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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
41/144

41話 癒術師ジル2

 

【41】癒術師ジル2




 白衣の男。癒術師ジル。


 最前線の街ポーロウニアにおいて、癒術師でありながらソロの冒険者として活動し、尚且つ癒術師と聖職者を兼任していない稀有な男である。


 同時に、聖教嫌いのテオや、事情を抱え、教会の治癒員を頼れない人間が怪我をした際に駆け込む診療所を経営している人間であった。


 その口や態度の悪さ、正規の癒術師のように聖教を介した活動をしていないこと、聖教を一切通さず独学で癒術を修めた為に発生した、癖のある治療法。


 それらの理由から、真っ当な冒険者であれば、ジルの世話になることはまず無い。その必要もなければ、なろうと思う事も皆無だろう。


 ジルは、時折思い出したようにギルドに顔を出したり、城壁の防衛戦に出張る以外は基本的に自分の診療所であるこの一軒家に引き篭っている。


 今日もその例に漏れず診療所にいたジルは、表で何やらこそこそと話すテオとアーニーの気配を感じて出てきたらしい。


 冒険者として登録している事実は伊達では無く、特にソロでの活動を可能たらしめる実力を持つジルも、気配には相応に敏感だった。


 特に、自らの根城の前に陣取るその気配の内の片方には覚えがある。その相手が、怪我をする度に診療所に入り浸り、戦場で見かければ頭から返り血を浴びて通路を闊歩する類の顔見知りであれば、気になるのも仕方ないと言えた。


 苛立たしげに爪先を鳴らすジルは、物々しく腕を組んだまま、自らの診療所の玄関前に陣取るテオとアーニーを眺めた。


 じろり、とジルの切れ長の右目で睨まれたアーニーが肩を震えさせてテオの背後に隠れる。テオは自分の後ろに回り込んだ少女を一度振り返った後、診療所の玄関に仁王立ちするジルを見上げた。


「おはよう、先生」

「ああ、おはようテオドール。挨拶が出来るだけの知能が残っているようで安心した。だがお前は通路というものの重要性をもっと理解するべきだとは思わないか? 塞ぐな汚すな暴れるな。何度言ったか数えるのも馬鹿馬鹿しいが、お前もいい加減に覚えても良い頃じゃないのか。歩いて喋れる元気なお前がしゃがみこむなど言語道断。その汚い尻を端に寄せろ。蛆虫の方がもっと綺麗に踞れる」


 言い切ったジルは、診療所の前にしゃがみこんでいたままのテオを、文字通り室内に蹴り入れた。

 ぎゃ、と声を上げたテオは大人しく診療所内へと蹴り飛ばされる。


 アーニーは自らを見下ろす目つきの悪い白衣の男を恐る恐る見上げる。

 小柄なアーニーから見て、仁王立ちで腕を組むジルは決して大柄でないにも拘わらず酷く強い威圧感を放っていた。


 容赦のない蹴りを受けて転がされたテオを見つめて、呆然と目を白黒させていたアーニーに、ジルは一つ顎をしゃくって中に入るようにと指示をする。


 建物の影でも煌めく様に鋭いジルの右目に恐れをなしたアーニーは、引きつった愛想笑いを浮かべた。

 小さく会釈をするふりをして、ジルの鋭い視線から逃れたアーニーは、テオが放り込まれた診療所内へと小走りで駆け込む。


 裾の長い上着を揺らしたアーニーは、小走りのままテオのそばに駆け寄り、大きなその背中に隠れた。

 テオの右肩に縋るようにして引っ付いたアーニーは、きょろきょろと部屋を見渡す。


 待合室だ。テオの体温を掌に感じながら、アーニーはそう感じた。


 影の差す路地裏よりも幾分か明るい室内は、掃除が行き届いているのか、今もなおテオが座り込む床でさえ手を着いても不快感を与えない程度の清潔さを保っていた。


 玄関扉のはす向かいには奥に続くドア枠がひとつあり、奥の部屋との空間を遮るように暖簾がかけられている。

 玄関扉とは反対側の壁には小さな窓が二つ。暗い裏路地とは異なり、窓の外は日当たりが良いらしい。


 窓から差し込む昼明かりだけがこの部屋を照らす光源であるにも拘わらず、十分な光量があるように感じられた。


 小さな丸テーブルが一つと、それに合わせて背もたれのない丸椅子が三つ備え付けられていた。


 壁際に寄せるように長ベンチが一つ置かれており、その上には本が一冊寝かせられていた。

 よく見ると、淡い青の色をした栞が一枚、三分の一を過ぎたあたりに挟まれている。


 長ベンチの隣には、アーニーの胸ほどの高さの小さな本棚が置かれており、数冊の本が収まっていた。時間を潰すこと、また、休むことを意識して作られた部屋に見えた。


 アーニーの視線が再度、長ベンチ上の本の表紙へと向けられる。背表紙に刻まれた文字を題名として認識する直前、アーニーの視界の端に、焦茶色の髪が映り込んだ。


「大丈夫か?」


 その問いかけは、自らの後ろに隠れるように飛び込んだアーニーを黙ったまま受け入れていたテオの口から発せられた。


 慌てたアーニーが辺りを窺っている様子を、テオは床に尻もちを着いたまま見守っていたらしく、苦い笑みを浮かべている。


 その表情を見たアーニーは、くく、と眉を吊り上げた。少女の華奢な体には大きすぎるフードに隠れた口を、焦茶の短髪がかかるテオの耳に寄せる。


 ジルの鋭い目付きにすっかり怯えてしまったアーニーは、少女特有の高い声を必死に潜めながらも必死にテオへと訴えた。


「守ってって言ったよね! 守ってよ!? お願いだよ!」

「悪い人じゃないんだ、本当だって。ちょっと、ぱっと見た感じが、ほんの少し、……その、怖いだけで……」

「怖いって思ってんじゃん! 君のほんの少しって当てにならないが過ぎるんだけど!」

「先生は小さい子に危害は加えないよ。俺みたいなのは容赦なく転がすけど」


 それが怖いと言っているんだ、と続くはずだったアーニーの言葉は、しかし口にされることはなかった。

 代わりに待合室に響いたのは、ばたん、と強く閉められた扉の音だ。


 錆びたブリキ人形のように、ぎしぎしと固く首を回して、音の発生源を目視したアーニーはその行動をすぐに後悔する。


 腕を組んで仁王立ちしたジルが、床に固まるテオとアーニーの二人を片方しか残っていない切れ長の目で見下ろしていたからだ。

 窓から差し込む陽の光がジルの黒い右目に反射して、ぎろりと煌めく。


 十二歳で成長が止まった聖骸リリーの体は、同年代の少女よりもさらに小柄だ。

 ジルは立ち上がった状態のテオよりやや背丈が小さいものの、ほぼ視線が並ぶ程の身長がある。

 そんな男の放つ威圧感は、小柄な少女の体には嫌に大きく感じられた。


 微かに震える手でテオのシャツを掴み、その広い背中に隠れたアーニーを、黙ったままのジルが一瞥した。

 ジルの鋭い眼光に思わず苦笑いを零したテオが、その視線から委縮したアーニーを隠すよう体をずらして盾にする。


「小さい子を苛めちゃ駄目だよ、先生」

「……見ただけだ」


 テオの言葉にそっぽを向いたジルが答える。

 顔を逸らしたまま視線だけでテオの背後を見たジルは、大きなフードを深く被り直したアーニーと目が合わないことを確認し、すぐに瞑目した。

 やがて、一つ溜息を吐き出したジルは、かつかつと靴を踏み鳴らして奥の部屋へと消えて行った。


 アーニーはテオの背後に縮こまったまま、恐る恐る顔を出す。奥の部屋と待合室を遮る暖簾が、ジルが通ったことでさらさらと揺れていた。


 ジルと顔を合わせてからすっかりしおらしくなった少女へと、テオは宥めるように声をかけた。


「悪い人じゃないんだ、本当に」

「ほ、本当?」


 背中に張り付いたまま眉を下げたアーニーが、テオの言葉を鸚鵡返しする。

 少女の不安に揺れる声に、首だけで振り返ったテオが口を開きかけるが、暖簾の奥から響いたジルの低い声に思わず言葉を飲み込んだ。


「何をしている薄鈍! 有り余る暇を潰しに来ただけなら、その尻にもう一つ穴を開けてやってもいいんだぞ!」

「……本当、本当に、うん、悪い人ではない。本当」


 話している自分ですら、繰り返せば繰り返すほど嘘になっていく様に感じる言葉をテオは捻りだした。


 吐き出したい溜息を何とか飲み込んだテオは、少女の手を振り払わないよう気を付けて、ゆっくりと体ごと振り返る。


 ジルの大声を聞く度に肩を震わせていたアーニーの小さな背中を、テオの厚い手が緩く撫でた。

 背中に手の平の体温を感じて、緊張を解したアーニーが肩の力を抜いた事を確認し、テオはゆっくりと床から立ち上がった。


「ここで待っててくれ、すぐに戻る。そこの本なら、好きに読んでも良いらしいから」


 アーニーの頭をフード越しに撫でたテオが、反対の手でベンチ脇の低い本棚を指さして言う。

 それに小さく頷いたアーニーが、小さく振り返りながらもベンチに駆け寄った様子を見て、テオもジルの後を追って奥の部屋へと向かった。


 テオが暖簾を潜り奥の部屋に入ると、ジルは書き物机の椅子に腰掛け、かつかつと爪先を鳴らしてテオが来るのを待っていた。


 待合室と異なり、真昼であるにも拘らずランプ石の光源が部屋を照らしている。

 この部屋にあるのは、ジルが腰掛ける書き物机と、そこに備え付けられた椅子が二つ。

 壁際には三つのベッドが頭を壁に寄せるように並んでおり、ベッドの間にはそれぞれを仕切るカーテンがかけられていた。


 診察室と病室を兼ねているこの部屋は、テオにとって見慣れた場所だった。


 現在は三つのベッドのどれもが空いているためか、全てのカーテンは纏められており、部屋全体の見晴らしが良い。

 しかし時折、仕切りとなるカーテンの向こうから濃厚な血の匂いが漂うことがあることを、テオは知っている。自分がその発生源になることもあったからだ。


 苦笑いを零しながらジルの向かいの椅子に腰掛けたテオを、じろりと睨んだジルが低い声で口を開く。


「腕を壊したか、珍しい。それはお前の商売道具だったはずだがな。随分とお粗末な扱いだ」

「ははは、すいません」

「ふん。お前のような野蛮人は癒術に頼れば何でも治ると思って容易に体を酷使する。いっそ一度その心臓もくり抜かせてみればどうだ。その足でここまで来れるなら、いくらだって治してやるとも」


 選ばれた言葉は辛辣でも、ジルの言葉はテオを含む患者の体を心配したものであることを、テオは知っている。


 困ったように笑うテオに対して、ジルは言葉のないまま、壁際に置かれたベッドのひとつを指さした。


 その指示に従い、示されたベッドへとテオは腰掛ける。清潔なシーツの敷かれたベッドが、テオの体重に負けて微かに軋んだ音を上げた。


「あの少女はなんだ。まさか面倒を見るなどとは言うまいな?」


 慣れたように上を脱いだテオの体を、ジルの薄い手が触診する。

 テオが報告もしていない内に怪我の箇所を腕だと判別した時点で、既に負傷の度合いが分かっているのか。その動きに無駄はなかった。


 教会の治癒院で治療を受けた時点で、目に見える傷はすでに塞がっている。テオの体に残っている負傷は、左腕の骨折を含む内部の物がほとんどだ。


 それを触れる前に見抜いたジルの観察眼は、彼が多くの患者を受け入れる事で培った経験からくるものでもある。

 しかしそれと同時に、その異常なまでの観察眼は、ジルがテオと同じく自らの足で戦場に立つ人間であることを示していた。


 魔物のような生物を殺す側に立つからこそ、見抜ける弱点というものがある。負傷部位というのはその最たるものだろう。

 体勢を崩すにせよ、ダメージを重ねるにせよ。怪我を負った場所と言うのは一様に、狙って攻撃した場合に得られるリターンが大きい。


「一時的に預かっているだけだよ」


 ジルの質問に少し迷ったテオが答える。テオは、連れてきた少女の正体が聖骸であることをジルに明かすつもりはなかった。


 “戦う意思のない聖骸”の存在など、吹聴する理由も必要もない。言いふらしたところで、テオと聖骸リリーが被るのは不利益だけだろうと、そう考えていた。


「……ふん。無責任に敵に突っ込んで簡単に孤児にしてやるなよ。孤児院はお前のような阿呆のためにある訳では無い。祈りのひとつ満足に捧げられないのならば、相応にあれに甘えるのもやめろ」

「そりゃあ、勿論」

「どうだか。お前の頭は螺子が飛んでいるどころか骨組みすら吹っ飛んでいる。お前のイエスは当てにならない」


 そう言って、ジルはテオの肩を押し、テオの体をベッドへと倒した。

 強い言葉を吐く口とは裏腹に、自分よりも幾分も貧弱な腕に従い、テオは清潔なシーツの上に身を横たえる。


「ええと、できれば優しくしてほしいな」

「諦めろ」


 冗談めかしたテオの言葉に、ジルはひとつ吐き捨てた。

 白衣の袖から伸びるジルの薄い手が、テオの胸板に触れる。乾燥し骨ばったジルの指先から、淡い青の輝きが溢れ出た。



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