81話 臆病者の穴の底1
【81】臆病者の穴の底1
半ばで絶たれた首と、頭蓋を割られて中身を撒いた頭部。体の半分を土に埋めて絶命したオルトロスの死体が、罠として使われた大穴の底で横たわっていた。
その亡骸の傍らで、膝を着いて愛娘の人形を抱くエイダンは、固まりきらない返り血を浴びた腕で抱いた人形をあやすように、ゆらゆらと体を揺らしていた。
その姿を同じ穴の底で遠巻きに眺めたテオは、エイダンと同様に血まみれになった髪を解すように乱雑に頭を掻く。それでも頭のてっぺんから大量に被った血はどうにもならず、結局は着込んだシャツをめくりあげて顔を拭った。
「落ち着いたか、エイダン」
鼻を刺す鉄の匂いに顔を顰めながら吐き出されたテオの言葉に、エイダンは無言で顔を上げる。
オルトロスに叩きつけられたダメージが大きいのか、もしくは叫びすぎて酸欠を起こしているのか、無骨な鎧に包まれた上半身がふらふらと揺れていた。
「……ああ、もう、大丈夫だ」
テオの問いかけに、エイダンは疲れたように肩を落して答えた。暗がりのためか、その目元の皺が深く影を作り、いやに老けて見える。
腕に抱えた人形を大事に離さないエイダンへ、テオはなんとなしに歩み寄った。くらくらと揺れるエイダンは、傍に近寄るテオを特に避けるでもなく眺めている。
深い穴の底から出るためのロープは、未だに垂らされる様子は無かった。どうにも段取りが悪い。テオはエイダンの隣に並び立ち、首を傾げて上を見上げるが、やはり脱出の手立てが降りてくる様子はなかった。
テオは、自らよりずっと高い位置にあるエイダンの肩に付着した土汚れを乱雑に手で払う。ぱすぱすという音と共に、その手つきとは異なったゆっくりとした口調で話す。
「まだ、しばらくは出られなさそうだ。座って待とう」
「ああ、そうだね。今日は少し、疲れた」
テオの言葉に頷いたエイダンが、オルトロスの血溜まりに足を取られるように壁際に寄る。ずるずると鎧を壁に擦り付けるように座り込んだエイダンの隣に、テオも同じように腰を下ろした。
「すまないね。見苦しい所を、見せた、だろう」
人形のほつれた髪を撫でたエイダンが途切れ途切れに言った。打ち付けた胸が痛むのか、エイダンは時折言葉の合間に短く吐息を吐いていた。
テオはその言葉を聞きながら、大きな上着の下に隠れた自らの腕の様子を確かめるように擦る。
「いいや。気にする事はない。こう言うの、お互い様だ」
「そう言って貰えると、助かる」
テオの言葉に、エイダンは疲れたように俯きながら答えた。曖昧な様子のエイダンの返事に、テオは自らの腕に向けていた顔を上げる。
こうして並んで座っていると、出会ったばかりの頃を思い出すようだ。その懐かしさともつかない感情に、テオは思わず苦笑いを浮かべる。
「思い出してみろよ。見苦しさで言うなら、俺のほうがもっと酷かった」
そう言ったテオの声はどこか恥を含んでいた。気恥しそうに頬をひきつらせて笑うテオを、青い瞳を持ち上げて見詰め返したエイダンが、釣られるように苦い笑いをこぼす。
「そうだったね。やんちゃ坊主はもう卒業できたみたいで良かったよ、テオ」
「反省してるんだ。あんまり言わないでくれ」
からかうようなエイダンの言葉に、テオはかくりと首を折って返した。テオのその態度に、先程までの苛烈さや暗く俯いた様子をなくしたエイダンが、普段の穏やかさを取り戻し、小さく笑う。それを横目に見たテオは、態とらしく眉尻を下げて肩をすかした。
どうにも。
テオはこの金属鎧の大男が俯いているのを見るのが苦手だった。腕の中に抱えたままの人形諸共、明るい場所にいて欲しくて仕方がない。テオはほんの少しだけ安心したように息を零した。
「懐かしいね。本当に」
「もう五年くらい前だからなあ」
穴の底から空を見上げたエイダンの言葉に、テオは懐から小型ランプを取り出しながら答える。二人並んで座った穴の底はほの暗く、先週までテオが巡回をしていた鉱山の暗がりを彷彿とさせた。
穴の底から二人を助け出す縄は未だ落とされる様子はない。並んで座った二人は、時間を潰すようにぽつりぽつりと話し始めた。
「成長したかい」
「背は伸びてない」
エイダンの大きな手のひらがテオの頭の上をぽすぽすと上下する。大きな大人が子どもをからかうようなその仕草に、テオはそっぽを向きながらエイダンの腕を払った。
ぶっきらぼうなテオの態度に腹を立てるわけでもなく、ただ仕方がないと言いたげに柔らかな吐息を吐き出したエイダンが言葉を続ける。
「背伸びはやめられたかい」
「……やめられてるように見えるか?」
立てた膝を囲うように三角座りをしたテオが答えると、エイダンは腕の中の人形を抱え直しながら肩を竦めた。
「苦しそうに見えるね。今にも足をつりそうだ」
「じゃあ聞くなよ」
「はは、いやあ。どうにも、君が聞いて欲しそうにしているように見えたものだから」
図星だと言われれば、テオはそれを否定することが難しかった。別に自分から詳らかに話したいわけではなかったが、それでも、聞いて貰えるというのなら、誰か関係の無い人に話したいと思う欲が確かに腹の底に存在した。
誰かの前で戦ったことはあっても。
誰かを守りながら戦ったことはあっても。
自らを手本として見せたり、その命に責任を持ったり、問われたことに正確に答えなければならないと自らを戒めたり。そういった、先人たる重荷を、テオは実の所あまりよく知らなかった。
それまでのテオはどうしたって聖骸ミダスの弟子で、兄弟子ニールの後見で、冒険者としては中堅になりつつあってもソロとしてはまだまだ下から数えた方が早い程で。更には、聖教嫌いと揶揄されては遠巻きにされる類の人間だったから。
だから、レジーがテオをそう呼んだように、先輩などと言う大層な冠を載せられて後を着いてこられるのは、初めてと言ってもよかったかもしれない。
そういう時に、そういう相手に。
見栄を張ったと言えば聞こえのいい、悪し様に体裁を整えたテオは、どうにも言い知れぬ疲労感を感じている。
そういう情けのない自分に、何よりもテオは落胆してしまった。憧れていたものとの差は大きいのに、なりたくないものとの距離は嫌に近く感じてしまう。落ちぶれる、という言葉を、テオは今だけは聞きたくなかった。
くたりと肩を落として、テオは三角座りをした自らの腕に頬を預ける。眠たげに伏せられた瞳はすっかりとその灰色を隠してしまっていた。
「先輩って、難しい」
「そうかい」
「立派だとか、凄いとか、思われなくてもいいんだけど」
「うん」
「あいつの、レジーの、後々のためになること、俺、ちゃんと出来ているのかな。どういうこと、してあげられたら、いいのかな」
テオは外気で嫌に冷えた鼻をすすりながら、血の匂いに顔をしかめる。目の前にある大きな獣の死体は、座り込んで話す二人を物言わぬまま見つめていた。
二つ頭の狼の恨めしげな視線から逃れるように膝に顔を埋めたテオに、エイダンが言葉を続ける。
「後輩の前で、背筋を伸ばしているのは疲れるかな」
「うん。思っていたより、重い」
「でも、格好つけたかったんだろう」
「……まあ、そりゃあ」
慰める側の役目は、既に変わっていた。先程まで俯くエイダンの背中を支えんとしていたテオが、次はぐったりと肩を落としている。落ち込んだテオの隣で、しかしエイダンは静かにその話を受け止め続けた。
「役に、立ちたい。足を引くのは、嫌だ」
「それはまた。難しいことを言うね、テオ」
「……うん」
結局のところ、いい格好をしたがった背伸びだと言う事を、テオは認めざるを得ない。それでも、例えばテオにとっての兄弟子ニールがそうあったように、自分が憧れた人達が与えてくれた沢山に焦がれた。
だから、きっと。
レジーの前に顔出したその時に自分は、けろりと平気な顔をして水浴びでも強請るのだろうとテオは思う。すっかり乾いた獣の血は生臭く、テオの上着に染み付いてしまっていた。
テオドール、お前は弱いのだから。そう言って沢山のことをテオに教えてくれた兄弟子ニールを思い出す。彼もまた、自らを弟弟子として迎え入れたその時から、こうして悩んでいたのだろうか。
テオの記憶に焼き付いているのは、その迷いの片鱗すら見せないまま背筋を伸ばして前を歩く小柄な背中だった。




