83話 懐古1
【83】懐古1
五年前。
その頃を振り返るならば、テオは自らを世間知らずと評するだろう。
師匠の元を離れ、示されるままに足を運んだポーロウニアという街で、テオは冒険者を始めた。師匠ミダスはテオに、ポーロウニアへ行く事、ホゾキという男を頼ること、そして、友達を作ること。それだけを命じた。
だから、テオが冒険者になった理由の全てが、師匠ミダスだということでは無かった。ただひとつ、領主お抱えの兵士として務めるには、土着した宗教である聖教と関わることは避けられないために、それだけを忌避していたに過ぎない。
冒険者の他に、テオができることがなかったと言えば、それは嘘になる。
人付き合いを除けば何かと要領が良く、手先も器用なテオは、探せば冒険者よりいくらでも安全な職に就くことは難しくなかっただろう。
そのあたり、人間が持って生まれるはずだった一般平均の器用さすらその暴力性に費やしたように、絶望的なほどの不器用人間である兄弟子ニールに比べ、テオはいくらでも融通が利いた。
けれど、いずれは種に挑むのなら、日々の研鑽を欠かすことはできなかった。何よりも、テオ自身がそれを必要とした。
より多くの実戦経験を積むという意味でも。種との衝突時に活用が期待される城壁の防衛に貢献するという意味でも。唐突な独り立ちで切迫した収入面的な意味でも。
冒険者という職はテオが当時求めていた多くのものを満たしているように思えた。
ゆえにテオは、いくつもあった選択肢の中から、それでもなお冒険者としての活動を始めることを選び、五年経った今でもそれを続けている。
「お前にさせて、極められないことは多くあれど、全くできないことといったら魔術と祈りと人付き合いくらいだね」
師匠ミダスはテオにそう言って、ならばこれも扱えないことは無いだろうと言う適当さで、大薙刀を渡した。
テオが扱うにしても大振りなその武器は、テオのために誂られたわけでもなければ、使いこなせることを期待されていたわけでもなかった。
ただ“他に渡せる者がいなかった”ために、穴埋めのように託された大薙刀は、しかし、師匠の元を離れてもなお、テオの手に納まっていた。
「友達を作りなさい、テオドール」
それは確かに師匠ミダスがテオに言った言葉だった。テオは冒険者となった後、その言葉を動機に、所属できるパーティを探すこととなった。結果としてその試みは失敗に終わっても、テオは未だにその言葉に後ろ髪を引かれている。
師匠に期待されていたような人間になれたのだという自信は、いつまでたってもつきそうになかった。
「その相手のためなら死んでもよいと思える友達を作りなさい」
あの日、テオに対して続けられた師匠の言葉は、まるで子どもに言い聞かせるようだと思った。しかしそれが優しさや甘さだけから生まれた言葉ではないことも、テオにはすぐに理解が出来た。
「たとえお前が恐怖を前に怯んでも、その背を戦場へと押しやる友達を作りなさい」
つまり師匠ミダスにとっての友達というものは、役目を前にしりごんだ人間を自動的に絞め殺してくれる絞首台とそう変わらないのだろうか。
テオは脳裏に浮かんだその言葉を、ひとりひそかに飲み込んだ。それを口に出すには、師匠の俯いて髪に隠れた火傷の顔が、あまりにも悲しそうに見えたからだった。
しかし、どうしても。
師匠ミダスの言う友達作りというのは、テオには難しいものだった。
冒険者として登録してから、テオは初めてパーティに所属した。師匠の勧めで顔を合わせたホゾキには最低限、身の上話をしたが、聖教と確執があるというそれを冒険者の仲間たちに話すことはしなかった。
それを公にしてもろくな事にならないことは、師匠との生活の中でもテオは十分に理解していたからだ。
聖教から離反した聖骸ミダスが、どうにも聖教から疎ましく思われているらしいと、幼かったテオが理解するのに、そう時間はかからなかった。
中央と繋がりの深い教会に近寄ると、テオはそれをしみじみと実感した。獣でも追い払うように松明をかざして、教会のある街へ入ることを拒否されたこともあった。
魔物退治のために身を寄せた村の宿で、くたくたに疲れた体を休ませていた夜、尻を蹴られる様に追い出された経験は大分堪えた。正直に言うのなら、テオはそれと似たようなことを重ねたくはなかった。
だからテオは、あくまでもホゾキから紹介を経て冒険者を始めた新人として、ひとつのパーティに所属した。
長物を扱う前衛職。得意なことは敵を斬ること。苦手なことは魔術の行使。そうして並べた項目は、悪目立ちしない、よく見る類の冒険者だった。
しかしそれは、結果として失敗だったとテオは認めざるを得ないだろう。
腹の中を隠して付き合うには、パーティというものは密すぎた。命を預け合う関係を軽視していたわけではなかったが、しかしテオは、人が人を蔑視する欲や快楽というものをまるで理解していなかった。
「祈らないのかい?」
そのパーティで活動を始めてから、初めて怪我をした時に、テオはそう訊ねられた。質問の形をした言外の催促だと言う事は、テオにも理解が出来ていた。
質問をしたのはそのパーティに元から居た聖職者で、確か、テオよりも年上の男だった。
テオはもうその聖職者の名前も覚えていないが、いかにも可笑しいものを見たと言いたげな、ぽかんとした男の顔をよく覚えていた。
「祈りたくない。でも、治してくれてありがとう。もう痛くない」
綺麗にふさがった腕の傷があった場所を、指先でなぞりながら答えたテオは、言葉の通りの感謝の気持ちをその聖職者に対して持っていた。その言葉ばかりは嘘ではなかったし、ぶっきらぼうな口振りとは裏腹に、テオにとって不快な質問をしたその聖職者を悪く思うことは無かった。
師匠ミダスといる時は、いくら金を積んで癒術をお願いしても、首を横に振る聖職者などいくらでも見てきた。ゆえに、テオにとっては、傷を癒してくれたというその事実だけで心の底が暖かくなるような感謝を抱くには十分だったのだ。
だからこそ、ただ仲間だと言うだけで治してくれるその聖職者にも、忌憚なくテオを心配する態度や言葉にも、本当に、心の底から報いたいと、思っていた。
「どうして祈りたくないんだい?」
聖職者の男のその問いに、テオは自分がなんと答えたのか、その一言一句を覚えている訳では無い。ものの言いようを知らない若き日の自分の、拙い言い分の棘が無かったと胸を張ることも出来ない。
それでも、確かにあの日のテオは自らの中にあった理由と呼べる言葉を述べた。本当に、それだけのつもりだった。
「祈ってた人が死んだんだ。それを、おんなじく祈った人が喜んだから。俺、それと同じことしたくない」
ブーツに包まれた爪先を睨みながら吐き捨てたテオの言葉は、極端に感情に寄っていた。むすりとへの字に曲げられた口元を噛み締めるようにしてそっぽを向いた子どものようなテオの態度に、聖職者の男はただ顔を顰めただけだった。
「ごめんなさい。だから、俺、祈れない」
抱えた大薙刀の長さにもたつきながらも、テオは最後にそう言って、聖職者の男に頭を下げた。自分の抱えた理由が、相手にとって納得のいくものとは限らないことも理解していたつもりだった。
テオにとってその謝罪は、折り合いのつもりだった。悪いことのないように願って、自分から境界線を引いた。
「……それ、じゃあ、今日は帰る」
それを受け取られているかどうかを確かめることもしないまま、放っただけで終えたつもりにさえならなければ、その謝罪は悪い方に転がるだけではなかったのかもしれない。
それを確かめる術はもう無い。しかしそれは、微かな蟠りとして、テオの心のどこかに巣食っていた。
居心地の悪さだけを感じて逃げるように仲間達の前から走り去ったテオは結局のところ、自らに向けられた視線と向き合うことは無かった。




