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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
44/144

44話 癒術師ジル5

 

【44】癒術師ジル5




 診察室と待合室を仕切る布の間仕切りを手で掻き分けて、白金の少女は恥ずかしげに姿を現した。


 少女は袖の長い白のハイネックシャツの上に、鼠色のケープを羽織っていた。

  黒いソックスの上に履かれたブラウンのショートパンツがケープの裾から覗き、同じ色のミドルブーツが包んだ爪先がもどかしげに地面をつついている。


 白い袖が見え隠れする両腕には、先ほどまで少女が着ていたテオの上着を含む数着の衣服が抱えられていた。受け取ったものの袖を通さなかった数枚も混ざっている。


 白金の髪が垂れ落ちたケープのフードが、所在なさげ立ち竦む少女の頭の上で揺れた。

 少女、聖骸リリーに宿ったアーニーは、気恥しげな仕草で暖簾の前に立ち止まったまま、丸椅子に腰かけて本の表紙を撫でていたテオを見る。


「ごめん、お待たせしました」

「大丈夫。似合ってるよ、可愛い」

「え!? あ、ありがとう」


 脊髄反射的に出たテオの言葉に驚いたアーニーが素っ頓狂な声を上げる。いつの間にか丸椅子を立ち、肩掛け鞄を持ち出して来ていたジルが細い右目を引き攣らせてテオを見た。


「なに、先生?」

「お前にそんな甲斐性があったとは驚きだ。一体誰が路肩の石より小さなお前の脳にそんな芸を叩き込んだ」

「……ニールさん、……かな……」

「……ああ、そうか」


 遠い目をして過ぎし日の兄弟子を思い浮かべたテオに、ジルは思わず哀れなものを見る目を向けた。現在も聖骸ミダスと共にある弟子の一人であるニールと言う男の事は、テオ越しにもジルの耳に入っていた。


 分かりあったように黙り込む男二人に代わり、話の指すニールと言う名前に噂以上の聞き覚えのないアーニーが口を開く。


「ニールってミダスの弟子の人? どんな人なの?」

「俺の兄弟子。綺麗な人だよ」

「ふうん。じゃあさっきの言葉も言い慣れてるんだ」

「似合いますよ。綺麗ですね。流石です。って頭に付けないと殴られる時があったから多少は……。褒められたい気分だったんだと思うけど」

「……君、虐められてない? 大丈夫?」

「ない! ない! 大丈夫!」


 口元を抑えたアーニーの言葉を、テオは思わず大声で否定した。切り取った話題が悪かっただけで、テオにとって兄弟子とは師匠に次ぐ人生の恩師である。その相手から虐げられた経験などない。また、曲がり間違ってこの話が兄弟子の耳に入った際に、どんな仕打ちを受けるか咄嗟に頭を過った結果でもあった。


 腕の中の衣服を抱き締め、尚も疑わしい視線をテオに向けるアーニーへ、ジルが手にした肩掛け鞄を差し出す。


「手荷物はこれに入れなさい。それと今日はそろそろ閉める。最近は私も忙しい」

「あ、ありがとうございます」


 ジルの鋭い目付きに未だ慣れないアーニーが肩掛け鞄を受け取り、手にした衣服を鞄に詰め込む。荷造りを終えたアーニーの手から肩掛け鞄を受け取ったテオが、預かっていた本を同じように鞄に仕舞った。


 ジルが診療所以外で活動する場所に思い当たる節のあるテオが、首を傾げてジルに問いかける。


「城壁の方で何かあった?」

「どこぞの聖骸が城壁でひと暴れしてからと言うもの、調子に乗って無茶をやらかす馬鹿が増えた。命を無駄にしたい輩には鎧も武器も録に意味を成さない。それで態々私を“応援の癒術師”として呼ぶ所が嫌味ったらしい。見せしめか抑止力にでもしたつもりだろうが、お望みとあらばやってやるとも。図体ばかりが大きく育った愚物共が血反吐を吐いて地面を転がる様を是非ともご覧に入れて見せようじゃないか」

「先生、実は今日一段と機嫌悪い?」

「もう一度尻を蹴られたくなければさっさと出ていけ愚物の代表格め。その子の名前も、お前との関係も、何一つ聞かないでおいてやる。その代わり治療以外で余計な仕事を持ち込んでくれるなよ」


 言い捨てたジルは、テオとアーニーを診療所から追い出し、強い勢いで木製のスライドドアを閉めた。




 ──────────




 建物の影が落ちる裏通りに出たテオとアーニーの二人は、顔を見合せ、零れるように小さく笑った。


 荷物の入った鞄を肩に提げたテオが表通りに向けて歩き出す。

 靴の心地を確かめるように跳ねたアーニーがその隣に並んだ。

 鼠色のフードの下でほのかに微笑んだアーニーが、隣を歩くテオを見上げて口を開く。


「悪い人じゃなかったね」

「だろう」

「でも、何であの人が来るのが“見せしめ”になるの? 確かに口は悪いし、ちょっとだけ、ほんの少し、怖かったけど」


 アーニーの言葉を受けて、テオは少し言い淀んだ。すっかり怪我の治った左肩を回し、言い辛そうに舌をもたつかせて言葉を漏らす。


「……痛いんだよ」

「痛い?」


 オウム返しするアーニーに、テオは首の後ろを掻きながら答えた。建物の影が路地を歩く二人の上に降り注ぐ。


「癒術って言うのは怪我を治すものだけど、治る際に傷口が少し“動く”んだ。塞がるにも繋がるにも、皮膚や骨が盛り上がったり伸びたりする。負傷した場所丸ごと動くのは、怪我をしている側からすれば傷口を掘り返されている様なものでな。だから、何もしないと凄く痛む。そういう時聖教が育てた正規の癒術師は、被術者の痛覚をある程度麻痺させたりして誤魔化すんだ」

「先生は麻酔しないの?」

「出来ないんだと思う。あの人な、独学で癒術を修めたんだ。治癒院は教会の管理下にあるって話をしたろう。癒術って言うもの自体、聖教がその術を独占している節があってな。教会を通さずして癒術を学ぶことは出来ないし、癒術師として活動していても、その術を独断で他者に教えることは禁止されている。そんな中での“独学”だ。どうやって学んだかまでは知らないけど、俺が見た限りでは先生が使っているのは純粋に“傷を治す”為の癒術だけだよ」


 鞄を担ぎ直しながらテオは話した。アーニーはその言葉を聞きながら、自分の隣でぶらぶらと揺られているテオの左腕を見詰める。


 麻酔を使えない癒術師の元で治療を受けた隣の男は、ひびが入って折れ曲がった骨が繋がる痛みの声すら上げなかったのだろうか。

 少なくとも隣の部屋で本を読んでいたあの時の自分は、日の明かりだけが照らすベンチの上でテオを待っている間、彼の苦しげな声など耳にしなかった。歩く足を止めないまま、目を伏せたアーニーは思い出す。


「そう。ねえ、テオも痛かった?」

「ああ、まあ、治している間はそれなりに。それよりも癒術を受けると腹が減る。飯でも食いに行こう」

「うん。あ、その、服の代金は」


 何でもないように言ってのけたテオの横顔を見上げたアーニーが、はっと思い出して言う。慌てて羽織ったケープのポケットに手を伸ばした少女に、テオが軽く手を振って答えた。


「大丈夫だ。と言うか金持ってるのか?」

「グレッグが持たせてくれたものが少しだけ」

「なら取っておけ。金なら俺の所にいる間は気にしなくていい。それより何が食いたい? 食えないものあるか?」


 隣に並ぶ少女の被るフードの天辺を横目で見下ろしたテオが問いかける。ブーツの履き心地を確かめるように二三回スキップしたアーニーが横に首を振って答えた。


「僕はいいよ。お腹空かないし、食べなくても別に死なないだろう?」


 その言葉を聞いたテオが足を止めた。アーニーの不慣れなステップが、立ち止まったテオに釣られて不自然に止まる。ブラウンのブーツの底が土埃を上げて少女の華奢な体を支えていた。


「テオ、どうかしたの?」

「お前、食事とってないのか」


 建物の影を背負ったテオが、細めた灰色の瞳でアーニーを見下ろした。




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