兄という人
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第75代目魔術師長 ルカ・オーバリ。
彼は人々から稀代の天才と評され、国で知らぬ人は居ないと言われるほど偉大な魔術師だ。
そんな最強の称号をほしいままにしている魔術師である彼は、実は私の兄でもある。
その華やかな見た目と穏やかな性格も相まって、巷じゃ聖人君子だの神の愛し子だのと呼ばれ、密かにファンクラブなるものも出来ているらしいが、私は知っている。
この人はそんな良いものじゃないということを。
◇◆◇
三日前の夜。突然ルカ兄が店に来て他の弟妹達に手紙を出して欲しいと頼まれた。
おかあさんを皆に会わせるために全員を集めて欲しいのだと。
断る理由もないので喜んでひきうけたものの、文字にして生まれ変わりのことを書いても上手く伝わらない気がして結局手紙には『おかあさんに関わる重要な話がある』という趣旨の手紙を書いて出した。何故かルカ兄と一番仲が悪いラミロには手紙を出さなくても良いと言うので、一瞬ルカ兄が意地悪をして教えないつもりなのかと思ったが、どうやらそういう訳では無いらしい。それ以上、何も説明してくれなかったけど当日はラミロも参加すると聞き、安心した。
翌日。それぞれ仕事で忙しいだろうに、全員から参加の旨を伝える手紙が届いた。相変わらずマザコンばかりだ。まあ、私も立派なマザコンなんだけど。
そして、二日後の今日。
私達は魔道具屋に集まり、こうしておかあさんとの再会をそれぞれに祝っている。
久方ぶりに皆でテーブルを囲み、ご飯を食べたあとの片付けの時間。
どうしても気になることがあった私は、隙を伺って、騒ぐ皆を眺めていたルカ兄の元へ行き、隣に並ぶようにして壁に寄りかかった。おかあさんはアベルと話していてこちらの様子には気づいていない。
「さっきおかあさんからラミロとのこと聞いたんだけど、なんか大変だったらしいね」
ルカ兄はチラリと横目で私を見て、またすぐに視線を戻した。
「ああ。あの馬鹿が一方的に突っかかってきたせいでね」
「ラミロはルカ兄が喧嘩をふっかけてきたって言ってたけど」
「ハッ、抜かしてろ」
ルカ兄は芸術品のように美しい微笑みを浮かべながら、そう吐き捨てた。
視覚と聴覚がちぐはぐで一瞬、脳がバグる。
ルカ兄はラミロが嫌いだ。それはもう、大がつくほどに。多分、ラミロもルカ兄の事が大嫌いだと思う。昔から二人は仲が悪く、いつも本気で殴り合うからこの二人の喧嘩を止められるのはおかあさんだけだった。大人になった今も関係は相変わらずでどちらも歩み寄ろうという気は微塵もない。
「その件でちょっとルカ兄に聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
ルカ兄が首を傾げる。
銀糸のような髪がサラリと動く。
「ルカ兄さ、もしもああいう事になってなかったら、永遠にラミロに生まれ変わりのことを説明するつもりも、おかあさんに会わせるつもりも無かったでしょ」
ルカ兄は何も言わない代わりに片眉を上げた。
「……というか、そもそも当初は私達にすらおかあさんのことを話すつもりは無かったんじゃない?自分がおかあさんのことを独占するために」
殆ど確信に近い推測をぶつけてみる。
じっと答えを待っていると、ルカ兄は形の良い唇に薄い笑みを浮かべた。
「バレた?」
――ほら。この人は決して皆が噂するような聖人なんかでは無い。
そもそもの話。
十数年前、おかあさんに連れられここへやってきた私に対して「あの人を悲しませたり迷惑をかけるようなら速攻この家から出ていってもらう」とドスの効いた声で忠告するような人間が聖人なわけが無いのだ。
あの時の私はまだ今の半分ほどの背丈しかなかった。それなのにそんないたいけな少女に向かって、ルカ兄は眼孔が開きまくった目でそう宣言したのだ。怖すぎるし重すぎるだろう。色々と。
当時、泣いたりせずにただ一度だけコクリと頷いて返した私を褒めてあげたい。
おかあさんほどではないが、私だって他の弟妹に比べれば共に過ごした時間は長い。おかあさん大好き激重男代表であるルカ兄がおかあさんと出会い、状況を知って何を考えたか、想像くらいは出来る。
「⋯⋯もう何年一緒にいると思ってんの。ルカ兄は昔から隙あらばおかあさんと二人っきりになろうとしてたし」
「はは、それは否定しない。でもひとつ訂正すると、僕だって流石にいつかはイェルダの存在を話そうとは思ってたよ。モニカ達にはね」
「いつかっていつ?」
「十年後くらいかな」
「それは話すつもりがあるとは言わないのよ」
呆れて思わず溜め息を漏らす私を見てルカ兄は小さく笑って、それから自分の足元へと視線を落とした。
「⋯⋯まあでも真面目な話、あの人が皆の居場所を知りたがっているのは分かっていたから、そう遠くないうちに会わせることになるだろうなとは思ってた。あの人が望めば僕は拒否出来ないから。流石にここまで早く全員集合の流れになるとは思わなかったけど。なんなんだろうね、あの人の予想外の出来事を引き寄せる異常な求心力は。そういう星巡りなのかな」
その横顔は諦観しているようにも、呆れているようにも見えた。
「でもまだ私とラミロしかおかあさんのことは知らなかったんだから、わざわざ全員に知らせる必要はなかったんじゃないの?」
こうして全員集めて会わせるのではなく、予定が中々合わないからとか適当に誤魔化して時間をかけ、それぞれと個別に会えばもう少しもう少し独り占めすることだって出来たはずだ。
他の人に取られたくないという気持ちは私にも分かるので、そう聞くと、彼はまたあの美しい微笑みを浮かべ、首を横に振った。
「あの馬鹿に生まれ変わりがバレて、もう全部どうでも良くなった」
……この人は本当に心底ラミロのことが嫌いだな!?
ここまで来ると、いっそ清々しい。
「そもそも、モニカだけならまだしも、アイツがあの人と会って話せるようになったのに、アベル達は話せないで生まれ変わりも知らないなんてさすがに可哀想だろ?」
いや、生まれ変わりを知ってて独占しようとする貴方の方が……と思ったものの、私にルカ兄の言葉を否定する勇気は無いので曖昧に笑っておく。
「⋯⋯そう言えばあのことは、話したの?」
話題を変えるためにもう一つ気になっていたことを問いかける。
「いや。話してないし話すつもりもない」
答えは直ぐに返ってきた。
それはとても静かな声で、空気が一気に変わったのがわかった。
「……おかあさんは当事者なのに?」
「当事者はイェルダであってジゼルじゃないよ」
「同じことじゃん」
「全然違うよ。あれはもう今の彼女には関係ないことで、知らない方が良い事だ」
納得がいかず反論しようとしたものの、結局何も言えずに口を閉じる。
おかあさんの死に関わる話なのにおかあさんが関係ないはずがない。
そう思うけど、この人はその事の真相を調べるために魔術師長という地位まで登りつめた人なのだ。そんな人にこの件に関して何の力にもなれていない私が簡単に口を挟んでいいのか分からなかった。
「大丈夫。なにか新しく分かったことがあればモニカ達にはちゃんと伝えるから」
そう言うと、ルカ兄は自嘲気味に口角を上げた。
「とは言ってもめぼしい手掛かりは今のところ出てきてないんだけどね。一平民の事件だから資料も少ないし」
「アイツらからも大した情報は得られてないんだよね?」
「うん。何度も話を聞きに行ってるけど新たな情報は何も」
「そっか」
こうしてルカ兄から事件の話を聞く度に何も出来ない自分が情けなくて歯痒くて本当に嫌になる。
私はいつもいつもルカ兄に護ってもらうばかりだ。
魔道具屋の責任も、事件に関することも全部彼一人に背負わせてしまっている。
悔しさから下唇を噛み締めていると、ポンと頭に大きな手が置かれた。ルカ兄の手だ。
「僕の役割が事件の調査ならモニカの役割はこの場所を護ることだろ?役割分担が違うだけでモニカには十分助けて貰っているよ」
あたたかな手が私の頭を撫でる。
おかあさんの手によく似ていると思った。
「それに僕の場合は事件の調査が生き甲斐だったから」
「⋯⋯生き甲斐?」
「そう。ほら、モニカも知っての通り、イェルダが亡くなってから暫くの間、僕って少しとち狂ってただろ?」
とち狂ってたって⋯⋯。
言葉のチョイスに思わずツッコミたくなるが、確かにあの時のルカ兄を表現するならば狂っていたという言葉が最適なのかもしれない。
身元確認と引き取りのためにおかあさんの遺体を迎えにいった時はルカ兄は受け答えもしっかりしていたし、行動も迅速でまだ冷静に見えた。
むしろ、泣き崩れ取り乱す私達を宥める余裕まであった。
しかし、今考えれば、あの状況でルカ兄が冷静なことの方がおかしかったのだ。
だって彼の世界はおかあさんを中心に構成されていた。
いつからそうだったのかは知らない。ただ、私があの家にやってきた時にはルカ兄の基準と世界は既に完成されていた。
口では辛辣にあたることもあるし、おかあさんが無理をするようなことがあれば時には怒ることもあったけど、彼がおかあさんを何よりも大切に思っていることは傍にいればすぐに分かることだった。
もちろん、私も他の子供たちもおかあさんのことは大好きだ。
私達は皆、心身共にあの人に救われた人間で、もしあの時おかあさんに出会っていなかったら惨めに死を迎えるか、今よりも凄惨な人生を送ることになっていたかもしれないのだから。あの人は私達に人間らしい暮らしを与え、惜しみない愛情を注いでくれた。
血の繋がりもなければ、なんの縁もない見ず知らずの子供に、だ。
そんなの好きにならない方が無理だろう。
だけど、そんな私達の中でもルカ兄のそれは異質だった。
親愛と呼ぶには距離が近すぎて、家族愛と呼ぶには瞳に宿る情欲が邪魔をする。そして、恋慕というにはあまりに傾倒的なそれは、それでも確かにあの人に対する大きな愛だった。
生かされていると言っても過言ではないほどに、ルカ兄にとってあの人は全てだった。
それなのに、そんな存在が突然この世から消えて正気でいられるはずがない。
それからルカ兄は少しずつ少しずつ壊れていった。
食事も睡眠もろくに取らずに毎日居るはずのないおかあさんを探し続け、話しかけても会話にならない。
あれほどこまめにしていた掃除も丁寧に作っていた料理もしなくなり、ルカ兄は緩やかに、でも確実に死に近づいていった。
「あの時、僕は別に自ら命を絶とうとしていた訳じゃないんだ」
「後を追うなんて真似をイェルダが望むはずないだろうから」とルカ兄は困ったように笑った。
「死ぬつもりはなかった。だけど、無意識に生きることを辞めようとしている自分がいるのも事実で、とにかくあの時はなにか生きるよすがが欲しかった」
それがあの事件を調査することだった。
「だからモニカがそんなに気負う必要はない。これはただの僕の自己満足だから」
「⋯⋯そうだとしても、私も出来る限りの協力はしたいと思ってる」
「うん、分かってるよ。僕達は皆、あの事件が解決しない限り、前に進めないだろうから」
その言葉に私はこうして皆を集める前にルカ兄から聞いた話を思い出した。
ルカ兄の話では、おかあさんはどうやらイェルダという存在は過去のものだから今更姿を現すことは未来を生きる私達の邪魔になってしまうと思っているらしい。
だから元々は私達に自分がイェルダだと話すつもりもなかったと。
その話を聞いた時、私は思わず「はあ?」と呆れてしまった。
だってそうだろう。おかあさんが生まれ変わっていた事に狂喜することはあれど、邪魔だと思う可能性なんて万に一つもありはしない。
それにおかあさんが過去の存在だという言い分も肯定出来ない。
私達にとって、あの人の存在が過去だったことなんてただの一度もないのだから。
あの日の絶望も怒りも色褪せることなく、私達の心に居座り続けている。
「あ、兄さんとモニカがサボってる!」
しばらくの間、二人で何を話すでもなく片付けの様子を見ていると、近くを通ったマルコに指を刺された。
「不公平だろ、ちゃんと手伝えよ」
「うるさいわね、ちょっと話してただけでしょ。というか、私のこともモニカ姉さんって呼びなさいって言ってるでしょ!」
「やだよ、なんでモニカを姉さんなんて呼ばなきゃいけないんだ」
「私があんたの姉さんだからよ!」
「こらこら、モニカ姉さんもマルコも落ち着いて」
私とマルコの間にお皿を持ったアベルが止めに入る。
両者一歩を引かないまま睨み合っていると遠くからガシャンっと何かが割れるような音が聞こえてきた。
「モ、モニカ姉さん、ごめん!!姉さんのお気に入りのコップ割っちゃったっ!」
遅れてレベッカの叫び声も聞こえてくる。
「え、ちょっ、本当に?!」
「はっ、ざまぁみろ」
「こ、これどうやって片付ければいいの?!」
「レベッカ、素手で破片触っちゃダメだよ」
「うわっ、めっちゃガラス散らばってる」
「かあちゃん、ちりとり持ってきてー」
「ごめん、こっち飲み物零しちゃった!」
「布巾こっちにあるよー!」
一斉に騒がしくなり、一体何から手をつけようかと迷っていると、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
見ると、ルカ兄が楽しそうに笑っている。
「⋯⋯楽しいね」
噛み締めるようにルカ兄が言った。
彼が声を上げて笑うのを見るのは、おかあさんが亡くなって以来初めての事だった。
「ル、ルカ兄も笑ってないで手伝って」
熱いものが込み上げてくるのを堪えながらそう言うと「はーい」と緩く返事をされた。
ルカ・オーバリは世間で言われているような聖人では無い。
腹黒で、意外と口も悪くて、たまに大人気ない。だけど、私にとっては優しくて頼りになる大好きな兄で家族だ。
ルカ兄だけじゃない。アベルもマリアもマルコもレベッカもラミロも勿論おかあさんも皆、大切な家族だ。血の繋がりもなければ、生まれた場所もまるで違うけど、私達は確かに家族なのだ。
まるで十六年前に時が戻ったような騒がしさにこの時がずっと続けばいいのになんて考えながら、私はレベッカ達の方へと向かった。
とりあえず、後でマルコは殴るけど。




