45話 癒術師ジル6
【45】癒術師ジル6
「グレッグは食べるように言ってたけど、彼と別れてからは子どもが一人で食事処に入るのは怪しまれたから、たまに買い食いしていたくらいだよ。でも、食事って別に僕達に必要ないでしょ?」
影の差す裏通りで足を止めたテオを、フードの中から見上げたアーニーが言った。アーニーの言葉を聞いたテオが、肩掛け鞄の紐を指先で撫でるようにして考え込む。
「……グレッグは何と話してた?」
「食べろって。それだけだけど」
「そうか」
「その、何かまずかった?僕達の体って、魔力くらいしか消費しないって言うじゃないか。体温だってないし、疲れもあまり感じない。実際食事を減らし始めて二週間は経つけど何も困ってない。だから、別に食事を摂る必要とかそんなに無いかなって思ってたんだけど」
胸の前で手のひらを合わせたアーニーが話す。指の腹を擦り合わせる手は、昼の日差しが遮られ影に覆われた木製の壁よりも冷たい。
特別血色が悪い訳では無い。聖骸は体を動かすにあたり、筋肉に頼る事は少ない。身に纏う魔力が操り人形の如く腕を糸で引く様に、足を地面に押し付ける様に、必要な動きを再現させているだけに過ぎないからだ。
人気のない裏通りの端に寄ったテオがアーニーを手招きし、長話の姿勢を取った。壁に背中を預け、考え込むように腕を組む。
言葉を選んで黙するテオに倣い、アーニーは隣の壁に寄りかかった。アーニーは収まりの良い位置を探り、しっくり来た所でテオを見上げた。目線で会話を促す少女に、腕を解いたテオが口を開く。
「その消耗した魔力はどこから来てるか分かるか?」
「ええと。貯蓄してるものを使ってるんじゃないの? 乾電池みたいに貯まっている魔力を使っているのかと思ってたんだけど」
「乾、電池? また分からない例えだな……」
「ううん。知ったかぶって話しちゃったけど、正直に言うと僕ね、魔力って感覚がまだ上手く掴めていないんだ」
自らの手のひらを見下ろすアーニーの言葉を聞いたテオが、困った様に眉尻を下げる。肩に掛けた鞄をリズミカルに指先で叩きながら、テオは自らが知っている聖骸についての知識を頭の中で掘り出した。
「魔力そのものの感覚について、俺では上手く教えられないと思う。お前と、……聖骸リリーと俺では体質が根本的に違うんだ。俺みたいに髪と目が大きく違う色をしている人間は総じて魔術適性がない。俺らみたいな人間にとって魔力って言うのは血液に似ていて、体の中や、精々が指先みたいな体表で使う物なんだ」
例えば二人が背中を預ける建物の向かいのドアを即座に壊そうと思った時、テオは足と腕に身体強化を施して一足飛びに殴りかかるだろう。
テオの筋力では強化を施さなくともそれは可能だし、破片が散った所で深い怪我を負うほど貧弱な体ではない。
けれどそれが、隣に佇む少女にとっても最善の手法であるとは限らなかった。細い腕、柔らかな肌、低い背丈は、受けるにしても放つにしても衝撃に弱い。そして何よりも、内燃する魔力の質自体がテオに比べて圧倒的に攻撃に特化している。
「だけど、お前みたいに髪と目の色が近い色で揃っている人間は違う。より遠く、より強く、体内にある魔力を現象として放出することに向いている」
アーニーの権能が何であれ、少女がドアを破壊しようとするならばこの場所から動かないまま遠隔で魔術を放つ方が効率がいい。
少女の細い腕では木製のドアには歯が立たないし、不用意にそばに寄れば壊した破片で怪我をする恐れもあるからだ。
ドア一枚壊す為に用いる手法が異なる様に、テオと聖骸リリーの間には決して小さくない感覚的な違いがある。
それを指先に蝋燭程の火を灯すことも出来ないテオが、権能という人智を超えた能力を振るうアーニーに教えるのは難しいものがあった。
「実際はそこまで極端じゃなかったり、そもそもその分類に当てはまらない人間もいるけどな」
「そうなんだ」
髪と目の色が同系色で濃淡が違う程度だと、間を取った性能を持っていたりもする。一概に言えないのも事実だった。
「ただ、どんな人間にも共通していることもある。魔力っていうのは、食ったり寝たりしたら回復するリソースだって事だ。その辺は体力と変わらない」
「でもそれって生きてる人間だけでしょう? 僕達、その、言い難いけど体は死んでる。回復なんてするの?」
小さく首を傾げたアーニーの白金の髪が揺れた。一つの体に六つの核と人格。テオが知っているだけでも四色に変わる姿が表す、六人が持っていたと思われる元々の肉体の違い。
現在の聖骸リリーに対してどれだけ一般論が通じるのかは未知数だった。しかし、少なくとも彼女を構成する要素が人間を素体にした聖骸である以上、多くの人間ないし聖骸が共通して持つ特性については同じように当てはまる可能性が高い。
「聖骸も魔力は回復する。むしろ聖骸は食事でしか魔力を回復できないと言っていいらしい。詳しい仕組みは俺も知らないが、眠って休むより、外から力を取り込むのがどうのって話だったかと思うが」
「あはは、急に曖昧になったね」
「そうだなあ。どうにもその辺の話は、なんと言うか、頭を通り抜けて仕方ないもので」
「そうだね。何だか分かるかも、その気持ち」
テオにとって魔術の原理を聞いたところで絵空事に変わりはない。アーニーとしても、テオが自分にしたように誰かを担いで走る事は、自分の体には無理難題であることを理解していた。それと同じ様なことなのだろう。
目を細めて笑うアーニーから目を逸らしながらテオが口を開く。
「まあ、なんだ。兎に角食え。腹に収まる分は食え。頼むから、体が動かなくなって咀嚼がままならなくなる前に食ってくれ」
溜息を吐いたテオの頭が、背にした壁に軽い音を立ててぶつかる。ずっと寄りかかっていた壁がそこにあることすら不服そうに壁を振り返ったテオを横目に、アーニーは引きつった様に笑いながら答えた。
「わ、わかった。食べるよ。でも、その、普通の人の状態がよく分からないから教えて欲しいんだけど。僕達の中にある魔力って、尽きるってことあるの? 体が動かし辛いとか、全然そんな感じしないんだけど」
「聖骸が初めに保持している魔力は、その体の命の重みと同等だ。いくら聖骸の権能が凄かろうと、二度や三度の戦闘で使いきれるものじゃない。ましてやお前たちは元々六人の聖骸だったものが一人に纏まったんだろう。六人もの命を生贄に捧げて得られる魔力がそう簡単に尽きてたまるか」
壁から背を離したテオが仏頂面で言った。表通りへと繋がる道へ足を踏み出したテオの後ろをアーニーが追い掛ける。
「それで。何が食いたい」
「ええと。君のおすすめ、かな」
前を歩くテオの隣に、アーニーは駆け足で並んだ。少女の背丈より幾分も高い男の顔を見上げ、伺うように答える。
隣を歩く少女を視線だけで見下ろしたテオは、歩幅を狭めながら顔を逸らした。青空を所々隠すように掛かる雲を数えるように空を仰ぎ、思考する。
そんなテオの様子を歩きながら眺めていたアーニーだったが、突如細い裏通りの間を吹き抜けた突風に煽られ目を瞑った。
「うわっ!」
アーニーが風から顔を守る様にかざした手の隙間から影がかかる。風が過ぎ去ったことを確認し腕を下ろしたアーニーは、風に攫われそうになったアーニーのケープのフードを、ささくれた指先で摘んで引き止めていたテオと目が合った。
アーニーの白金色の瞳がテオを見上げると、ぼんやりとしたようなテオの灰色の瞳がゆっくりとその足元を辿った。アーニーの頭から離れていくテオの指を追って、少女の細い腕が持ち上がる。
視線を俯けたまま少女の手に気が付かないテオの手を、アーニーが恐る恐る握った。飛び上がり損ねた猫のように目を見開いて固まったテオに、苦笑いを浮かべたアーニーが口を開く。
「ああ、ええと。あのね、手を繋いでいてくれる? 僕って体が小さいから、人の多い道を歩くのが少し怖いんだ。うっかりすると蹴飛ばされそうでね。君の体は大きいから、人に気が付かれないなんて事もそうそうないし、皆適度に避けてくれる。ね? 駄目かな?」
「……ああ、いや。大丈夫だ。気が付かなくて悪かった」
「いいや。僕の方こそ、よろしくね。テオ」
少女の指をおっかなびっくり握り返したテオの腕へ、アーニーが鼠色のフードに包まれた頭を預ける様に擦り寄る。
「俺が蹴飛ばしそうだ……」
「あはは、それは気を付けておくれよ」
何時ぞやのギルドで見たホゾキのように背中を丸めたテオが呟いた言葉を、その手を握った少女が笑った。