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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
85/144

85話 懐古3

 

【85】懐古3




 ホゾキが出先からギルドへと戻った時には、既に現場は死屍累々という言葉が丁度よく収まるほどに散らかっていた。


 床の上に手足を伸ばして気絶した重戦士の男。その太い腕はおかしな方向へとねじ曲がっていた。決して貧弱ではなかったはずの重戦士の壊れた骨や関節を治そうと、その隣に膝をつき、必死の形相で癒術を施す聖職者の男がいる。その額には汗がにじみ、狼狽したように揺れる瞳が現状の異常さを伝えていた。


 本来、貧弱で取っ組み合いに向かない体格である魔術師の男までその喧嘩に参加したのだろうか。数多の冒険者が汚れた靴で踏みしめたために薄汚れてしまった酒場の床の上で、真っ青に頬を腫らした魔術師が座り込んでいた。決して経験が浅くないことを示す様に着古された長いローブが、持ち主の鼻血によって汚れている。


「う、うう! いい加減に、しろよ! いつまでやる気だ! この、いかれたクソガキが!」


 まるで泣き叫ぶように震えた声で、一人の男が言う。のびのびと育ち切った縦に大きな体躯とは裏腹に筋骨隆々とまでは呼べない手足の持った柔軟性、そして軽量化された装備が、その男が斥候を務めていることを示していた。

 吐き出された大声とは裏腹にふらふらとした覚束ない足取りで踏み込んだ斥候が、がむしゃらに腕を振るう。強く握りこまれたその拳が狙うのは、頬を腫れさせた一人の青年の顔面だった。


 明るみにいる猫の瞳のように色素の薄い灰色の目。雨に降られた耕作地のように湿った色の焦げ茶のくせ毛。

 常々から愛想のない表情は、殴られて頬を腫らした今でもその仏頂面を守っている。成長期をようやく終えた青年の背丈は高く、しかし未だ拡張性を残した体つきは柔軟性と頑強さを同時に兼ね備えていた。

 テオドール。この街にたどり着き、テオという愛称を名乗ることを渋々ながら飲み込んだ青年。今まさに、その男が斥候によって殴り倒されようとしていた。


「わあ! ちょ、ちょっと待って!」


 振りかざされた斥候の拳がテオへと迫ったことを認識したホゾキは、思わずといった風に裏返った声を上げる。しかし、次の瞬間ホゾキの目に移りこんだ光景は、予想していたものとは大きくかけ離れていた。


 先ほどまでの無表情を捨て去り、舌打ちでもこぼしそうなほどに不快を露わにして歯を嚙み締めたテオが、振りかざされた斥候の拳を払ったのだ。


 目前に迫った斥候の腕のなかでも特に柔らかい部分である内側を狙って、テオは固めた右肘で肘鉄を打つ。骨の中心から寸分もずれずに腕を強打された斥候は、その衝撃と痛みに耐えきれず、呻き声と共に数歩下がった。


 それを気にした様子もないテオは、腕を振るった勢いを殺さぬまま、右足を軸にし、肘鉄を打ったその腕で床を撫でるように上半身を伏せてくるりと回る。遠心力を利用して一回転したテオは、分厚いブーツに包まれた左足を振り回す様に自然と伸ばしていた。

 見世物小屋の踊り子が客を蠱惑するような奇怪な動きだ。しかししっかりと固められた左足の関節が、その一連の動きが空を描くだけで終わらないことを示していた。


 たたらを踏んで下がった斥候の胸を撫で上げるようにテオの左足がヒットする。それまでの滑らかさが嘘のように、その動きは攻撃性をはらんでいた。

 インパクトの瞬間を見計らい、踏み込むように両足に力を込めたテオは、軽々と斥候の体を蹴り飛ばす。その背丈から決して軽くないことが予想される斥候の体は、まるで振り上げた旗の先のように、美しい丸い弧を描いてホゾキの足元まで飛んで行った。


 自分の足元で転がり、痛みに呻く斥候の男を見下ろしたホゾキは思わず頭を抱える。ぐしゃぐしゃと絡まった毛玉の様な頭をかきまぜたホゾキは、消え入るような声で口を開いた。


「テオ君……これは何を、し、しているのかな?」

「えと、喧嘩を、少し」


 困惑したホゾキを灰色の目で見つめ返したテオは、殴られて赤くなったであろう頬をぽりぽりと掻いた。そこに悪びれた様子はなく、ホゾキの足元でだらりと手足を伸ばして動かなくなった斥候の男を億劫そうに眺めている。


 その態度に面食らったホゾキを置いて、テオは足元に転がっていた大きな盾を壁際へと蹴り飛ばす。その持ち主である重戦士は、今もなお意識を失ったまま文句を言うこともできない。

 テオがその盾をぞんざいに扱ったのは、純粋に邪魔だったからなのか、それともその盾を武具として振るう重戦士の矜持ごとないがしろにしたかったのか。それはテオという人物と長い付き合いのないホゾキには分からなかった。しかしそれでも、テオがこの惨状を続行させる意思を持っていることだけをホゾキは理解した。


「スト、ス、ストップ!」

「え、なぜ」


 ホゾキの足元まで飛ばされ、意識を失った斥候の男を迎えに来たとでも言いたげに、ぐったりとした斥候の胸倉を掴み上げて引きずるテオへとホゾキが叫ぶ。対して、焦げ茶色のくせ毛をいつも以上に乱したテオは、かくりと首を傾げた。


 ここは冒険者の集うギルドだ。備品が壊されるような荒事も、台風のような酔っ払いの喧嘩も、正直に言うならば日常茶飯事の出来事である。ゆえにホゾキは、テオの継戦の決意を恐れたわけでも、そもそもの争いごとを嫌ったわけでもなかった。ただ“よく知りもしない力のある若者”のモラルに信頼を置けなかったゆえに、惨劇の天井の高さを危ぶんだのである。


「それ、ど、どうするつもりかな」

「集めようかと。仲間とは、集うものなんでしょう?」


 問いかけに答えたテオの言葉に、ホゾキは思わず顔を覆った。薪を扱うのとはわけが違う。というよりもそもそも、そういうことを聞いているのではない。

 色々と言いたいことはあったが、ホゾキはその全てを一旦飲み込んだ。


「集めたあと、ど、どうするのかな」

「えと。集めたら、片付くから」

「そうだね、お、お片づけは大事だね」

「ん、うん。でも、多分、また散らかる、かも」

「そ、そうかい、そうかい」


 室内で倒れ伏す人間を一か所に集めることを果たして片付けと呼べるかは保留として、ホゾキは引き攣った顔でテオの言葉に頷いた。


 散らかる。そうか、散らかるか。テーブルは倒れ、椅子はひっくり返り、さらには食器が粉々に割れて、料理や酒で床も汚れているが、これ以上まだ散らかすつもりだったのか。

 げっそりとした顔で、ホゾキは一人頷いた。倒れ伏しただけの冒険者たちはホゾキにとっての損害にはまだ含まれていないようで、壊された備品たちの総額に痛む頭を抱えている。


 それでも、まあ。

 捨てるとか、壊すとか。そういうことを言わないのならば、テオが人死にを出す気はないのだろうとホゾキは一度は納得することにした。


 そんなホゾキに、話は終わりかと言わんばかりに怪訝そうな顔をしてテオが首を傾げる。それを見たホゾキは、いやそれは今の君がしていい顔じゃないと叫び出しそうになったが、しかしまたその言葉を飲み込んだ。


 この手合いと接するのは初めてではないし、その経験則が些事に構うなと主張している。ホゾキは記憶に古い後輩の顔が浮かんだ頭を大きく振った。


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