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人生二回目の訪問となる王宮はやはり広かった。
そして、私の予想通り今回もまた道に迷った。
前回の反省を活かし、念のため時間に余裕を持って家を出て良かった。
もし、もう少し遅く家を出ていたらお昼の時間には間に合わなかったかもしれない。
昨日、ルカから行き方を聞いていたにもかかわらず、彼が居るという魔術研究開発本部に着く頃には王宮に入ってから既に三十分が経過していた。
やっと着いた、と安堵していると入口にいたお兄さんに「ここは一般の方は立ち入り禁止ですよ」と注意されたので、門番の説明を思い出して、恐る恐る特別招待証を見せる。
すると、お兄さんはかなり驚いた様子で特別招待証を受け取り裏返した後、目を丸くした。恐らく、発行者の名前を確認したのだろう。彼は「少々お待ち下さい」とだけ言い残すと、奥の部屋へと消えていった。
お兄さんを待っている間、手持ち無沙汰になった私は軽く部屋の中を見渡す。
魔道具らしきものを解体している人や、何かを物凄い勢いで紙に書き込んでいる人、一人でニヤニヤと書類を読んでいる人など、様々な人がいる。前世で見た事のある魔道具なんかも置いてあったりして、こうして見ているだけでもかなり面白い。
しばらくキョロキョロと周囲を観察して楽しんでいると、奥の方で銀髪が動くのが見えた。
あ、とそちらに目を向けると、早足でこちらに向かってくるルカと目が合った。
「ジゼル」
彼が私の名前を呼んだ。
ルカはあのレストランでの一件以来、私のことを「ジゼル」と呼ぶようになった。生まれ変わったのに、前世の名前で呼び続けるわけにもいかないし、もう全てバレているのに他人行儀に敬称を付けることにも違和感があり、この呼び方に落ち着いたのだ。
正直、ルカがこうして今世の私の名前を呼ぶのはまだ慣れない。
だが、姿形が変わろうと、呼び方が変わろうと、彼は「イェルダ」と呼んでいた時と同じ温度で私の名を呼んでくれるから。
「ジゼル」と呼ばれることに慣れるのもそう遠くない未来の話だろう、と思っている。
「こんにちは、お仕事お疲れ様。えっと、まだお昼を食べる時間はある?」
余裕を持って家を出たものの不安になり、小声で確認するとルカはこくりと頷いた。
「はい、大丈夫です。それよりも道に迷いませんでしたか?ここ、少しわかりにくい所にあるので大変だったでしょう」
「実は少し迷いました」
正直に白状すると、ルカは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「本当は昼頃になったら迎えに行こうと思ってたんですけど、予想外のトラブルが起きてしまって手が離せなくなってしまって」
「え!いやいや、全然大丈夫だよ?子供じゃないんだし、仕事の邪魔したい訳じゃないから」
「すみません」と申し訳なさそうに謝るルカにブンブンと首を横に振って否定する。
わざわざルカに迎えに来てもらうのでは、彼の負担になるし私が届けに来た意味がなくなる。
「それより、なんかこの通行証凄いものらしいね。私、そういうの疎いから普通の通行証だと思ってたよ」
「ああ、そう言えば説明してませんでしたね。一般の方はその特別招待証がないとここまで来れないんです」
「へえ、そうなんだ」
まあ確かにただの通行証を持っているだけでここに来ることが出来てしまったら今頃ここらはルカのファンで溢れているだろう。
それに、国家規模で行われている魔術の開発や研究の情報が漏洩したら大変なので特別招待証が必要なのも頷ける。
「あ、これお弁当ね。気をつけて運んだから大丈夫だとは思うけど、もし中身が寄っちゃってたらごめん」
「ありがとうございます」
「ルカの好きな人参のマリネも沢山入ってるから、これ食べて午後も仕事頑張って」
基本的にはお母さんがお弁当を作ったのだが、私も少しだけ手伝った。人参のマリネは私が作ったものの一つだ。
これは小さい頃からルカが好きだった料理で、彼の誕生日には必ず食卓にケーキと人参のマリネが並んだ。
他にもたくさん肉や魚などを使った料理を用意していたのに、それらには目もくれず真っ先に人参のマリネを食べるルカを見て他の子達が変なものを見るような目をしていた事をよく覚えている。
「人参のマリネって昔よく作ってくれたあれですか?」
「うん、折角ならルカが好きなものを入れようと思って。一応自分なりに再現してみたんだけど、昔の記憶を頼りに作ってるから、もしかしたら少し味が変わっちゃってるかもしれない」
「いえ、たとえそうだとしても嬉しいです。ものすごく」
今更ながらに期待通りのものじゃなかったら申し訳ないなと考えていると、ルカが淡く微笑んだ。
「貴女がそんなことを覚えていてくれたという事実が嬉しいです」
「そ、そうなの?」
「はい」
昔のルカなら絶対に言わなかったであろう、ストレートな言葉に意図せず顔に熱が集まる。
いや、昔から感謝の言葉を忘れない子ではあったんだけども、若干ツンデレ気味なところあったし。いや、それはそれでめちゃくちゃ可愛かったんだけど。
「ジゼル?どうかしましたか?」
俯いた私にルカが心配そうに声をかける。
「あ、いや、なんでもない。それじゃあ、わたしもう帰るね」
盛大に吃りながら、ヘラヘラと笑って別れを告げるとルカに手首を掴まれた。
「待って。出口まで送ります」
「だからさっきも言ったでしょ?仕事の邪魔をしたい訳じゃないし、折角の休憩時間なんだから休んで。道も分かったから迷うこともないだろうし」
「でも」
不満げな顔をしたルカが何かを言う前に遠くで「魔術師長」と呼ぶ声がした。
「ほら、行ってあげて。私のことは本当に気にしなくて良いから」
軽く背中を押して促すと少しの沈黙の後、ルカは溜息をついた。
「今度、必ずなにかお礼しますから」
お礼も何もお弁当を作ったのは殆どお母さんなんだけどな。
と思ったものの、ここは大人しく頷いておくことにした。
「じゃあ、もう行くね。また今度」
「ええ、また今度。お気をつけて」
結局、ルカは私が角を曲がるまでその場から動くことは無かった。
誰かに呼ばれてたみたいだから、お見送りなんてしなくて良かったのに。
ルカは私が生まれ変わってから少し過保護になった気がする。
もちろんイェルダの時もとても優しかったし、世話焼きなところはあったのだが、今の彼の私に対する態度は、なんというか目を離した隙にどこかに行ってしまう幼子に対するソレに近い気がする。
私の身体年齢がまだ幼いから無意識にそうなってしまうのかもしれないが、精神年齢的にはもう良い歳なのでそういう扱いをされると、どうしても気恥ずかしさが先に来る。
どうしたものか、と唸りながら王宮を歩いていると、どこからか掛け声のような威勢の良い声が聞こえてきた。
何の音か気になり、辺りを見渡すと外の方から音が聞こえることに気づく。
好奇心が刺激されてしまい、聞こえてくる音を頼りに外に出て音の元を探していると、やけに女官が集まっている場所を発見した。
そぉっと近づいてみると、女官達の視線の先には騎士らしき男達が剣を使って手合わせしている姿があった。
どうやら私が探していた声の発生源はここらしい。
様子を見るに騎士の訓練場か何かだろうか。
周りの女官達は汗を流す騎士を見て「やっぱり逞しくて素敵ね」とか「男性は野性味がないと」とか各々感想を零してうっとりしている。私の存在には気付いてなさそうだ。
それならば滅多に見れるものでは無いからもう少し見ていこう、と私も女官達のように見学していると、訓練場の端の方に人垣が出来ているのが見えた。
その中心にいるのは、周囲の騎士と比べても抜きん出て体格の良い赤髪翠眼の男だ。話しかけている騎士が興奮している様子なのに対して、当の本人は何故か不快そうに眉を顰め、口もへの字に曲がっている。
って、あれ?あの不機嫌そうな顔どこかで⋯⋯。
そう思った瞬間、頭の中で「黙れ、くそババア!」と罵る幼い少年の記憶が蘇った。
「⋯⋯え、ラミロ?」
無意識に零れた呟きにそれまで不機嫌に細められていた翠の瞳がこちらを向いた。




