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初めての怒り


 白布の付いたツバ曲がりの帽子が、ひらひらと風に舞う木の葉のように地面へと落ちた。


「よしっ! ――ッ!?」


 顔の造詣がはっきりと浮かび上がり、目論見が成功したことで勝利を確信した私の目に飛び込んできた光景。それは、ある意味では死を目の前にしたことよりも辛い光景であった。


「 帽子ッッッッ 」


 楽士の擦り切れるような声と露になった頭部を隠すようにして蹲る彼女の姿に、私はようやく現実を知覚した。同時に、自らが起こした大罪を、理解する。

 なぜ、彼女が頑なに右腕を使用しなかったのか。なぜ、あんなにも帽子を気にかけていたのか。


「見た、の」


 短い。されどはっきりとした言葉。表に出すことなく戦っていた彼女の初めての出した感情が、私に向けたドス黒い恨みの感情。


「見たのかと聞いているッ」


 乱雑に被りなおし、一部布が帽子と肌との間に巻き込まれている。周囲を囲う観客たちの声も、今の私たちには無音に等しかった。


 私がここまで動揺を示した理由、それは


「その、髪は」


「そうか、見たのか……」


 楽士――ソレイユと名乗った”彼女”の髪は、すべて、なくなっていた――


「ッッ!!」


 帽子の下から覗く楽士の瞳。向けられた殺意があまりにも強すぎて、一瞬心臓を串刺しにされたかのような感覚を味わった。

 いやっ、今はそんなことどうでもいい! 私は、私は一体何をしているんだっ! こんな公衆の面前で、彼女の知られたくない秘密を暴くなどッ!!


「利き手を使わなかった非礼をお詫びする。決闘においてそれは、確かに礼を失した態度だった」


 言葉はいかに冷静であっても、それ以外のすべてが荒れ狂う暴風。先ほどまでの人形のような態度は鳴りを潜め、すべては私に対する殺意一色に染められていた。


「病気?」


「……この髪は、私がまだ幼かった頃。毒を喰らい生死の境を彷徨った時の後遺症だ。十にも満たない、夕食のことだった」


 一歩、彼女は私に近づく。


「髪を無くし、利用価値のなくなった女などもはやゴミ。他に生きるすべを持たなかった私は、親に言われるがまま戦いに身を投じ、こうして闘技場に立っている」


 また一歩、近づく。すでに私と楽士との距離は、剣の射程距離に入った。


「秘密を知られ、全ての貴族の元に晒された。もう、自分の能力を隠す必要もない。その礼に、私の能力を教えよう。”あらゆるものを鋭くする力”それが、私の持つ能力だ」


「全てを、鋭く?」


「聴覚、嗅覚、味覚、触覚、視覚。武器の切れ味、音の響き、力の方向。それら全てを鋭くすることができる。例えばこうして、弦の音を鋭くすれば」


 キュイィーーーーーーン!! 


「ああああああああああああああ!!!!」


 至近距離の鋭くなった弦の音。耳を通り越して脳に直接響いてくるその音色は、実際に私の脳を揺さぶり神経を乱す。彼女の音の前にまともに立つことすら叶わず、私は目からは血を流し床に這いつくばって無様な姿をさらす。

 もう自分の状態すら、把握することは困難だった。


「あ、ぁぁ、ぐっ」


「この楽器は、私が長い年月をかけて作り上げた世界にただ一つの楽器だ。故に名はなく、調律すらまともに行われてはいない。……私は、音楽に憧れていたんだ。毎日が地獄だった私の唯一の希望が、音楽だった」


 音が止み、ソレイユが何かを話していることだけは理解した。それをまともに拾うことも、距離を取り体勢を立て直すことももはや叶わないが。


「毎日毎日少しづつ楽器のことを調べて。来る日も来る日も廃材で試行錯誤を繰り返す。そしてようやく完成した一本がこれだ。まともに音などならんさ、音楽などとは到底呼べぬ不協和音を奏でた。でもよかったのだ、それは間違いなくこの私が、私の手で作り出した音だったから」


 呼吸が回復し、キンキンとうるさい音が耳元から離れていく。と同時に、私は途中から最後にかけての文章を聞き取る。

 元はと言えば自身がまいた種、その現実から逃げてはならないと私の心がそう告げていた。


「ああ、ようやく理解した。長い時間、感情を動かさないようにしてきたせいで、これがなんなのかを忘れていた。この、胸の奥を擽る不快感」


「ぁぁっ、はぁっ!」


「そうだ。私は、嫉妬していたんだ。私よりも素晴らしい音楽を奏で、戦いにおいても上を行く貴女のことを」


「嫉妬、だって……?」


 途端。ソレイユは自ら大切な楽器を放り出し、左手に構えていた剣を右手に構え直す。冷静な言葉の裏に隠されていた激しい憎悪が、再び私の目を捉える。


「死ね。死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死ねッッ!! シネェェーーーー!!」


「!!」


 段階的に強くなっていく声音。それはまるで、この長い時間の中で忘れていた感情の発露を思い出していくかのよう。同じ言葉を重ねるごとに、彼女の言葉はより正確に自身の想いを乗せていた。


「私の上に立つなっ!! 私が手を伸ばしても届かなかったことを、当たり前のように超えていくなァァーーーー!! わたしはっ、私は誰かの劣化じゃない!!!!」


「(速い、速すぎる!! 左手で振るう剣の倍どころじゃない。数倍、いや、数十倍の速度と重さだ!!) 幻影分し――」


「邪魔だァァーー!!」


 怒りを隠すことなく、能力を全力で行使し始めた彼女の全力は、私の想像を容易く超えて行った。先ほど出した幻影分身、それを合計十人を出し惜しみせずに投影したのだ。

 だが、彼女は私を含めた十一人全員を、一瞬でほぼ同時に切りつけた。間一髪本体への直撃は避けたものの、攪乱のために出した幻影たちはもれなくかき消されてしまう。


 ただでさえ思考が正常ではないというのに、この速度の連撃はマズい。ワイス様との約束により負けるわけにはいかないが、早急に片を付けなくてはこちらが負けるッ!


「ハァァッーー!!」


「っ!!」


 間一髪。腹部を狙った刺突を回避し、動きの止まった隙に一度距離を取る。できれば次の一撃で、勝負を決めたいところだが。


「逃げてばかりでは勝てないと、前に一度教えたはず。……あぁ、なるほど。確かに貴女の考えている通りだ。貴女に倒されたら私の負け、仮に私が貴女に勝てたとしても貴族としての私は終わり。どう転んでも貴女は勝つという訳か」


「私は逃げてないよ。今こうしている間にも、私の秘策は完成しつつある。そして、、、」


「なにを、、、ッ!?」


 おそらく、ソレイユは気づいたのだろう。私の纏う雰囲気が通常とは違うことに。


「秘策は今、完成の時を迎えたッ!!」


 吹き荒れる風、光り輝く私の両腕。彼女の攻撃を避けながら必死に貯め続けたすべての力を両手に集めた。


「今、私の両腕には、体を流れるすべての力が集まっている。この一発を外したら、しばらくまともに能力を使えなくなるほどに」


「そんな力、一体それは!?」


「幻視、幻聴、幻味、幻嗅、幻触。人が持つありとあらゆる感覚器官。それら全てを騙し、欺き、僅かな死の感覚すらなく生と死の橋を渡らせる最終奥義。――いくよ、白の楽士!!」


「っ!!」


 両腕を構えたまま、今度は私が彼女の元へと近づいていく。両腕を中心に確かに存在する威圧を感じ取り、彼女は絶対にこの一撃を食らうまいと視線を向ける。


 そう、それでいい。そのまま、彼女の意識を向けたまま。私はあらん限りの力を振り絞り空高くに飛び上がる。


「正真正銘、これが私の最後の一撃! 白の楽士ソレイユ、覚悟ーー!!」


「なっ、あ」


 気圧されたか。ソレイユは近づいてくる私になんの行動も取れていない。接触まで残り三秒、二秒、


「っ!!」


 精神を追い詰められ、つい反射的に彼女がとった行動は、自身の力が付与された剣を敵に差し向けることだった。この戦いで何度も陥った、空中での行動制限。


 ――ブシュッ!!――


 動くことも叶わず、私の体は彼女の凶刃を体に受け入れた・・・・・・

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