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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
48/144

48話 笛を選ぶ1

 

【48】笛を選ぶ1




 宿への帰り道を、テオとアーニーは二人並んで歩いていた。道の脇には露天商が店を開き、連れ立って歩く親子とも、年の離れた兄妹とも見える二人に声を掛ける。


 その内の一つに立ち寄ろうと提案したアーニーに、テオは小さく頷いて賛成した。

 花屋のように鮮やかな彩に塗れた小さな木工品が並ぶ店の前にしゃがみ込んだ少女が、陳列された木の彫り物を一つ指さして問い掛ける。


「ねえ、テオ。これは何?」

「笛」

「じゃあこっちは?」

「それも笛」

「あはは、笛ばっかりだね」


 シンプルな円筒状の物は勿論、意匠の凝った装飾が施されたものから、小鳥や犬と言った動物を模した物まで。その店には多種多様な色形の笛が並べられていた。

 その一つ、口に咥えるとラッパのように花を吹き鳴らす様に作られた笛を、アーニーは手に取って立ち上がった。茎側の吹口から望遠鏡を覗くように空を見上げる少女の姿を見下ろしたテオが口を開く。


「祭りがあるんだ。山に向けて笛を吹きながら街を歩く。元は山に集まった死者の魂を送る弔いだったらしい」

「そういう山岳信仰はどこにでもあるんだね」

「そうだな、山はどこより空に近い。神様に近い場所なんだろうさ。この国では魂も体も神様からの預かり物だ。使い終わったその後は、元の持ち主に返すために近くに寄せるってことなんだろう」

「天にまします我らの父よってことだね。実在しているだけに説得力は抜群なわけだ」

「うん? まあ、そうだな。だがここの山での祭りは皆、今年が最後だろうって言っている。このままだと来年を迎える前に種が街まで到達するから」


 そう言ったテオは、人差し指ほどの長さの装飾のない笛を手に取った。木を彫られて作られたそれは、武器を振るうテオの手の上では酷く小さく見える。


 自分の手のひらの上にある笛を眺めるテオを見上げたアーニーは、日の明かりの照らす通りでもどこか草臥れた様に陰る中、剣呑なまでに鈍く輝く灰色の目に気が付いた。


 アーニーはテオの目的が種の破壊であることは聞いていた。恐らく、その過程で聖骸リリーの存在を隠匿したいのだろう事も察しが付いている。


 そうでなければ、“戦わない”と明言した聖骸を匿う理由が、いずれ種に挑む筈のテオにはない。

 壊されたくないと、そう言った言葉は本心だったのだろう。実際、彼が聖骸リリーの体に触れる際は壊れ物を扱う様なぎこちなさがある。皿の扱いの方が遠慮なくフォークで突き回した分、ずっと雑な程だ。


 テオにとって自分たちの存在が喜ばしいものでないことは、微かながらアーニーも気がついていた。

 聖骸リリーの記憶にあるような、泣き虫で気の弱かった少年が、最前線の街に立てる程に成長するにはどれだけの決意が必要だったのか。

 そこに聖骸となった姉の存在が無関係であるとは、アーニーには到底思えなかった。


 実際、テオはアーニー達六人の人格がリリーの名前を使うことを頑として認めなかった。

 しかし、その名前を手放した途端それまでの怒りの表情はどこへやら、その態度は酷く平坦なものになったように思える。


 名乗りの際の怒りようの割に、聖骸リリーの存在が傍にあり、意志を持って動く事自体には寛容だ。

 食事を勧めたのも、遠回しではあるものの、アーニーを筆頭した六人の人格が今後も聖骸リリーを使用し続ける事に対する肯定だろう。


 そうでないのなら、無知な転生者が魔力切れで勝手に自滅していく姿を黙って見ていればよかった。

 そうすればテオが何かをしなくとも、いずれ魔力切れで体を動かせなくなった聖骸リリーが出来上がる。それは傍から見れば腐らないだけの死体と何ら変わりなく、転生者が宿る前の聖骸と見分けがつかないだろう。


 勝手に体を壊さないまま眠り続け、転生者にすら選ばれなかった聖骸リリーは、たったそれだけの事で手に入る。

 元々が“戦わない”と言った転生者だ。テオ自身がその逃避を否定すらしていない。ならば、聖骸リリーに宿る六人の人格を戦力として期待している訳でもないのだろうとアーニーは考える。


 全ての態度や言動の繋がる結果が、本人の意図する所であるかどうかは分からない。

 無意識的に、一人の人間としてアーニー達の存在を尊重しているのかもしれないし、動き続ける聖骸リリーに対して否定的な感情を持っていないだけかもしれない。

 今のアーニーには、それ以上テオの思いについて測れることは無かった。


 テオにとって、聖骸リリーの内側にあるベルを中心とした六人とはどのような相手なのだろうか。

 テオの目に、リリーではない自分達はどう映っているのだろうか。


 この声は、この顔は、この言葉は。

 果たして本当に自分達が放った形のままで、その石灰岩のように淡い灰色の瞳に届き、濡れた楢木の様な焦茶の髪の下の耳に響いているのだろうか。


 聞いてしまえば早いのだろうな、とアーニーは思う。けれど、どうしてもその一言が出てこなかった。


 怯んだように言葉を飲み込むアーニーの脳裏を過ぎるのは、テオとは似ても似つかない黒髪の男の姿だった。無垢なまま男へ問いかけた少女へと眉を顰めて、しかし何処までも苦しげに答えたグレッグと名乗ったあの青年の顔を、アーニーは今も忘れられずにいる。


 アーニーも、ベルも、ソフィアも、ニーナも、キャロルも。マリーですらも。

 “六人もいる”のに、誰一人リリーではない。成りが同じだから重ねられる面影があるんだろうと分かっている。それでも、自分じゃない誰かを、顔を突合せた事も無い少女を、自分越しに見詰められ続ける気分は彼には分からないだろう。


 グレッグは、ずっとずっとリリーの死を悲しみたがっていた。死に隠れて、悲しみに埋もれて、嘆きたいままに嘆いたのだろう。それは一種の後悔だったのかもしれない。


 だから、後ろばかり見ていた彼は、新たに芽生えた命に対しては、決して向き合ってくれなかった。

 祝福を受けたいと喚くほど幼くないとアーニーは自分を評している。それでも、目が覚めた場所でただ体だけを守られて、自分と言う分離した人格に最後まで向き合ってくれなかったグレッグの事が、アーニーには悔しくて仕方がなかった。


 散々守られて導かれておいて身勝手なものだと、アーニーは自嘲した。

 けれど、心のどこかでお互い様だと開き直る自分がいる。切り離された他の五人の誰でもない、自分自身の声だと分かった瞬間、反吐が出そうで仕方がなかった。


 壊れ物を扱うような手は温度がなくて嫌いだと体温のない体で罵って、壊したくなかったならもっと大事にしておけば良かったんだと逃げ出した分際で喚く。自分のそんな考えはなんと無様だろうか。

 今も黙りこくったまま笛を見つめ続けるテオを見上げたアーニーは思う。


 リリーと言う少女を忘れられない人間はグレッグだけではなかった。鉱山の中で聖骸リリーを見てあれほど取り乱したテオが、まるで何事も無かったかのように自分に接する様は薄気味悪さすら感じる事がある。


 けれど、テオのそんな態度ですらも分からないでもないと思わずにはいられない自分も、またアーニーの中に存在した。

 六つに別れてなお足りないと言わんばかりに、自覚のない考えが心中に浮かんでは消えていく様に寒気を覚える。

 片手間のように分離されたアイデンティティはここに来ても尽きることは無く、それは更なる分割を望まれているようで落ち着かない。この心は自分のものなのだと必死に抱きしめていようが、神様というものには関係の無い事だったのだから。

 それでも、共感を抱いたその心をアーニーは否定できなかった。


 だって、やっていられないじゃないか。

 何も無かったのだと態度でくらい示さなければ、全部全部知ったことかと喚きたくなるじゃないか。


 石を割る様に雑に人の心を砕いた神様のことも。身勝手に五人を飲み込んで全権を投げ出したベルのことも。転生者と言う異邦人にこの世の命運を任せようとするこの世界の人々のことも。リリーの事ばかりを考えて中身を見てくれなかったグレッグのことも。


 六分の一の体積になったはずの心の全部で彼らの事を恨めなかった癖に、その全てを許すことも出来なかった。向き合いたい、向き合って欲しい。そう願った癖に、その顔を見る度に苦しくて怖くなるから逃げ出した。


 そんな自分が、嘆きを表に出す事など許せるものか。生まれて間もないプライドが、その感情を表すことを邪魔する。どんな幼い意地だろうが、それがあったからこそここまで来れたのだと言う自負もある。


 ならば、もう。

 やってられないというこの投げやりな意地ですら、既に指針の一つなのだとアーニーは認めざるを得なかった。


 白金の髪に遮られた視界の中に、自分の爪先だけが見える。どこに行くつもりもないのに、新しい靴に履き替えた小さな足だ。

 偉ぶって言葉を吐き散らす口とは裏腹に、逃避と後退しかして来なかった自分の足だ。


 引き攣るように小さく息を吸い込んだアーニーの背中が、酷く弱い力で撫でられた。弾けるように顔を上げたアーニーに驚いた様に灰色の目を見開いたテオが、ゆっくりと腰をかがめる。


「おい。大丈夫か?」

「……、え? あ、うん」

「随分とぼうっとしていたが。具合でも悪いのか」


 長い白金の髪を退かすように、皮膚の固くなった指を丸めて手の甲でアーニーの頬を撫で上げたテオが問いかけた。

 熱を測るつもりだったのか。体温のない頬に触れた手が耳を掠めて離れていく。


 視界の端を泳ぐように離れていく無骨な手を、無意識に追いかけたアーニーとテオの目が合う。屈んだことにより高低差が小さくなったテオの視線は、しっかりとアーニーへ向いていた。

 聖骸リリーの記憶の中の少年よりずっと低くなった声を出す喉元は、少女の両手ですら握り締められないほどに太く立派に育っている。


「大丈夫。何でもないよ」


 膝が汚れることを気にもせず地面に膝を付いて自分を見詰める男へと、アーニーはただ笑い返した。




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