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「街はどこも剣術士を否定して、アンチポスターや落書きの看板でいっぱいだ」
かずき
どうにか回っていた世界の歯車が完全におかしくなり、平和と秩序はがたがたに崩れさった。
3月の末日。魔法学園で迎える新学期を迎えようとしていたところに飛び込んできたのは、耳を疑うようなニュースであった。
時の国際魔法教会長官、ヴァレエフ・アレクサンドルが殺害された。そして、殺害したのは日本の元魔法生、天瀬誠次。東の魔法学園、ヴィザリウスに通っていた、剣術士、とも呼ばれていた同級生の少年だ。「魔法世界の剣術士を許すな。剣術士を恨め」世界は、剣術士と言う存在を拒絶し、改めて、魔法が使えない彼を否定した。
そして首相、薺紗愛の失踪。
混乱する日本国内をどうにか平定させようと、国際魔法教会は次期長官スカーレット・バーレンツ自身が日本の統治に赴いた。
その初日、朝のハネダ空港に"捕食者"の群れが出現し、スカーレット本人、及びその側近、多数の日本政府高官が喰われた。
その様子は全世界で生中継されることとなり、"捕食者"が朝の世界でも活動できること、そして国際魔法教会長官が相次いで殺害される異常事態が続いた。
現在、立て続けに高官を喪失した日本は無政府状態と言ってもいい。いや、日本のみならず、国際魔法教会の指導者を相次いで失った、世界もまた。
就任当日のスカーレットが捕食された翌日、アルゲイル魔法学園の最高学年、三学年生となった星野一希は、大阪の実家にいた。
テレビは夜通し特番で、就任当日に捕食死したスカーレットと、朝に出現した"捕食者"のニュースで溢れている。
「――そうですか。では本城直正さんは、ご無事なんですね?」
『ええ。不幸中の幸いと言うべきか、魔法執行省大臣を辞任され、あの場にもおりませんでしたからね』
黒いワイシャツに、青いネクタイを締め、テーブルの上に置いた電子タブレットから出力されるホログラム越しに、一希は急いで朝の支度をする。
「朝のニュースでは、大勢の日本政府高官も捕食されたと……」
『おや、不安なのですか?』
ぴた、と一希は、椅子の上に足をのせて、靴下をはく手を止める。
「誰だって、不安だと思います。あんなことがあったのですから、眠れない人だって、いるはずです」
『フフ。そうでしょうね。総理含め、多くの高官を失った日本も今や無政府状態ですから』
当然だろう。今まで出現していなかった朝の時間に、"捕食者"が出現した。無政府状態の日本のみならず、世界は麻痺をしているに違いない。テレビのアナウンサーも顔面蒼白で、それでも仕事として、懸命にありのままを伝えようとしている。それが画面越しにでも分かってしまうから、自ずとこちらも恐怖を覚えるのだろう。
――しかしそれでも、立ち止まるわけにはいかない。自分のすべきことは、決まっている。例え状況が最悪で、地獄のようでも、だ。
「……霧か」
黒い制服に着替えるなどの支度を終え、大阪の街に出た一希は、顔を顰める。
朝霧に霞み、遠くで赤い信号がぼうっと浮かんでいるようだ。
街全体が死んでいるかのように、人の気配もない。
恐らくとも言わず、昨日の事があり、みんな出社拒否や、通学拒否をして、家に閉じ籠っているのだろう。それか或いは――。
すう、と一希は深く息を吸ってから、肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握りながら、隣の家に向かう。幼馴染、雛菊はるかの家であった。
玄関先で待っていると、家のドアが音を立てて開く。
「おはよう、かずくん」
中から顔を出したのは、アルゲイル魔法学園の女性用制服を身につけた、はるか。その奥には、心配そうな表情を向けるはるかの母親の姿があった。
「ありがとうね、かずくん。一緒に学園に付き添ってくれて」
「あんなことがあったんだ。一人では危険だ」
はるかもアルゲイル魔法学園に向かう為に、一希は共に行くことにしていた。こんな状況でも、魔法学園は新学期を迎える。寧ろ、家にいるよりは、"捕食者"に唯一対抗できる魔法を扱える者が多くいる、魔法学園にいた方が安心でもあった。
「お母様も早く、近所のシェルターへ」
はるかが靴をはく傍ら、一希がはるかの母親にそう進言するが、はるかの母親はすでに目元のクマを作っていた。
「どこも一杯よ。それに、お年寄りや子供が優先だわ」
「ではせめて、共に魔法学園に!」
一希が尚も言うが、はるかの母親は首を横に振るう。
「私だけ特別扱いは駄目よ。誰もがみんな怖くて、安全な場所を探し回っているわ。魔法学園なんて、それこそ大勢の人が行っていると思う。そんななかで、私を特別に通したら、みんなが暴動を起こしかねないわ」
聡明な人でもあった看護師のはるかの母親は、そう言って一希とはるかと共に行くことを拒んだ。
「お母さん……」
はるかは、母親の元へ靴をはいた状態で駆け寄って、飛び込むようにする。はるかの母親も、最愛の娘をぎゅっと抱き締めていた。
「大丈夫よはるか……。いつかは覚悟していたことなんだから。少しでも未来に可能性がある、魔法が使える貴女たちこそ、守られるべきなんだわ」
「そんな……っ」
小刻みに震えているはるかの背をじっと見つめていると、突如、けたたましい警報の音が聞こえた。まるで朝の目覚ましのように、まだ夢から醒めてほしくはない瞬間に鳴る、不快感を強く抱くような、五月蝿さだ。
「"捕食者"が出現した合図だ」
市内近くで、"捕食者"の出現が確認されたときに鳴る、危険を知らせる警報。しかしそれが、直接命を守るものであるかと言われれば、"捕食者"相手に対して意味はない。
「急ごう、はるか。早く学園に向かわないと」
「うん……行ってくるよ、お母さん。連絡は取り合おうね」
幼い頃のままであったならば、きっとこの場から動かないままでいた足を懸命に踏ん張らせ、はるかは母親に別れを告げる。
「行ってらっしゃいはるか。一希くん、娘を頼むわ」
「はい。はるかさんは必ず、僕が守ります」
一希も、はるかの母親に深くお辞儀をして、はるかの手をぎゅっと握り、外へと出た。
「"捕食者"だーっ!」
外へと出た途端、スーツ姿の社会人らしき男が、叫びながら逃げ惑う。
けたたましいサイレンが鳴り続ける中、"捕食者"は早朝の市街地に一体、出現していた。
不気味な四足歩行をしながら、獲物と定めた男めがけて、"捕食者"は突進していく。
「やらせない!」
飛び出した一希は、腕を天に掲げて、念じる。浮かび上がるのは、円形に回転する魔法式と呼ばれるものと、祖の周囲を漂う魔法文字と呼ばれる記号のような文字。
それらを頭の中のイメージで組み立てれば、手のひらの先の魔法式は完成する。
組み立てたのは眷属魔法と呼ばれる、魔法の種類の一種だ。使い魔と呼ばれる、お供を使役することが出来る。
魔法文字を魔法式に正しく打ち込めば、完成の知らせであるより一層光輝いた白い魔法式から、二体の妖精が、魔法の粉を巻いて羽ばたいた。
「「ご主人様っ!」」
「ベイラ、ビュグヴィル! レーヴァテインを頼む!」
ベイラとビュグヴィルは、一希の命を受け、空中で更に魔法式を描き、一気に完成に導く。
空中から、霧を裂くようにして魔法式から投下されたのは、自身の身の丈ほどは刃渡りがある長い太刀の形状をした漆黒の魔剣、レーヴァテインだった。
「《プロト》!」
"捕食者"が背中の無数の触手を、男の元目掛けて伸ばしてきたが、それらは全て、はるかが発動した防御魔法によって防がれる。半透明な魔法の障壁が盾となり、触れれば人間の身体などいとも容易く千切る事が出来る力の触手から、男を守ったのである。
「はるか! ありがとう!」
「わ、私だって!」
一希はすぐに、右腕に握ったレーヴァテインに、自身の左手を添える。
「《モルガン》!」
アヴァロン九姉妹の長女、時間停止の能力を司る、モルガンの加護である青い閃光が、一希の手によってレーヴァテインに施され、灰色の視界が青一色に染まっていく。魔法の一種、付加魔法。魔剣に魔法の力を宿すことにより、一希の魔剣レーヴァテインは、強力な力を発揮することが出来るのだ。
ぞうっとする青い世界の中で、男性の悲鳴やはるかの叫び声が遅れて聞こえ、更には、目の前に迫る"捕食者"の咆哮でさえも、遠くから聞こえるようだ。
迫りくる"捕食者"の太い腕を回避し、飲み込まれてしまえば一生抜け出せないブラックホールを思わせるような、歯のない口を開けてくる"捕食者"の突進をも、必要最小限の動きで避ける。
そうすることで生まれた絶好のチャンスに、一希はレーヴァテインを振りかざし、"捕食者"の背中に生えている無数の触手を纏めて切り裂いた。
ぎゃーっ、と言うような、人間の悲鳴のようなものをあげる"捕食者"の無防備となった背に、一希はレーヴァテインをそのまま突き刺した。
その刃が止めとなり、"捕食者"は内部から爆発するように、木っ端微塵となって消滅した。
黒い塵と、青い粒子が霧の中でひらりきらりと舞う中、一希はレーヴァテインを右手に握ったまま、はるかと救った男性の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか、お怪我は?」
「お、お腹を……っ!」
見れば、男性は"捕食者"によって腹部を貫かれてしまっていたのか、スーツの腹部を赤く染めていた。
はるかが真剣な表情でそこを治癒魔法で治療しているが、応急処置程度のものだ。
「はるか、怪我はないかい?」
「私は平気。ありがとうかずくん」
「バトンタッチだ」
「う、うん」
看護師の娘として、出来ることを冷静にしていたはるかは、汗を拭って下がる。
「た、助けてくれ……っ」
「落ち着いてください。今、治しますから」
戦闘を終えた直後の身体の熱はそのままで、一希は左手をレーヴァテインの刃に沿わせて、別の付加魔法を施す。
「《ティーロノエー》!」
琥珀色の光が魔剣に纏わりつき、その剣から放出された魔法の粒子が、男性の傷口を埋め、修復していく。
「これで、大丈夫です」
運動によるものではない、体内魔素を消費した影響で、額に汗を滲ませながらも、一希は男性に優しく微笑みながら言う。
魔法の発動には、魔法世界となって大気中に含まれるようになった魔法元素と、人間の体の中に蓄えられている魔素と呼ばれる物質を合成して発動している。
魔剣への付加魔法は、強力な分、それ相応の膨大な量の魔力――魔素と魔法元素の合計のようなもの――を消費するため、一希の魔素は著しく減少した。魔術師にとって魔素とは、血液と同じほど体の構成には大切なものだ。一般的には適度な睡眠で自然回復されるとされているそれを、半分以上でも使ってしまえば身体は魔素切れを起こし、辛い倦怠感や激しい動悸、最悪の場合は死に至ってしまうまである。
(やはり、付加魔法は消費する魔素の量が桁違いだ。連発は出来ない)
そうしてまで目の前の一つの命を救った一希であったが、その男性から返ってきたのは感謝の言葉ではなく、心ない言葉であった。
「あんたら、魔法学園の魔法生なんだろ……?」
最初の一言から、感謝の言葉ではなく、訝しげなもの。おおよそその時点で、友好的ではない口調であると感じた一希は「そうです」と返答する。
「早いところ"捕食者"を倒してくれよ……。お前らがいつまでも遊び呆けているから、"捕食者"なんかがまだいるんだろ!?」
「た、助けたのにそんな言い方は……!」
はるかが至極当然と思えるような事を聞き返すが、男性は取り合わなかった。
「勝手に助けたのはお前らだ! だから俺は、そもそもお前らが"捕食者"を倒してりゃ、こんなことにはならなかったんだって言ってるんだ!」
「で、でも……」
尚もなにかを言おうとするはるかであったが、一希がはるかの肩を掴んで優しく引き、男性の前に立つ。
「僕たちはこれで。失礼しました」
しかし、軽い会釈と共に踵を返そうとする一希の右手に握られている魔剣を見つめて、男性は恨みがましく怒鳴る。
「お前、剣を持っているってことは……剣術士、ってやつなのか……!?」
ぴたり、と一希が立ち止まる。
心配気に一希の背を見つめていたはるかの視線の先で、一希は微かに、俯いていた。
「そうだと言ったら、なんでしょうか?」
「なんでしょうか、じゃねえ! お前みたいなやつが国際魔法教会の一番偉い人間、ヴァレエフって奴を殺したから、この世界はきっとおかしくなっちまったんだっ! どうにかしろよっ! 責任とれよっ!」
怒り狂い、次々と大きな声でそう捲し立てる男に、一希は背を向けたまま、ゆっくりと顔をあげる。
「剣術士は、今まで多くのものを守ってきた。魔術師と、同じだ。変わらない」
「はあ!?」
前を向く一希の言葉に、男性は首を傾げる。
「お時間をとってしまって申し訳ありませんでした。ここも"捕食者"が出た以上危険ですから、早く安全なところへ」
「安全なところって……一体どこへ行けばいいんだよ!?」
アルゲイル魔法学園――。そう伝えかけたところで、一希は口を噤んだ。
はるかの母親も、安全とは言えなくなった家に残る選択をした。シェルターはすでに満杯状態。
全ての人を救うのは、不可能である。それを身に染みて分かっている一希は、何も言うことができなかった。
「それは……わかりません。どうか、ご無事で」
今は、そう声をかけることしか出来ずに、一希は最後まで振り向かずに、歩きだす。
霧はかかったまま、昨日から、分厚い雲り空が続いている。
やや遅れてはるかの足音が近づいてくる中、一希はそっと、天を見上げた。
(君だったら……また、無理をしてでも、全てを守ろうとするのかい……?)
ぼんやりとそう思ったところで、返事はない。
霧は未だ濃く、天は、見ることは出来なかった。
〜ヴィザクラ復活のお知らせ〜
「どうするべきか迷っていたけど、取りあえず復活させたいと思う」
かずき
「彼の代わりを務めるのは難しいし、二番煎じかもしれないけれど、なにかあれば書き込んで欲しい」
かずき
「また賑やかになってくれると嬉しい。きっと、彼もそれを望んでくれると信じているから」
かずき