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「はい、どうぞ」
コトリ、と机に紅茶とクッキーが置かれる。
先程話していたお気に入りの紅茶とイチゴジャムのクッキーだ。華やかな香りと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ありがとう」
お礼を言って早速紅茶をいただく。
……うん。相変わらずとても美味しい。
アベルは私の向かい側の椅子に腰をかけると、何故かにこにことご機嫌そうに私を眺めた。
なんだか落ち着かない。
「そ、そんなにじっと見てどうしたの?なんか顔についてる?」
「ううん、何もついてないよ」
「変な顔してた?」
「ううん。そうじゃなくて、紅茶飲んでるところとか見ると、改めてかあちゃんだなぁと思って」
「……それ、やっぱり変な顔してたってこと?」
「ふふ、違うって。好きなものを口にした時の反応が全く変わってなかったからそう思っただけ」
「そういえば、同じようなことをモニカとラミロにも言われたわ。あの、そんなに私って変わってないかな?」
自分的にはかなり別人だと思うのだが。
「もちろん見た目は全然違うよ。だけど、なんていうか、ちょっとした仕草とか反応とかが本当にそのまんまなんだよね。性格も、僕達に対する親バカぶりも全く変わってない」
「……生まれ変わっても親バカですみません」
「どうして謝るの?僕達もマザコンだし、かあちゃんが変わってなくて嬉しいよ」
アベルが紅茶を一口含む。
「……本当はね、生まれ変わりの話を聞いた時、モニカ姉さんが適当なことを言うわけないがないとは思ってても、そんなこと起こるはずがないって考えが邪魔をしてまだみんな半信半疑だったんだ」
え、そうなのか。
扉を開いて割と直ぐにわちゃわちゃしていたからてっきり、みんな受け入れていたのかと思った。
でも確かに考えてみればその反応で当然だ。私すらも、ずっと自分の身に起こったことが信じられなかったのだから。
「でも、ルカ兄さんがおかあさんを連れて扉を開けた瞬間、この人はかあちゃんだって思った。戸惑う顔も、慌てる仕草も、僕たちに向ける視線も、何一つ昔と変わらなかった。流石にルカ兄さんみたいに見ただけでは確信は持てないかもしれないけど、これがかあちゃんが生まれ変わった姿なんだよって言われたら、ああそうなんだって自然と信じられた。多分、他のみんなも同じ」
「本当に僕たち今、夢を見てるみたいなんだよ」とアベルが優しげに目をきゅっと細める。
「私も同じ気持ちだよ」と言うと、彼は滑らかな肌をほんのりと朱に染めて笑った。
「実はまた近々皆で集まれたらいいねって話してるんだけど、かあちゃんはいつ頃なら都合が良いとかある?」
最後の一枚のクッキーを食べ終えたところで、アベルがそんなことを聞いてきた。
「え?いや、私は予定を合わせようと思えばいつでも合わせられるから子供達の予定を優先してあげて。皆、忙しいだろうから」
アベルは医者として様々な診療所を掛け持ちしながら勉強もしていると以前会った時に聞いた。なかなか時間を作るのは難しいだろう。マリアとマルコも二人で薬屋を営んでいると言っていたし、レベッカも有名な画家の元に弟子入りをしていて忙しいと言っていた。ルカやモニカやラミロだってそれぞれの仕事で大変だろう。
「わかった。じゃあとりあえず皆の予定を聞いてから決めるよ。詳しいことが分かったら教えるね」
「なにか私に出来ることがあったら言って」
「うん。僕は割と融通きくから他の人達次第になると思うけど」
「お医者さんってあんまり融通きかないイメージがあったけど、逆なのね」
「僕のところは意外とね。個人で診療所を開いてるわけじゃないから僕一人が抜けても何とかなるし、休日自体は少ないけど、日によっては割と自由時間もあるんだ。患者さんが居ない時は今日みたいに街に買い出しに来たりすることもあるよ」
「へえ、そうなのね」
「うん。そういえば、かあちゃんは今日は何の用事だったの?」
「私はちょっとルカに用事があって王宮から帰ってきたところ」
「ルカ兄さんに?でもこの時間帯って兄さんは勤務時間だよね?」
「うん。その、実はあんまり大きな声では言えないんだけど、少し見たい事件の資料があって、それを見せてもらいに行ったの」
嘘をつくのも気が引けるし、アベルになら言っても大丈夫だろうと声を抑えて話す。
すると、アベルは「ああ」と納得が言ったように頷いた。
「もしかして、かあちゃんの事件の資料のこと?」
「え、いや……」
「ルカ兄、今もあの事件の調査続けてるから結構量あったでしょ?」
否定するよりも先にアベルが気になる言葉を口にした。
「……ア、アベル、ちょっと待って。ルカは今でも私の事件の調査をしているの?」
「え、うん」
「私を殺した山賊を探してるってこと?」
「いや、山賊はもう捕まってる……って、あれ?ルカ兄から事件のことを聞いたんじゃないの?」
アベルが訝しげな表情でこちらを見る。
私は首を横に振って否定した。
「聞いてない。私が言った資料っていうのは違う事件の資料だもの」
「それじゃあかあちゃんの事件のことはどこまで聞いたの?え、まさかだけど何も聞いてないとか?」
「ええ、何も聞いてないわ」
「…………わあ」
「ねえ、どういうことなの?犯人が捕まったのなら事件は解決したんじゃないの?」
私の問いかけにアベルは気まずそうに目を逸らした。
なんだか嫌な予感がする。
「いや、それは……」
「アベル、あなたが知っていることを隠さずに教えて。私の事件のことなら私は当事者のはずよ」
こんな詰め寄るような真似したくないが、明らかにアベルは何かを隠している。例えば、これが彼のプライベートなことに関しての話ならば深く追求しないが、今話しているのは間違いなく私自身の話だ。ここで引く訳にはいかない。
「……そう、だよね。かあちゃんのことなのに本人が何も知らないのは確かにおかしい。現段階でルカ兄が何も話してないってことはこの先も話さない可能性が高いし」
小さく息を吐いたアベルは私と目を合わせると、静かに話し始めた。
「どこから話そうか。まず、かあちゃんを殺した山賊のことだけど、さっき話した通りそいつらはもう捕まってるんだ。罪を認めて今も牢屋の中にいる」
「それならルカは一体何を調べているの」
「……この事件の黒幕だよ」
「く、黒幕?」
小説の中でしか聞かないような言葉が出てきた。
「当初、山賊達がかあちゃんを殺害した理由は強盗目的だと思われていたんだ。事実、山賊が殺人を犯すのは大抵強盗が目的だし。だけど、いざ取り調べを行うとあいつらはかあちゃんの殺害をある人に依頼されたって供述した」
「……え」
ドクリと心臓が嫌な音を立てる。
「つまり、つまりね。山賊達の供述を信じるとすれば、あの日かあちゃんは偶然殺されたのではなく、何者かによって計画的に殺害されたってことになる。兄さんはその殺害を依頼した黒幕を捕まえるために今もあの事件を調査しているんだ」
それは脳天を撃ち抜かれたような衝撃だった。
命を狙われるほどに自分は誰かから憎悪の感情を向けられているのだということと、そのことをルカが私に一言も教えてくれなかったという二つの事実が、自分のいる場所を分からなくさせるくらいの衝撃を与えた。
キーンと奥で耳鳴りがする。
「……その黒幕は、見つかりそうなの?」
「……いや。行動の指示は全て連絡用の魔道具を通してされていたみたいで、山賊達も依頼人と直接会ったことは一度もないらしいんだ。だから全く手がかりがない。唯一、声からして男性だろうってことは分かってるけど、それだけ」
「……そう」
十六年。
決して短いとは言えない年月のなか、ルカは何を思って黒幕を探していたのだろう。私が死んでから今までの時間、子供たちは何を思って、ここまで来たのだろう。
私は、一体何が理由で殺してやりたいと思われるほどに憎まれていたのだろう。
なぜ、ルカは私に何も教えてくれなかったのだろうか。
あの子はどんな気持ちで、私にあのブレスレットを渡したのだろうか。
「……ルカ兄は多分、きっと、かあちゃんに心配をかけたくなくて言えなかったんだと思う」
違う。それじゃダメなのだ。
護られるべきなのは私じゃない。私に護るほどの価値は無い。
私が、子供たちを護らないといけないのに。
「……分かった。教えてくれてありがとう。取り敢えず、近いうちにルカと話してみる」
「……うん。かあちゃん、あの……」
「なあに?」
「……ううん、なんでもない。何かあったらいつでも連絡して」
「ええ、ありがとう」
アベルがなにか言いたげにしているのを分かっていた。
だけど、私はそれに気付かないふりをしてぎこちなく笑った。
ただ、ちゃんと確かめなければ、と思った。
お読みいただき、ありがとうございました!




