97話 外野1
【97】外野1
テオとエイダンが穴の底からの引き上げを待つ時間に思い出に浸っていたころ、レジーは引き上げ用のロープを取りに、城壁に併設された物置小屋を目指していた。小走りで移動するレジーは、先程目にした光景を思い出す。
穴の底から響いていた咆哮のようなエイダンのがなり声、一見して穏やかに見えた男の怒りの形相に、レジーは身震いをした。
レジーにとってのエイダンとは、テオを通して数回顔を合わせた程度の仲であった。しかしそれでも、金属鎧を身に纏った大男は、冒険者として新人であるレジーに悪い印象を抱かせることはなく、そうであるからこそ、豹変したエイダンの姿にレジーが思ったのは、ここが確かに自らのよく知らない戦場と呼ばれる場所の、更に最前線などと呼ばれる地域であったことだった。
上背があるエイダンは、その装備と合わせても威圧感のある存在だ。決して小柄でないにせよ、魔術師としての貧弱な体を持つレジーからすれば、その威圧というのは本能的な危機感を覚えるに値する。
腕を横に振られただけで自分の体が吹っ飛ぶ相手に、おいそれと隣に並ばれたくないと思うのは仕方の無いことなのかもしれない。
そんなレジーからしても、エイダンという人間を恐ろしいだけのものと捉えず、その様相や立ち居振る舞いに穏やかさを感じたのは、身に纏う雰囲気がそうさせたからだろう。
それは、自分より背丈の低い相手と話す際、屈むまではしなくとも目線を合わせるように柔らかに伏せられる皺のある目元だったり。丸太のような太い腕の中で、閉じ込めるでもなく潰すでもなく、緩やかでありながらもしっかりと守られている布人形の様子だったり。低い声音が眠たげに浮つく様子だったり。広いはずの肩をごうつくばりのように張ることなく、微かに丸める様子だったりする。
そういった、ひとつひとつの立ち振る舞いが、何かを彷彿とさせてやまないのだ。
きっとあれは、家庭の中にいた父親の姿によく似ていた。
体格の話ではない。ましてや、その髪や目の色味の話でもない。
それでも何か、自分より小さなものに寄り添おうとしたその姿勢が、レジーにそう思わせてならなかった。
だからこそだろう。そこには無意識の無警戒があり、それゆえにエイダンの咆哮はその実態以上にレジーを動揺させた。
テオのことだってそうだ。あんな大物を担いで動き回り、不慣れな自分よりも多くの敵を切り捨てていた分、そりゃあ強いのだろうとレジーだって思っていた。実際、共に戦場を駆けた五日間で、その実力は目の当たりにしていたし、それがこれまで出会った人間達に大きく引けを取らないものであることも分かっていた。
けれども、だからとはいえ、だからとはいえだ。装備を含めた自重を軽くさせるために大薙刀と交換で預けた細剣で、建物ほども大きな狼と切った張ったを演じて見せるとは思わなかったのだ。あれが技術や経験に裏打ちされた行動だとしても、たった一人だけの戦場で巨大なの四足歩行の死と踊ることは、勇敢というには蛮勇が過ぎるのではないか。
なんだかんだと押せば引いてくれる相手だと思っていたそれが、ぎらぎらとした目をして荒野を駆ける様子は、レジーにとってどこか全くの他人に思えた。それでも、怪我の具合を心配したレジーに対してテオが二言目に吐いたのは“大丈夫だ”の一言だ。彼の吐くそれが、荒れた呼吸のせいで声量が高くとも、安心を促すためのものなのだろうと、レジーはなんとなしに思っていた。
別人のように思いそうになったその人が、それでいてやはりなんら変わらずその人であった。当たり前のことなのに、どうしてもレジーはそのことに安心してしまう。
そもそも、囮役の話になった際にレジーがテオを見たのは、その場にそろっていた冒険者の面々の実力が分からなかったために、取りあえずよく知った相手の意向を窺おうとしただけだ。それをテオに一票を投じたようになってしまったのは、レジーだって本意ではなかった。まあ実際問題、テオと比較的親しそうだったソロの面々がこぞってそこを推奨したのだから、そりゃあ適材適所ではあったのだろうが。
それでも、走って逃げるだけだという話だったから。歴戦の冒険者たちがこぞってテオを囮役に推したから。大薙刀を手放すことに焦れたテオに対してジルが、“追い付かれて死にたいなら好きにしてもいいし、万が一にも億が一にもそれを担いだまま向かうことで命があると言うのなら、どんな怪我でも治してやるが、その可能がゼロだと分かっているならいっそここで再起不能になれ”みたいなことを言っていたから!
自分より経験ある多くの人間達がテオならば問題ないと太鼓判を押すのなら、それをより良い条件で送り出すために装備を貸しはしたものの。ではその問題ないという範囲というのが実際どれほど危ういのかというのを目の当たりにして、生きた心地がしなかったのも本当だ。それが彼ら冒険者にとって、戦場で生きる者達にとって、必要なことであったとしても。レジーにはまだ、そのひりついた感性を飲み込むことが出来なかった。
「だからって、だからって普通さあ! 股下潜るのなんかなしでしょ! 踏みつぶされたんじゃないかと、くそ、肝が冷えた! もう、なんなの! いっそもう百回死ねばいいんじゃない! 石積んで崩して泣いてろ馬鹿!」
ずかずかと足音を立て、大股で歩くレジーがこらえきれずに叫ぶと、そばを歩いていた冒険者らしき男は驚いたように肩を揺らした。自分の声に反応したのをいいことに、レジーはその男の肩を掴む。
よく見ればその男は、レジーとテオが取っ組み合いを始める際に合図を求められた魔術師であった。そばにいたという理由だけでテオから名指しされたり、いきり立った自分に捕まったりと、運のない男であるとレジーは若干の憐れみを感じる。それでも肩を掴んだ手を緩めることはなかった。
「ロープってどこです。ロープ。引き上げ用の!」
「ええ……なんでそんな怒ってんだよ。いや、まあ、ロープならこっち。というか、そういうことならあいつに聞いたらいいじゃんさ。どうしたの?」
渋々と物置小屋へ案内するために歩き始めた魔術師が言う。その後ろをぴったりとついて歩くレジーは、ふがふがと肩を怒らせながら答えた。
「そのテオさんが穴に落ちてるので引き上げるのにロープがいるんです」
「また落としたの? 容赦ないね、きみ」
「ま、まあ、そっすね」
落としたというか自分から進んで落ちてったんだが、と言いかけたレジーは言葉を飲み込んだ。特に公開されているわけでもない上に、すでに終わった作戦内容の話に花を咲かせている暇はないのだ。それを横目に呆れ顔をした魔術師がわざとらしく肩をすくめて口を開いた。
「はー、おっかねえ。きみ、そんな凄い魔術師なのにさ、パーティには入ってないんだろ? どう? うちのところ。俺も魔術師だけど、正直、最近色々激しくって、俺だけじゃ力不足でさ。一瞬であんな大穴開けられる、とってもとっても優秀な魔術師がいてくれたら心強いんだわ。きみが来てくれるなら俺がサブに回るから、役職被りは気にしなくていいし。もちろん、報酬も活躍次第でぐんぐん弾むよ」
自らの胸元をはたきながら魔術師が言う。器用にもウインクして見せる様は、人好きのする性格を表しているようだ。
しかし魔術師の誘いに首を横に振ったレジーは、先程まで腹に溜まっていた怒りを吐き出す様に溜息を吐いた。
「長居する気はないんです。来週の祭りが終われば、すぐにでもここを発ちます。そもそも、あなたのパーティには聖職者もいるでしょう」
「そりゃあ、当然だろ。じゃなきゃ怪我で死んじまう」
「なら無理。諦めて」
「あちゃあ、あいつとつるんでるのも訳があるのな。ならいいよ。まあ、気が変わったら言ってくれ。きみなら大歓迎だから。どうなるか分からないのが人生だしね。こんな場所ならなおさらさ」
レジーの答えに気を悪くした様子もなく肩をすくめた魔術師が答えた。そうこうして歩いているうちに物置小屋には着いたらしく、魔術師の男はそばにいた兵士に軽く手を挙げて中に入っていった。その後ろを追いかけて、レジーも同じように物置小屋に入る。
顔パスで通れるくらいには、この魔術師の男は活動が長いらしい。適当に目についた相手に声をかけたものの、すんなりと事を進められそうな人間を捕まえられたことに、レジーは内心で安堵した。




