2-弐話
何事もなく放課後になった。
日向雅は伸びをしていると放課後の解放感に襲われて寄り道の一つでもしたくなったが、雛子のメッセージを思い出しまっすぐ帰ることにした。
いつもであれば暇人の清武が「どっか寄らね」と誘ってくるが、さすがのあいつも病み上がりに遠慮したらしい、「じゃな」と手を振ってきた。
日向雅も適当に振り返し教室を後にする。
「日向雅!」
廊下に出たところで後ろから駆け寄ってきたのは綾だ。サブバックを抱えているからこれから部活だろう。
「大丈夫だった?体調」
「ああ、問題ねえよ」
階段を下りながら、綾はジーっと日向雅の表情を観察する。
「顔色もよさそうだね」
「元気だってば」
「本当は家まで送ってあげたいんだけど……」
「馬鹿言うな、大会前だろ?」
下駄箱に着いたところで綾は「そうなんだけど」と俯いて止まってしまう。
「子供じゃねえんだから一人で帰れるわ、ほれ部活行け」
「わっわっちょっと」
日向雅が背中を押すと渋々プールへと向かっていった。
その背中を見送って日向雅も靴を履き替え、さっさと帰路に就く。
しばらくベッドの上だったからか、電車に乗るなりすぐ腰掛ける。いや、いつもこうだったかもしれない。なにせ運動不足の帰宅部なのだ。
改札を出たところで大国主の事を思い出す。
「そういや話があるって言ってたっけ」
待たせるとどんな顔するかわからない、早めに帰ろう。
普段は使わないが、人の少ない裏道を走って帰ることにした。
だがそれが間違いだったと後悔したのは、路地に入ってすぐの事だ。
ぞくり、とする悪寒と共に足が自然に止まると、身体が勝手に後ろへ飛んだ。
日向雅は理解していた。
因子が、発動したと。
直後、日向雅が立っていた場所のアスファルトが吹き飛ぶ。
「今のを避けたか、さすがは因子持ちだな」
声がしたのは空、視線を上げると電柱の上に人間が立っていた。フードを被ってはいるが、長い髪や体格から少女であることが分かった。
咄嗟に「誰だ」と叫ぶ。
相手は日向雅が因子持ちと分かったうえで攻撃してきた様子だ。
大国主たち神にも見抜けなかったことだ。
それにこの距離からアスファルトを破壊する攻撃、新手の因子持ちだろうか。
「私は星倉桜、お前ら因子持ちを狩る陰陽師だ」
少女、桜は律儀にもフードを取ってそう自己紹介した。
露わになった赤い瞳は猛々しく、殺気に満ちて日向雅を捉えている。
声や体格はニイナと変わらないほど幼く感じたが、その気迫だけでも十分成熟した戦士に見えた。
そのプレッシャーの中、日向雅は新出単語そっちのけで息を呑む。
「因子持ちを……狩る、だと?」
「ああそうだ、覚悟しろッ」
「ちょ!」
桜は電柱の上から動かずビームのようなものを射出してきた。
日向雅は攻撃を認識する前に横に転がる。
「チッ、外したか」
「ちょっと待て!なんだって狩られなきゃならないんだ!」
「うるせぇ!」
二発目がくる。
また一歩左へ避ける。
「チョコマカ避けてんじゃねぇぞ!」
「そっちこそ話を聞けよ!」
「話すことなんかねぇよ!」
「うをっ!」
三発目は少し太めの光線が来た。日向雅の身体は前へと転がる。
「待てっての、大体その、オン……なんとかって何なんだ!」
「陰陽師だこの野郎!」
「知らねえよ!なんだそれ、通り魔のことか!?」
「ふざけんな!」
流石に怒ったのか、それとも当たらない砲撃にしびれを切らしたのか、一瞬で日向雅との距離を詰めると、棒状の物を振りかぶる。見たことのある棒だ、確か神社とかにある、幣だっけか。
その幣で日向雅を殴る。そういう使い方するものだっけと思いながら日向雅は後ろに仰け反って避ける。
「何だってんだ避けてばっかり!少しはやり返してみろよってかやられろコラ!」
無理な相談だ。なにせ日向雅は戦い方なんか知らない。それに、無理な体制で避け続けて体も軋む。
雛子の怒り顔が過ぎる。あー、言いつけ破っちまった。ヒナ姉怒るかな。
そんなことを考えていると、桜は次の攻撃に入っていくのを感じた。
次を避けられる体力はあるのか、立っているのがやっとだ。
「其処の者、何をしている!」
遠方から声がして、桜の攻撃が止まる。
「その者に仇なすこと、我が許さぬぞ!」
遠いと思っていたその声だが、頭上を拳として通り過ぎて行った。
この図体は、大国主だ。
桜は大国主の拳を後ろに避け、元の電柱の上へ戻る。
「なんだてめぇ」
「貴様か、この頃嗅ぎまわっていた陰陽師は」
「じゃあてめぇか、私のヒトガタを破壊してたのは。妖気は感じねえが何者だ」
「これを見てわからぬか」
大国主は胸元から勾玉を取り出し見せつける。
「アンタ……国津神か!?なんで神が因子持ちと……チッ」
桜は舌打ちと共にどこかへ消えていった。
大国主は気配が消えたのを確認すると日向雅の方へ駆け寄る。
「日向雅、大丈夫か」
「大丈夫だ、少し、疲れただ……」
そのまま、大国主へ倒れこんだ。
日向雅は気付くと、見渡す限り真っ黒な空間に居た。
どれだけ首を振っても、何もない。
一体ここは何処か、というか何故こんなところに居るのか、記憶を巡る。
確か、下校中に襲われたんだったか。
ぼんやりとしてあまり覚えていないが、ひょっとして死んだのか。
「いいや、違う」
声がして振り向くと、いつの間にか女が現れていた。
行儀悪く片膝を立てて胡坐を掻く女は、座ったままでも相当背の高いのが分かった。
そして目つきが相当悪く、不敵な笑みで日向雅を見据えているその顔に見覚えはなかった。
「ここはヌシの中、儂の住処だ。儂がヌシを呼んだのさ」
そう言った女の声は、最初に聞いたものとは心なしか違って聞こえた。
いや、それよりも気になることがある。「ヌシの中」とはどういうことか。
「わからんのか。つまり、儂がヌシの『因子』という事だ」
目を見開く。
因子、つまり日向雅の身体にバグを起こし超能力を与えている存在。
アマテラスに妖怪と聞いていたから勝手に化け物をイメージしていたが、女の姿をしているとは。
「はっはっは、確かに儂らは獣の姿をしている者が大半だ。儂とてこの姿は本来の姿ではない。だがこの方が話しやすいのでな」
女は高らかに笑う。
やはり旧人類の時代から生きているからか、もしくはその一人称のせいか貫禄がある。
しかし、この十六年の間だんまりを決め込んでいたのを急にこうして呼び出すとはどういうことだ。
「ああ、出来れば儂は出しゃばりたくなかったんだが、儂の力をあまりにも持て余しているようで不甲斐なくなってな」
大きなお世話だろう。
「だがこうも毎回熱暴走を起こして気絶されるようでは困る。天子を抱え込んだ以上、ヌシの敵は大勢おるのだからな」
息を呑む。
確かに、この体たらくでは自分だけでなくニイナまでも危険に晒すことになるかもしれない。
だが、だとしたらどうすればいい。
「ヌシに足りないのは反撃方法だろう。いくら儂の力で攻撃を見切っても、やり返せなくてはどうしようもない。だからと言って愚直に突進されては体に負担がかかるだけだ」
その通りだ。あのとき大国主相手に手も足も出ず、最後は体力切れで捕まった。
ウズメを倒せたのも、オーバーヒートによる活性化、いわば無茶だ。
「この身体はヌシのものであると同時に、儂の住処だ。だからそれを守るためにこうして因子を与えておるのだから、しっかり守ってくれねば困るぞ」
反撃の方法、か。
格闘技でも習えばいいだろうか。
「そんな事せずとも、ヌシにはとっておきの師がおる」
そう言って笑う女の顔が、ぐにゃりと歪んだ。
「起きる時間か、まあよい。ヌシよ、あの国津神に教えを乞うがいい。それが一番手っ取り早い」
女の声がだんだん遠のいてゆく。
まて、最後にお前、お前は誰なんだ。
「儂はヌシの因子、名は」
その先は聞き取れず、日向雅はそのまま暗闇へと沈んでいった。
「起きたか」
目を開けて最初に見たのは、呆れたような安堵したようなどっちつかずの顔をした、小さな医者だった。
「ヒナ姉……あれ、俺なんでここに」
見慣れた処置室を見回す。間違いなく飫肥医院だ。
「覚えていないのか?」
「ぼんやりとしか」
「なら教えてやろう。君は熱暴走の余韻が残るその身体で、また無茶をやらかしたのだ」
日向雅は先の戦闘を思い出す。
確かに、少し疲労が早かったかもしれない。
「悪いな、ヒナ姉」
「気にするな。だが、今回は完全に回復するまでそこに浸かっていてもらう」
そこで始めて自分の状態に気が付いた。
首から下が、以前ニイナに使用していた浴槽型の処置器に浸かっていた。
「……この液、俺たちにも効くのか?」
「安心しろ、金属疲労用の調合液だ」
「ふうん」
日向雅はじろじろと細部を見回す。そこでひとつ違和感に気づいた。
「ってこれ全裸じゃなくてもいいんじゃねえかよ」
「そうだな、現人類の処置ではよっぽどじゃない限り全裸にはしないな。それともしてほしかったのか?」
「馬鹿言え」
しっしっし、と雛子が笑う。
引っ叩きたい気分だったが立ち上がるわけにもいかず、大きく溜息をつく。
「……ま、あと一時間は浸かってもらうが、そのあとは病室に移す。ニイナもうちに泊まってもらう。今は大国主が迎えに行っている」
「そうか、助かる」
「何があったか今すぐ問い詰めたいが、大国主が帰って来てからにしよう。あの大男が事情を知っているようだしな」
そう言うと、雛子は処置室を後にした。
日向雅は枕に頭を預け、天井を見上げる。
「……前途多難だな」
一日を振り返ってそう呟き、再び目を閉じた。
それから一時間経ち、病室のベッドへと移された日向雅を待ち構えていたのは「ひゅーがっ!」「ぐえっ」タックルだった。
「こらこらニイナ、ヒュウガは病人だぞ?もっと丁寧に扱わないとな」
瀬戸物かよ。
「ひゅーが、どこかまだ悪いの?」
「いや、ちょっと疲れただけだよ」
多分な。
「天子様……」
大国主がニイナの肩を叩くと渋々日向雅から離れる。
「さてと、じゃあ納得いくまで説明してもらおうか。全員座りたまえ」
病室には三脚の椅子が用意されており、それぞれ席に着く。日向雅は雛子に促されベッドに腰掛けた。
全員が座ると大国主が口を開いた。
「まずは再びこのような失態を演じ、誠に申し訳ない。日向雅の帰りが遅いことに気づいていながら、現場へ参上するのが遅くなった」
「それはいい、結果として間に合ったんだ。それより、相手についてだ」
大国主が頭を垂れるのを日向雅が制し切り返すと、大国主は「ああ」と返し懐から紙切れを出した。今朝大国主が見せてきたものだ。
そしてあの少女、星倉桜が使用したものと同じものだ。
「これはヒトガタと言って、組み込まれたマイクロコンピュータが使用者と連動し、盗撮や監視、時には攻撃もできる陰陽師の武器だ」
陰陽師、彼女もそう名乗っていたがいったい何者なのか。
「陰陽師というのは、古く十世紀からある役で、祈祷や呪術によって邪悪を祓う者のことを指す」
「邪悪を祓う……?」
表現が難しくピンと来ない。
「邪悪というのは、人でも獣でもない人の中に紛れ人に害為すものたち、つまり」
大国主はそこで一度言葉を切ると、日向雅をまっすぐに見据えた。
「お前達の持つ因子そのものだ」
日向雅は少女の言葉を思い出す。
「あいつ……因子持ちを狩るって言ってたな」
「ああ、どうやらそれが目的らしい。実は今日までに全国で因子持ちと思しき人間の不自然な死や失踪が相次いでいる。それも、本来自然に還るはずの因子が持つ妖気まで綺麗に消えてだ」
「それはつまり、体内に宿っている妖怪ごと殺して回っている者がいると、そういう事か?」
雛子がそう返すと、大国主は言い淀みつつも肯定する。
「えらく歯切れが悪いな」
「ああ、なにしろ現人類台頭後のこの三十年、一度としてそんなことはなかったからな。あくまで有害な野良妖怪の駆除が専門の奴らだ。因子狩りが始まったのも、つい数年前の話だ」
大国主はそこまで言うと、首を掻いて俯く。
それに返したのは雛子だった。
「どちらにせよ、今こうして命を狙われているんだ。ヒュウガ、狙われているのは君だ。君がとるべき選択肢は二つ。戦うか、逃げるかだ」
間髪入れずに大国主が口をはさむ。
「日向雅、昼間の様子を見る限り君に勝ち目はない。ヒトガタのサーチを逃れる装置はある。悪いことは言わん、ほとぼりが冷めるまで別の町に身を隠せ」
雛子は、何も返さなかった。あとの判断は日向雅に任せるという事なのだろう。
そこで、今まで黙って聞いていたニイナが日向雅の手を握る。
「ひゅーが、死んじゃダメだよ」
日向雅は考える。
確かに、病み上がりとはいえあれだけの差を見せつけられた。相手は訓練されている。だが、あの少女は……。
ニイナの手を握り返す。
「ひゅーが……?」
ニイナが心配そうに顔を覗き込んでくる。日向雅は笑みを返した。
「大国主、悪いが俺は残るよ」
まるで最初から分かっていたと言わんばかりに雛子が笑う。
「では、どうするのだ」
大国主の返しに、日向雅は思い出した。
夢の中で、あの大女が言っていたことを。
「大国主、お前に頼みがある」