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「⋯⋯ラミロ?」
いつもと違う様子のラミロに不安になり、声をかける。
「あのさ」
「う、うん。どうしたの?」
何を言われるか全く予想できなくて、少しドキドキしながらラミロの言葉を待っていると、翠目と視線が交わる。
「⋯⋯ごめん」
ん?
「何が?」
あまりに予想外の言葉に素で聞き返してしまう。
「今までの態度、全部だ。イェルダが死んでからずっと後悔してた。どうして名前をちゃんと呼ばなかったのか、あんな態度をとったのか、もっと感謝を伝えなかったのかって」
彼が私を『くそババア』と呼ぶのも、よく喧嘩をふっかけてくるのも、彼なりの感情表現だと思っていたから私は全然気にしていなかった。
そりゃあムカつく時もあったけど、それが甘え方を知らない彼の精一杯だったのだと思えば許せた。それでここが彼の居場所になれるのなら、それで良かった。
でも、そうか。ラミロはそう思っていなかったのか。
十六年間、彼なりに後悔していたのか。
「どれだけイェルダに救われていたのか理解した時にはお前はもうこの世にいなかった」
ラミロの顔がくしゃりと歪む。
「悔やんで、悔やんで、悔やんで、それでもどうにも出来なくて、一生この後悔を抱えていきてくんだって思ってた時にお前が目の前に現れて、奇跡だと思った」
「⋯⋯うん」
「ゴタゴタして遅くなっちまったけど、今日はそれを伝えたくて誘ったんだ」
そう言うと、ラミロは真っ直ぐな強い眼差しを私に向ける。
「今まで悪かった。⋯⋯それと見捨てずに育ててくれたこと、本当に感謝してる」
ああ、大きくなったなぁ。
何回目になるか分からない感想を心の中で呟く。
身体が大きくなっただけじゃない。
歳をとっただけじゃない。
心も考え方もすっかり成長した。
「感謝してるのは、私の方だよ。貴方達が居てくれたから、私は孤独じゃなかった。賑やかであたたかなあの場所に救われてたのは、私の方だ。⋯⋯でもラミロが考えた上で謝罪と感謝を伝えてくれるって言うなら、私は有難く受け取るね」
私の言葉にラミロは安堵したように大きく息を吐いた。
気付かなかったが、実は緊張していたのだろうか。
「あー、なんか真面目な話したらお腹すいてきちゃったね」
「関連あるのか、それ」
「あるよ。頭を使うとお腹減るじゃん。ほら、料理が冷めないうちに食べよ」
重苦しい空気はこれで終わりだ。
大きめに切ったステーキを一口で頬張る私を見てラミロがふ、と笑った。
「それ、絶対目算ミスってるだろ」
バレたか。
勢いよく口に入れたはいいものの、思ったよりもサイズが大きくて今、一言も喋れない。口を手で押えながらモゴモゴと必死に食べる。
「美味しいか」
口を開けないのでコクコクと頷く。
「お前、肉好きだもんな」
もう一度、コクコクと頷く。
「予定が合ったらまた食いに行こうぜ」
⋯⋯こいつ、わざと人の口の中が大変な時に話しかけてきてるな。
悪戯っぽく私を見て笑うラミロを見て確信する。
全く、謝罪はしてもクソガキな所は変わってないな。
覚えとけよ、と睨みながらも私は二度首を縦に振るのだった。
◇◆◇
食事を終えて外に出ると、辺りはもう暗くなり始めていた。
「お。夕日、きれい」
「だな」
「美味しいものも食べられたし、今日は良い日だなぁ」
満腹になったお腹さすりながら、ぽつりと呟いた。
毎日がこんな風に穏やかに流れてくれたらいいのに、と願う。
空が鮮やかなオレンジから深い紺にグラデーションのように変化しているのを眺めながら二人で歩いていると、前方から走ってきた幼い少年が目の前で勢いよく転倒する。
「わ。大丈夫?!」
火がついたように泣き出してしまった男の子に駆け寄る。
見たところ、大きなけがはないようだ。
泣きながら顔を上げた少年は私を見たあと、視線を横にうつし、そして固まった。
滝のように流していた涙も一瞬でぴたりと止まる。
「ロ、ベルト様?」
「なんだ、坊主」
ぶっきらぼうにラミロが返事をすると、少年の顔が一気にパッと華やいだ。
「本物のロベルト様だぁ!」
どうやらこんなに小さな子の耳にもロベルトの名は入っているらしい。
少年はキラキラとした瞳で「第一騎士団なんだよね」とか「どれくらい強いの」とか「いつも何してるの」とか質問攻めにしている。
ラミロはラミロで戸惑いながらも一つ一つ聞かれたことに答えていると、少年がやってきた方向から一人の女性が走ってきた。
「ローランド!!」
相当慌てて走ってきたのか、女性は息を切らせ顔を青くしている。
「あ、ママ!」
「勝手に走っていったら駄目だってあれほど言ったでしょう!」
「ご、ごめんなさい」
「急に手を放してどっか行っちゃったから本当に心配したんだからね」
……あー、分かる分かる。この年くらいの子供って今までおとなしくしてても瞬きするほどの間に突然動き出したりするからな。少しでも油断すると大変なことになるんだよな。
モニカやアベルは外に出ても割と大人しくしてくれていたから助かっていたけど、マリアとマルコは常に手を繋いでいないとすぐに行方不明になるから本当に大変だった。
少年を抱きしめる女性を見てそんなことを思い出していると、少し落ち着いた様子の女性と目が合った。
「あ、す、すみません。私ったら声もかけずに……。ご迷惑おかけしてしまって申し訳ありません」
「いえいえ。私達はなにも……」
「あ、そうだ!ママ見て、本物のロベルト様がいるの!」
「そんなことよりあなたも早く謝りなさい……って、は?」
女性は少年の言葉を聞き顔を上げると、私の隣を見て固まった。
親子そろって反応がそっくりで面白い。
でもよく考えると、カテリーナのお父さんがルカと初めて出会った時も同じような反応をしていたし、思いがけず有名人と出会うと人は皆こんな感じになるのだろうか。
「わ、は、ロ、ロロロベルト様!」
「おう」
「ど、どうしてこんなところに」
「飯食ってたからだな」
多分そういうことじゃないと思うけど黙っておく。
「ロベルト様、僕ね、おっきくなったら凄い騎士になりたいの!」
「ほお。坊主の中で凄い騎士ってどんな騎士だ?」
「どかんって敵を倒せるような一番強い騎士!」
「そうか」
「ロベルト様みたいな強い騎士になるんだよ!」
少年の答えを聞くと、ラミロはやけに好戦的な笑みを浮かべた。
八重歯がチラリと覗く。
「俺が思う凄い騎士は護りたいものを護れる騎士だ」
「護りたいもの?」
「おう、自分が大切にしているものを自分で護れる騎士って最高にかっこいいだろ?」
最初はポカンと呆けていたが、再び少年の瞳がキラキラと輝き出す。
「うん、かっこいい!やっぱり僕もそういう騎士になる!」
「ハハッ、目標変更が速ぇな。まあ頑張れ。じゃあ俺たちはもう行くから、あんまり母ちゃんに迷惑かけんなよ」
「うん、バイバーイ!」
大きく手を振る少年とその横でしきりに頭を下げる女性に別れを告げ、私たちはその場を離れた。
「⋯⋯ンだよ、そのニヤケ面は」
「いやぁ?ロベルト様ったらすっかり街のヒーローになっちゃったんだな、と思って。それに『凄い騎士は護れる騎士』ってアンタも良い事言うようになったのねえ」
「うるせえし顔がうぜえ。あとお前はロベルトって呼ぶな」
「あだだだだだ」
ラミロに顔面を鷲掴みにされる。
照れ隠しがワイルドすぎる。先程までの少年に騎士の在り方を説いていた男はどこにいったんだよ。
「あ、そう言えばさ」
「あ?」
「⋯⋯やっぱり何でもない」
「何だよ。そこまで言ったんなら最後まで言えよ。気になンだろ」
「あー、いや。なんでラミロって皆にはロベルトって名乗ってるのかなって思って」
最初に私がラミロと呼んだ時も激怒してたし、何故なんだろうと思ったのだが、彼の眉間に深い皺が刻まれたのを見て、やはり聞かない方が良かっただろうかと後悔する。
「まあ言いたくなかったら全然言わなくて良いんだけどさ」
「⋯⋯⋯⋯人間は、声を一番最初に忘れていくって聞いて」
ほう。
「それで⋯⋯他の人に呼ばれて、忘れたくなかったから」
⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯え、それで説明終わりなの?」
何が何だか全然理解出来なかったんだけど?!
人間が一番最初に忘れるのは声だという話は、私も以前どこかで聞いたことがある。
だけどその話とロベルトの名を使っているのはなんの関連があるんだ?!
「ごめん、どういうこと?」
「⋯⋯お前、まじで阿呆。鈍い。最悪。察し悪すぎ」
えーと、言い過ぎでは?
何故か真っ赤な顔をしたラミロにボロクソになじられる。
逆に今の説明で理解できる人どれくらいいるの?
⋯⋯え、それとも本当に私が鈍感なだけ?
「いや、だってヒント少なすぎない?無理があるって」
「無理じゃねぇよ、普通分かるだろ」
「分かんないよ!」
「そりゃあお前が阿呆だからだ」
「あ、また阿呆って言った!」
「阿呆に阿呆って言って何が悪いんだよ」
「もうちょっとヒントくれたら分かるって!」
「嫌だ。この話はもうこれで終わりだ」
「そんなこと言わずに!ちょっとだけヒントちょうだい?」
「嫌だ」
「おーねがーいー!」
「嫌」
結局、ラミロは本当に一つのヒントも与えてくれないまま、この話題を打ち切ってしまったのだった。




