2-伍話
桜が現場に着いたのは黄昏時を過ぎ、夜目が効き始めたころだ。
妖気の反応は、旧時代の建物が残る開けた場所からだった。
周りに木がなくなり、月明かりがぼんやりと辺りを照らす。
その心許ない明かりの中でも、反応の元はしっかりと見えた。
囮の人形を確認すると桜はヒトガタを飛ばし結界を張り、ついでに邪魔な人形も破壊しておく。
結界内に生体反応がいくつかあるが、現人類のものはひとつだけだ。他は動物のものだろう。
「よう」
反応の主を確認する前に、向こうから名乗り出てきた。
日向雅は堂々と正面へ姿を見せた。
桜と目が合う。
「そっちから誘ってくるなんてどんな罠かと思ったが、良い度胸じゃねえか」
この暗さの中でも輝く鋭い眼光。
「ああ、今度こそお前を止めてみせるさ」
そう告げた日向雅の視界にポップアップが出る。
『圧縮されたファイルを展開しますか』
夢の中で因子が言った通りのシステムメッセージだ。
日向雅は展開を許可する。
一瞬のロードの後、全身を鳥肌が走るような感覚がした。
そして、月夜には目立つほどの眩い光が頭の先から抹消へ駆け抜けていった。
感じたのは、身体の底から力がみなぎるような感覚だ。
どうやら、リミッターの解除には成功したらしい。
「これは……すごいな」
モニタ画面に出された数値を確認して、雛子はそう漏らした。
日向雅が謎のファイルを展開した瞬間、フィジカルを現す数値が異常な跳ね上がり方をした。
機械脳の演算速度が跳ね上がり、全身へ一瞬で伝達したのだ。
それは機械組織だけでなく、生体細胞の一つ一つへも働きかけている。
「ヒナ姉、どうなってるの?」
横で見ていた綾が肩を叩く。
「今ヒュウガは皮膚硬化、下肢筋力上昇、筋緊張緩和……つまり柔軟性も上がっている状態だ」
言いながら雛子は背筋を冷たいものが通るのを感じた。
これほどまでに人体に影響を出す因子とは、一体何なのだろうか。
それに頼り、影響は出ないのだろうか。
「大丈夫、なんだよね?」
そう聞いてくる綾に、明確に答えを提示することはできなかった。
「……ともかく、無事で戻ってこいよ、ヒュウガ」
自然と、握る手に力が入った。
桜は「四神陣」の術式を開く。
「今度はすぐにカタ付けてやるよ」
「やってみろ」
妙に自信のあるその態度に違和感を覚えたが、陣の展開が終わる。
先日の戦闘では決め手になったこの「四神陣」という術。その日の凶方へ歩を進めたものを捕縛するというものだ。今日の凶方は南南西。丁度日向雅から見て桜の方向だった。
あとは向こうが殴りこんでくるのを待つだけ。
「来いよ、最初の一発はくれてやる」
桜が挑発すると、日向雅は「良い度胸だ」と煽り返す。
日向雅が走るモーションに入ったところで桜は勝利を確信し「はあッ!」「!?」肩に衝撃と痛みが走る。
どういう訳か日向雅はまっすぐ間合いを詰めて肩を殴って来たのだ。
衝撃に後ろへ仰け反る。
「しまっ」
桜は凶方へ動いてしまった。
瞬時に体の自由は奪われ崩れ落ちる。
そう、四神陣は術者すら蝕む諸刃の剣なのだ。
「くっ」
反射的に結界を解き、術を強制シャットダウンする。
自由を取り戻した桜は後ろへ跳び、状況を整理する。
日向雅はまっすぐ凶方へ向かってきた。
桜が捕縛された以上、術の不具合ではない。
「てめえ……何か細工しやがったな」
「さあな」
「上等だ、結界になんか頼らなくてもテメェくらい一瞬でやってやるよ」
桜は、懐から数枚の呪符を取り出した。
「来いよ、今度は巫女の邪魔も入れさせねえ」
日向雅がまっすぐ殴りに行くと、桜は虚を突かれたような顔で一瞬沈み、すぐに後ろへ跳んだ。
「てめえ……何か細工しやがったな」
その台詞から察するに、すでに「四神陣」は試したのだろう。
そして雛子のワクチンプログラムは正常に作用しているようだ。
雛子もモニタ越しに安堵していることだろう。
「さあな」
「上等だ、結界になんか頼らなくてもお前程度一瞬でやってやるよ」
日向雅も戦闘態勢に入る。
「来いよ、今度は巫女の邪魔の入れさせねえ」
巫女というのは恐らく、アマテラスの事であろう。
「ああ、手は出さないように伝えてある」
「上等っ!」
叫ぶと同時に札を投げる。
日向雅も走り出す。
「術式……っ!?」
桜が術を唱える前に日向雅は間合いを詰める。
想像以上に速い。
日向雅としても予想外で、攻撃態勢に移る前に間合いが詰まってしまった。
しかし、この速度があれば。
日向雅は右手に集中する。
一瞬の脱力の後、一気に力を入れる。
全身を駆け巡り右拳に集約するエネルギー。
速い。間に合う。
「身断一閃!」
「式展開!防!」
日向雅が拳を叩きつけたのは、瞬間的に集まったヒトガタの盾だった。
「ンぐっ……!」
だが衝撃に耐えきれずに桜は吹っ飛ぶ。
深呼吸。
攻撃の余韻も少ない。
「これなら……いける!」
桜は大木に背中からぶつかって転がる。
なんだ、あの力は。
昨日の今日で何があった。
国津神や巫女が何か細工をしているのだろうか。
「……わからねえ」
そんなこと、過去に例がない。
「わからないなら、全力で出るまでだ!」
桜は試作段階であった「それ」を懐から取り出した。
「うるああああああ!」
桜の声。
飛んで行った方向から走って向かってくるのが分かった。
日向雅は構えを取り、攻撃に備える。
なにせ奥の方は暗すぎてよく見えない。
月明りの下に出た桜は、何かを振りかぶっていた。
「出ろ!式神カプセルッ!」
何かを投げる。
それは地面に付くや否や発光し、何かの形へと変わった。
その何かは一瞬の後、日向雅の眼前に居た。
「っ!?」
日向雅は横に転がる。
受け身を取り、攻撃してきた「何か」の方を見る。
それは鋭い目で日向雅を補足し続けていた。
月明りが照らした姿は、二足歩行の大きな猫だった。
「猫又か!」
大国主は茂みの中から桜が繰り出したものを見る。
「式神カプセル、と言っていましたね。つまりあのカプセルには、使役化した因子が入っていて、それを具現化する技術をもって召喚しているという事でしょう」
横でアマテラスも考察する。
「現代の陰陽師も、それだけの力を持っているとは……」
「しかしあのカプセル、未完成のようですよ」
「え?」
アマテラスは、じっくりと式神の猫又を観察する。
「あの猫又、妖気の消耗が激しすぎます。具現化の技術はまだ大成してないのでしょう。妖気を使い果たせば、もとのカプセルへ戻るのではないでしょうか」
「なるほど……」
つまり、それまで日向雅が耐えられれば勝機はあるという事だ。
状況を見る限り、桜は劣勢を感じて式神を出してきたのだろう。
それほどまでに、日向雅の動きは凄まじかった。
「あれほどまでの力を引き出せる因子……日向雅の中に居るのは、いったい何者なのだ」
「……いずれ分かることです。今は、彼の成長を見守りましょう」
アマテラスの勧めに大国主は「はい」と返し、一度疑問に蓋をすることとした。
でっかい猫だ。
それ以外に表現する方法が見つからない。
その猫は現在、日向雅へ向けて威嚇の声をあげている。
息は荒く、殺気もある。
あの鋭い爪で引っ掛かれたらひとたまりも無いだろう。
そして敵の頭数が増えたという事は。
「うおっ……!」
陰から光弾が降り注ぐのに気づく前に日向雅は後ろへ飛んでいた。
つまり、死角から攻撃されることが可能になったという事だ。
「……とにかく、目の前の相手からだな」
絶対回避がある以上、日向雅が集中すべきは攻撃だ。
猫の方へ視線を向けると、シャーと声を上げてこちらへ突進してくるところだった。
「丁度いい……」
日向雅は迎撃態勢に入る。
全身の力を抜き、拳へ集中を高めていく。
猫が間合いへ入るまであと二歩、一歩、今だ。
「ふっ……!?」
技を出す寸前、視界が回った。
何が起きたかわからなかったが、見ると地面から煙が上がっている。
桜本体からの攻撃だ。それを日向雅は躱していたのだ。
「くっそっ!」
交わした姿勢からでは反撃が間に合わない。
日向雅は猫が飛び掛かってきたのを横に受け流す。
「ならっ!」
日向雅は桜が潜んでいるであろう方向に走りだす。
桜が飛び道具を使うのに対して、猫がでかいだけのただの猫であるならば、桜本体を叩いた方が邪魔は入りにくい。
「キシャーッ!」
「っ!?」
甘かった。
日向雅の目の前に突如猫が現れる。
先回りされたのだ。
幾ら底上げされていても、フィジカルで猫には敵わないということか。
それにどうやらこの猫、主人である桜を守るように動くらしい。
日向雅は猫の引っ掻きを躱し距離をとる。
「……ん?」
そこで気づいた。
猫の動きが鈍くなっている。
消耗しているのだろうか。
「フーッ、フーッ」
心なしか息も上がっているようだ。
どういうことか考えていると、猫は正面から日向雅へ突っ込んできた。
「……見える」
最初見えなかった攻撃が、今は見える。
これは、ひょっとしたら。
式神の妖気が目に見えて減っている。
「クソッ、やっぱりまだ駄目か」
桜は茂みに身を隠しながら唇を噛む。
様子を見るに、相手も猫又の様子がおかしいのに気づいているようだ。
先程から反撃しようとせず、回避に徹している。
「……しょうがねえ」
桜は猫又に指示を飛ばし、場所を移動する。
猫又は攻撃しつつ、少しずつ相手の位置を桜の場所へ近づけてもらう。
「間合いに入ったら……不意打ちで叩く!」
桜は呪符を構え、その時を待つ。
一歩、また一歩。
少しずつ相手が近づいてくる。
日向雅は猫又の攻撃を避けるのに集中して、桜の方には気づいていないようだ。
そして、遂に、その後ろ脚が間合いの中へ入った。
「今だッ!」
桜は呪符に術を込め、茂みから飛び出した。
「食らえーッ!」
振りかぶったとき、目が合った。
「待ってたぜ……ッ!」
「な、っ!?」
刹那、防御を取る時間もなく、右脇腹に鈍痛。
そのまま横に飛び猫又へ衝突、二人とも吹っ飛んだ。
日向雅は時を待っていた。
猫の攻撃は避ける限り当たらない。
桜は、日向雅が反撃の素振りを見せない限り撃ってこない。
猫の消耗には、桜の気付いている筈だ。
ならば、しびれを切らせて飛び出してくるのは必至。
日向雅はそれに備え、渾身の一撃をいつでも撃てるよう、回避の中で身断一閃の準備をしていた。
全身に意識を張り巡らせ、猫の攻撃を目視し、猫以外で回避動作を取ろうとする瞬間を見極めた。
「待ってたぜ……ッ!」
それが功を奏し、見事桜に一撃入れたのだ。
衝撃の余波を浴びた猫は、妖気を使い果たしたためか光の塊になって元のカプセルの形へ戻った。
その横で桜は脇腹を抑え、何が起こったのか必死に理解しようとしている。
日向雅は構えを解いた。
茂みの中でアマテラスと大国主は大きく息を吐いた。
「なんとか、終わったようだ……」
「ええ、そうですね。何事もなく、良かったです」
大国主がどこか嬉しそうに愛弟子を見る様子に、アマテラスは微笑む。
「やはり、強い子ですね」
「ええ、少々末恐ろしくもありますが」
「……日向雅の因子、ですか」
「はい、たった一週間やそこらの鍛錬であれほどの力が出せる因子です。一体何者なのか」
この先長く訓練を続ければ仕舞いには、あのアマノウズメを打ち破ったほどの力を発現できるとでも言うのだろうか。
「能力から推察しにくいのが厄介ですね。でも、だからこその我々ですから」
「……そうですね」
「ええ、この先もしっかりと、彼を導いてあげなければいけませんね。さて、戦闘は終わったことですし、私たちも……!」
アマテラスの声が急に途切れる。
直後、膝が折れて倒れこんだ。
「アマテラス殿、どうされた!」
「……へ?」
大国主が慌てて支えたころには、すっかり髪の色が黒に戻り、ニイナが目を見開いていた。
「天子様……?」
「え、あれ……お母さん……?」
ニイナは何が起こったのか分からない様子だ。
大国主は周辺で警備にあたっていた配下の神たちにコンタクトを取る。
「……気配がない」
出雲の社や高天原とも交信を試みたが、どれも応答がない。
そこではじめて気づいたことがある。
「結界!」
いつの間にか一帯を新たな結界が覆っている。
どうやらこれのせいで外部と遮断され、アマテラスもニイナの身体から追い出されてしまったようだ。
「天津神を追い出すほどの強い結界、だと……」
大国主は嫌な胸騒ぎがした。
「日向雅……」
ニイナを抱え、刮目して動向を見守る。
「桜、ここまでにしよう」
「……は?何言ってんだ、お前」
桜はまだ立ち上がろうとする。だが、力が入らない。
「もういい、お前は負けたんだ。これ以上やる必要はないだろう」
「ふざけんな!これは殺し合いだぞ!どっちかが死ぬまで続けるものだ!」
桜が叫ぶ。対し日向雅は静かに返す。
「だがお前はそれを望んでいないだろ」
「何を根拠にそんなこと……!」
その時、桜は気づいたようだ。ハッとした顔で自分の顔を拭う。
「お前は安心して泣いているんだ。俺を殺さずに済むことを」
「違う!そうじゃない!そうじゃ……ないッ!」
桜は地面を何度もたたく。自身の業を確かめるように。
「私はッ!やらなくちゃいけないんだッ!因子持ち達を犠牲にしてでも!」
桜が立ち上がろうと足に力を入れる。
震えて上手く立てていないが、日向雅は黙ってその様子を見守る。
「この任務を終わらせて……里に帰るんだ!兄さんと!」
「兄さん……?」
日向雅が聞き返そうとしたとき、何者かが上空から現れ桜の側へ着地した。
桜とよく似た装束を着たその男がフードを取る。歳は日向雅より少し上といったところか。
まさか、この男が。
「兄、さん?」
桜がそう口にした。
兄、兄だと。
この冷たい目をした男が、か。
「兄さん、ごめん……またしくじった」
桜は震える足に必死に力を入れ、兄・明久の裾を掴んで膝立ちまで上がる。
「ごめんね……でも、必ず、仕留めるから……」
「いや、桜、もういい」
明久がしゃがみ込み、桜と目線を合わせる。
「兄さん……」
「もういい、お前は……」
「弱すぎた」
「……え?」
何が起こった。
日向雅からははっきりとは見えなかったが、すぐにわかった。
ジワリ、ジワリと、桜の白い装束の背面が赤く染まっていく。
「にい……どうし……」
「十分チャンスはやった。これ以上役に立たないものはいらない」
「に……」
明久は立ち上がると、縋り付こうとする桜を蹴り飛ばした。その手には、血に濡れた短刀のようなもの。
それを見た日向雅は、絶句して凍り付いた喉を必死に動かす。
「お……大国主ーッ!」
すぐに茂みから大国主が飛び出してきて、桜を抱えて後ろへ飛んだ。
「大丈夫だ、気を失っているがまだ息はある」
大国主が止血作業へ入るのを見てから、日向雅は正面を向き直る。
「……申し遅れた。俺は星倉家当主、星倉明久だ」
「明久……星倉明久!テメエ、今何をしたか分かってるのか!」
日向雅が叫ぶと、明久は自身の血塗れの手を見つめた。
「あれは、出来の悪い妹だった。陰陽力が強いという理由で父は養子に迎えたが、俺の命令ひとつ遂行できない役立たずだ」
日向雅はそれを聞いて、一つ合点がいく。
「因子狩りをさせていたのは、お前か……!」
日向雅の問いに対し、明久はニヤリと笑った。
「ああ、そうだ。因子持ちを狩ることでその身に宿した妖力を根こそぎ奪うことができるからな」
「なんだと……?」
妖魔を撲滅することが目的ではなかったのか。
「妖気を奪って、何をするつもりだ」
「決まっているだろう」
そう言うと、明久は左腕を上に突き出す。
次第にその腕がどす黒く発光していく。光り方は禍々しいが、パターンは神経回路の発光そのものだ。
その光が強まるとともに、みるみる腕が膨張していく。
「どうだ……これが狩った因子たちの妖気を纏った我が因子『茨木童子』の力だ!」
その左腕は、人の者とは思えないほどに膨れ上がり、屈強な印象を与えていた。
見せびらかすように掲げていた腕を降ろすと、明久は日向雅を指さす。
「そして、君の膨大で良質な妖気がここに加われば、俺の因子は最強となるんだ」
そこまで聞いて、日向雅は視界がゆがむほど頭に血を登らせた。
「……そんなことの為に、桜を、妹を利用したってのか?」
日向雅は一人、二年前の雨を思い出す。
拭う事の出来ない、業の雨を。
「ああ、そうだ」
「ふざけるな!あいつが、どんな思いで戦っていたかわからないのかッ!」
「知る由もない。俺は兄であり当主だ。あれは妹だ。上の者に仕え、言う通りにする。それが下の者のするべきことだろう」
「違う!上の者は下の者を導く指標だ!先に行って道を造り、妹が踏み外しそうになったが手を引いて正す、それが兄貴だッ!」
あの日、悔やんでも悔やみきれなかった、日向雅の、兄としての、最後の記憶。
ああ、今わかった。
このはらわたが煮えくり返るような、不快感。
全身を突き抜けるは、因子のリミッターが外れた感覚。
本能が、記憶が、因子までもが、叫んでいる。
「ならばその幻想の中、俺の糧となればいい」
「許さねえ、許さねえ!テメエだけは、俺が絶対にここで倒すッ!」