第3話
朝食の後、ルルティーナは一人で訓練室に行き、先輩としろひよこに教えてもらったことを改めておさらいした。
悪魔を呪文で弱らせる。
その三秒後――いち、に、さん。
ここで、聖なる力を叩き込む!
しゅっと勢いよく手のひらから白い光が飛んでいく。それは、訓練室に設置してある悪魔を模した的に当たった瞬間、パンと弾けてキラキラと舞い散った。
「完璧、です!」
これなら今夜もきっと上手くやれる。
ほっと息を吐いて胸を撫で下ろした、その時。
訓練室のすぐそばの廊下から、人の声が聞こえてきた。
「そういえば、やっとあの落ちこぼれのルルティーナに仕事を回すらしいわね。セドリックが聖夜に簡単な仕事をよこせっていうから、何かおかしいと思ったのよ」
「簡単な仕事を回しても、ルルティーナはどうせ失敗するだろうな。そうしたら、あの子は本部送りか。まあ、この教会から足を引っぱる奴がいなくなれば、みんな喜ぶだろうよ」
この教会に住む、他の退魔師たちの声だった。
そう、ルルティーナは半年前にこの教会に配属されたのだけど、とんでもない落ちこぼれであるがゆえに、みんなから疎まれていた。
あまりの出来の悪さに、誰もルルティーナの新人指導をしようとしてくれなかったくらいだ。
けれど、先輩だけは違った。
この教会で一番優秀な悪魔祓いの鬼才である先輩だけは、ルルティーナにまっすぐ向き合ってくれた。
心細くて泣いていたルルティーナの手を、先輩が取ってくれたあの時。
どうしようもなく嬉しくて、幸せな気持ちになった。
(だから、私は先輩が好きなの)
そんなことを考えているルルティーナの耳に、さらに廊下からの声が聞こえてきた。
「でも、あの子が本部送りになったら、セドリックも新人指導を失敗したペナルティを受けるんでしょ?」
「そうそう、過疎地域の教会に飛ばされるらしいな。あいつの華々しい経歴に傷がつくってわけだ。それはそれで面白いんじゃないか? あいつも才能があるからって調子に乗ってるところがあるし」
(……え? 先輩に、ペナルティ?)
初めて聞く事実に、ルルティーナは震えあがった。
そんなこと、先輩は一言も言ってなかった。
どうして。なぜ。
でも、すぐに理由を察した。優しいあの先輩は、きっとルルティーナを必要以上に追い込みたくなかったのだ。もし失敗したとしても、ルルティーナが心の重荷を感じずにすむようにと配慮してくれたのだ。
先輩は、そういう人だ。
ルルティーナの胸が、きゅうと締め付けられる。
(先輩……やっぱり、優しすぎです)
ルルティーナは瞳を潤ませながら、胸にそっと手を当てた。
やがて日は沈み、空が朱から藍へと移り変わる時間になった。
運命の聖夜。
ルルティーナに与えられた仕事は、五歳の女の子に取りついた悪魔を祓うことだった。
その女の子がいるという家まで、馬車を走らせる。
馬車にはルルティーナだけでなく、先輩としろひよこも同乗していた。けれど、どちらの表情も固く、体からは暗いオーラを放っている。
「簡単な仕事を回せって言ったのに、あいつら……」
「新人には難しい案件を回してきたわね。簡単な仕事は自分たちの成績を上げるために、横取りしたんでしょうよ」
「本当、うちの教会の奴らときたら」
先輩は片手で額を押さえるようにしながら、うつむいた。がたごとと揺れる馬車の中が、一気に重い空気に包まれる。
ルルティーナはその空気を少しでも和らげたくて、わざと明るい声を出した。
「少しくらい難しくても大丈夫です! 私、たくさん訓練しましたから!」
「……五十パーセント」
「え?」
「お前が、この仕事を成功させられる確率。たぶん、五十パーセントくらいだ」
先輩はうつむいたまま、暗い声で言う。その後に続いて、しろひよこがぷっくりと膨れながら告げた。
「聖夜で悪魔が弱っていることも考慮した上での確率よ。もちろん、今のルルティーナの状態も判断材料にしているわ」
ルルティーナは息を呑んだ。
五十パーセント。
新人のルルティーナには、すごく重く感じる数値だった。
そんな話をしているうちに、どうやら女の子の家に辿り着いたらしい。
馬車が止まり、御者が馬車の扉を開ける。
ひゅうと冷たい夜の空気が頬に触れ、ルルティーナはふるりと小さく震えた。
けれど、しっかりと前を向き、馬車から降りる。
紫色の退魔師の制服を整え、深呼吸をひとつ。
大丈夫、五十パーセントもあるのだから、希望はある。
そんな風に自分に言い聞かせて、ぐっと拳を握った。
白い壁の小さな家の玄関には、淡いオレンジ色の明かりが灯されている。扉を叩くと、中から女の子の両親が顔を出した。
「退魔師さま、お待ちしておりました。どうか、うちの娘を助けてやってください」
ルルティーナはこくりと頷くと、女の子がいるという部屋に案内してもらった。その後に先輩としろひよこが続く。
薄暗くひんやりとした部屋。くすんだピンクのカーテンに、小さな子ども用のベッド。
ベッドのそばには幼い女の子が佇んでいる。
その女の子の背後に、真っ黒な影がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「悪魔……」
かなり濃い闇の色をしているところを見ると、状態は決して良くはなさそうだ。
ルルティーナはごくりと喉を鳴らす。
緊張で、指先が冷える。
呼吸が、浅くなる。
でも、やるしかない。
ルルティーナは退魔師らしく姿勢を正し、女の子の両親に声をかけた。
「大丈夫です。娘さんの悪魔は、私が絶対に祓います」
両親は揃って、ありがとうございます、お願いします、と頭を下げた。その姿を見て、ルルティーナはさらに気合いを入れる。
(私のためだけじゃなく、この場にいるみんなのために。絶対、絶対、頑張るんだから!)