86話 懐古4
【86】懐古4
「じゃあ、俺、まだやることあるんで」
一人百面相をするホゾキを見て訝しげに眉を跳ね上げたテオだったが、すぐに優先するべきことを思い出したのだろう。
先ほどまでの幼げな拙さを隠した、抑揚のない声でそう言ったテオは、襟首を掴んだままだった斥候の体を肩に担ぎ上げた。背丈のある男の体躯を軽々と持ち上げて、ホゾキに背を向けたテオに気が付いた聖職者の男が焦ったように上ずった声を上げる。
「ホゾキ! そいつを止めてくれ!」
それはいっそ悲鳴に近かった。声を荒げる聖職者の前へと、斥候の男を担いだままのテオが歩み寄る。それに対して、聖職者の男は怯えたように肩を震わせた。
それでもなお足を止める様子のないテオから離れるように後ずさりをする聖職者の男が、縋るような目でホゾキを見上げて口を開く。
「なんとかしてくれ! いくら治しても、何度治しても、そいつがまた襲ってくる! きりがない! ここを地獄にでもするつもりなんだ!」
「はは、地獄。あのね。結成の時にも話したと思うけど、パ、パーティ内のいざこざは、基本的に自己解決する決まりなんだよね。その子は君達の所で、う、受け入れた子なんだから。まずは自分たちで、か、解決を試みて欲しいかな」
「戦闘要員が全員やられたんだぞ! どうしろって言うんだ!」
「解決後の状態がどっちに片寄っているかは、こ、こちらの預かるところではないというかね。あのさ。パーティメンバーの管理は、ギ、ギルドの管轄じゃあ、ないんだよね。テーブルと椅子を壊した分は、そ、そりゃあ問題だけど、そ、そっちの方は自己責任と言うか。ほら。金銭で解決できる分は金銭でしか解決できないことがままあるように。金銭で解決出来ない分に関しては、そ、それ以外の献身で賄うしかないというかだね……。まあ、僕の立場としては、き、君達が“取り敢えずは頑張った”という事実がないと。ほら、まあ、そのね」
そう言って投げやりに言葉を切ったホゾキは、手近な椅子を手繰り寄せた。背もたれに向き合うように座面をまたいで腰掛けると、針金のように長細い腕で頬杖をつく。完全に観戦する姿勢である。
壊れた物品の分は“主犯者”にでも弁償させるとして、まずは事の成り行きを見守ることにしたらしい。伊達に荒くれの集う最前線の町でギルド職員をしているわけではない。暴力への介入は参加者が疲弊した後にした方が、ずっとずっと楽であるとホゾキは身をもって知っていた。
そんな様子のホゾキを見て、さらに顔色を青くした聖職者の男へと、テオはゆったりとした足取りで歩み寄る。直前まで治療をしていた重戦士の男を放ってでも、迫りくるテオから距離を取ろうと聖職者の男は必死に床の上で後ずさりをした。
しかしそれも大股で歩くテオの前には無駄な抵抗と終わる。無感情な灰色の目で聖職者の男を見下ろしたテオは、肩に担いでいた斥候の男を無造作に床に放り投げた。
目と鼻の先を掠めるように目前へと投げ捨てられた仲間を見た聖職者の男は、いっそう顔色を悪くする。
「あのさ」
「ひ」
「治して」
床板の上に力なく転がった斥候の男を指さしたテオが言う。テオの言葉に力なく首を横に振った聖職者は、頬の腫れを気にして自らの目元を擦ったテオの一挙一動にも怯えているようだった。
それでも息をのみ、必死に声を絞り出した聖職者の男が縋るようにテオに言う。
「も、もう勘弁してやってくれ」
「勘弁? なにが? どうして? この人たちは、祈れるんでしょう? 俺とは違うんでしょう? だからあんなことを言ったんでしょう? だからあんなことをしたんでしょう? ほら、こんなに苦しそうにしてるじゃないか、なのにどうして治してあげないの? 昨日まで治せた人の、さっきまで治してた人の、一体何が変わったの?」
「治してしまったらまた殴るんだろう!」
「だってそれが“教え”なんだって、さっきあんたらが言ったんだろう。従ったじゃないか。俺は自分が愚鈍だって自覚しているから、優れていると言ったあんたらのやり方に従ったんじゃないか。分からないんだよ。分からないんだ。優れているのなら教えてくれ。正しいならば明らかにしてくれ。何が変わって治さない。何が違って救わない。あんたらは何を持ってして優劣と正しさを決めたんだ」
聖職者の男に触発されたように饒舌に言葉を紡いだテオは、ゆっくりとその場に膝を着いた。
テオがしゃがみこむことで自然と目線を合わされてしまった聖職者の男は、その後ろで他人事のように大欠伸を漏らしたホゾキを睨むように盗み見る。
それに気が付いたホゾキは、針金のように長細い腕で抱えた背もたれの上に顎を乗せた。眠気からあふれた涙を拭ったホゾキが、かくかくと上顎を持ち上げながら口を開く。
「いやあだって、き、君を含めれば四対一だったんだろう。多勢に無勢も、い、いいところだったんじゃないか」
「そ、それは、そうだが……。でも、結果はこうだぞ!」
一度はプライドが邪魔をしたのか、歯切れ悪く俯きかけた聖職者だったが、すぐに吹っ切れたのだろう。肩を怒らせた聖職者の要領を得ない主張に、ホゾキは黙って肩を竦めた。
取り合う気は無いというホゾキの意思表示に、聖職者の男は愕然とした表情を浮かべる。
ホゾキとしては、別に多対一で争うことを咎めるつもりはない。数で組めるということも立派な努力であり、多くに求められる才能であり、なによりも効率的な増強方法だ。
だからこそ、問題はそこにはなかった。
パーティとして徒党を組んだところで、冒険者として一年の経験もないテオに太刀打ちできないようならば、それらを比べてどちらの方が“使える”かは一目瞭然なのである。
協調から生まれた結束は確かに力として必要だ。だからこそ、ギルドはパーティというシステムを採用し、時としてそれを推奨している。けれどもそれは、人間というか弱い生き物が力いっぱいに振るえる力を、より効率的に増大させるための手段に過ぎなかった。
ひとつの力がひとつであるなら、十を打ち倒すのに必要な数は十なのだ。
しかし五の力を持ちうるひとつがあるなら、それはひとつだけでひとつの力を持つ五つに対抗しうる。
ひとつの力しか持たないひとつを大量に掻き集めることは容易くとも、それが五の力を持ちうるひとつを見逃していい理由にはならない。
そのアドバンテージを蔑ろにできるほど、ギルドも、この国の防衛戦も、逼迫から逃れられていないのが現状だ。
個としてより強いのならそれに越したことはなく、集団となってまで弱いのならそれほど取るに足らないことはない。
純粋な暴力の幅は、それがあればあるほどに望まれる。
それは聖教という清きを名乗る集団にも変わりはない。皮肉にも、聖教が最上として掲げる聖骸という存在こそが、それを証明してしまっているではないか。弱き集団を殺してでも強きひとつを求めたからこそ、その仕組みは生まれたのだろうと、ホゾキは聖骸を考える。
この国は強い力を持つ個を尊重し、それを下回る集団の一部に取り合わないことを良しとした。
それが種の侵攻による現状に対して、必要に迫られた故の結果だったとしても。国が掲げた教えである聖教が、その選択を許容したという事実を前例として存在させることを歴史に許してしまっている。なればこそ、末端が根幹を倣ったところで誰がそれを咎められるのか。
ホゾキのその解釈は、組織の管理者としての是非を問われるものであるかもしれない。
けれどそれを咎めるものは、この最前線の街ポーロウニアのギルドには存在しなかった。ホゾキをこの街のギルド管理者へと指名した男は、何よりもその効率に片寄った依怙贔屓を可能とするホゾキの人間性を求め、育んだのだから。
「勿論、か、彼にだって罰則はあるとも。けれども此度の蟠りに関しては、き、君達自身にもある程度、自己解決の努力を求める。少なくとも、ぼ、僕の立場としてそれを“確認”出来る前に介入する事はない。それに、こ、ここは“冒険者”の組合だ。求められるものの尺度は一般の正当性とは異なるし、原因なんてものよりも大きな成果と継続性が重視される。ここはそういう場所だ。君達ももう十分経験を積んだって言っていいころなんだから、も、もちろんそれくらい分かっているよね?」
外面ばかりを穏やかに取り繕ったホゾキの言葉に、どうやら思うところがあったらしい聖職者の男は、一人静かに息をのんだ。
しかし黙って二人のやり取りを見守っていたテオは、小さく首を傾げる。後半のことに関しては、冒険者として数か月もたっていないテオには実感の沸く話ではない。
しかし、前半についてはどうだろう。最後には罰点印を貼ってやるのだから、今は黙って痛い目を見ておけと、そういうことではなかろうか。ホゾキの言うそれは、一種の見せしめと大差ないようにテオには思えた。
首を傾げたままのテオに気が付いた様子のホゾキは、しかし今一度肩を竦めただけであった。
話す気がないと、そういうことであれば、テオもホゾキからそれ以上を聞き出すつもりはなかった。何よりもまず、現在のテオの関心の向く先はそこではない。
「……俺はそういう話、よく分からないんだけど」
「あ、あ、ひ」
「とりあえず、治してくれるかな。早く。さあ」
テオの声を聴くや否や怯えたように肩を震わせた聖職者の男に向けてそう言ったテオは、足元に転がしたままだった斥候の背中を爪先で軽く小突いた。
いつの間にか意識を取り戻していたのか、それとも初めから狸寝入りをしていたのか、床に倒れたままの斥候の男の肩がひくりと揺れる。それを目敏く見つけたテオは、ただ小さく溜息を吐いて口を開いた。
「そうして床の上に転がっていたら、いつか勝手に良いことがやって来るとでも思っているの」
そう言い捨てて、がしがしと首の後ろを掻き毟ったテオは、無感情な表情を張り付けていた。それが彼の本音を表したものなのか、それとも装われた無関心であるのか。聖職者の男には、テオの発露された感情を読み取ることが出来ない。それほどに、この時点のここにいる誰もが、テオという人間のことを知らなかった。
「あんたらの方が優れているのでしょう。そういう言葉から始まったことだったでしょう。ならば、さあ、証明を」
決して荒げられることのないテオの声が低く酒場に響く。床に座り込んだままの聖職者の肩にそっと触れたテオは、その灰色の瞳を猫のように細めた。
「まだ、俺は、納得出来ていないんだから」
告げられた言葉の発端は、無知と純粋から来るものであったのかもしれない。けれどそれは、向けられた者にとって、あまりに慈悲に欠けていると言えるのだろう。




