89話 懐古7
【89】懐古7
さて。しかし。
重い腰を上げようとも、物事の善悪など、ホゾキにとっては常々からどうでも良いことであった。
ホゾキが求めるのは、自分の手元にあった際、より成果をあげるのはどちらであるか。性能と言ってしまえば無機質で、能力と表現すれば正当な尺度であるかのように見えるもの。ホゾキが自らが管理する冒険者達に求めるものは、シンプルにそれだけであった。
そしてホゾキが求める成果とは、ギルドや城壁の防衛戦においての純粋な戦力の提供量で計られる。より多く、より強い。そういった敵を打ち倒せるものが必要とされる場所だ。
パーティとして束になった男たちと、経験が浅いものの全てを返り討ちにしたテオとでは、比べるまでもなく後者を融通する。
それがホゾキの考えであり、そこに哀れみや情など挟んだ所で続く道には繋がらないと見捨てられる事実が存在する。それが常日頃のホゾキの思考の根幹であった。
ここはギルド。冒険者の集う、暴力の提供組合。本来であれば、より強いものがランクを上げ、伸し上がる世界だ。だからこそ、ホゾキが真っ先に考える選択はひとつ。勝った方の味方をする。その肩を持ち、恩を売り、体良く扱う準備とする。それだけだ。
だからこそテオの大暴れを見逃して、どれいつ満足するのかと一人黙って待っていたのであり、さらに言うのなら、そういったホゾキの傍観という体の依怙贔屓は割としょっちゅう見られるものであった。
だからこそ、ホゾキが今の今まで観戦姿勢を取っていたことも、そろそろ“勝っている方”の肩を持ち始めても、特に違和感はないのだろう。また始まった。そう思われるだけである。
それに対する不服があろうと、ホゾキが肩を持ち、ホゾキの肩を持つ側の方が圧倒的に力を持っているため、いかんせん反発もしがたい。なぜならばそういった側こそが、いつだって何者かの命を守り、強固な敵にこそ真っ先に向かっていくのだ。都合がいい、という意味では、冒険者ギルドに登録する人間の大半がホゾキの方針に納得していた。
善人のように怯えた顔をして、一体何を拾わない勘定をしているのだ。
そう言って舌打ちをしていた弟弟子の顔をホゾキは思い出す。弟弟子。そう。ホゾキは彼をそう捉える。けれどホゾキが彼との関係をそう表したところで、それが相手に認められることはないだろう。
彼、ニールであったならば。彼、ニールであるならば。暴風のような愛を纏うその男は、決してホゾキの強かさを認めなかったのだから。
だが、今になって。今まさに肩を持とうと決断した相手がテオだったからこそ。
その動機だけが、表出する結果を変えないままに、純粋なまでの間接的な情へとすり変わっていた。
「とは言っても、め、面倒だなあ。凄く、め、面倒臭い。どいつもこいつも、じ、自分の図体をもっと考えるべきだと思うよ、僕は。うん」
意を決して立ち上がったは良いが、縦に長細い胴体を前かがみにして顔をしかめたホゾキがぼやく。
どれだけ強く決意しようとも、現状ホゾキの目前で繰り広げられているのは、どう繕ったところで冒険者という屈強な人間たちの争い事であった。
ホゾキとて、それに対抗できない訳では無い。相手が人間であるのなら、相手が人間であればこそ。ホゾキにとって、敵対者を床に転がすことは決して不可能なことではなかった。
それでも、やはりどこまでいってもその労力をかけるのが億劫で仕方が無いのがホゾキの本性であった。
できないわけでないのならば、では困難ということでもないかと問われれば、それはまた違うじゃないか。努力とか疲労とか嫌悪とか。ましてやきっと自分に降りかかるであろう痛みとか、そういった何某を飲み込もうという決意も、十分に大きなコストじゃないか。ホゾキは誰に向けるでもなく、言い訳の様な言葉を心中で呟いた。
せめて大人しく床の上に尻をつけて話を聞くというのならば、ホゾキはそれはもう颯爽と飛び込んだだろう。未だ諦めのつかないテオに罰則を与えた上で丸め込み、その周辺で転がる男たちを手厚くあしらっただろう。
だのに、冒険者というものはどいつもこいつも従順なだけでは収まらない。
そうだ。冒険者というものは。
ホゾキはそれらの人間を統括する立場にいるからこそ、声を大にして言いたいことがある。
冒険者というものは、人の話をろくに聞きやしない。戦場かもしくは同等の舞台に立てるだけの同胞、そうでなければそういった場所に足を運ぶに足るだけの報酬を提示できる人間だけが、彼らの耳に満足な“お話”を届けられるのだろう。
ホゾキの戦場は壁の外ではなく、持ちうる財産を買収に使うほどの余裕はない。と言うよりも、それに自腹を切るのは非常に納得がいかない。
腹を決め、椅子から立ち上がってなお、新たなる葛藤を繰り広げるホゾキであったが、救いは直ぐに訪れた。
「戻ったけど、これはなにかな。随分と、ああ、散らかしたものだね」
ホゾキが背にしていた木製のスイングドアが開かれる。そこに居たのは、別件でペナルティ依頼を受け、連日報告のためにギルドに通っていたエイダンであった。この日も、例に違わずホゾキへの報告のためにギルドへと赴いたようだった。
エイダンの丸太のように太い腕に抱えられた布人形が、室内の薄暗がりに紛れて解れた髪を揺らしている。どこかで引っかけてしまったのか、くすんだ青い目玉のボタンを留める糸が千切れかけていた。
揺れ動くたびにふらふらと布製の皮膚から離れるボタンが落ちないよう、エイダンはささくれだった親指の先で木製のそれを押さえている。放っておけばいつか取れて落ちるだろうが、裁縫の心得がないエイダンでは直してやれないようだった。
腕の中の“娘”を気にかけた動作を心得ながらも、周囲を見渡し、現状を理解したのか、ホゾキへと問いかけるエイダン。それを目にしたホゾキは、思わず微かに息を吸い込んだ。
大きな体躯。平時であれば柔らかな物腰。この街にたどり着いてから一貫してソロとしての活動を譲らなかった彼の実力は確かで、それでいながら人間に対しての手加減と言うものをよく知っていることが汲み取れる経歴。
すでに亡くした家族との仲は良好だったとホゾキは聞いている。それは事実らしく、模範的に大切な人間の喪失に悲しみ、苦しみ、そして最終的には抱いた恨みを活動へと昇華させた人間性を持つ男。
それこそが、エイダンだった。




