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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
66/144

66話 レジー&ギルド3

 

【66】レジー&ギルド3




「はー、これで私も冒険者かあ」


 それはギルドの外壁に背を預けてレジーを待っていたテオに向けて放たれた言葉だった。首に提げた鎖に繋がる二枚の金属板を日の下に晒して見詰めるレジーは、漏れるようにそう呟いた。


 レジーを待っている間に日向ぼっこをしていたテオは、温まった体を壁から離してレジーに向き合う。どこか上の空の様子のレジーは、目線の上に釣り上げたタグをぼんやりと眺めていた。


「今から壁に行こうと思ってたんだけど、大丈夫か?」

「はい。感無量なんです。大丈夫」

「そうか。良かったな」

「へへ。はい」


 布に包まれた大薙刀を担ぎ直したテオの言葉に、蕩けるようにレジーが笑う。文字の打ち込まれた金属板を、レジーはまるで形見の写真のように大事に服の下へとしまい込んだ。


「行こうか」

「はい!」


 レジーが手にし首に提げたそれは、自分達にとって墓標の前借りに近しいものであるのに、それが何故そうも嬉しいのか。


 テオにはどうしても理解が出来なかった。




 ──────────




 凡そ十二メートルの高さを誇る石造りの城壁は、裏から見ると木製の足場や階段、屋根などが張り付き、どこか頭でっかちな印象を見るものに与えた。


 所々葉が禿げた蔦が張るその傍を通り過ぎ、ぼろの屋根を被った小屋へと向かう。その周りには鎧を着込んだ兵士や、剣の具合を確かめる冒険者が屯していた。


「はー、でっかい……」

「俺も初めて見た時は驚いたよ。ここより大きな壁は大分昔に壊れてしまったらしいから、そう見られるものでもないんだろうな。今ではもう、ここより立派なものはこの国にはない。レジーはいつか国を出るなら、その内もっと大きな壁にもお目にかかれるかもしれないんじゃないか」

「そう、ですね」


 きょろきょろと辺りを見渡し足元が疎かになるレジーが転ばないよう、テオは時折手網のようにその襟首を引きながら目的地へと向かった。


 しかしその手前で、見慣れた金髪の大男を見掛けて近寄る。


「エイダン」

「おや、テオかい。今日は良い天気だね。足元が良く見えていい。さあ、メイガン。彼に挨拶をするんだよ」

「こんにちは、メイガン。元気かい?」


 エイダンの腕に抱かれた布人形がくすんだ色のお下げを左右に揺らす。布人形メイガンに小さく手を振って挨拶をしたテオの横で、レジーは首を傾げた。


 大の男が二人並んで人形を相手に話しかける様を見ながらも、言葉を口にしないままでいるレジーへとエイダンが目を向ける。


「そちらは?」

「レジーだ。さっきギルドに登録してきた。レジー、彼はエイダン。壁で戦って長いから、困ったら彼を頼るといい」


 テオがレジーとエイダンに紹介すると、レジーは緊張したように背筋を伸ばして頭を下げた。


「は、はい! 初めまして、エイダンさん! 私はレジーです。今日から冒険者になりました。よろしくお願いします!」

「そうかい。よろしくね。僕はエイダン。こっちは娘のメイガン。少し恥ずかしがり屋さんなんだ」


 そう言ってエイダンはレジーの前に煤けた布人形を晒した。澄んだ青い目でレジーを見つめるエイダンは、ゆらゆらとその人形を揺らす。


「よ、よろしくね、メイガン?」

「ふふ。メイガンは男前が増えて照れているのかな」


 引き攣りそうな愛想笑いを貼り付けたレジーに、しかし満足したらしいエイダンはその人形を抱え直した。

 ふと何かを思い出したように小さく声を零したエイダンは、テオへと向き直り口を開く。


「そうだ。テオ、君は聞いたかい。セオドア、と言ったかな。あの聖骸だけど、暫くこちらの城壁の防衛には出ない事になったそうだよ」

「……初耳だ。だから昨日も見なかったのか」


 エイダンの言葉に喉を引き攣らせたテオは、それでも言葉少なに返答した。それにひとつ頷いたエイダンは、さらに言葉を続ける。


「そうだね。君が他へ出ていた期間があったろう。その終わりの方くらいだったかな。あの聖骸、教会の人間に連れられて後方へ引いて行ったようだよ。なんだったか。手が足りなくなった、と言っていたかな。僕も人から聞いた話なので、どうも曖昧だね」

「いいや。ありがとう、エイダン。良い話を聞けた」

「ここ最近、おかしく浮き足立った人間が多い。君も気を付けてね、テオ」

「ああ。勿論」


 エイダンの言葉に、曖昧な笑顔を返してテオは頷いた。その隣で大人しく二人の話を聞いていたレジーへと、エイダンが向き直る。

 二メートルを超える巨体が突然に自分を向いたことで思わず身を固めたレジーへと、しかしエイダンは穏やかな様相で口を開いた。


「娘の相手をしてくれてありがとう、レジー。それでは、僕はもう行くよ。向こうでまた会おうね」

「は、はい。それじゃあ、また」


 落ち着かない様子で返答したレジーだったが、エイダンは満足したように人形を抱え直した。大きな体を包む金属鎧をがしゃりがしゃりと揺らしながら、二人に背中を向けて立ち去っていく。


 去り行くエイダンの背中を見送ったテオは、その背中に小さく手を振っているレジーへと向き直って口を開いた。


「外に出たらエイダンに着いて行くなよ。エイダンは前線よりもっと前にいるから、下手について行くと危ない」

「は、はあ。なんと言うか、変わった方、でしたね?」


 レジーの言葉に、テオは小さく首を傾げた。布に包まれた大薙刀がその腕の中でずしりと傾く。


「どうだろう。仕方がないんじゃないか」

「仕方がない?」


 灰色の目を伏せたテオが首の後ろを掻く。指先に触れる日に焼けた肌が泥のように静かに沈んだ。

 その向かいでテオに代わり首を傾げたのはレジーだった。長いコートごと体を揺らして疑問を体現させるレジーの仕草は、どこか見た目の年頃より幼く見えるようだとテオは遠く考える。


 鉛色の目で続きを促すレジーの視線に、テオは一度息を吐き出した後に口を開いた。


「お前、リオが死ぬ時さ」

「な、なんてこと言うんです」


 テオの口下手が招く冒頭の言葉に、レジーは目を白黒させる。しかしそんなレジーを意図的に無視し、テオは続きを口にした。


「死ぬんだよ。リオが死ぬ。目の前での事なのかもしれないし、腕の中での事なのかもしれない。実際どうだったのか、俺はそこまで詳しくは知らないが。けれど、その時に“私だと思ってね”なんて言われながらあの人形を渡されたら、お前、どうする」

「それ、は」


 テオの話した言葉が例え話だけで収まらなかったであろうことに、はたと気がついたレジーは静かに息を飲んだ。


 形見のように残されたはずの娘の思いが、結果として父親をあの様に変化させるのであれば、それは呪いと言って大差ないのかもしれない。

 自らの爪先を睨むように下がったレジーの視線が、その心中を思わせる。


 テオはそうして晒されたレジーの旋毛を眺めながら口を開いた。


「多少過ぎるほどだとは思うけれど。それでも、エイダンは実直なんだと思う。愛している人から最期に願いを言われたならば、意味なんてなくとも、それを叶えていたいんじゃないかな」

「すいませんでした」

「別に、俺のことじゃない。でも、そうだな。エイダンにも、きっとそれはいらないよ」

「……はい」


 すっかり萎びてしまったレジーを見たテオは困ったように頭を搔く。言い方が悪かった。別にレジーを責めたつもりではなかったのだ。


 ただ、羨ましかった。


 テオは時折、エイダンの“それ”が酷く羨ましくて仕方なくなる。

 その羨望の対象を良く言われないことを、どうしようもなく悔しく感じてしまう。だからきっと、こうして要らないことまでべらべらと口をついて出たのだろう。


 エイダンは遺して貰えた。

 せめてと頭に付く願いも、まるで墓標になるような形見も。エイダンは娘のメイガンから遺して貰えた。


 テオの手には何も無い。

 幼い子どもが必死に逃げ出した結果リリーの形見など取りに行く暇もなかった。あの夜のリリーは決してテオに何かを託さなかった。


 今際の際ですら、リリーはその目で前を向き、隣に並ぶ弟を一度たりとも振り返ることはなかった。

 生きろと言う言葉すら、リリーはテオに遺すことはなかった。

 リリーがテオに何を求めてあの選択をしたのか。その問いに、テオは未だに正解を得られないままでいる。


 だからテオはリリーの想いも願いも何もかもを自分の中に想像した別物で補って、その虚像に理由を押し付けて生きてきた。


 テオの中にあるリリーとは、既に彼女の片鱗ですらないのかもしれない。

 テオの中にあるリリーは彼女自身が残したものだと言えるのだろうか。彼女の本当の遺志を、果たして正しく解釈できているのだろうか。


 不安に駆られて、挫けそうになったこともある。その度に、“それでも”、と言い訳のように生きてきた。それしかないからと生きてきた。


 だから、本物の証のようにエイダンの腕に抱かれたメイガンを知った時、テオはひたすらに羨んだ。

 自分だってそれが欲しかった。この手に収まっているのは敵を斬り殺すための凶器でしかない事が、酷く恥ずかしく思えた。


 兄弟子ニールはその凶器こそを誇れと言った。

 いつか種を穿ち首を刎ねる“それ”を誇れと言っていた。

 テオはニールのその言葉を信じて来たが、盲目的なその信頼も長続きはしなかったらしい。自信をなくして丸くなるテオの背中を叩く人間は、もうそばにいない。


 ならば、せめて。

 後輩の丸い背中くらい支えなければ、きっと自分は真に恥ずかしい人間になってしまう。


「行こうか」

「はい」


 すっかり肩を落としたレジーの背を叩いてテオが言う。はたと顔を上げて頷いたレジーに、テオはただ、曖昧に微笑んだ。




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