15
「今日は連れて行ってくれてありがとう。おかげでとても良い日になりました」
日も沈み始めそろそろ家に着くので改めてお礼を伝えのたが、ルカからの返答はない。
どうしたのだろう、と視線を移すと彼は心做しか強ばった表情で私を見ていた。
「ルカ、どうしたの?」
「……一つ、貴女に謝らないといけないことがあります」
「謝らないといけないこと?」
「さっき、モニカが事情があってお店の名前や形態を変えざるを得なかったと言ってましたよね」
「え、ええ」
「実はその変更を決定したのは僕なんです。僕が、貴女が大切にしていたあのお店を終わらせてしまった」
ルカの美しい顔がくしゃりと歪む。
「そのせいで失ってしまった繋がりも沢山あります。それが、どうしても言い出せなくて、貴女が魔道具屋のことを気にしていると分かっていながら連れてくるのがこんなにも遅くなってしまいました。大切なことをずっと黙っていてすみませんでした」
そう言うと、彼は深く深く旋毛が見えるほどに頭を下げた。
謝ることと言うから何かと思えば。
ルカが魔道具屋のことについて何も言わないのは、お店がすでになくなっているからだと思っていた。だけど、違った。魔道具屋は形こそ変われど、場所を変えずにそこにあった。
それに感謝することはあっても、悪く思うことなど万が一にもないというのに。
「ルカ」
名前を呼んで、一歩近づく。
顔を上げたルカの頭を撫でると、指の間からサラサラと銀糸のような美しい髪が零れ落ちた。
「確かにあのお店は私にとって宝物で、大切な場所だよ。でも、それはあくまでも私個人の話であって貴方達がそれを背負う必要なんてないの」
私は、あのお店をとても大切に思っていた。魔道具を作ることだって好きだったし、お客さんとの交流も大好きだった。それは紛れもない事実だ。魔道具屋としてのプライドだってもちろんあった。
でも、私は自分がいなくなった後までお店を続けることにはあまり重きを置いていなかった。これに関してはロイさんも私が店を継ぐと決めた時に同じことを言っていた。
そりゃあ、お店が長く続くのならとても嬉しい。だけど私がいなくなって潰れてしまうのならそれはそれで仕方がないことだとも思っていた。そして、その考えは今も変わっていない。
「私がいなくなって、たとえあのお店が潰れてしまっても形が変わってしまっても、皆の頭の片隅に少しでもあのお店での思い出が残っていれば、私はそれで満足よ」
ルカがゆっくりと頭を上げた。水色の美しい瞳は心細そうに揺れていた。そう言えば、二人で暮らしていた頃もルカはよくこんな表情をしていたなと思い出しながら話し続ける。
「それにどんな事情があったのかは知らないけど、あのお店の名前や形態が変わったのはルカがあのお店を守ろうとした結果なんだよね?私がいなくなったあともあそこを、あの場所を守ってくれてありがとう」
頭を撫でていた手を止め、両手でルカの頬を挟み込む。
「でも、これだけは覚えていて。私は貴方達が幸せなら他には何も望まない。それくらい貴方達のことが大切で大好きなの。だからそんな顔をしないで。どんなことがあっても、私は貴方のことを変わらず愛しているわ」
は、とルカが浅く息を吐いた。
目を丸くして吃驚しているのに、どこか安堵しているようにも見える。その表情も昔と変わらないままで、なんだか少し泣きそうになった。
昔―――ルカと暮らし始めてすぐの頃に一度だけ彼に聞かれたことがある。
「僕のことが嫌いになりましたか?」と。
その日、ルカは近所の子供と外で喧嘩をしたらしく怪我をして帰ってきた。急いで怪我の処置をして、危ない事をするなと叱った私に彼はそう聞いてきたのだ。良い子じゃない僕は要らないだろうと。
どこか投げやりな言い方とは裏腹にその瞳は心細そうに揺れていた。
ああ、きっとこの子は今までこうして何度も諦めてきたんだろう。
母親のことも、環境の事も。この小さな身体で全部、仕方の無いことだと呑み込んできたのだろう。
そう思ったら何だか堪らなくなって、私は力一杯ルカを抱き締めた。
ルカを売った彼の母親が憎かった。彼の置かれた環境が憎かった。彼が何をしたと言うんだと、なぜ彼なんだと叫びたかった。
でも今更私が何を言ったところで過去に起こったことは変わらないし、彼の心が救われる訳でもない。だからせめてもと私は何度も何度もルカに大好きと愛してるを伝えた。私は仮に貴方が良い子じゃないとしても追い出したりしないし、決して嫌いにはならない、捨てたりなんてしないとルカに分かって欲しかった。
その時の彼の驚きと安堵の混ざった表情を私は一生忘れないと思う。
その後、ルカがそういう言葉を口にすることは二度となかった。
ただ時折あの日のように心細そうな目をする時があって、そういう時決まって私はルカにしつこい程の愛を伝えた。いつかここが彼にとって心の底から安心出来る居場所になれますようにと強く願いながら。
他の子達も一緒に暮らすようになってからは、ルカも輪をかけてしっかり者になり、いつしかそういうやり取りは無くなった。
だから彼のこういう表情は本当に久しぶりに見る。
お店を守れなかったから、私が責めるとでも思ったのだろうか。
そんなこと、あるわけが無いのに。
さらりと彼の陶器のように滑らかな肌を撫で、離れる。
「それじゃあルカも謝ってくれたし、私ももう気にしてないからこの件に関してはこれで終わりね」
「……はい」
ルカが少しぎこちなく、でも優しく微笑んだ。
それに安心し、歩き出したところで「ジゼル」と呼びかけられた。
「んー?」
「貴女のそういうところが大好きです」
「えっ、なっ、急に何っ?!」
「いえ、何となく言いたくなったので」
突然の衝撃発言に驚いて慌てふためく私を見て、ルカがニッと悪戯が成功した子供のように笑った。
あ、この笑い方珍しいやつだ。
「⋯⋯って、もしかしなくても私、からかわれた?!」
「いえ、からかってなんてないですよ。紛れもない本心ですから」
「嘘だ、声が笑ってる!」
「気の所為です」
「絶対気の所為じゃない!」
「気の所為ですって」
「い、いつからそんな悪いことするようになったの!?」
さっきまではあんなに殊勝な態度だったのに!!
「さあ、いつからでしょうね」
地団駄を踏む私にルカはそう言って魅惑的な笑みを浮かべたのだった。
その日の夜。私はとても良い気分で眠りにつくことが出来た。
ルカとご飯を食べて、モニカに会えて、魔道具屋がどうなっているかを知れることも出来て、良いことづくしの一日だったから。
母にも「そんなにニコニコして何か良いことでもあったの?」と聞かれるくらいにはご機嫌だった。
だから、すっかり忘れていたのだ。
前日までルカとラミロの仲の悪さについて、頭を悩ませていたことを。