなくても良いんだよ、って諭すように言われたことすらあったよ。その時にこの人には言葉より行動で示す方が良いんだろうなって学習した」


彼は苦く笑う。


「だけど、モニカやアベル達がやって来て、何度も何度も好意を伝え続けてくれたから、多分あの人もそういうものなんだって思い始めたんだと思う」

「ルカ兄はおかあさんの自己肯定感が低いのはどうしてなのか、なにか思い当たることとかあるの?」

「……モニカはあの人が口減らしのために村から追い出されたってことは知ってるよね?」


私はこくりと頷く。

おかあさんは過去の話をしたがらなかったけど、一度だけ「私も貴女と同じく口減らしのために村を追い出された人間なの」と教えてくれたことがある。

どうして私なんだ、と一人で泣いていた夜の事だった。

こんなに優しくて綺麗な心を持った人が自分と同じ境遇だったなんてと、とても驚いたことをよく覚えている。

おかあさんは「仕方のないことだけど、どうしようもないことだけど、辛いよね。悲しかったよね」と泣きじゃくる私の背を優しく摩り続けてくれた。

家族に飢えて欲しかったわけじゃない。誰か、他の人を犠牲にして自分が助かりたかった訳じゃない。だけど、家族に不要だと判断されるのはやっぱり、辛い。悲しい。

上手く言語化できない気持ちを代弁してくれたおかあさんの言葉に私は益々泣いた。結局一晩中、おかあさんは傍に寄り添ってくれていた。

内容も内容だし、おかあさんは自分の過去の話を本当にしなかったから、この事は他の弟妹達にも話したことは無い。

ルカ兄がおかあさんの過去を知っているのには少し驚いたが、二人の関係性を考えると不思議は無い。


「ルカ兄はそれがおかあさんの自己肯定感が低い理由だと思ってるの?でも、そういう過去があることが自己肯定感が低い理由にはならない思うんだけど。実際、私も口減らしで捨てられた子供だけど、おかあさんのおかげで自己肯定感は割と高い方だし」

「うん、僕もそれだけが理由だとは思ってない。モニカはイェルダからどこまで聞いた?」

「どこまでって?」

「家を出てからロイさんに見つけてもらうまで、少し期間が空いていたことは知ってる?」

「し、知らない」


私が知っているのは、口減らしで村から追い出されたこととその後魔道具屋を営むロイさんという人に出会い、一緒に暮らしていたことくらいだ。


「村を出てから生きるために雇ってもらえるところを探して色々と渡り歩いたみたいだけど、当時は不景気だったうえにイェルダも13歳か14歳程で働くにはまだ幼かったこともあってどこからも断られてしまったらしい。それから少しして、所持金も尽きた頃にようやくイェルダはロイさんと出会った」


そんな事があったなんて知らなかった。

お金も無く、頼りの縁もなく、誰からも必要とされないその期間。

おかあさんは何を思ったのだろう。

それにそれくらいの年齢ならば、幼かった私よりも冷静に自分の立場が分かる。分かってしまう。きっと、捨てられて悲しいと泣くだけだった私よりも、色々なことを感じて、考えただろう。


「僕も明確に原因が分かってるわけじゃない。だけど、多分あの人の価値観とか、自己犠牲にも近い行動原理っていうのは、そういう色々な経験が積み重なって少しずつ出来たものじゃないかと思う。僕もイェルダの過去を全て知っている訳では無いから、真実は分からないけど」

「……おかあさんは、今も同じ考え方なのかな」

「分からない。ジゼルの両親はとても良い方達で、心からジゼルを愛しているから家庭環境に問題は無いと思うけど、本人がどう考えているのか……。でもこの前、まだ皆と再会する前に、あの人は自分から皆に会いたいと望んだんだ。それは大きな一歩だと思ってる」

「昔のおかあさんだったら会いたいって望まなかった?」

「うん。会いたいと思っても、多分望めない。そもそも僕達があの人の傍にいたいと望んでいることすら、想像しないと思うし」


ルカ兄がひとつ小さく息を吐いた。


「そんな認識の人に恋愛的な意味で貴女を愛しているって伝えたらどうなると思う?」

「わ、わかんない」

「拒絶するか逃げるかのどちらかだよ」


自分を好きになる人間なんて居ないと思っているから、この気持ちは保護されたことによる刷り込みだと思うだろうし、仮に刷り込みではないと理解したとしても自分は釣り合わない、そこまでの価値は無いと僕の前から逃げるだろう、とルカ兄は言った。


「告白して意識してくれるならいいけど、イェルダの様子だとむしろ逆効果だと思った。だからこの想いは伝えずに、時間がかかってもいいから少しずつその認識を変えていこうと、そう思っていたのに、ある日突然あの事件が起きて、全てが変わってしまった」


そう語った美しい(かんばせ)にはなんの表情も浮かべられていない。感情が全て抜け落ちてしまったかのような、無表情だった。


「僕はどこかで多分、あの人は死なないって思ってたんだ。当たり前のようにずっと僕のそばにいるものだと、そう思っていた。そんな保証はどこにもないのに。だけど実際、あの人はあまりに呆気なく僕達の前から消えてしまった。あの人がいなくなって、何度も何度も考えた。あの時、全て伝えてしまえば良かったんじゃないかって」

「ルカ兄……」

「だからジゼルを見つけた時、今度は待つんじゃなくて自分から動こうと思った。たとえジゼルが逃げようとしても、逃げられないように外堀から埋めていこうって。囲い込めば、逃げる気も起きないだろ?」


ニコリと綺麗な微笑みを向けられ、頬が引き攣る。

そうだった。この人は、こういう人だった。


「それなのに、王宮では何故かあのクソ野郎と噂になってるし、事件のことはバレるし、言うはずじゃなかったのに気づいたら告白してたし、本当にあの人、なんなんだろう。あの人のことになると振り回されてばかりだよ」


そう言うなり、再びルカ兄はぐてっ、と店のカウンターに突っ伏す。その彼らしくない仕草は、魔術師長の威厳も何も無かったけれど、先程のあの人形のような冷たい表情よりはよっぽどマシだ。


「……え、っていうか、なに?おかあさん、ラミロと噂になってるの?」

「前に二人きりで食事してる姿を見られたらしい。本当にアイツ、は人の事を不快にさせるのが上手いよ」

「ルカ兄も認識阻害の魔術外しちゃえばいいじゃない」

「そうしたいのは山々だけど、僕はあのクソ野郎ほど威圧感を前面に出して歩いてないから多分街で魔術を解いたら人に囲まれて身動き取れなくなる。それに下手に噂を立てたせいで、面倒な貴族共がジゼルに危害を加える可能性だってある。それは絶対に避けたいんだ」

「成程ねえ。魔術師長にもなると色々大変なのね」

「色々と面倒が多すぎてイェルダの件が解決したらすぐにでも辞めてやろうかと思ってる」

「ええ!魔術師長を?!」


ルカ兄はさも当たり前かのように首肯する。


「……絶対に引き止められると思うよ」

「どうだかね。家畜の事件も解決しないといけないから、当分は難しいだろうけど」

「おかあさんも家畜の事件のこと調べてるって言ってたけど、ルカ兄よく許したね。この街、今あんまり治安良くないのに」

「僕だって本当は安全なところにいて欲しいよ。また、あの人を失ったらって想像しただけで気が狂いそうになる。だけど……」

「おかあさんの望みはなるべく叶えてあげたい、でしょ?」


ルカ兄の考えそうな事だ。

おかあさんも随分な親バカだけど、彼もたいがいおかあさんに甘いから。

私の言葉にルカ兄は苦笑した。


「うん。それにあの人の、身内が傷つけられた時にじっとしていられない性分はよくよく分かってるから。でも、もしも何か危害が及ぶようなことがあれば、その時は……」


ビーッ、ビーッ、ビーッ!


言い終わらないうちに、突然警報のようなけたたましい音が三回、魔道具屋に鳴り響いた。


「なに?!これ、何事?!」


ルカ兄は私の問いには答えず、懐からコンパクトに似た形状のなにかを取りだし、中を覗く。すると、ピタリと警報音がなりやんだ。


「……魔術が発動してる」


静かになった空間にルカ兄の呟くような声が落ちた。


「な、なに?どういうこと?今のなんの音なの?」

「事件を調べるにあたって、念の為にジゼルに護身用の魔術を練りこんだブレスレットを渡しておいたんだ。危険を感知すると自動で身を守ってくれる。その魔術が今、発動してる」

「え?!それ、確かなの?」

「うん。魔術が発動すればこっちに知らせが来るように設定してるから間違いない。ジゼルの身になにかが起きてる」


言うが早いか、ルカ兄は素早く立ち上がり、飛び出すようにして店を出ていく。


「ちょっ、おかあさんが今どこにいるか分かってるの?!」

「魔術が発動すると同時に場所も知らせる設定にしてる。ヴィリアムの店がある方面だ」

「そ、それなら私も着いていく!」


見失わないよう、私も慌ててあとを追う。

魔道具を使ってスピードを上げるが、ルカ兄も魔術を使っているのか、全然追いつかない。

というか、早すぎ……!人間の出す速度じゃないでしょ!?


暫くがむしゃらにルカ兄の背中を追いかけていると、遠くの方で彼がピタリと止まった。

少し遅れて何とか追いつく。ルカ兄の傍らには小さな女の子が立っていた。潤んだ瞳がこちらを向く。


「ルカ兄、この子は?」

「家畜事件の犯人らしき人物に襲われたって。今そいつとジゼルが対峙しているらしい」

「……はっ?!」

「モニカ、この子のことを頼んだ」


簡潔にそれだけを説明すると、ルカ兄は私の返事を待たずに先程よりも更に早いスピードで路地の方へと行ってしまった。


「ご、ごめんなさい。オレのせいで、あの人が……」


何が起きているのか分からず、言い表しようのない不安が胸を占めるなか、小さく少女の声が聞こえた。

そのか細く頼りげのない姿にハッとし、目線を合わせるためにしゃがみこむ。


「大丈夫、大丈夫だよ。貴女のせいじゃない」


詳しい事情は分からないが、さっきルカ兄はこの子が「家畜事件の犯人らしき人物に襲われた」と言っていた。

きっと、とてつもなく怖かったはずだ。


「大丈夫、大丈夫だよ」


震える少女の頭を撫でながら、私はひたすら同じ言葉を繰り返す。

脳裏におかあさんの優しい笑顔が浮かんだ。

一体、何が起きているのか。全く把握できない。


お願いだから無事でいてくれ。

元気でいてくれ。

もし、もしも万が一、またおかあさんを失うようなことになれば、きっと今度こそ私たちは、生きていけない。心が粉々に壊れてしまう。



「……大丈夫、大丈夫。絶対に大丈夫だから」



気づけば、少女にかけていたはずの言葉は、不安と恐怖に押しつぶされそうになっている自分自身に言い聞かせるものになっていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 話の内容を読んでいると、ジゼルが低いのは自己肯定感ではなく自己評価なのではという気がします。
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