80話 雪辱4
【80】雪辱4
勝敗は決した。
オルトロスが落下した大穴の淵に立ったテオとエイダンは、揃って底を見下ろした。
穴の底に強かに体を打ち付けたオルトロスも、立ち直り穴からの脱出を試みている。しかしどれだけ伸び上がってもその前足が穴の縁まで到達することは無かった。
原型が狼である以上、垂直方向への跳躍を苦手とするオルトロスは、その巨大な体躯には狭すぎる穴の中から咆哮する。
「響くものだね。まるで管楽器のようじゃないか」
穴の面を反響して届いたその咆哮に顔を顰めたエイダンが口を開く。澄んだ氷のような青い目は、ただ無感情に足元の地面よりも遥か下にいるオルトロスを見下ろしていた。
「そういう文化はよく分からない。でもこれは聞いていて心地よくはないと思う」
「そうだね。これは少々喧しい」
テオの返答に対し、大きく頷いたエイダンは背負った大剣を引き抜いた。
数多くの魔物の骨を砕き肉を潰したその大剣は、片腕で振るうにはあまりにも大きい。
テオの持つ大薙刀に匹敵する重量を誇るその大剣は、魔物を殺すことを目標として来なかったエイダンによりろくな手入れを受けておらず、既に酷く刃毀れしていた。
故に、エイダンが持つその大剣は既に斬ることに向いた元のそれとは別物だ。叩き潰す、もしくは押し切る事で多くの命を奪ってきた。
「準備終わりました。魔術師組はいつでも行けます」
並び立つ二人に向けて、壁の上から声がかけられる。オルトロスを落とした穴を作成する補助をしたパーティ所属の魔術二人を引き連れたレジーだ。
「精々上手くやれ。仕事を増やすなよ」
同じように壁から下へと降りてきたジルがテオとエイダンに近寄り、身体強化の魔術を二人へと施す。
そもそもが魔術を得意としないテオが自分で施すよりも格段に質のいい身体強化の術式が、ジルの手によりテオとエイダンの体を補強する。
その隣で穴の底を覗き込み、不自然な発色をしたライムグリーンの瞳を瞬かせたモニカが言う。
「オルトロスって言ってもなあ。見る限り、五年前の個体とは変わらないようだ。こいつら、図体の割に根本的な部分では結局ただの魔物と変わりなかったからねえ。一応死体は調べたいけれど、飛び出た頭と首ぐらいなら好きに切り刻んで構わないよ、脳筋ども」
「鬱憤ばらしみたいに言わないでくれ」
「ふふん。再利用するつもりも無いのなら、その暴力に付加価値などないだろうよ。素晴らしき正義と護りの名のもととやらで、さっさと命を奪っておやり。生きたまま腹を開いて中を見るには、流石にこの魔物は私の手に余ってしまう」
じとりとモニカを見下ろすテオは大きく溜息を吐いた。たとえ女性にしては長身のモニカでも、それより背丈が高いテオと目線が並ぶことはない。
下から見上げるようにテオの前に立ちはだかったモニカは、くるりと口角を持ち上げて更に口を開いた。
「上手に出来たら君のお師匠様にも報告してあげよう。ご褒美を楽しみにしているといいよ。きっと満足する」
「ご褒美ね、楽しみ楽しみ」
お手製の染毛剤により派手な蛍光ピンク染められた髪を揺らして笑うモニカに、テオは小さく手を振ってぞんざいな扱いで返事をした。
少しでも曖昧な態度を見せれば食いつかれるのは目に見えていたので、断定した言葉で返すようにしてはいるものの、早いこと切り上げたいのも本音だった。
そうして話しているテオへと近付いたレジーが口を開く。その視線は深く開いた穴の口へと向けられていた。
「始めてもいいですか?」
「ああ、頼むよ。ええと、レジー、だったかな」
「はい。レジーですよ。じゃあ始めますね」
テオの代わりに答えたエイダンの言葉に、にこやかに頷いたレジーが言う。
手招きで他二人の魔術師を呼んだレジーは、その穴の淵に手を着いた。
「埋めます」
その言葉を皮切りに、穴の縁から盛り上がった土がその底へと落下した。未だに底で暴れ吼えていたオルトロスが頭からその土を被る。
片目の潰れた頭を振って、怪我をした足でもがいても狭いその穴の中では降り注ぐ土を避けられず、その体は徐々に埋まり始めた。
グオォオオオオオ!
唸り声を上げるオルトロスの体がその前足を含めて土に埋まる。辛うじて高く維持した二つの頭部だけが、まるで土から生えた根菜の葉のように頭を出していた。
「さっさと殺してやれ。煩くて敵わん」
テオとエイダンに一通りの身体強化を施し終えたジルが言う。
その言葉を合図に、テオとエイダンはそれぞれの武器を構え、その穴に飛び込んだ。
その刀身が真下に向くように大薙刀を真逆に構えたテオが、オルトロスの二つの首の内片方の頭蓋を目掛けて落下する。
同様に飛び降りたエイダンは、落下の重力を利用して力任せにその大剣を片腕で振り抜いた。もう片方の腕に依然として抱かれる人形メイガンが、くすんだ色の髪を落下によって生まれた風にたなびかせている。
「即席だが、お前専用に誂えた断頭台だ。素敵だろう、なあ!」
がなり声と共に晒されたオルトロスの後頭部へと大薙刀の刃先を突き立てたテオは、すぐさま長い柄の中程へと足を掛けた。
落下の衝撃と自らの体重を利用して突き刺さった大薙刀を片刃の方向へと傾ける。
骨の中央に突き刺さった大薙刀は、その持ち主によって横倒しにされ、オルトロスの首を掻き切った。
長い瓜を半ばで手折る様に落ちたオルトロスの首が転がる。骨による支えを失ったそれは、辛うじて繋がる筋を引きちぎりながら胴体との永遠の別れを果たした。
「エイダン、は……」
オルトロスの断ち切れた首から溢れる血液を避けるように、軽いステップを踏んで穴の壁際へと逃れたテオが、エイダンが斬りかかったもう一方の頭を見上げる。
グオォオオオオオ!
テオが顔を上げたと同時に轟いた咆哮に耳を塞ぐ。
エイダンの大剣は、確かにオルトロスの頭部を捉えていた。それは確かにその頭蓋に罅を入れ、脳の表面を潰しただろう。
しかし命を奪うには足りなかったその一撃を受けたオルトロスが、かち割れた頭を振り払い、エイダンの巨体を壁に打ち付けた。
「エイダン!」
オルトロスの頭により壁に挟み込まれたエイダンを目視したテオが叫ぶ。
辛うじて人形を抱きしめる為に畳んでいた腕で内臓を守ったエイダンだったが、その衝撃で抱き抱えていた人形メイガンがその腕から零れ落ちた。
テオの足元まで転がった人形メイガンを見失ったエイダンが、その氷のような青の瞳を見開いて揺らす。太い喉笛を精一杯に開いたエイダンは、オルトロスの咆哮に劣らない大声で慟哭した。
「あ、ああ、あああ、メイ、ガン、メイガン、メイガン! メイガン、どこだ! どこへ行った! メイガン! メイガン! どこに!」
手探りで人形の娘を探すようにもがいたエイダンの腕がオルトロスの傷口に触れる。
割れた頭蓋を刺激された痛みの為か、それとも自らに刃向かって傷を付けた人間に怒りを抱いた為か、牙を剥き出しにしたオルトロスが唸り声を上げた。
その唸り声に釣られたエイダンの視線がオルトロスを貫く。歯を剥いたエイダンがオルトロスの唸り声に負けないだけの声量で怒鳴り声を上げた。
「貴様か、貴様がァ! 薄汚い獣風情が! 娘を! よくも! よくもォ! 神に背いた糞どもが! 存在すら罪深い埒外どもめ! 娘を! 妻を! 返せ! 娘を返せ、返せェ!」
エイダンの慟哭とともに、壁に叩きつけられようとも決して手放されなかった大剣が振り上げられた。
その長身を壁に押し付けるオルトロスの頭へと、両腕で構えた大剣をエイダンは何度となく振り下ろす。
「返せ! 返せェ! メイガン! メイガンが! 貴様らの命と! あの子のそれが! 釣り合うものか! より多く死ね! より多く朽ちろ! 血反吐を吐いて息絶えろ! 泥にも劣る空疎の同胞がァ!」
辛うじて脳を守っていた頭蓋が砕け、大剣がその脳髄を撒き散らす。
片方が無くなった目玉も、振り下ろされる大剣と変わりない大きさの牙も、吼える度に剥き出しにされた喉笛も。
止まることを知らないエイダンの腕がその全てを砕いてもなお、エイダンがその暴虐を止めることは無かった。
「エイダン! 止めろ! もう死んでる! エイダン!」
撒き散らされる血液から守るように、慌てて人形メイガンを拾い上げたテオが必死に声を上げる。
しかし叫ぶテオの声を意識的にか無意識的にか無視したエイダンは、尚も鈍器と化したその大剣を振り下ろし続けた。
「奪わせるものか! 二度と! 二度とォ! 冥府へ落ちろ! 煮える沼で苦しめ! 死した後もその魂を踏み躙られればいい!」
エイダンがその腕を振り下ろす度に、割れたオルトロスの頭から血が飛び散った。その返り血から人形メイガンを守るため、オーバーサイズの上着の中に庇ったテオが叫ぶ。
「エイダン! 止せ! いいのか! メイガンが、メイガンが汚れるぞ!」
テオの必死の叫びは、はたしてエイダンの耳に届いた。返り血を頭から被ったテオへと、呆然と顔を向けるエイダンがそれまでの苛烈さを失い口を開く。
「メイガン、メイガンは……」
「君の娘はここにいる。だから、これ以上は止そう、エイダン。こんなもの、メイガンに見せてはいけないよ」
そう言って、テオは血を浴びて赤く染まった上着の影から人形メイガンを差し出す。
斥候用の装備であるために分厚く作られたテオの上着は、その下まで血液を浸透させずに済んでいた。お陰でその人形は一滴の血にも汚されてはおらず、地面を転げた際に付着した土汚れ以上の傷みは見えない。
差し出されたその人形へと、エイダンはふらついた足取りで手を伸ばした。手放された大剣が地面に転がり、土埃を立てて沈む。
「ああ、ああ。泣かないで、メイガン。大丈夫、大丈夫だよ。お父さんがいるからね。怖いものはもう全部いなくなった。大丈夫、大丈夫だ、メイガン。大丈夫だから、いつもみたいに笑っておくれ、お願いだ、お願いだよ、メイガン」
オルトロスの返り血に塗れたエイダンの手が人形に触れれば、落ちにくい染みになってしまうことを危惧したテオが、懐から無事だった止血帯を取り出して人形を包んだ。
布に包まれた人形メイガンを恐る恐る震える手で受け取ったエイダンは、その青い瞳が溶けたような涙を落として、自らの娘をその腕へと抱きとめた。
いつもブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告など沢山の反応を頂き、ありがとうございます。
毎日投稿はこれにて一度終了となります。
これ以降は、話のまとまりごとに出来上がった分から投稿したいと思いますので、次の投稿開始を今暫くお待ちください。
今後も『錫の心臓で息をする』にお付き合い頂ければ幸いです。




