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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
76/144

76話 バーサス3

 

【76】バーサス3




 穴の上を塞いだ土の下から、生き埋めにさせられたテオが壁を叩く鈍い音が響く。

 その丸く盛り上がった土に向けて、レジーは得意げに口を開いた。


「クローシュ被ったテオドールさん、言いたいことはありますか?」


 光を遮る程度に被せられた土の下、がつがつと脱出を試みる物音が聞こえる。しかしそれも十数秒経った後、脱出を諦めたテオの叫びに変わる。


「参った! 降参! 俺の負けでいいから出してくれ! 狭い! 暗い! 届かない!」

「はん! 私の勝ち! どうだ! 私の方が強いでしょう! 認めてくれてもいいんですよ!」

「分かったから! 早く出してくれ! 怖い! 怖い!」

「えあ、閉所恐怖症だったりしました!? あ、暗いの駄目!? すいません! 今出します!」


 テオの言葉に慌てたレジーが地面に手を付き穴の蓋を外す。その下で精一杯上に手を伸ばしていたテオが、顔も頭も土に汚して眉を顰めていた。


 伸ばされたテオの手を取り、非力ながら穴からの脱出を手伝ったレジーが口を開く。


「ごめんなさい、頑強を地で行くあなたがそんなデリケートなこと言うと思わなくて」

「暗いのはいいけど、狭いのは嫌だ……。ついこの間、そういう場所で散々な目にあったばっかりなんだよ……」


 穴から引き上げられ地べたに座り込んだテオが言う。


 一週間ほど前の鉱山での経験は、暗く狭い土の中でテオに巨大蟻の幻影を思わせた。

 手にした大薙刀が満足に振るえない場所で、またもあれを相手にするのは御免被りたいとテオは頭を振る。


 ソフィアの権能である“操作”による補助がなくとも、大薙刀を失ったテオは巨大蟻のような堅牢な護りを持つ魔物に対しては酷く無力だった。


 ひしゃげて折れた左腕も、強く打ち付けて割れた頭も、地面を転がってあちらこちらに作った痣も。

 ジルの手により完治こそしてはいるが、暫くあんな痛みは勘弁願うと思うほどには十分大き過ぎる負傷だった。


「にしても。案外あっさり負けを認めましたね」


 地面に向けて項垂れるテオを見たレジーが小首を傾げて口を開く。回収した細剣は、すでにその腰に収まっていた。


「おまえ、おま、忘れてるのか……時間が無いって言ってるだろう……持久戦なんてしてる暇無い……」

「そ、そうだった……」

「お前……、本当、お前。馬鹿、とんちき」

「てへへ」


 テオの言葉にようやっと事態を思い出したのか、両手で口元を覆ったレジーが苦笑う。


「疲れた……無駄に……予想以上に疲れた……」

「人のこと自分より弱いって舐め腐ってるからそうなるんですよ」

「舐めたつもりはないんだが……、お前、なんで魔術師の方がそんなピンピンしてんだよ。スタミナありすぎだろ、訳が分からん」

「てへへへ。消耗したけど損耗はしてないんで許してください」


 顔を上げたテオは、じとりとした視線でレジーを見上げる。その視線を受けたレジーはしかし悪気なく笑って頬をかいた。


「テオ! テオ! テオドールはどこだ! まだ来ないのか!」

「はーい! テオドールここでーす! 今行きまーす!」


 壁の上から急かすようにテオを呼ぶ声に、レジーが代わりに答えた。その様子を見上げたテオは、大きく溜息を吐き出し、付着した土を払って立ち上がる。


「行こうか」


 大薙刀を担ぎ直したテオが言う。その向かいで、はたと目を瞬かせたレジーは、零れるように笑った。

 ふすふすと息を零すように笑い動き出そうとしないレジーを見て首を傾げたテオに、レジーが口を開く。


「引かないで、聞いて欲しいんですけど」

「なに」

「私、あなたの“行こうか”は好きですよ」


 レジーの言葉に、初めは思考が追い付かずぼんやりとしていたテオだったが、理解が追いついた途端に慌てて頬を隠すように手の甲をかざした。


「なに、急にッ! なんだ、どうした」

「だって、行こうとするまでちゃんと待っててくれるじゃないですか」

「置いてくほど薄情に見えたか」

「そうじゃなくて」


 レジーの言葉に眉を吊り上げたテオに対し、レジーは綻んで笑う。


「歩幅を合わせてもらえていると、そう思うのは嬉しいものです。だからどうか、置いていかないでくださいね」

「……どこか、打ったか?」

「もう! そうやってすぐはぐらかす! とんちきはどっちなの!」


 テオの言葉を聞いて、次に肩をいからせるのはレジーだった。長いコートの裾をはためかせ、握りしめた両腕を上下させて抗議する。


 そんな後輩の様子を眺めたテオは、小さく息を吐いて口を開いた。細められた灰色の目が、未だにわたわたと抗議するレジーを見る。


「何でもいいけど、ここ、後始末してから来いよ」

「え」


 レジーが立ち上げた土壁は計四枚。開けた穴は大小二つ。さらに薄く割れた地割れに、盛り上げた土の塊と、辺りは荒れに荒れた様相を見せていた。


 その光景を指差したテオが、寝耳に水を垂らされた様なレジーに対し追い打ちをする。


「俺、魔術使えないから無理。手伝えない。自分でやったんだから一人で片付けられるよな。俺は先に上に行くよ。流石にこれ以上遅れるとどやされる」

「ひ、酷い! 今さっき置いていかないでって話したばっかりじゃん! この薄情者!」


 そう言ってテオの上着の裾に手を伸ばしたレジーを避けたテオは、さっさとその鉛色の瞳に背を向ける。


「知らん。さっさとやって、さっさと来なよ」

「待っててくださいね! 先に壁向こうに下りたら駄目ですからね!」

「はい、はい」


 ばたばたと地面に手を付き荒らした地面を片付け始めたレジーが怒鳴る。その姿に背を向けて、今度こそ悠々と階段に向けて歩き出したテオは、聞いているのかいないのか、適当な返事で後方に向けて手を振った。


「絶対ですよ! 絶対! 絶対!」

「はいはい。絶対、絶対」


 レジーの念押しに乾いた笑いを浮かべながらテオが答える。

 大薙刀を担いだ腕をその長い柄にくるりと絡め、そそくさと階段を駆け上がった。


「……はあ、熱い。走ったから、走ったからだ。もう、本当、余計なことをした」


 そう言って、ぶんぶんと焦茶色の頭を振ったテオは、鈍い音を立てて階段を蹴る自らの足を見下ろした。


 足場の悪い場所でも問題なく走れるように頑丈に作られた底の厚いブーツだ。

 五年前、仲間を担いで走った自分が履いていたものと同じそのブーツは、垂直に張られた落とし穴の壁を攀じ登るには向かなかった。


 五年前の自分達五人をオルトロスから逃がしてくれたこのブーツも、今回ばかりは追っ手から逃げ切ることは難しかったらしい。


 重かった。

 そう、テオは五年前のあの日を振り返る。


 自らの獲物である大薙刀ですら手に余る重量があり、それを振るう為に自らの命を守る防具すら捨てた。

 テオは確かに一般の冒険者、そのうちの前衛を務める多くの人間と比べても、身体能力に長けている方であると言えるだろう。

 持久力も、瞬発的なパワーも。伊達に聖骸ミダスに長年師事する兄弟子ニールから育て上げられ、旅立ってもいいと許された訳では無い。


 それでも。

 あの日の自分の腕が抱えたものは、あまりにも重すぎたとテオは過去を振り返る。


 自らは着ることを諦めた鎧を纏った重戦士。

 細身であろうとも大の大人であった魔術師。

 決して子どもではなかった聖職者である癒術師。


 その三人を、あの日のテオは必死にこの腕に抱えて荒野を走ったのだ。いつもなら、走って追いつける斥候の背中が酷く遠く感じた。


 骨が軋む音がした。筋が断ち切れるかと思った。一度でも足を止めれば、もう二度と走り出せない気がした。

 だから、倒れ込むように前に傾げる体で、テオはあの日の荒野を精一杯に走ったのだ。


「案外、軽かったな」


 テオは三メートル四方の落とし穴の底で抱えたレジーの体を思い出す。


 レジーは普段から鎧も着込まず、あの時は腰の剣もなかった。剣を振るうものの、重い装備のない細身の魔術師の体だ。


 いくら魔術によるブーストと強風があったからと言って、着込んだコートの布面程度で舞い上がれるその体は、どこか酷く軽く感じた。


「あれなら、今度はもっと遠くまで走れる」


 そう言って階段を登りきったテオは、いくら呼んでも中々やって来ない男を延々と待ち構えていた兵士による、こんこんとした怒鳴り声に迎えられた。





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