47話 食堂にて2
【47】食堂にて2
椅子の上で足を揺らすアーニーは、隣のテーブルでメニューを見始めたルーカスを盗み見た。
灰を帯びた暗い色合いの赤毛に、土に水をかけた様な赤茶色の瞳。向かいに座る無愛想な大男と仲が良いらしく、屈託なく笑う様子はアーニーに向けられたものよりも幼く見えた。
注文を終えたルーカスが、未だ彼の一挙一動にびくびくと反応するテオに向き合った。手慰みにメニューの背表紙を撫でていたテオが腕をテーブルの下に引っ込めて身を固める。
「テオさんは鉱山の討伐隊には参加しないんでしたよね」
「ああ。城壁の方に出て良い事になったから、そちらに行くつもりだよ」
「そうなんですね。僕達の方はこのまま鉱山の討伐隊に参加することになりました。決行は明日からなので、今日は休みなんですけど。城壁の方へはおひとりでですか?」
「まあ、そりゃあ」
ルーカスの言葉に、テオは小刻みな相槌を打つ。ついとテオから視線を逸らし、口を開きかけたルーカスだったが、テオとアーニーのテーブルに料理が運ばれたことで遮られてしまった。
「お待たせいたしました」
エプロンを纏った女性店員の声と共に、テオとアーニーの前にワンプレートに乗った料理が二つ運ばれる。炒めた豆と腸詰めにされた肉、サラダの盛り合わせだった。柔らかく温められたパンが添えられている。表面がぱりぱりと焼けた肉はほかほかと湯気を上げ、食欲を誘う脂の匂いがたちこめた。
立ち去った店員を見送ったアーニーが早速とフォークを手にしたところで、テオがアーニーの前に置かれた皿を遠ざける。
「何するの」
「熱いから。もう少し冷まして。サラダ食ってろ、ほら」
テーブルの上をターンさせるようにプレート皿を九十度回し、テオが湯気の立つ腸詰め肉をアーニーから遠ざける。代わりに少女の側に寄ったサラダを指さした。
むつくれた表情で葉物野菜を食むアーニーを横目に、テオは腕を伸ばして少女の皿の上の腸詰め肉を細切れにする。
「ありがとう」
「気を付けて食えよ」
「うん」
聖骸は痛覚が鈍くなっている為なのか、温度感覚も鈍い。火傷も凍傷も治らない以上、その鈍った感覚は時として致命的だった。
特に食事の際がそうだ。熱い料理の温度も分からないから口内を火傷しやすい。その怪我が治らない以上、聖骸の食事は気をつけなければならない点が多い。
少女の前に皿を返したテオに、アーニーは微笑んだ。手にしたフォークで器用に豆を突き刺して口に運ぶ。
「美味しいね」
「そうか。良かったな」
ほころんで笑うアーニーに、テオも釣られて口角が上がった。自分の皿に手を付け始めたテオを、隣の席からルーカスとジャレッドが不思議そうに見ている。
テオと深い付き合いの無かった二人にとって、仕事中にへらへらとする事ないテオの緩んだ顔と言うのは見慣れないものだったからだ。
「凄く、仲が、良いんだ」
思わずと言ったように零したルーカスの声に、テオとアーニーが注目する。言葉を漏らした本人であるルーカスも、驚いたように口元に手を当てていた。
「す、すいません。不躾なことを」
「……いや。この間のことは、俺も言い方が悪かったから」
「いえ、それは、僕も……」
隣あった席で、テオとルーカスは気不味く言い淀んだ。フォークを片手にしたまま、食事を口に運ぶ手の止まったテオを眺めたアーニーが口を開く。
「二人、喧嘩でもしたの?」
気を紛らせるためにグラスを煽っていたルーカスの動きが一瞬止まる。同じように、豆を上手く突き刺せず、丸い表面を軽くつついていたテオのフォークが皿の表面を固く叩いた。
「…………別に」
「……、え、ええ。何も」
定食屋の喧騒に掻き消されそうな声で答えたテオに続き、ルーカスも首を横に振って応じる。
テオとルーカスの顔を順に眺めたアーニーが、斜向かいのジャレッドへと目を向けた。
二人の答えの真偽を問うているのか、少女から向けられた眼差しに、しかしジャレッドもまた目を逸らすことで返答した。
この状況に陥ったことの答えも解決策も得られなかったアーニーは、仕方無しに関係上最も与しやすい相手であるテオに再度目を向けた。無言の眼差しで何事かあったのかと問い掛けるが、当の本人は一度肩を竦めた程度で何も言わない。
皿を囲う様にテーブルに腕を着いて食事を再開したテオに、アーニーは小さく溜息を吐いた。
「え、ええと。ベルちゃんは何か興味があることとかある?」
沈黙を決め込んだテオと裏腹に、ルーカスは並んで腰かけた少女へと話を振った。調子外れに裏返った声に冷や汗をかいたルーカスを見て、アーニーは気の毒に思わずには居られなかった。
自分をこの店に連れてきた焦茶の髪の男は、既に知らぬ振りを決め込んで腸詰め肉に食らいついている。だと言うのに必死に、今日は天気がいいですね、等の話題に困った際の題材を手に果敢に場を繋ごうとするルーカスという青年は人がいいに違いない。
そしてこういう場合、大抵そういう人間が損をするのだ。
パンをぼろぼろと散らしながら千切るテオと、その隣でいつの間にやら本を取り出して読み始めたジャレッドを見やる。
そしてそのまま、自分の隣に座り、冷や汗を頬に流したまま背中を丸めて少女の背丈に近付けている青年を見たアーニーは、にこりと微笑んだ。
「ええと、最近は魔術に興味があるの! 人が飛べたりしないのかな? って不思議なんだ!」
無邪気な子どもを装ったアーニーは可愛らしく見えるよう小さなお手手を胸に当て、隣の青年へと答えた。
その声にジャレッドが一度手にした本から顔を上げるが、直ぐに興味を失ったように視線を書に戻す。テオの方も、そう言えばそういう話してたな、と呟いた後、何事も無かったかのようにフォーク片手に豆との格闘に戻った。
「人が空を飛ぶかあ。隣の国では乗り物に乗って飛んだりする技術もあるらしいけど、そういうことではないかな?」
「人だけで空を飛んだりはしないの?」
「飛び上がる、というだけならば前例はあるよ。飛行する術式を編み出そうとした魔術師の実験なんだけどね。こう、上にぴょーんって飛んで行ったんだって。実行した際には着地に失敗して大怪我を負ったらしいけど、幸い死人は出てないね。ただ、着地もそうなんだけど、飛び上がった後の滞空と方向転換が異様に難しいらしくてね。その魔術師が編み出した術式自体は実用化されてないかなあ」
「へー、そうなんだね」
つらつらと話すルーカスにアーニーが相槌を打つ。話の最中に一度ジャレッドが顔を上げたが、また手にした本に意識を戻す。
なんとなしにジャレッドが手にした本の表紙を見たテオが顔を顰めてそっぽを向いた。ジャレッドが開いていた薄い青色の表紙のそれは聖書だった。
飯屋で聖書なんて開くなよ、とテオは心中で独りごちる。
「ルーカスは魔術師なの?」
「いいや。僕は癒術師だよ。一応強化魔術を使うから、魔術は使うけれどね」
「手から火とか出せる?」
「出せないことは、ない、かな。具現化系の術式はあんまり得意じゃないんだ。想像力がないみたいでね、下手くそなんだ」
そういって頭の後ろに手を当てたルーカスの表情は笑顔ではあったが、口元は固く引き結ばれていた。
「ベルちゃんは魔術に興味があるのかな?」
「うん。だって何だか凄いんだもの。火を起こすのも、水を流すのも、風を吹かせるのも、土を盛り上げるのも、物を凍らせるのも。本当は魔法がなくったって、みんなみんな人間の手で出来ることなんだろうけど。でもそれは、全部が全部何も無いところから出てくるわけじゃない。人が沢山の積み重ねでそこまで辿り着いた事であって、たった一人で全部ができるわけじゃない。あの、あのね、人が人だけで、たった一人でもね。それだけの事が出来るのが、私、凄いと思うの」
そういって笑った少女の言葉に嘘偽りはなかったのだろう。純粋な憧れが溢れ出た笑顔が、白金の髪の下で輝いていた。
その笑顔を向かい合わせた席から見つめたテオは、小さく灰色の瞳を見開いた。しかし、ゆっくり三秒かけてその目を閉じると、微かに眉を顰めさせて小さく声を零す。
「……別に魔術が使えなくたって、敵は殺せるし……」
「今そういう話してなかったよ! 夢がないなあ!」
「う、ううん、そうだな。何言ってんだろ。ごめん……」
呟きに反応したアーニーに窘められたテオが頭を抱えるようにしてテーブルに伏せる。叱られた犬のようにしょぼくれた焦茶の頭を見たアーニーが一度溜息を吐いて止まっていた食事を再開した。