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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
49/144

49話 笛を選ぶ2

 

【49】笛を選ぶ2




 再び立ち上がったテオを見上げたアーニーは、手に握ったままだった花の笛の花弁を緩く撫でる。反るように曲線に彫られた花弁の裏面は、本物の花のように冷たくも柔らかくもなかった。


「お祭りはいつやるの?」

「二週間後だったかな。夜には山の斜面に明かりを灯すから、星の川を写したみたいで綺麗だよ」

「へえ! ねえ、テオ。僕、それ見てみたい」

「なら夜に見に行こうか。好きな笛を選ぶといい」

「うん! 何がいいかなあ!」


 綻ぶように笑う少女が白金の髪を揺らして店先に並ぶ笛を吟味し始める。既に手にしていた花の笛をキープしたまま、小鳥の水笛の前に陣取った。


 テオは手に持っていた素朴な笛の表面を撫でながら、少女の様子を眺めている。つや出しと乾燥防止の油が塗られた木の手触りは滑らかで心地が良かった。


 ぽそぽそと独り言を呟く少女が、いくつかの笛を手に取っては戻すを繰り返す。時として手にした笛を見て面倒そうに首を横に振り、時として行儀よく唇を合わせた愛想笑いのような表情で鼻歌を歌った。


 くるくると変わる少女の様子を暇つぶしに眺めていたテオが、少女の後ろにしゃがみこむ。テオが膝を畳んでもなお、少女が被る鼠色のフードの天辺が見下ろせた。


 右に左にと迷う少女の視線と共に揺れ動く頭が、フードの間から零れた白金の髪を散らす。テオの左手がたれた髪を上げようと、鼠色のフードに隠れた少女の首筋へと伸びたその時、困ったように眉尻を下げた少女が後ろの男へと振り向いた。

 反射的に両手を顔の横に上げたテオに対し白金の瞳が不審そうに歪められる。


「どうしたの?」

「あー……なんでもない」

「そう?」


 首を傾げながら立ち上がった少女、アーニーは青く塗られた小鳥の水笛と、淡い黄色の花を模した縦笛の二つを手にしていた。

 立ち上がったアーニーは、未だしゃがんだままのテオを見下ろして口を開く。


「ねえ、テオ。君はどっちがいいと思う? ニーナは花が良くて、キャロルは鳥が良いんだって」

「お前がいいと思う方でいいんじゃないか?」

「僕が決めると独裁になっちゃう。ソフィアは何でも良いって言うし、ベルは興味ないって。マリーは話にならないしさ。どうしよう」


 小鳥の水笛と花の縦笛を両手で並べる少女の姿は人形遊びに興じている様ではあったが、その表情だけがそぐわなかった。

 困り眉と同じように肩を下げたアーニーは、手の中に収まりきらない大きさの二つの笛を見比べている。


 その姿を見たテオは、アーニーは本当に自らの中の人格達を自分ではない別人だと捉えているのだと思い知った。


 アーニーは自分が最も強い権限を持っているからこそ、自由に見えるが、本人は決してそれを選ばないのだろう。自分が選べることで他の誰かが泣きを見るのが嫌なのかもしれない。

 既に大半の行動指針を決めている自覚があるからこそ、大きな指針に関わらない部分を他の誰かに譲りたいのかもしれない。


 テオには自分自身の内面を分割された経験などない。想像でしか測れない少女の葛藤は、どこか遠く他人事地味ていた。しかし今ここで悩むアーニーの表情を見て、近しい関係を自分は知っていたと思い出した。


 きっとアーニーにとって、他の五人は姉妹や兄弟のようなものなのではないだろうか。

 誰が兄姉に当たり、誰が妹弟に当たるのか、全ての人格の事を知らないテオには分からないが、きっとアーニーは上の方の子なのだろう。


 あの笛がいい、この笛がいい、と喧嘩を始めた妹達を宥めようと、真ん中の選択を模索している。

 そうして困ったアーニーは解決策を求めて他の姉妹もしくは兄弟達に助けを乞うたものの、そっぽを向かれたばかりのようだ。


 そこで困り果てたアーニーは、そばに居たもう一人に助けを求めることにした。そしてそれがテオだった。

 ともすれば、今の自分は少女の兄か父として意見を求められているのかもしれない。そう考えたテオは、しかしすぐに心の中で頭を振った。


 アーニーは既に父親を決めているように思ったのだ。定食屋でルーカス達に“父親を待っている子ども”だと、アーニーは自らを紹介している。


 聖骸リリーが同じ歳頃の女の子よりも小柄な体格をしているとは言え、テオの娘を名乗るには少し成長しすぎていた。いくらテオが行きずりに作った子どもだと名乗るにしても、あと半分は幼くなくては難しいだろう。


 それもあって、テオとの関係性を預り子にしたのは無難だったとテオも思う。

 しかしそれならば、父親を待っているのでは無く、父親を亡くしたのだと説明しても良かった筈だ。その方が、いつまでテオの元に居たところで、いつ父親が迎えに来るのかと怪しまれることもない。

 それにも拘わらず、アーニーはその選択肢を自らの手で消していた。


 何かと聡いアーニーの事だ。その逃げ道を考えなかった訳では無いだろう。その上で父親を別にいるとしたのは、他にそうあって欲しい誰かがいたからでは無いのだろうか。


 例えばテオに対しては口や態度が悪くとも、少女の姿をしたアーニーを決して粗暴に扱わなかった癒術師ジルの姿を見て、あそこまで怯んだのは何故か。


 例えば定食屋でアーニーが話していたように、少女の目の前で、火を出し、風を吹かせ、水を湧き出し、土を盛り上げたのは一体誰だったのか。


 テオは掠れた記憶の中で、いつもリリーと並んでは向かい合い、時に怒鳴りあっては笑っていた少年を思い出す。

 ジルと同じ黒い髪、黒い瞳。魔術適正には困らない同系色の体質。テオの記憶の中のグレッグは、そういう姿をしていた。


 目の前で未だしょぼくれて迷う少女が、決して父親役の死を許してはくれなかったのは、きっとグレッグにこそそれを求めたからなのかもしれない。


 知っているものを勝手に繋げる癖だと、テオもわかっていた。

 それでも、昨夜のアーニーがテオに説明する際に見せた疲労を思えば、きっとこれは大きく間違ってはいないのだろう。そう、不思議と確信があった。


「それなら両方買おうか。ほら、お前は何がいい?」


 柔らかく丸まった少女の肩を撫でたテオが言った。白金の髪を垂らして小首を傾げたアーニーが、ゆっくりと同じ色の瞳を真ん丸になるまで見開く。


「そんな! 笛ばっかり三つもいらないよ! ひとつでいい! ま、待ってね、今ニーナかキャロルどっちか説得するから!」


 声を裏返してそう言ったアーニーは、フードを深く被ってしゃがみ込んだ。

 膝に肘を着いてその様子を眺めていたテオは、目の下を擦りながら口を挟んでいいものかと考える。


 木工品の笛は土産物になることもあり、決して安価とは言い切れないが、それでも今年が最後の祭りだと言うこともあってか例年よりは値段が低い。この期に及んでも故人を偲ぶ者を思った値段なのかもしれない。


 それにアーニーの身柄を預かるに当たり、テオはきちんと六人の人格が存在するのだと説明を受けたのだ。食費云々を抜きにしても、テオは六人の人間を受け入れたつもりだった。


 そもそも鉱山で腰に提げていた四十センチのナイフよりも格段に安い笛の二つ三つ買ったところで困ることは無い。しかし、アーニーの気にする所はそこでは無いことも分かっている。


 軽く溜息を吐きそうになるのを飲み込んで口を開きかけたテオへと、突然に少女の細い腕が飛びついた。


「ん、どうした?」


 テオの首にぶら下がるように腕を回した少女が、問い掛けたテオを見上げてにこりと笑う。その様子に違和感を覚えたテオは片眉を跳ね上げた。


 唇の端を釣り上げて張り付いたように笑う少女は、機嫌良さげに鼻歌を歌いながら手にした小鳥の水笛をテオに差し出す。


「こっちにするのか」


 問いかけたテオに対して、少女は手にした小鳥の囀りのように声を鳴らした。テオの首に擦り寄ったまま細い腕を伸ばして、水笛の嘴で焦茶の癖毛を撫でる。


 小さい子どもが甘える様に見えて、これでは逆に甘やかされているような気分になると、テオは苦笑う。

 どうやら今の少女は、今日一日連れ添ったアーニーではないようだ。アーニーであれば、こうも馴れ馴れしい触れ合いは求めないだろう。


 未だ続く擦り寄った猫のような仕草に目を細め、頭を撫でる手を退かしたテオが口を開いた。


「分かった分かった、それが良いんだな。君はもしかして初めましてかな。ええと、確か、マリーだっけ?」


 曖昧に笑いながらテオが問いかける。しかしその返答は、また違う仕草の少女から返された。


「……違う。あの子はキャロル」


 テオの首の下で唐突に力をなくした少女が億劫そうに答えた。


「わ、危ないな」


 へたりと崩れそうになる少女の体を、慌てたテオが抱えあげる。膝の上に乗せられるままに、少女はテオの首に柔らかな髪を擦り付けた。





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