後悔先に立たず
「認めない! 認めるものか!! こんな、こんな結果なぞ無効だ!!!!」
余裕綽々な表情はどこへやら。眉間にしわ寄せ、汗はどろどろ。貴族とはとても呼べない格好のまま、ブランなる男はその口から罵詈雑言を喚き散らした。
だが当然、正当なる儀式の場で出た結果に異を唱えることを、この場にいるほぼすべての人間が良とはしない。
「見苦しいですよ、フォン・ブラン。いえ、ただのブラン」
「うるさいっ! なぜ私が貴様のような低級貴族に負けねばならんのだ! こんな決闘など無効に決まっている!!」
「我が国の神と、聖四人様の名において誓いを立てたはず。その結果を無効にするなど、それは国に対しての侮辱なのではないですか?」
「その通りですぞブラン殿。この決闘は神の血を引く我々が、偉大なる国母神様の名のもとに誓いを立てて行われたもの。その結果に文句を垂れ、その上反意にするなどあってはならないことです」
この試合を見届けた審判人の方も、あの男の態度には不服らしい。決闘の勝利者であるワイス様のありがたいお言葉に続き、審判さんもブランの言い逃れを許さない。
ふむふむ。とーすると? これは私が居なくても解決する問題なのではないか?
「まだ思う所はあるみたいだけど、こればっかりは自分で決めたことだからね。後は上の人達に任せて退散たいさーん」
「――ん、んん……」
「えっ」
なんと、決闘が決着してまだ五分と経たないうちに、意識を刈り取られたはずのソレイユは目を覚ました。実際に意識を刈り取った私の見立てでは、短くても三十分ほどは気絶したままのはずなのに。
「ぇぇ……うっそぉ」
「私は、負けた、のか」
「あー、うー。お、おはようソレイユさん」
「貴女は……」
いくら目覚めたとはいえ、意識の方はまだしっかりとはしていないらしい。いや、それくらいはしてもらわなければ自信を無くしてしまう。
彼女は帽子付きの頭を抱えて、側に置いてあった自作の楽器に手を伸ばす。そして、倒れた拍子に付着した汚れをはたき落して、しっかりとその両足で立ち上がった。
「そうか……私は、決闘に敗れたのだな」
「今回は私の勝ち。また戦おうね!」
「っ! 次、か。それはもう、叶わぬ願いだな」
「? なんで?」
「それは――」
帽子の影に隠れ、彼女の瞳は輝きを無くす。その理由と原因には、とても心当たりがあった。彼女は今も、帽子の秘密が知れ渡ってしまったと思い込んでいるのだろう。私が幻で隠していたとはいえ、それを彼女は知らないのだから。
勝負の中で起きた問題は勝負の中で解決する。誤解はすぐに解決するに限ると考えた私は、すぐさま幻のことを伝えようとして――――
「貴様ァァァーーッ!!」
この場にはふさわしくない、男の絶叫にかき消された。
ブランはなんと、結構な高さのある観客席から飛び降り私たちの立つ舞台に上がってきたのだ。彼はズカズカと私たちの間に入ってきては、怒りの形相を隠そうともせず一直線にソレイユの元に駆け寄ると、
「このッ、わが家の恥さらしがァーーーー!!!!」
綺麗に整った彼女の胸倉を、思いっきり掴み上げた。
「ちょ!? いくらなんでもそれは 」
「待て、ルカナシオン。貴女には関係のないことだ」
あまりの身勝手さに止めに入ろうとした私に、ソレイユは片手で来るなと伝える。何故、とは思うが。他でもない彼女が止めるのであれば素直に従うしかない。
「申し訳ありません、ブラン様」
「ふざけるな貴様!! 女としての責務も満足に果たせぬ恥さらしのくせに、居場所を作ってやった恩を仇で返すとは!!」
「申し訳ありません」
「謝って済むと思うな!! こんな、こんな出来損ないの屑が、仮にも血を分けた姉弟だと!? 虫唾が走るわ!!」
「姉弟!? じゃあまさか、ソレイユさんとブランは」
「ええ。彼女の真の名はフォン・ソレイユ。フォン家の元長女にして、本来の後継者です」
「……あの、もしかしなくても貴女も飛び降りたんですか? あの観客席から?」
「あの程度の高さ、訓練で慣れておりますので」
いつの間にか、私の隣にはワイス様の姿があった。この国の貴族はどうにもアグレッシブというかエネルギッシュというか、普通子供でもやらないようなことを平気でしていらっしゃる。
だが、今はそんなことよりもソレイユさんの方だ。平然とした様子の彼女でも、いつまでも首を締められたら命の危険がある。早いうち、怒りを抑えてくれるといいのだが
「この不始末、ただでは済まさぬぞ。私が身を落とすように、貴様も道ずれにしてやるからな!」
「……はい、承知しております。この音色とともに、どこまでもお供いたしましょう」
「音色、だと!? この期に及んで貴様は、まだそのようなものに現を抜かすかーーーーッ!!」
「!?」
「あっ!!」
―― バキンッ!! ――
彼女の持つ撥弦楽器が、ブランの手によって勢いよく弾き飛ばされる。自分と同じ体重を軽々と持ち上げる彼の腕力は、構造上脆い彼女の楽器を容易く叩き折り見るも無残な藻屑へと変容させた。さらに追い打ちをかけるように地面と激突した木材たちは、もう楽器としての姿を一切残してなどいなかった。
「は、ははは!! どうだ!? 悔しいだろう!! これが奪われるということだ!! 私は地位も、権力も、すべてを失ったのだ。貴様如きが、何かを持とうなど烏滸がましいッ!!」
「……」
「は、ははは。どうせ、我らフォン家はもう終わりなのだ。貴様のその帽子をひん剥いて、貴様の醜い姿を白昼の元に晒し、最後の享楽に興じようではないか!」
「なにを…………もう……わたしのことは……すべて」
「ぎゃははははは!! 逃れようなどとそうはさせるか! もう貴様は一生、笑われながら生きていくのだッ! ざまぁみろーーーー!! ――ブギャッ!!??」
「 もう、喋るな 」
フォン・ブラン。いや、今はただのブラン。この男のよく回る口を強引に塞ぐ。これ以上、こいつの言葉を聞く価値はない。
「ルカナ!?」
「……何をしているルカナ。これ以上私は、失うものなどないのだぞ」
「その帽子のことはバレてないよ、ソレイユさん」
「? 何を、言っている。私の秘密はもう」
「その鋭敏な聴覚で、会話を聞いてごらん」
「? ッ!!??」
『フォン家ももう終わりね。最後にあんな醜態まで晒して』
『神の名の下に行われた決闘に異議を申し立てたのだ。悪くて死罪、よくて終身刑だろう』
『何やら話しているようだけど、ここからじゃ遠くて聞き取れないわね』
ソレイユは驚き、絶望に染まっていた瞳に輝きが戻ってきた。どうやら周りの貴族様方が何を話していらっしゃるのかを、正確に聞き取ることに成功したらしい。よかったよかった
「な、なぜ、誰も私のことを話していない。髪のない令嬢など、笑いものにされて当然のはず」
「私が幻で隠しましたから。ここには私とその男以外、だーれもその事実を知らない。だから、今まで通りでいいんだよソレイユさん。――――さーて、そんなお美しいご令嬢にお痛をする元貴族様。まだ不満があるのでしたら、元凶たるこの私自らお相手いたしましょう! どこからでも……って、あら?」
ぷぴゅーっと。私が思い切り顔面を蹴飛ばしたブランは、鼻から血を噴水のように噴射して、靴型に凹んだ顔面を血に染めていた。動かないところを見るに、あれは完全に意識をやっている。
しまった、やりすぎた。
「確保ーーーーーーッ!!!!」
「うぇぇ!? なに、なになになになに!!!??」
「犯罪者の身の上でやりすぎだ馬鹿ッ!! これはしっかりと罪状に加えたうえで収監させてもらうからなッ!!」
流石に、人一人を血に染めて兵士諸君が動き出してしまった。数の暴力で来られては私にもなすすべはなく、あえなく両手に枷を取り付けられてしまった。
「そんな?! 元はと言えばちゃっちゃと帰らせないおじさんたちの責任でしょう!? 私はこの扱いに断固異議申し立てる! 横暴だ―! 職権乱用だー!」
「やかましい! おい、布でも何でもしてそいつの口を黙らせろ!! これ以上問題を起こさせるな!」
「むぐっ!? むぐぐぐーー! むぐーーーー!!」
結局、私は試合のその後を見届けることなく、牢屋の中へと帰宅していきましたとさ。まさか口まで塞がれるとは思いもしなかったけど、帰ってこれただけラッキー♪
ただ、ブランに血を吹かせた罪に問われ、特別扱いはされなくなってしまったが。
♢
「あのソレイユを倒す、か」
試合が終わり、続々と人々が出入口へと歩き出した頃。手入れされた自慢の黒ひげをいじりながら、かの男は呟く。
「あれが、昨日この町に来たという血族不明の女。なるほど、道化というのは言い得て妙だな。――お前はどう思う」
人間がほぼいなくなった観客席。ただ一人座る彼の陰から、”何か”がゆっくりと現れる。現れ立つ陰にふさわしい長い黒髪を風に揺らし、その瞳は血のように赤い。
なにより、その現れた人間の左腕。陰から這い出てすぐに人間らしい色を取り戻した右腕とは違い、陰の色をそのままに、獣の腕のように鋭い。
「――オーダーを」
「不安の芽は先に潰す。かのルカナシオンとかいう道化を暗殺しろ。方法は問わん」
――途端 人影は霞となり消えた。まるで最初からいなかったように、忽然とその姿をかき消したのだ――
神出鬼没
”彼女”を例えるならば、この言葉を置いて他にない。