第1話
遠い遠い昔のこと。
一人の聖女さまが、異界からこの世界に降り立ちました。
黒い髪、黒い瞳を持つ、神秘的な聖女さま。
その身に宿す聖なる力は誰よりも大きいものでした。
「この聖なる力で、悪魔を祓ってあげましょう」
聖女さまはそう言って、この世界にはびこる悪魔を次々と祓っていきました。
そうして、世界に平和をもたらしたのです。
強くて優しい聖女さまは自分がいなくなった後のことも考えて、この世界の人々に悪魔を祓う術を教えてくれました。
「これでもう悪魔に怯えることはありませんよ」
聖女さまの術を使って悪魔を祓うことができる人間は、いつしか退魔師と呼ばれ、尊ばれるようになりました。
そう、聖女さまは退魔師を通して、今もこの世界を守ってくれているのです――。
*
そんな聖女さまの伝説に憧れて退魔師になったルルティーナは、今、大ピンチを迎えていた。
「え……ちょっと待ってください。もう一回言ってもらっていいですか」
「だから、次に悪魔祓いに失敗したら、お前は本部送りになるんだよ」
「えええー!」
神聖な教会に、ルルティーナの悲痛な叫びが響き渡る。あわあわと涙目になりながら、ルルティーナは目の前にいる先輩にすがりついた。
「本部って、すごく厳しい修行をするところですよね? 嫌です……私、そんなところへ行きたくありません! 先輩、助けてください!」
「うわ、急に抱き着いてくるなよ! 落ち着け!」
先輩はルルティーナを引きはがすと、はあとため息をつきながら襟元を整えた。それから、ルルティーナの肩をがしっと掴み、じっと目を合わせて真剣な声で言う。
「いいか、ルルティーナ。本部送りにされたくなければ、次の悪魔祓いは絶対に成功させろ。俺もできるかぎり協力してやるから」
「……はい」
素直に頷いたルルティーナの頭を、先輩がぽんぽんと撫でてくれた。
その優しさが嬉しくて、ルルティーナはつい頬を熱くしてしまう。
(先輩、優しい。大好き。……うん、やっぱり本部になんて絶対行きたくない。先輩と離れ離れになりたくないもの!)
そんなわけで、落ちこぼれのルルティーナは、先輩にいろいろと指導してもらうことになったのだった。
ここはヘメロカリス王国、最北端の街ステラデオロ。
悪魔が比較的多いとされる場所だ。
この世界の悪魔は、黒っぽい影のような形をしていて、人や物に取りついて悪いことをする。悪魔に取りつかれた人間は、最悪命を落とすこともあるという。
そんな悪魔から街を守るため、数年前に優秀な退魔師を集めた施設――ルルティーナが住むこの退魔師教会――が作られた。ここでは十人ほどの退魔師たちが共同生活を送っている。
「さて、この退魔師教会にいる退魔師は、王国の中でも比較的優秀な者が集まると有名なんだが……」
先輩はそう言いつつ、ルルティーナを半眼で見た。ルルティーナはむむむと口を尖らせて、言い訳をする。
「わ、私はまだ新人ですから! これから優秀になるんです!」
「あー、はいはい」
先輩は適当に相槌を打つと、さっさと次の話題――悪魔祓いについての話に移ってしまう。
「一般的な悪魔祓いの成功率は、悪魔に取りつかれてからどれくらい時間が経ったかによって変わる。初期段階なら簡単に祓えるから九十パーセント、末期だと四十パーセントくらいだな。だから、悪魔祓いを成功させたいなら、できるだけ早く悪魔に取りつかれた人間を見つけた方がいい」
「はい。……でも、先輩は百パーセント成功させてますよね」
そう、ルルティーナの先輩であるセドリックは、悪魔祓いの鬼才だ。優秀な退魔師が集まるというこの教会の中でも、ひとり飛び抜けている別格の人なのだ。まだ二十歳だというのに、既にトップクラスの立場にいる。
しかもこの先輩、見目も良い。黒い髪は聖女さまと同じで神聖な感じがするし、紅い瞳も宝石みたいですごく綺麗だ。紫をベースにした退魔師の制服もよく似合っている。
それに比べて、ルルティーナはというと。
毛先がくるんとした金の髪はリボンで巻いておかないと暴れるし、翠の瞳はまん丸すぎて子どもっぽく見える。退魔師としては落ちこぼれで、悪魔を一人で祓えたことがない。もう18歳で立派な大人なはずなのだけど、まだまだいろんな面で未熟だ。
「私も先輩みたいにすごい退魔師になりたいです!」
「そう思うなら、次は絶対に悪魔祓いを成功させろよ」
先輩の呆れたような視線から逃げるように、ルルティーナは目を逸らした。
「私だって、失敗したくてしているわけじゃないんですよ……」
しょんぼりと肩を落とすと、先輩は少し考え込むような顔をして腕組みをした。
「お前が上手く悪魔祓いができないのは、気持ちの問題だろ。聖なる力も充分あるし、悪魔祓いの手順も完璧に覚えているんだから……あ、そうだ」
言いながら良い考えが浮かんだようで、先輩はにやりと口の端を引き上げた。
「一年のうちで、悪魔の力が最も弱くなるのはいつだ?」
「え? 聖夜に決まってるじゃないですか」
「そう、聖夜……聖女さまの国ではクリスマスと呼ばれている日の前夜だな。じゃあ、その聖夜まで、あと何日だ?」
「えっと、あと五日ですね」
指折り数えて答えると、先輩はうんとひとつ頷いた。
「その日にお前が一人で悪魔祓いができるように、簡単な仕事を回してやる。聖夜で悪魔が弱っている分、成功率も上がるはずだ。……で、ちゃんと成功したら、ごほうびをやる」
「ごほうび?」
「ああ。クリスマスプレゼントをやるよ」
先輩の言葉に、ルルティーナはぱあっと顔を輝かせた。
「本当に? 本当に先輩がプレゼントをくれるんですか?」
「お前が一人で悪魔祓いできたら、な」
「ぜ、絶対成功させます! 私、頑張ります!」
大好きな先輩から、プレゼントをもらえるチャンス。
ルルティーナは拳をぎゅっと握って、気合いを入れた。
「先輩! 私、さっそく悪魔祓いの訓練をしたいです! 付き合ってもらえませんか?」