第4話
悪魔が取りついた女の子を前に、ルルティーナは呪文を唱え始めた。
自分の体に宿る聖なる力を呪文の言葉にのせ、悪魔をぐるぐると言葉で縛っていく。悪魔はその呪文が自分を弱らせるものだと気付くと、もがくように左右に揺れだした。
(私の呪文、ちゃんと効いてる!)
こんなに濃い闇色の悪魔を相手に新人の呪文なんて効くだろうかと少し心配していたのだけど、大丈夫そうだ。ルルティーナは自信を持って呪文を唱え続ける。
けれど。
呪文を唱え終わり、いざ聖なる力を叩き込もうと手のひらをかざした瞬間、あることに気付いた。
――悪魔が、思ったほど弱っていない。
さっと血の気が引く。
この状態で聖なる力を叩き込むと、悪魔は女の子を道連れにしてしまうだろう。運が悪ければ、女の子の精神が壊れてしまう。
一瞬の躊躇が、悪魔に見抜かれた。
シュッ。
黒い影がルルティーナに向かって鋭く伸びてくる。
「きゃあ!」
ルルティーナは叫び、身構えた。それから思い出してしまう。
悪魔を祓えなかった場合、どうなるのかを。
悪魔に取りつかれた人間は、まず自我を失う。ぼんやりとしていたかと思うと急に暴れ、自らの体を傷つける。そうして衰弱していき、やがては命を落としてしまう。
もちろん、退魔師自身も危険にさらされる。大きな怪我をすることだって珍しくはない。
いつも完璧に悪魔を祓う先輩が傍にいてくれたから、すっかり忘れてしまっていたけれど。人の命を守るため、ルルティーナもちゃんと悪魔を祓えるようにならなくてはいけないのだ。
「ルルティーナ!」
先輩の声が驚くほど近くで聞こえた。先輩は悪魔からの攻撃を避けるため、ルルティーナを抱きかかえて強引に横へ飛ぶ。
悪魔の影が、先ほどまでルルティーナが立っていた場所を強く打った。
「せ、先輩……」
「もう一度、できるな?」
先輩の紅い瞳は、まっすぐにルルティーナを見つめている。ルルティーナは弱音をぐっと抑え込むと、こくりと頷いた。
(ここで諦めたら、私のせいで先輩にペナルティが課せられちゃう。そんなの、絶対に嫌!)
退魔師の制服をひらりと翻して、ルルティーナは改めて悪魔と対峙した。
今度こそ、祓う。祓ってみせる。
強い視線を悪魔に向け、再度呪文を唱え始めた。
今度はありったけの聖なる力を呪文にのせていく。もう出し惜しみなんてしている場合ではない。
ぴくりと悪魔が反応し、先ほどの比ではないくらいに暴れだした。
ビリ、ビリ、と部屋の中の空気が乱れて、ぶわりと風が巻き起こる。
(私は退魔師――人の命を守る者なんだから! 絶対に諦めない!)
呪文が終わる。悪魔の闇色がすうっと薄れた。
悪魔を呪文で弱らせる。
その三秒後――いち、に、さん!
ルルティーナの手のひらが、カッと熱くなる。
「ここで、聖なる力を叩き込むっ!」
全力全開。ありったけの聖なる力を、力のかぎり放出する。
その瞬間――全てが白に埋め尽くされた。
がたごと。がたごと。
継続的に続く小さな揺れを感じ、ルルティーナは目を覚ました。
ぼんやりとした視界に映るのは、馬車の天井だ。
「……え?」
ぱちぱちと目を瞬かせると、先輩が上からルルティーナの顔を覗き込んできた。
「やっと起きたか」
「先輩、あの、私っ」
ガツッ。
慌てて起き上がった拍子に、先輩の顔面に頭突きしてしまった。
二人して、しばし痛みに悶絶する。
「あんたたち、何やってるのよ」
その様子を眺めながら、しろひよこが呆れた声を出した。ため息をつきながら毛づくろいを始めようとするしろひよこを、ルルティーナは勢いよく掴む。
「しろひよこさん! 悪魔はどうなったんですか! あの女の子は無事なんですか!」
「ふぎゅっ! ちょっとルルティーナ、あたしを握り潰そうとしないでくれるっ?」
「あああ、ごめんなさい、つい!」
ルルティーナが手を離すと、しろひよこは安心したようにふうと息を吐いた。彼女は小さな羽でもふもふの毛並みを整えながら、ルルティーナに事の顛末を教えてくれる。
「安心しなさい、女の子は無事よ。あんたは一人でちゃんと悪魔を祓ったの。まあ、聖なる力を使いすぎて倒れたのは予想外だったけど……大成功よ、ルルティーナ。これで本部送りにされなくてすむわね」
どうやらルルティーナの悪魔祓いは成功し、今は馬車で教会に帰っている道中のようだ。
しろひよこがルルティーナの肩に乗ってきて、ぽふぽふと跳ねる。彼女なりにルルティーナの健闘を称えてくれているらしい。
ちらりと先輩の方に視線を向けてみると、先輩も頷いてくれた。
「よく頑張ったな、ルルティーナ」
「先輩……」
じわじわと頬が熱くなる。
女の子は無事だった。ルルティーナはあの子の命を守ることができたのだ。
それに、これでもう本部送りにはされないから、先輩とずっと一緒にいられる。
先輩もペナルティを受けなくてよくなった。
(よ、よかったあ! 本当に、よかった……)
嬉しくて嬉しくてじわりと瞳を潤ませていると、先輩が「そうだ」と言って胸ポケットから小さな包みを取りだした。
「悪魔祓いの後に三十分も気を失っていたなんて、まだまだだけどな。でも、成功は成功だから、ごほうびをやる」
ルルティーナの手に、ぽんとその小さな包みが乗せられる。それは、キラキラとした包装紙に金のリボンが巻かれた可愛らしい包みだった。
「せ、先輩! これ、もしかして……」
「そう、クリスマスプレゼントだ」