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「僕が間違いなく言えることは、女性からの誘いは要心したほうがいいということ」
かずき
深夜の体育倉庫に現れたのは、昨年秋より、魔法生たちの投票で生徒会長に就任していた同級生の女子、城谷光冬。頭脳明晰で素行も優秀。魔法の才にも溢れており、生徒会長になるべくしてなったタイプの、才女と呼ぶに相応しい少女である。
体育館の窓から差し込む淡い色合いの月光を背に、銀髪のふんわりとした髪を揺らしながら城谷は、自身が魔法障壁を解除した体育倉庫内に、足を踏み入れる。
生徒会長がいったいわざわざ何用かと、マットの上に座る一希と武は、顔を見合わせていた。
生徒会長であることも手伝って有名な女子であるので、当然二人とも城谷のことは知っていたが、話したことはほぼないようなものだった。
「こうして面と向かってお話しするのは初めてですよね? お二人とも」
スカートの下から白いニーソックスを履いた足を折り曲げてしゃがみ、目線を合わせて、城谷は話しかけてくる。
「そういや、そうやったな。何の用や、生徒会長さん? 怪我だらけのワイらを高見の見物で笑いにきたんか?」
武が彼女を見上げて問う。
城谷は長いまつ毛の目元をぱちくりと動かすと、くすりと、微笑んだ。
「それもいいかもしれませんね。私は生徒会長で、貴方方は所詮一、魔法生の身分です。そして今、貴方方は檻に入れられた動物であり、私はそれを眺める見物人。ここは動物園でしょうか?」
「なんやと……っ」
「武……突っかかったのはこっちだ……」
一希が冷静にそう言えば、城谷は立場を弁えているようで結構、と満足そうな表情を見せて、スカートを抑えて立ち上がる。
「とりわけ貴方、星野一希。教師の施した魔法障壁を解除し、一人で大多数の"捕食者"を葬った。その活躍は私も教室の窓から見ていましたよ」
「……」
一希は無言のまま、城谷を見つめ返す。
一希の青い目をじっと見た城谷は、しかしどこか不思議そうに、小首を傾げている。そして、何を思ったのか、ずいと一希の目の前にまで近づき、一希の顔を至近距離でまじまじと見つめだす。
「……なにか?」
傷だらけの顔の一希が、訝しく城谷を見つめ返すと、城谷は何かを確信したように瞳を閉じて頷く。
「貴方、不思議な目をしている。綺麗だけど、空虚。本当に、見えているの?」
「……」
「……?」
押し黙る一希に、武がきょとんとする。
城谷の目は絶えずこちらを見続けている。その目の色は――一希には、判らなかった。
「僕には……色が分からない。子供の頃、両親を目の前で殺されたショックによるものだと、先生は言っていたけど、原因は分からないままなんだ」
「それはそれは。と言うことは、貴方にはこの世界が――」
「色褪せている白黒の世界……灰色に見える、と言った方がいいのかな」
生まれて物心がつき、両親と姉がいた頃までは、世界には色で溢れていた。素晴らしく美しく、それでいてどこか荒廃的な世界の色彩を、見ることが出来た。
しかし、両親を殺された日を境に、一希の視界からは一切の色がなくなった。白黒テレビの中にいるような、灰色の世界の中に閉じ込められている感覚だ。目の前にいる少女の姿も、隣に座る親友の姿も、曖昧な灰色でしか、判別できない。
「そうですか。それはさぞ不便で残念なことでしょう。この世界の美しくも残酷な色味を見ることが出来ないのは」
「ある意味、それはそれで幸運なのかもね」
城谷の遠慮のない皮肉に対し、今ではこちらも、皮肉で応じる事ができるまで、色覚のことについては妥協する事ができていた。
「あ、では私が今はいている下着の色も、貴方には分からないと言うことですか」
「した、ぎ……?」
一希が唖然とすると、城谷は蠱惑的に微笑み、スカートの端を指で摘まんでそっと持ち上げている。
「ぬわっ!? 女子がそんな事しちゃアカン!」
隣の武が顔を赤くするのも束の間、城谷は硬直している一希の反応を楽しんでいるようであった。
「どうでしょうか?」
「……さあ、分からない」
「せっかくの勝負下着なのですが」
「なぜ勝負下着なんか……」
「あら。明日やこの後すぐ死ぬかもしれないご時世ですよ? よって、毎日が勝負の連続である。私はそう思いますけどね」
城谷の言葉には、どこか納得できるような妙な魅力があった。
それでも、深い仲でもない言ってしまえば、他人に対し、自分の下着を堂々と見せつけるような気前は、一希には理解は出来なかったが。
「紫、やったで……」
ぼそりと、こちらが色合いを理解できないことを知ってか、武が耳打ちで教えてくれる。
紫って、どんな色だったけか……等と必死に頭の中で思い出そうとしてしまう辺りでは、自分もまだまだ異性に興味のある年頃であると自覚するに至ることになるが。
「さて、冗談はここまでです。私、アルゲイル魔法学園の生徒会長、城谷光冬は貴方たち二人に提案をしにきたのです」
スカートをただした城谷は、こほんと、軽い咳払いをしてから、一希と武を交互に見る。
ほぼ初対面に近い二人の異性相手に、例え冗談でも下着を見せてしまうような、意味の分からない思考の持ち主であったかと思えば、
「緊急事態の魔法学園内にて、教師の命令は自身や他の魔法生、ひいては魔法学園そのものを守るためには絶対に従わなければならない。従わなければならない、にも関わらず、貴方方お二人は、命令を破り、魔法障壁を破壊し、多くの避難民を中に入れてしまった。"捕食者"から逃れてきた避難民は今は大人しく演習場にいますが、それが様々な問題を起こさないとも限らない、火薬庫の火種の元。……現に今、とある一つの問題が浮上していますが、それは後ほど詳しく」
城谷はすらすらと、長い台詞を淀みなく、まるでスピーチをするようにして言いきる。
「勝手に命令を破り、多くの魔法生を危険に晒すような真似をしてしまった。お二人の罰は重く、このままでは良くても魔法学園の退学ではないでしょうか」
「はいはい。俺たちが悪うござんした。目の前で死にかけてる人間を救おうとした俺たちがやな」
武が億劫そうに遠くを見つめながら言っている。
「悪いなんてとんでもない。自分の身を厭わない一見無謀な行いは、私にとってはとても胸を打つものでした。今でも心臓は一定のリズムで動悸を繰り返しています」
「そりゃ当たり前やろ……なんでやねん」
「ジョークですよ、ジョーク。ナイスツッコミです」
武のツッコミに、城谷は軽くあしらうように受け流す。
「魔法学園の関係者に迷惑をかけてしまったことは、謝罪します」
さざ波立たぬよう、一希が謝罪をするが、城谷はそれに首を横に振る。
「なにも私は謝罪を望んでいるのではありません。ここは一つ、お二人に提案をしにきたのです」
人差し指を立てて、城谷は言う。
「私城谷光冬と生徒会メンバーと共に、この魔法学園の平和と秩序回復に勤めていただきたいのです。簡単に言いますと、私の命令に従う兵となっていただきたいのです」
「はあ?」
城に住まう女王を思わせるような、高圧的な表情と態度で、城谷はそんな事を言ってきたので、武が声を大きくする。
「なんでワイらがあんたの言うこと聞かなアカンねん」
「このまま魔法学園を退学となってもいいのでしょうか、警視庁所属、武田刑事のご子息さん?」
城谷が態度を崩すことなく武に向かってそう言えば、武はぐっと口を結ぶ。
「星野くんも。貴方が引き入れた大量の難民のせいで、この魔法学園は燃えやすい竹藪を背負った狸の状態となってしまいました。大切なお友だちや幼馴染を見捨て、この学園から退学致しますか?」
相変わらずな城谷の流れるような言葉遣いに、しかし一希はすぐには首を縦には振らない。
「……これは僕と先生の間の問題のはずだ。それに対して、生徒会長の貴女にとやかく言われる筋合いは、ないと思うのですが」
「あら。私としては貴方方に素晴らしい提案をしたはずなのですが、こうも手厳しい反応をされてしまうとは、いささかショックです」
ぐすん、と城谷は涙を指で拭うジェスチャーをする。無論、嘘泣きだ。
「そんな、私の何が、いけないのでしょうか……?」
「いや別に貴女が悪いと言うわけでは……。ただ、そんな女性からの誘いは、あまり乗らないようにはしています」
一希の目に移る城谷の姿が、一瞬別の女性の姿に変わり、一希はひどく動揺していた。もう、過ちを繰り返すわけにはいかない。
「それは貴方の過去に、関係あるものでしょうか?」
城谷の確信を突く質問に、一希は生唾を飲む。いったいこの目の前に立つ女性は、何をどこまで知っているのだろうか。
――いや、そもそも。
「いくら生徒会長とは言え、魔法生の退学処分を決めるほどの権力はないはずだ」
「普通の生徒会長ならば、そうでしょうね。ところが私は特別ですから。ま、特別と言う点では、貴方も同じではないでしょうか?」
城谷にそう言われ、一希はなにも言い返さず、押し黙る。今までのやり取りでも十二分にわかったが、どうやら彼女は、普通の魔法生ではないようだ。
「武、どうやら僕たちに選択肢はないようだ」
「そうみたいやな……んでも、兵って扱いには納得出来へんけどな」
明日も知れなくなった我が身だ。武も他に道はないことを悟り、慎重に首を縦に振る。
城谷は、提案に乗る気となった二人の前で、手を合わせて喜ぶ。
「決まりですね。お二人は今より、アルゲイル魔法学園生徒会メンバーの一員として、私の命令に従って頂くことになります。もちろん、個人の人権は保証いたしますが、基本的には私の言葉に絶対服従であると言う事を、お忘れなきよう」
「人権もへったくれもあらへんがな……」
武が最後まで不満そうにぼそりと呟いていると、城谷の後ろから、大きな足音を立てて、ずかずかと体育倉庫に侵入するもう一人の魔法生の姿が目に入った。
「――先程から黙って聞いていれば……!」
男子で、青い線のネクタイ。こちらや城谷と同じく、新三学年生の証であり、こちらと違うのは、制服の左腕に赤い腕章を巻いていると言う点だろうか。即ち、城谷と同じ生徒会のメンバーである。
その瞬間、城谷は天を仰ぎ、後ろから近づいてきた足音に合わせて身体を横にずらし、道を開ける。
怒れる様子で体育倉庫に入ってきたのは、長身で、ベージュの髪をした同級生の男子であった。名前は津山咲夜。副会長を勤める、見知った顔の魔法生だ。一希と武と、同じクラスのクラスメイトでもある。
「咲夜くん?」
一希が咲夜を見ると、どうしてか、咲夜は敵意に満ちた視線を一希に向け返す。
「星野一希。武田武。貴様らなどが、麗しき城谷様と対等に会話をしているだけでもおかしいと言うのに、あろうことか、口答えをするとは……っ!」
「「麗、しき……」」
アルゲイル魔法学園の噂、【生徒会副会長は、会長を心酔している】が立証された瞬間である。
咲夜の口から飛び出た呪詛の言葉に、一希と武はアザだらけの顔を見合わせた。
一方で、城谷はやれやれと、肩を竦めている。
「その話はもうしたでしょう、咲夜。この二人の力量は十分にあります」
「しかしこいつらは城谷様に迷惑をおかけした。ただでさえ混乱状態にあった学園の中に、新たな火種を蒔き入れたのです!」
「その点については事実ですので、私の口から言うことはありませんが」
味方をしてくれるかと思えば、あっさりと事実を言う城谷である。
そして、ではこうしましょうと、手を合わせる。
「咲夜。この二人とここで魔法戦をしなさい。貴方が勝てばこの二人との話はなかったことにします。二人は魔法学園を退学します。逆に貴方が負ければ――」
「認めましょう。俺たちの仲間として」
咲夜はそう言いながら、三年間同じクラスでもあるクラスメイト二人に、冷酷な視線を向ける。
「二人纏めてかかってこい。それでも俺は勝つが」
「おーおー大した自信やな、咲夜。確かにお前、普段の授業でもそれなりに魔法は出来るようやけどな、こっちには一希がおるんやで? しかも二対一なんか、いてこましたるで」
ニヤリと微笑みながら言う武であったが、一希は血の味が続く息を呑んでいた。
「最初に謝っておくよ。ごめん武……」
「へ?」
隣に立つ信頼できる男からのまさかの謝罪に、意気揚々となっていた武は変な声をだす。
「僕はもう、魔法が満足に発動できない。よってこの戦い、君が頼りだ」
「お、俺が!?」
驚き戸惑う武であったが、一希は前を向いていた。ここで負けて、魔法学園を退学するなんてことは、許されない。何よりも、あの日約束した、友の思いの為にも――。
「大丈夫。僕だって、ここまで来てみすみす退学なんてしたくないし、するわけにいかない。勝つよ、武」
「引導を渡してやる」
体育館の中央にて待ち構える咲夜も、真剣な表情をして、一希と武を見つめていた。
〜体育倉庫にて〜
「アカン、デンバコも取り上げられた」
たけし
「ホンマ寝るしかないんか……」
たけし
「確かに」
かずき
「でも、せっかく体育倉庫に閉じ込められたんだ」
かずき
「なんやせっかくて……」
たけし
「どうせなら出来ること、やらないか?」
かずき
「何する気や?」
たけし
「平均台に跳び箱もある」
かずき
「遊べる」
かずき
「一希、お前……」
たけし
「よっぽど、体育祭、出たかったんやな……」
たけし
「正直、出たかった」
かずき