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昨日、資料を見させてもらった時に言っていた通り、ルカは翌日の仕事終わりにうちを訪れた。
いつもはリビングでお茶を飲んだりしながら会話をすることが多いが、今日は話す内容が内容だったので私の部屋に案内することにした。考えてみると家には頻繁に来ているが、この部屋にルカが入るのは初めてだ。
中に入ると、ルカは部屋を見渡して目を細めた。
「家具の雰囲気とか配置とか、昔の家にそっくりですね」
「え、そうかな?意識したつもりは無いんだけど、私の趣味のものを集めた部屋だから似ちゃったのかも。今、飲み物を持ってくるから適当に座っててね」
「あ、それなら僕が」
「ルカは一応、お客さんなんだからここで待ってて」
いつも率先して動こうとするルカを止め、返事を聞く前に部屋を出た。
素早くティーカップを二人分用意し、紅茶を淹れて部屋に戻る。
扉を開けると、ルカが落ち着かない様子で椅子に座って待っていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
二つのティーカップを机に載せて、私はベッドに腰かけた。
「この椅子、勝手に座っちゃったんですけど大丈夫ですか?邪魔ならどきます」
「私が適当なところに座ってって言ったんだからどこでも大丈夫よ」
「分かりました。……あのジゼル、もしかして昨日何かありましたか?」
「どうして?」
「いえ、少し元気がないような気がして」
やはり鋭い。
いつもと同じ態度をとったつもりだったのにすぐにバレてしまった。しかし、バレたことによって逆に話し出しやすくなったかもしれない。
ひとつ深呼吸をしてから、私はルカに問いかけた。
「……実は貴方に聞きたいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「十六年前の事件について、と言えば分かるかしら」
単刀直入に話を振ると、水色の瞳が水面のようにゆらりと揺れた。
「私を殺した山賊とは別に私の殺害を依頼した人間がいるかもしれないんだってね。そして貴方はその人間を今も探している」
「……誰からそれを?」
「それを教えて欲しいならまず私の質問に答えて。ルカ、貴方どうしてその事を私に教えてくれなかったの?」
少しの沈黙の後、ルカは私の視線から逃げるように顔を背けた。
「……命を狙われていただなんて、今更知る必要はないと思ったからです」
「知る必要がない?これは私の問題なのに?」
「でも貴女はすでに別人として生まれ変わっている。イェルダとして命を狙われる可能性はもうないのにそんなことを伝えて、いたずらに貴女の心に傷を与えたくなかった。それに、僕が今も事件の調査をしていると知れば、貴女はそんな事をしなくても良いと言うでしょう?」
「当たり前でしょ」
事件の調査はあくまでも騎士団の仕事だし、仮に犯人が捕まらなくてもこれだけの年月が経ってしまえばそれも仕方の無いことだ。なによりも、ルカの大切な時間をそんなことに使わせたくない。
「だから言わなかったんです。僕は貴女が何を言おうと、この事件の調査を続けるつもりですから」
「私がそれを望んでいないと言っても?」
「ええ、僕はこの十六年間、貴女の殺害を依頼した人間を捕まえるために動いてきたんです。今更辞めるつもりはありません」
どうしてそこまで頑な態度なのか。
彼の決意を見ていると、不意に先日王宮でラクリオから聞いた言葉が頭に浮かんだ。
『えっと、確か自分が魔術師になるきっかけになった人だって言ってた』
――まさか、と思った。
そんなはずはないと。
だけど、いつだったか魔術師になった理由はあまり人に言えないものだから、と言っていたことを思い出して、息が詰まった。
自惚れだと思いながらも私はルカに問いかける。
「……貴方、まさかそれが理由で魔術師を志したわけじゃ、ないわよね?」
すぐに否定の言葉が返ってくると思っていた。否定の言葉を聞いて安心したくて投げかけた疑問だった。
だけどルカは肯定も否定もせず、目を細めた。
「……もしかして、それも誰かから聞いたんですか」
「誤魔化さずに答えて」
一挙手一投足を見逃さないよう、目を逸らさずに彼を見つめる。
じわりと嫌な汗が滲み出てきた。
時計の秒針の音がやけに耳につく。
長い、長い沈黙の時間が続いて、そうして彼はようやく口を開いた。
「そうですよ。貴女の言う通り、僕はあの事件の犯人を捕まえるために魔術師になりました。魔術師長になったのもその方がより自由に事件を調査出来ると思ったからです」
そう言ったルカは微かに笑っていた。
しかし、その表情からはなんの感情も読み取ることが出来ない。まるで仮面のような笑みを浮かべて彼はそこに立っていた。
そんな表情は今まで一度も見たことがなくて、私にはその一瞬、彼が全く知らない人間のように思えた。
しかし、徐々にルカの言ったことを脳が理解し始めると、今度はとてつもない憤りが湧き上がってくる。
「……そんなこと、私は望んでない」
「分かっています。ですからこれは僕が勝手にやってることです」
「私、昔からずっと言ってたよね。貴方達には私のことは気にせず自分のやりたいことをやりたいようにして欲しいって。本当にしたいことをしてくれって。それなのになんで……!」
「ええ。だからジゼルの言う通り、僕は僕がやりたいことをやっています」
「これのどこが?昔は魔術師にはならずに魔道具を作るんだって言ってたじゃない」
「それは貴女がそばに居たからです。貴女がいないのでは、どんな職に就いてもなんの意味もありません」
「意味、わかんない」
先程からもうずっとルカが何を考えているのか、分からない。
「……意味が分からないと言いますが、僕は昔からこんなんです。今も昔も無意識のうちに貴女を中心にして物事を考えている」
なんだか今、とんでもない事を言われた気がして、まじまじとルカを見る。
「料理や家事をやるようになったのも、魔術や魔道具に関して学び始めたのも、全て貴女の隣に居たかったからです」
「…………は」
「突然貴女がこの世界から居なくなって、上手く息が出来なくなりました。この先どうやって生きていけばいいのか分からないほどの虚無感に襲われました。貴女にとってあの事件は既に過去の事なのかもしれませんが、僕にとってはあの事件は過去のことなんかじゃない。あの日から、貴女を死に追いやった人間を見つけることが唯一、僕の生きる意味になったんです。だからこれはイェルダの仇を取りたいとか、恩返しだとか、そんな綺麗なもんじゃありません。ただ、僕が貴女を殺した人間を許せないだけなんですよ」
訥々と語られるその言葉は、初めて聞くものばかりで思考が追いつかない。
私は子供たちを大切に思っていた。何よりも大切で宝だと思っていた。いや、今でも変わらず思っている。
だけど、彼らがルカが私のことをどう思っているのかは全然知らなかった。
こんな取り柄もない駄目な人間をどうしてそこまで思ってくれるのか分からない。私がルカを保護したことが理由で、刷り込みのようにそう思ってしまったのだろうか。
だけど、あの状況なら私じゃなくたって彼を保護しようとするだろう。偶然、あの時あの場にいたのが私だったというだけで。
「貴女のことだから、こんな風に考えるのは僕が貴女に保護して貰ったからだと思っているでしょう?」
私の考えを読んだかのように、ルカがそう言った。
「ち、違うの?」
「確かにあの時、奴隷商人から逃げた先で貴女に保護をして貰えたことは僕の人生で一番の幸運だったと思っています。でもそれとこれとは話が別です」
やけにハッキリとした口調で私の考えは切り捨てられる。
彼の薄氷のように美しく透き通る瞳が私を射抜いた。
「隣に居たいと強く願うのは、無意識のうちに貴女を中心に物事を考えてしまうのは、親代わりにしているわけでも単なる刷り込みでもなく、一人の男として僕が貴女を愛しているからです」
――数秒、意味を上手く呑み込むことが出来なかった。
言葉と言葉を繋げ合わせ、時間をかけてやっと文章としての意味を脳が理解する。
「……貴方、年上趣味だったの?」
そうして一言目に出てきたのはそんな的外れな言葉だった。
何も言わずとも分かっている。絶対に一言目、コレジャナイ。
口に出してから完全に質問を間違えていることに気づいたものの、一度出した言葉は戻らない。
困惑と焦りからダラダラと冷や汗をかく私にルカは気が抜けたようにふ、と口元を綻ばせた。
「いえ。貴女がイェルダであった時もジゼルとして生まれ変わってからもこの気持ちは全く変わっていないので貴女という存在が好きなのだと思います」
「……あ、そ、そう」
「もうこの感情を恋と呼んでいいのか分からないほどに長く貴女だけを愛しています。だから貴女の隣に自分以外の誰かが居るなんて許せないし、貴女を殺した人間が何よりも憎い」
バチッと合った瞳に先程までは気づかなかった確かな熱を見つけてしまい、思わず勢いよく目を逸らす。
……ちょっと待って。落ち着こう。一旦、一旦整理しよう。
えっと、まず、私は今日ルカに事件のことを問い詰めようとして、それで、そしたら、ルカが私の事件をきっかけに魔術師になったことが判明して、それで……。
……え。ルカって恋愛的な意味で私の事好きなの?趣味悪すぎない?
「返事は今すぐでなくても構いません。貴女が僕をそういう対象として見ていないことは分かってますから」
パニックに陥っている私とは反対にルカはいつもと変わらない様子で話を続ける。
「貴女の気持ちの整理が出来るまでいつまでも待ちます。ただ、一つだけ約束して欲しいんです」
「……な、何を?」
「難しいことだと分かっています。だけど、どうか僕達の関係性だとか世間の目を理由に僕の気持ちを拒絶しないでください」
そう言ったルカの声が微かに震えていることに気づき、茹だった頭が少しだけ冷静さを取り戻す。
……いつもと変わらない様子なんかじゃ、ない。
ルカもきっと私と同じように緊張していて、そして多分彼は今、物凄い勇気を振り絞って私に気持ちを伝えてくれている。
「周りがどう思うかではなく、僕は純粋な貴女の気持ちを知りたい」
「わ、分かった」
言葉に込められた熱が、じわりと私の身体に伝わっていく。
その時、今更ながらにああ、彼は本気なのだと実感した。