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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
74/144

74話 バーサス1

 

【74】バーサス1




 レジーがギルドに登録し、その初戦を果たしてから五日が経った。


 その間、テオはエイダンの背を追うことはなく、レジーと二人ペアを組んだテオは、それでも多くの魔物を殺した。


 レジーが無理をしない範囲を見極めるように、冒険者と兵士の殲滅混合部隊の付近を付かず離れずの距離で先導し、レジーもその戦場に慣れ始めた頃だった。


 アーニーがその五日の間で、テオにレジーの話をすることもなかった。

 テオは宣言通りそれを聞かなかったし、アーニーはその沈黙に甘えた。


 そうして五日が経ったその日、テオはミンディが城壁にいないことに気が付いた。

 仕事終わりに焚き火の前で一応の挨拶だけはしていた昨日までと違い、ミンディの姿が全くもって見当たらない。


 隣で焚き火の熱に手を翳し、暖を取るレジーを振り返ったテオが問いかける。


「レジー、ミンディを見てないか」

「ああ、そう言えば今日は来ませんね。何かしたんですか?」

「いやあ、俺が知りたいんだが」

「痴話喧嘩なら巻き込まないでくださいね。犬も食わないもの、私だって嫌ですよ」


 水を浴びた鉛色の髪を解すように掻き回したレジーが言った。

 それまで飾りのように切っ先を地面に向けていた細剣も、どこか気味悪く突進を繰り返す魔物の群れに当たった今日ばかりは出番があり、物の見事にその返り血を持ち主諸共被ったのだ。


「ミンディとはそう言うんじゃない。……まあ、いいか。そのうち来るだろ」


 立てた膝の上に頬杖をついたテオが言う。自分からレジーに話を振っておいて、その視線はいじけたように他所へ向けられていた。


「冷たい彼氏さんだなあ」

「違うって。しつこい」

「だって満更でもないでしょ?」

「……しつこい」


 その隣からにじり寄ったレジーがテオをからかう。この五日ですっかりテオの態度に慣れきったレジーは、座り込みそっぽを向くテオの脇腹を肘でつついて笑った。


 焚火の周辺は安全地帯の内側であることもあり、気の抜けた雰囲気が二人を囲う。濡れて張り付いた服が程よく乾き、そろそろ帰ろうかと二人が腰を上げた時だった。


「オルトロスだ!」


 城壁の上から、叫ぶ声がする。

 その名前に素早く城壁を仰ぎ見たテオは、その隣で同じく壁を見上げるレジーの背中を叩いた。


「レジー、お前は先に帰っていてくれ。俺はもう少し残る」

「私も、私も残ります」

「いらない。帰れ」


 詰め寄るレジーに首を横に振ったテオが言う。尚も口を開こうとしたレジーの背後の壁の上で、焦ったように鎧を鳴らした兵士が声を張り上げた。


「テオ! テオドールはいるか!」

「ここだ!」

「オルトロスが出た! お前も出てくれ!」

「ああ、すぐ行く!」


 兵士の言葉に直ぐに返答したテオが、レジーへと向き直る。鉛色の瞳を揺らしてテオを見詰めていたレジーと目が合った。


「帰ってろ」

「敵が来たなら戦力は多い方がいいでしょう! 私も戦えます!」


 そう言って胸に手を当てたレジーがテオに詰め寄る。

 オルトロス。二足歩行の狼の大型種。五年前のテオはその魔物に三人の仲間を殺されている。あの日の戦場で安全地帯を見誤ったテオは、もう二度とあの魔物に知った顔の命を食わせるつもりはなかった。


 テオは無感情を装う様に視線を足元へと落とし、鉛色の瞳から目を逸らして口を開く。


「いらない。同じ魔物に仲間を二度も殺されたくない。帰れ」

「私は死なない!」

「何を根拠に言う!」


 レジーの言葉にテオが声を張り上げる。

 人が死ぬ事に理由や原因は存在すれど、死なない事に同じようなそれらが存在しないことを、テオはよく知っていた。


 戦場ですら聞いたことの無い程のテオの怒鳴り声に、レジーは思わず息を飲んだ。

 しかしそれで怯み退くのならば、レジーという人間がこうしてテオと五日間を過ごすこともなかっただろう。


 持ち前の立ち直りの早さで復帰したレジーは、自分の脇を抜けようとするテオの腕を掴む。


「で、でも! 死ぬとか、そういう事を言うのなら! 貴方に何かあったらどうするんです! ベルちゃんはどうなるの!」

「もう死ぬつもりでは行かない。それに、そんなことお前も同じだろう。お前に何かあれば、リオはどうするって言うんだ」


 リオの名前を聞いたレジーは言い淀む。しかしその腕が離されることは無く、レジーはテオを引き止める錨のようにその腕にしがみつき続けた。


「なら、なら」

「口論なんてしてる暇無い。さっさと帰れ」

「ま、待って!」

「待たない。帰れ」


 そう言ってレジーの腕を振り払ったテオが大薙刀を担ぎ直す。酷く重いその凶器は、天に向けてその刃を突き上げていた。


「私は、あなたより強い!」

「は?」


 掴んだ腕を振り払われてなお、レジーはテオの上着の裾を握り締めた。そうして吐かれた啖呵と言うには極端な言葉に、テオは思わず足を止める。


 振り返った鉛色の目は、酷く剣呑な色をしてテオを睨み付けていた。食いしばるように歯を剥いたレジーの口が、更に同じ言葉を吐き出すべく開かれる。


「私は、あなたより、強い」

「俺より多く首を取ってから言え」

「殺すだけが強さなんですか!? 敵を切れない癒術師だって戦力に数えるでしょう! オルトロスがどんな巨体でも、私なら足止めできる! 必ず役に立ってみせる! だから、止まった首を貴方が好きに狩ればいい!」

「見たことも無いくせによく言うな! ルーキー!」


 掴まれた上着を払い、レジーに向き直ったテオが吠える。


 五年前、オルトロスが齎したその惨劇。

 ぶちまけた臓腑の上に沈む死体も、砕けて意味をなさなくなった鎧も、持ち主を守りきれなかった剣も。

 そして何より、顔も判別できないほどに潰れてひしゃげた三人の仲間達の死体も。

 テオの記憶に焼き付いて離れない。それは一種のトラウマであった。


 その光景を知らず、ましてや初日の頃にゴブリンの死体ひとつに一々顔を顰めていたレジーに、その惨劇が耐えられるだろうか。


 慮ってやった、などと上から目線を吐くつもりはテオにもない。それでもテオはソロとして活動を始めてから、釣り合いというものを知った。


 そんなテオが、今のレジーにはオルトロスの相手は無理だと判断したのだ。それはレジーの実力を軽んじているのではなく、その精神的なダメージに心配を抱いたからだった。


 人は心理的に怯めば動きが鈍る。そしてその一瞬の足踏みが、時としてその腸を晒すには十分な時間となるのだ。荒野に撒かれる赤黒いそれのひとつに、レジーの姿を加えたくはなかった。


「私の有用性を認めさせる! それならいいでしょう! 私から逃げてみろよ、テオドール! 壁の上まで行けたなら、私も大人しく従ってやる!」


 けれどそうして過去の記憶を理由に足踏みをするテオの胸を叩き、吼えたテオ以上に声を張り上げたレジーの姿が、その記憶を言い訳にすることを邪魔した。


 レジーの言葉に短く息を吐いたテオが眉を吊り上げる。大薙刀の柄を握り締めた指先で、爪が金属をかいた音を立てた。


「勝手にしろ! ただし、俺が登れたら大人しく帰れよ!」

「言ってろ! こんの頑固者!」

「考えなしよりはましだ!」


 互いの体を弾き飛ばすように離れたテオとレジーが向き合う。唐突に始まった怒鳴り合いに集まっていた数名のギャラリー、そのうちの一人を指さしたテオが口を開いた。


「あんた! 合図をくれ!」

「え、お、おれ!? い、いいけどさあ」


 テオに指をさされた魔術師が慌てて一歩前に出る。レジーが細剣を抜いて魔術師に向けてひとつ頷いたことを確認し、特に意味はなくそこにいたからと言うだけで選ばれたその魔術師は、天に腕を突き上げた。


「はじめ!」


 開始の合図と共に、魔術師の剣を握らない細い腕が鋭く振り下ろされる。




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