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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
87/144

87話 懐古5

 

【87】懐古5




 聖職者の手により傷を癒された斥候と魔術師が、テオの腕力を前に更に二度ほど床を転がされた所で、ホゾキはただ観戦していることに飽き始めている自身に気がついた。


「いやあ、よ、よくやるもんだ」


 独り言を呟くように小さな声でホゾキが毒づく。前後が反対になるように腰掛けた椅子の上、拍手とも呼べないほどに無気力な様子でホゾキは手を打った。

 とすとすと、気の抜けた手拍子の音がホゾキの手から鳴る。けれども、それを気にかける者はこの場にはいなかった。


 それほどまでに、ホゾキの目前で繰り広げられる現場の苛烈さは、惰性でもって進められている。そう乱雑に言い切っていいほどに、今では誰もがこの諍いの続行を強く望んではいなかった。


「う、ぐ、うう」

「立てる?」

「この、ふざけやがる……」

「立てないの? なら手を貸して、ほら」


 そう言ったテオは、床の上になついて悪態を吐く斥候の男の肩を揺すった。まるで心配でもしているかのようなテオの言葉選びに、誰のせいでこんなことになっているのかと眉を釣り上げた斥候の男は、自らの肩を掴んでいたテオの腕を振り払った。


 斥候の男が床についた手の上に、垂れた鼻血が滴って落ちる。乱雑に腕を払いはしたもの、斥候の男にはもうテオを睨み上げるだけの気力はなかった。

 重戦士の言葉を皮切りに、腹の底に隠していたらしい得体のしれない何かを露呈させたテオは、すでに彼らパーティの人間にとって、仲間や同僚、後輩だなどと呼べる代物ではなくなっていた。


 強く払われた腕の痛みを誤魔化す様に一度自分の肩を押さえたテオは、しかしすぐにその腕を斥候へと伸ばした。今となっては立派な敵対者となってしまったテオを睨むこともせず、ただ自らが汚した床を見下ろすことしかできなかった斥候は、当然その動きに気が付かずに首を締め上げられる。


「立てないなら、ちゃんと言ってくれればそれでいいのに。ほら、運ぶよ」


 淡々とした声音でそう言ったテオは、床に手をついて立ち上がれない斥候の襟首を無造作に掴み上げた。疲弊から力強くできずとも必死に抵抗する斥候を引きずるように、その襟首を掴んだテオが聖職者のもとへと歩み寄る。


 土嚢だってもう少し丁寧に運ぶのではないだろうか。言葉遣いばかりが直されただけで、その実態が一般的な感性でいう野蛮に近く、芯の部分で穏やかさというものと縁遠いのは、確かにミダスの弟子らしい。


 黙してその光景を眺めていたホゾキでも、テオの態度に対して思うところは少なからず存在した。

 しかし、それも自らと同じミダスの弟子出身者であることを思えば、まあ、控えめに言っても、まだマシな部類であるように感じられたので、ホゾキはその点に関しては黙って知らんふりを決め込むことにした。

 ブーメランと分かっているのなら、確実に相手に被弾したうえで口を封じられるときにでも放たなければ、それはただただ遠回りな自殺になる。

 何よりも、黙ってたところで自分の非になることもないと、ホゾキはひとり肩を竦めた。


 一体誰が求めてこの惨状が続いているのかと問われれば、恐らくこの場にいる大半がテオを指差すことだろう。

 しかしその本人も、今や少しばかりの呆れと億劫さ、そして決して小さくない疑問感を隠しきれていない様子だ。

 事の発端は怒りから来たものであっても、ホゾキが来た時点ではテオが求めるものは“納得のいく証明”へと変わってしまっていた。


 件のパーティがテオを迎え入れ、祈りを拒否したその日から。自らを除いたパーティの人間たちは、自信満々に自らの正当性と優位性を説いたのだから、何故それがここに来て発揮されないのか、もしくは発揮しようとしないのか、テオは甚だ疑問だと言わんばかりに首を傾げては捕まえた斥候が逃げないように強くその襟首を握っていた。


 それはそれはおかしな光景だ。ホゾキはその光景を外側から眺めて思う。


 表情だけは不服を隠しもせずに状況の続行を選び続けるテオ。

 気絶した魔術師の治療がやっとこさ終わったと思えば、さらなるおかわりを持って来られて顔を青くする聖職者。

 掴まれた腕から逃れようと必死に手足を振り回す斥候。

 殴り合いに向かない体つきであることは自覚しているであろうに、どこまでも喧嘩の域を出ない抵抗を見せ続け、見事ノックアウトされた魔術師。

 ホゾキが到着してから一度も意識を取り戻していない、いっそこの中で最も被害から逃れられていると言ってもいいだろう重戦士。


 それら五人を順繰りに見たホゾキは、苦笑いすら浮かばない自らの頬を骨ばった指先で持ち上げ、引き攣った作り笑いを浮かべた。


 誰が求めている訳でもなく。誰が満足することもできない。そのくせ、終わりの条件を握るどちらもが、意地と惰性によって頑固にも現状を維持してしまっている。


 阿呆らしい。ホゾキは思わずこぼれ落ちそうになったその言葉をひとりひそかに飲み込んだ。

 意地の張り合いの延長戦であることをここにいる全員が理解している。故に、それを飛び越えた暴力が振るわれることもない。

 理性とプライド。この場で地団太を踏むような五人の冒険者によって発揮されたのは、その極端に素晴らしいバランス感覚だ。もしくは、臆病さと意地を乗せて左右にバウンドするように振動する天秤なのかもしれない。良くも言える。だが同じように、悪くも在る。

 批判することはたやすくとも、きっとこれらはどっちともつかず、どちらでもあるのだろう。ホゾキは湧き上がる欠伸を噛み殺しながら考えた。


 本来取っ組み合いよりも面攻撃が得意なはずの人間が、燃え盛る炎を操って肉を焼くこともない。

 身軽に動き回れるように刀身こそ長く作られてはいないものの、肉を断つには十分な威力を持つナイフが血に濡れることもない。

 守るために設計されていようともその突進で骨を砕くことも可能な大盾が、その面を人間相手に押し付けることもない。

 先ほどから何度も振り抜かれている拳が、簡単に岩を砕けるようになるほどの身体強化が仲間にかけられることもない。


 ましてや、そう、例えばだ。

 例えば四メートルを超えるような巨大な四足獣の首すらも断ち切れるような大薙刀が、その柄ごと血に濡れるようなこともないのだ。


 それらのことは、この場では恐らくどれだけ待とうと起こらない。そういった惨状にまで、彼らは決して手を出さない。その程度の理性だけを持って、しかし収まらない何事かを必死に守って暴れ散らしている。


 今、この場所で散々すったもんだを繰り返している全員が、まるで大きな子どもであるようだ。にもかかわらず、自らの守るべきイデオロギーを自覚できるほどに成熟してしまっている。そんな人間が、力を誇るから怖いのだ。ホゾキはただひとり、心中でそう毒づいた。


「治して」

「も、もう、こんなこと」

「頑張って。大丈夫。治して」


 この場において、一般的な感性で言う“加害者”であるテオが、やはり“被害者”と言われるであろう聖職者の男に対して、嫌に必死にそう励ますものだから、ホゾキはあまりに滑稽な光景に笑みを通り越して頭痛がした。




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