12
ラミロは私が前世で一番最後に拾った子供だ。
散歩をしている時に身体中アザと傷だらけのボロ雑巾のような状態でゴミ捨て場にいるところを見つけ、保護した。後から聞いた話では、食うに困って店の売り物を盗んだものの、それが店の人に見つかり瀕死になるまで殴られその後、ゴミ捨て場に放置されてしまったらしい。
うちに来てすぐの頃は、私のことも子供達のことも敵視していてろくに会話することも出来なかった。でも時間をかけて少しずつ話せるようになって、表情も増えて、時々ではあるものの笑みを見せてくれるまでになって。初めて笑ってくれた日のことは今でも鮮明に覚えている。あまりに嬉しくて、ラミロを抱き上げて喜んだ程だ。まあ、その後すぐに殴られたけど。
宝石のように美しい翠の瞳を見て、かつての記憶が一気に蘇る。
私の記憶にある姿よりも成長して逞しくなっているけど間違いない。
あれはラミロだ。ちょっと感情表現が激しすぎる所があるものの、元気で少し寂しがり屋な私の大切な子。
まさか、こんな所で会えるとは。ルカに引き続き、奇跡だ。
思わぬ幸運に人知れず興奮していると、何故か彼が段々とこちらへ近づいてきていることに気づく。
ヤバい、不躾に見すぎたか?
「あの」
「てめえ」
謝るよりも先に眉間に深い皺を寄せた不機嫌なのが丸分かりな表情で凄まれた。思わぬ接近に息が詰まる。
「どこでその名前を知ったかは知らねぇが、二度とその名を呼ぶな」
そして唸るような低い声でそう言われた。
額には彼の怒りをそのまま表すように青筋が立っている。
彼の勢いにも驚いたが、まずそもそも、あの距離で私の小さな呟きが聞こえていたことも衝撃だ。
そう言えばこの子、地獄耳だったな。
昔、お菓子が入った箱を隠したことがあったのだが、その時もこの子だけは私がルカに隠し場所を耳打ちしたのを聞いていたらしく、一人でお菓子を見つけ出して食べ尽くしていた。
「おい、聞いてんのか」
あの時は他の子達がラミロだけずるいって騒いで大変だったんだよな、なんて考えてると不機嫌な声で問いかけられた。
しまった、今は呑気に昔を思い出している暇ではなかった。
素直に謝ると、ラミロはあっさりと引き下がってくれた。
小さく舌打ちされたけど。
「分かったなら良い。じゃあな」
彼は満足気に頷くと、引き止める暇も無いままに去っていってしまった。
色々と混乱してしまい暫くその場で呆けていると、いくつかの刺さるような視線を感じ、我に返る。周りを見渡すと、さっきまでうっとりとした表情で騎士達を見ていた女官達が揃って私を睨みつけていた。
え、なんで?
よくよく耳を傾けてみると、女官達が「あの女、ロベルト様とどういう関係かしら」と話しているのが聞こえた。
ロベルト様⋯⋯?
一瞬誰のことか分からなかったが、すぐにそれがラミロの本名であることに気づいた。
実は、『ラミロ』という名は彼の本当の名前では無い。
と言うのも、この名前は私が彼に勝手につけた名前なのだ。
うちに引き取られて最初の頃のラミロは本当に警戒心が強くて、一ヶ月が経過しても名前すら教えてくれない状態だった。しかし、生活していく上で名前を呼べないというのは色々と不便だ。そこで私は彼が本当の名前を教えてくれるまでのニックネーム的なものとして彼のことを勝手に『ラミロ』と呼ぶことにしたという訳だ。
しかし、それからしばらくしてラミロが自分の本当の名は『ロベルト』なのだと教えてくれた時、彼は同時に自分の名前があまり好きでは無いということも教えてくれた。
だからこのまま『ラミロ』と呼んでくれと本人から頼まれ、断る理由もなかったため、彼が良いのならと了承した。そのため私にとって彼は『ラミロ』という印象の方が強い。
でもさっき、ラミロ本人が「二度とその名を呼ぶな」と言っていたし、女官達も彼のことを「ロベルト様」と呼んでいる。
一体どういうことなのだろうか。
女官達に聞いてみようかとも思ったのだが、どうも聞けるような雰囲気ではない。それに女官達ほどあからさまでは無いが、何故か騎士達からも居心地の悪い視線を感じる。
⋯⋯少し気になることもあるし、仕方ない。帰って自分で調べるか。
一人小さく溜息を吐くと、私は逃げるようにしてその場を去った。
◇◆◇
さて。調べるとは言ったものの、情報過疎気味な田舎から出てきて間もない私が調べられることなんてそう多くない。そもそも情報が少なすぎてどこから調べれば良いのかが分からない。
だからここは素直に私の頼りになる友人に聞いてみることにした。
「え、ロベルトっていう騎士を知らないかって?」
早速、頼りになる友人カテリーナの家でお茶をしている最中にラミロもといロベルトのことについて聞くと、彼女は首を傾げた。
「そりゃあ有名な方だから知ってるわよ」
周りの反応から薄々分かってはいたが、やっぱり有名なのか。
「どんな人なの?」
「どんな人って、貴女まさかロベルト様のこと知らないの?」
「うん」
「⋯⋯まあ、つい最近までオーバリ様の顔も知らなかったんだものね。ロベルト様のことを知らなくても無理はないか」
私と反対に王都の情報通であるカテリーナは納得したふうに頷いた。
そうなんです。この街に来る前は私、本当にそういう情報に疎かったんです。
「ロベルト様は第一騎士団に所属している騎士よ」
「第一騎士団ってエリート集団って言われてるあの騎士団?」
問いかけると、カテリーナはこくりと頷いた。
この国の騎士は必ず第一騎士団、第二騎士団、第三騎士団、第四騎士団のどの団かに所属しなければならないのだが、その中でもエリート集団と言われているのが第一騎士団だ。
第一騎士団は魔術と剣術のどちらも使える人間しか入ることが出来ず、護衛対象は王族や高位貴族などが主となる。
第二騎士団は比較的貴族の子息が多く、人数は最も少ない組織と言われている。そして第三騎士団は最も人数が多く第一騎士団に次ぐ実力者が所属している組織であり、第四騎士団が主に戦術などを考える頭脳派の組織だったはずだ。現在のことはよく分からないので、私が死んでから体制が変わっていなければの話だが。
「第一騎士団に入れるのは大体、幼い頃からしっかり騎士としての稽古をつけてきた貴族か代々騎士をやっている裕福な家なんだけど、なんとロベルト様はそのどちらでもない平民出身のお方なのよ!凄いと思わない?」
「え、ええ。それじゃあロベルト様が有名なのは平民出身でありながら第一騎士団に所属しているからなの?」
「主な理由はそうね。あれだけの若さで第一騎士団に所属していること自体、名誉なことなのにそのうえ彼は平民出身なんだから、市井じゃ彼は英雄扱いよ。あとは、ほら。やっぱり彼、野性味があって格好良いから女性に人気なのよ」
「へ、へえ⋯⋯」
まさかルカのみならず、ラミロまでもそんな凄い事になっていたとは。昔はしょっちゅう傷を作って帰ってくる悪ガキだったのに。こうして話を聞いていると、十六年という決して短くはない時の流れというものを嫌でも感じる。
「あ、あともう一つロベルト様について聞きたいことがあるんだけど」
「なにかしら」
「ロベルト様が嫌がることってあったりする?例えば、呼ばれると怒る呼び方があるとか」
「それってもしかしてあの噂のこと?」
「⋯⋯噂?」
「正確に言うと呼び方に関しての話ではないんだけどね、実はロベルト様には大嫌いな人がいて、彼がいる所でその人の名前を呼ぼうものなら、それはそれは恐ろしい形相で睨みつけられるっていう噂があるのよ」
「そ、その人の名前はなんて言うの?」
ドクドクと煩い心臓を抑えながら聞いたものの、カテリーナはあっさりと「私もそこまでは知らないわ」とかぶりを振った。
「そもそもこの噂の出処もよく分からないし、信憑性はあまりないかも」
「そ、そうなんだ」
カテリーナはそう言うが、私はその噂にはかなり信憑性があると感じた。もし、仮にその大嫌いな名前が『ラミロ』だとしたら、先日の彼の態度にも説明がつくからだ。
でもどうしても分からない。
何故、彼は『ラミロ』という名を聞くと顔を顰めるのだろうか。そう呼ばれることを厭うのだろうか。
嫌っていたはずの『ロベルト』という名を呼ばれることも気にならないくらいに、本当は『ラミロ』という名を嫌悪していたのだろうか。それとも、私の知らない理由が他に何かあるのか。
「それで?ジゼルが急にロベルト様に興味を持ったのはなんでなの?」
何故、どうして、と疑問符で頭をいっぱいにしていると、カテリーナにそう聞かれた。
そりゃあ突然、あんな変な事を聞かれたら理由が気になるのも当然だろう。
もっともな問いに私は先日のことを彼女に話した。
前世での繋がりや名前を呼んでしまったことに関することは言わずに、偶然王宮で彼を見かけたと説明すると、カテリーナは「へえ!」と驚きの声を上げた。
「たまたま訓練の時間に遭遇するなんて、貴女って本当に運が良いのね」
「そ、そう?」
「だって私達平民が第一騎士団を見かけることなんて殆ど無いのよ?第一騎士団の護衛対象は上級貴族ばかりだから式典やパレードの時くらいしかお目にかかれないし、街の見回りは第三騎士団の仕事だから」
正直、今の私にはラミロのことを考えるのに手一杯で第一騎士団を見かけたことを喜ぶ余裕はなかった。
あまり実感がないまま、曖昧に返事をした私にカテリーナは「もう」と苦笑した。
「もしアニーが貴女の状況になったらきっと一日中私達の所へ自慢しに来るわよ。ロベルト様は最近益々人気になっているし、あの子は超面食いの超ミーハーだから」
アニーはカテリーナの家の隣に住んでいる女の子の名前なのだが、彼女はまだ幼いのに既に物凄い面食いで、有名人に限らず街で顔が整った男性を見かけては頬を紅潮させ、その魅力を語り出す少し変わった子だ。
カテリーナの言っていることがやけに鮮明に想像出来て少し笑ってしまった。
「あの子までとはいかなくても年頃の女の子って普通はもっと騒ぐものなのに、貴女ってばなんでもないような顔してるんだから。オーバリ様ともいつの間にか物凄い仲良くなってるし、本当にジゼルって面白いわよね」
「お、面白い?」
カテリーナは私とルカがお互いを名前で呼びあっていることも急速に仲良くなったことも知っている。
でも彼女には私の前世のことはまだ言えていない。だからきっと、突然狭まった私達の距離感に少なからず違和感を感じているはずなのだ。
にもかかわらず、彼女は私に何か詮索をしてきたことは無い。ただ、呆れたようにそれでいて少し楽しそうに「オーバリ様、来すぎじゃない?」と笑い、いってらっしゃいと手を振るだけだ。
だから彼女が今の状況をどう思っているのか、ずっと気になってはいたのだが、まさか面白いと思われていたとは。
予想外の言葉に戸惑う私にカテリーナは満面の笑みを浮かべた。
「ええ、前から思ってたけど貴女って本当に見てて飽きないわ」
「⋯⋯それ褒めてるの?貶してるの?」
「褒めてる褒めてる、それだけ魅力的ってことよ!」
と言う割には目が笑っている気がするのだが。
ジトリとカテリーナを睨みつけると、彼女は気まずそうにスっと目を逸らす。
「あー、えっと、そういえば一つ大切なことを伝え忘れてた」
「大切なことってなに?」
話を逸らして誤魔化そうとしているのは丸わかりだが、内容が気になるので大人しく話を聞く姿勢をとると、カテリーナは分かりやすく安堵しながらこう言った。
「別にロベルト様に関して興味を持つのは良いけど、絶対にオーバリ様の前では彼の話をしたら駄目よ。そのまた逆も然り」
「え、なんで?」
「あの二人、会う度に喧嘩するくらい犬猿の仲らしいの」
「は?」
「あ、一応言っておくけど、この話はさっきとは違って信憑性のある情報よ。二人の仲が悪いのは既に周知の事実みたいだし、実際喧嘩しているところも何度か見かけられてるみたい」
「だからオーバリ様にロベルト様のことを聞くのは絶対にやめときなさいね」と忠告され、私は引き攣った顔で頷いたのだった。
⋯⋯ああ、どうしよう。一つも解決しないうちに疑問点と悩みの種がどんどん増えていく。