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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
90/144

90話 懐古8

 

【90】懐古8




 それはホゾキにとって一種の天啓であった。


 この場を収めるという意味でも、それ以上でも。エイダンは今のホゾキが求めている条件を満たしている。それは素晴らしいまでに完璧にだ。

 そう。これ以上の人材は、このポーロウニアのギルドを隅から隅まで探したところで見付からないと思えるほどに、エイダンはホゾキの求める条件に合致していた。


 ずばりという音を立てて、思わず両手を振り上げたホゾキは満面の笑みを浮かべる。


「わあ! 丁度いいところに丁度いい人が、き、来てくれた! 少し、て、手伝ってくれるかな、エイダン!」


 満面喜色の感情を表した声音でホゾキが言う。振り上げた針金のように長細い腕が、ぐるりと頭上で空中に円を描いた。


 人の親だ。

 エイダンはかつて、確かに一人の娘の親として在った。

 二人の親の息子として産まれ育ち、一人の女の夫として寄り添い、一人の娘の父として立ち上がった。


 今その娘が存命でなくとも、ましてその娘こそが彼の現在の在り方を歪めたのだとしても。一人の弟弟子にさえこの上なく嫌われたホゾキにとっては、エイダンという人間はずっとずっと上等であるように思えた。


 一見して理性的に振る舞うことが出来る。幼さと向き合うだけの度量がある。そしてなにより、テオが暴れ散らかしたところで鎮静させるに困らないだけの実力を持っている。

 それこそがホゾキが求めた条件である。そしてエイダンはそれらの条件全てを満たしていた。


 そう。

 この時、ホゾキはひとつの結論を出した。


 テオの情操教育、その半分ほどでいい。ホゾキが干渉できない壁向こうの戦場に関してだけでいい。できれば聖教に関するところはテオに干渉してほしくないが、その他に関してはエイダンに丸投げしよう。そうしよう。それがいい。


 素晴らしい案だ。美しい結論だ。何が良いって、大部分ホゾキが楽になる所がいい。


 決断したホゾキの動きは早かった。未だ出入口に立ちすくむエイダンの元へと、滑るような足取りで近付く。それを胡乱な目で見ていたエイダンは、諦めたように溜息を吐き出した。


「僕がなにかしたかい」

「はは、いやあ! まだ! まだ、なにも!」


 ホゾキの言葉に、エイダンは首を傾げた。それを無視したホゾキは、長い指を組んだ手を自らの頬に寄せ、小首をかしげる。やるものがやれば愛らしいその仕草も、のっぽのモップ頭がしたところで不気味さを助長させるだけであった。


「うん、どうだい。君の罰則期間、あ、あと三週間はあるわけだけれど。もっと早く壁の防衛戦に戻れるなら、も、戻りたいとは思わないかい。もうこんな厄介なだけの面倒事、さ、避けれるものなら避けたいとは思わないかい」

「それはそうだね。戻れるのなら、今すぐにでも。避けれるのなら、もう二度と」


 ホゾキの言葉に、エイダンは皆まで言わずとも深く頷いた。エイダンの動きに連動して傾いた布人形の取れかけた青いボタンの目玉が、ぶらぶらと不安定に揺れる。


「そうかい。それは、よ、よかった。実はね。君に折り入って、た、頼みたいことがあるんだ」


 そう言ったホゾキは、今もなお座り込んだままの聖職者の肩を揺すっては治療をせがむテオを指さした。テオの灰色の目が、一瞬だけ、扉の前に立つ二人を捉える。しかし、興味を失ったのか、もともとそこまでの関心を持っていないのか、すぐにそれは自らが肩を掴む聖職者へと戻された。


 彼にとっては見慣れない若者であるテオの様子を目にとめたエイダンは、しかしすぐに目の前で口角を上げているホゾキを見つめ返した。


「悪いことは言わないし、わ、悪いことはしないし、わ、悪いことにはならないとも! もちろんだよ!」


 珍しく嫌に興奮したホゾキの様子に、エイダンは感じた怪訝を隠し切れずに、思わず片眉を跳ね上げた。普段のホゾキの必要最低限の偽善によって装われた億劫そうな態度を知っているエイダンからすれば、それは警戒するに足りる異常さであった。


「頼み、かい」

「そう。そう。頼み事。お願い事。僕のギルド管理者としての業務を、じ、自発的に支援してくれる人間を探していてね。手伝ってくれる人には、も、もちろん融通される事柄もあるんだ。ほら。自由、ほ、ほしいだろう」


 ホゾキの言葉に、エイダンは深く息を吐き出した。自由。その言葉が指す意味が“城壁の防衛線における突出した単独行動の許可”を含むのなら、それはエイダンにとって喉から手が出るほどに欲するものであった。

 例えエイダンが名目上のソロであっても、城壁の防衛線においてはその実情が沿わないこともままあった。一人で行動できるということが、イコールで好き勝手に動いていいとされるわけではない。


 エイダンがこの街に流れ着いてからというもの、城壁の防衛戦は年々人手不足が極まっている。それは本来であれば、せいぜいがパーティ単位でしか行動しないはずの冒険者を束ねて駆り出す必要があるほどだ。

 冒険者の参入により、確かに防衛戦の人手不足には多少の改善が見られるようになった。しかし、それで城壁が抱えるすべての問題が解決するわけでもなく、同時に、強引な解決策が時として新たな課題をもたらすこともあった。


 群れとして戦う訓練を積んでいる兵士とは異なり、冒険者の足並みはそう簡単にはそろうことはない。パーティ内での連携と、パーティ間との連携では、当然のように気にかけるべき項目の数も内容も、大きく異なる。一瞬のすれ違いが命取りとなる戦場では、その違いは致命的なことであった。


 たとえソロとして活動しているエイダンであったとしても、それは変わらない。戦力として頭数に入れられている以上、突出した行動が時として周囲の人間を丸ごと危険に晒すことに繋がりかねないからだ。


 故に、エイダンは無謀な突撃を行いながらも自らの命を守り切る実力がありながら、ホゾキの言うような“自由”な行動があまり積極的に取れずにいた。

 この街に来る前の経験から、集団での戦い方をよく知っているエイダンは、同時にその重要さも理解していた。知っているということは、それだけで足枷になるものだとエイダンは思う。

 魔物のあふれる戦場において、なにも無闇矢鱈に人間を殺したいわけではない。自らの身勝手が巻き込む場所に命があることを知っているからこそ、エイダンはそれをおいそれと踏みにじれずにいた。


 しかしそれも、常であればの話だ。


 エイダンには何よりもまず優先すべき事項がある。彼の腕の中には人形がいる。彼の腕の中には人形しかいない。彼は確かにある日、大切なものをなくしてしまった。

 探さなければならない。見つけなければならない。取り戻さなければならない。拾い上げなければならない。


 そして最後には、手放さなければならない。

 すべては正しく見送るために。


 そう。エイダンは人命を尊ぶが、同じようにそれらを秤にかけることができる人間であった。他人よりも仲間を優先し、仲間よりも家族を選び取る。より近い人間がより遠い人間に勝るという、一般的と呼べるであろうその感性は、エイダンの中に確かに存在した。そして今回、エイダンがペナルティを課せられたきっかけこそが、その行動に起因していた。


 つまるところ、エイダンは自らの目的を達成するためであれば、周囲の冒険者を危険にさらすような単独行動を良しとする決断を選ぶことができる。普段からの自制は、眼前のチャンスを前には砂塵に霞むのだろう。


 それは時として任せられた持ち場を離れることになるかもしれない。それは時として冒険者や兵士達をかき分けて進むことかもしれない。それは時として波のように押し寄せる魔物を不用意に刺激し、進行ルートを予想外に変えさせることかもしれない。


 それが間違いであることをエイダンは理解している。理解したうえで、エイダンはその危険を周囲に振り撒く決断を取るだろう。目的や動機が何らかを守ることではない故に、エイダンはその根本から周囲と噛み合うことがなかった。


 冒険者と兵士の混合部隊の一人として組み込まれていたエイダンが取った単独行動は、功を焦った身勝手な男の問題行動として処理され、罰則が課された。ペナルティとして受け手のない依頼を薄給でこなし、その間城壁の防衛戦への参加を禁じられる。


 自らの目的のために防衛戦に参加しているというのに、周囲に合わせて戦う間は何の進捗も得られない。それはエイダンにとって本末転倒も良いところであった。


 エイダンはただ、自由に壁の向こうを歩きたかった。自分のことは自分でなんとかできるのだから、ただ放っておいてほしかったのだ。


「どうかな、ぼ、僕の話を聞いてみる気はないかい。エイダン。きっと、き、君の悪いようにはならないよ」

「ああ。それはきっと、とても都合がいいのだろうね」


 だからこそ。たとえどれだけ相手の様子が訝しいものであったとしても、エイダンは喜んでその口車に乗るのだろう。




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