65話 レジー&ギルド2
【65】レジー&ギルド2
灰色の瞳を細めたテオが頬杖を着いたまま、目の前に座るホゾキに向けて、呟くように口を開く。
カウンターにもたれかかった体は重たげに、どこか疲れを抱えているように見えた。
「毎回やるんですか、あれ。何と言うか、律儀ですね。巻き添えを食らった俺は体が怠くて仕方がないんですが」
ホゾキが細身であるにも拘わらず、屈強な冒険者達に対しても無力とは言えないその原因に晒されたテオは、べたりとカウンターの板張りに突っ伏した。
稀有な体質ではあるが、吸引体質と呼ばれる者がいる。テオが魔術を不得意とし、ルーカスや聖骸リリーがそれに特化しているように、魔力の操作には少なからず体質が影響する。
その中には得意不得意だけでは割り振れない、特異な現象を起こすものもあった。その一種が吸引体質であり、ホゾキが持つ“対抗手段”の一つであった。
ランプ石が周囲に漂う魔力を吸い上げて発光する様に、吸引体質者は周囲の、増しては周辺の人間を含む魔力を有した生物から魔力を吸い上げて取り込む事が出来た。吸い上げた魔力は吸引者のエネルギーとして変換され、魔力を吸い上げられた側は吸引された分だけ疲弊する。
一種の無鉄砲な人間に向けた牽制として、ホゾキがその吸引体質により威圧をかけることがままある。先程のホゾキとレジーのやり取りはまさにそれであり、向き合ったレジーは平然としていた反面、立ち会わせただけのテオはその影響を酷く受けて疲れ果てていた。
「あはは、そ、それはごめんよ。でも、それで逃げて助かる命なら、そ、その方がいいだろう?」
「そういうものですか」
「少なくとも、ぼ、僕にとってはそうかな。まあ、彼には少し違う伝わり方を、し、したような気もするけれど」
そう言って、ホゾキが苦く笑う。その視線は長いコートの裾をぶらさげているレジーに向いたままだった。
頬杖を崩して焦げ茶の髪がかかる首の後ろを掻いたテオが、小さく首を傾げる。
「そうでしたか? よく分かりません」
「ふふふ。君はそういう所、に、ニールくんに似て厳しいよね」
「判断したのは自分でしょう。ならば、その後悔も当人が持つべきものだと思うだけです」
「判断というのは、い、いつでも一人で出来る訳では無いんだよ。君には、よ、よくわかる話だと思うけれどね」
レジーに向けていた視線をテオに戻したホゾキが言う。その言葉に、テオは思わず居住まいを正した。
師に、兄弟子に、そして目の前の針金のような黒い男に。テオは確かにこの手に余る程の導きを受けて来た。それを全てなかったと嘯くには、自らの拙さはあまりに骨身に染みすぎている。
「そう、ですね。気を付けます」
「それなら彼を、き、気にかけてあげるといい。君が後輩を連れて来るのなんて、は、初めてだろう? どう言う風の吹き回しだい?」
「……断りきれなかったんです。すごい、こう、強風で」
テオの自省の表情は、ホゾキの質問を受けて辟易に塗り潰された。
アーニーの言葉がなければ、テオはレジーの頼みに首を縦になど振りはしなかっただろう。しかし、それを正直に話すことは出来ない。
テオは元々預かった子どもの頼みで人命を左右する様な決断をする人間ではない。それを知るホゾキにそのままの事を話せば、きっと訝しむ。ましてや、ジルに聖骸リリーの事を言い当てられたばかりである。余計な事は言わないに越したことはないとテオは考えた。
「そうかい。君が吹き飛ぶことは無いだろうとは思うけれど、よ、用心するんだよ」
「はい」
ホゾキの言葉に短く答えて頷いたテオの横へと、用紙への記入を終えたレジーが戻った。カウンターを挟んだ向こうのホゾキへと、レジーが声をかける。
「終わりました。これでいいですか?」
「どれどれ」
レジーの手から用紙を受け取ったホゾキが内容を確認する。レジーは緊張した面持ちでそれを見詰めていた。
「うん、と、特に問題ないかな。少し待っていてね、タ、タグを用意するよ」
一通り確認を終えたホゾキが頷き、カウンター向こうの事務所スペースに繋がる扉の奥に消えていく。
それを黙って見送ったテオへと、やや落ち着きなく小首を傾げたレジーが問いかけた。
「タグって何ですか?」
「ああ。ギルドでの身分証になる。あとは死体の識別用の認識票としての役割もある。丸呑みにされなくて、運が悪くなければ、丸焼けにされても残るから。ほら、これだ」
そう言って、テオは首に提げてシャツの中に入り込んでいた、細いチェーンに繋がる二枚の金属板を取り出した。シャツの襟首に引っかかり、かちりと硬い音を立てて揺れる。
「ここに名前、あとは生年月日と性別。ああ、信仰している宗教の欄もあるぞ。死体の引き取り手がない場合、そこで葬儀をすることになる。ここじゃあほとんどが聖教だな。俺は空欄」
「ド、ドッグタグ……」
「面倒がらずに付けとけよ。割を食うのは自分だからな」
「……はい」
肩を落としたレジーはぼそりと答えた。しかし直ぐに気を取り直したようで、くるりと人好きのする笑顔を浮かべて問う。
「ランクとか書いてあったりするんですか? それとも素材が違ったりとかするんですか?」
「それはこっち。裏面に打刻してある。ここ」
レジーの言葉に、シャツの中に仕舞いかけていたタグを再度取り出したテオが答える。二枚重ねの内の一枚を裏返して示しつつ、テオはその表面に彫り込まれた印を指さす。
「点が三つと、線が四つ?」
「下から三番目、上からは四番目のランクになる」
「へー、それってどれくらい凄いんですか?」
「五年活動してれば妥当かな」
「そうなんですね」
頷くレジーを横目に、テオはシャツの中にタグを仕舞いこんだ。弛んだシャツの布地を直そうと、はたはたと胸を叩く。
「テオさんはですねー、実績にカウントされないペナルティ依頼も多いですからね!」
そうしていると、二人が待つ窓口の隣から声がかけられた。カウンターの上に手を付き、身を乗り出して話すメリルだ。先程まで他のパーティの受付をしていたが、どうやらそれも終わって暇を持て余したらしい。
「メリル、そっち終わったのか」
「はい! そっちの方って新人さんですか? 私、メリルって言います! 冒険者ギルドへようこそ!」
溌剌とした笑みで名乗るメリルに、レジーは背筋を正して答える。
「どうも、私はレジーといいます。この街のことには詳しくなくて、ご迷惑をおかけする事もあるかと思いますが、よろしくお願いしますね」
「はい! 私もここでは新人の方なんです! お互い頑張りましょうね!」
「ふふ、ありがとうございます」
そうして話すレジーの姿を見たテオは微かに眉を顰めた。確かにテオに対しても初めは礼儀正しい態度をしていたように思うレジーだ。テオと違い人付き合い自体が不得手というわけでもないだろうに、なぜレジーはこうにもテオの地雷ばかりを踏みつけるのか。甚だ疑問であった。
「でも壁の方では丸五年活動しているわけでしょう? テオさんってその割にはランク上がってないですよね、何でです? 五年で妥当って言っても、壁に出ない人の五年と比べてだと思いますよ、それ」
「あのね、メリル。あそこはね、団体行動出来ない人はあんまり評価されないんだよ。つまり、ほら、うん、俺は、あれじゃん」
「なるほどですねー!」
お下げにまとめた栗色の髪を揺らして頷くメリルは、やはりいつもと変わらず元気な笑みで答えてくれた。テオはその返答に肩を落としながら、メリルがここに勤め始めてからの決して長くない期間で既にその類の信頼が出来てしまった自らの行いを悔いた。
一人反省を重ねるテオを他所に、受付カウンター奥の扉が開く。出てきたのは、二枚の小さな金属板を手にしたホゾキだった。
「お待たせしたね。これ、レ、レジー君のタグだよ。書いてある事、ま、間違いないか確認してくれるかな」
「はい。あ、ありがとうございます」
ホゾキから手渡されたタグを受け取ったレジーは、しげしげと刻まれた内容を確認する。特に問題は無かったようで、レジーは一つ頷いた。
「はい。大丈夫です」
「これから仕事をする時は、か、体のどこかに提げておいてね」
「はい」
「それと今から、す、少し時間をとれるかな。活動について、せ、説明をしたいんだ。出来るだけ、て、手短に済ませるから」
ホゾキの言葉を聞いたレジーは、ちらりと並び立つテオの顔を見遣った。それに気が付いたテオは、小さく頷きを返す。テオからの沈黙の肯定を受けたレジーは、再度ホゾキへと向き直り口を開いた。
「大丈夫です」
「じゃあ、こ、こっちに来てもらってもいいかな」
ホゾキはカウンターから抜け出し、近くの小テーブルにレジーを誘導する。
ホゾキがレジーへと話すのは冒険者ギルドで活動するに当たり、知っている必要がある規則についてだ。そしてそれには当然、禁止事項についても含まれる。
既に受けたペナルティを指折り数えるには両手が必要な数あるテオは、こっそりとすり足で壁際へと向かった。重たい黒髪の中に埋まる瞳で、逃げ行くテオの姿をホゾキが捉える。
「テオ君も、もう一度くらい、き、聞いて行ってくれても良いんだよ」
「止めておきます。外にいます。ごゆっくり!」
にたりと笑うホゾキの言葉に、テオは早口で反応した。そそくさと手隙になったメリルの前を通り過ぎ、スイングドアに飛びつく。
「薄情な先輩だねえ、そ、そう思わないかい? レジー君」
「あ、はは。お、おお、お手柔らかにお願いします」
脱兎のごとく逃げ出したテオの背中に向けて投げ掛けられたホゾキの言葉に、レジーは思わずびくりと肩を揺らした。




