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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第二章
40/144

40話 癒術師ジル1

第二章開始いたします。

引き続き『錫の心臓で息をする』をよろしくお願いいたします。

 

【40】癒術師ジル1




 瞼越しに眼球を焼く眩しさに、テオは夢も見ないほどの深い眠りから目を覚ました。腹に掛けられた毛布を鬱陶しそうに剥がして、寝癖でボサボサになった頭を掻きながら上体を起こす。


 どうにも重たい腹回りの感覚に違和感を感じながら欠伸を噛み殺し、寝ぼけて開ききらない灰色の瞳で朝日の差し込む窓を睨んで気が付いた。


「……あ? ……ベッド、何で?」


 テオは昨夜、アーニーにベッドを譲り、自分自身は床に座り込んで寝ていたはずだった。だと言うのに、今のテオは硬い床の上ではなく、備え付けの古いベッドの上で目を覚ました。

 見事なまでの爆睡を感じさせる節々の痛みと、今もなお腹に巻き付く重みの違和感に首を傾げる。


 寝ぼけ眼のテオは、先程自分が剥がした毛布が作った、小さな山を見詰めた。

 まるで布製の亀のように、盛り上がった小さな山から生えた細い腕が、テオの腰に絡みついている。長さが足りないせいで巻き付くに至ってはいないが、腕の先に付いた小さな手が、しっかりとテオのシャツを握り締めて離さない。


 先程から、重いを通り越して毛布の中に引きずり込もうとせん勢いで腕が引かれている気がする。しかし、如何せん少女の貧弱な腕力ではテオの体重をどうこうすることは出来なかった様だ。


 凝り固まった首を解すように肩に手を当てたテオが、空いた手で恐る恐る毛布の甲羅を剥がす。捲れ上がった毛布の中から、少女の菫色の瞳が毛布の中身を暴いた犯人を睨んでいた。


 瞳と同じ色合いの髪がシーツの上に散りばめられ、不服そうにへの字に曲げられた口元が何かを言いたげにむずがる。

 無言のままでテオのシャツを引く力を強めた少女、群生した竜胆の様に染まった聖骸リリーに対して、テオは困惑とともに口を開いた。


「……おはよう、ございます」

「……寝て……おやすみ、して」


 言いながら尚もテオのシャツを引き、毛布の中に引きずり込もうとする少女。その色味からアーニーでもソフィアでもないと思われるその少女の名前すら、テオには分からない。


 けれど細い腕と大きな瞳、何より幼子の甘えるようなその仕草に、テオは思わず小さな溜息を吐いた。きっと互いの間になんの関係もなかったなら、ただ愛らしいだけで終われたその感情を払うように、テオは少女を覆う毛布を剥ぎ取った。


「もう朝だよ。ほら明るい」

「……やめて、まぶしい!」


 ばさり、と少女を覆う毛布を捲ったテオは、少女の抗議の声と共にベッドから弾き落とされる。腰を引いた少女の力から気を抜いていたテオは、不意打ちの衝撃に呆気なく床へと転がった。


 ぐえ、と蛙が潰れたような声を上げたテオは強かに打ち付けた左腕から響く痛みに悶絶する。


「う、ぐ、うう」


 痛みに唸り、ぎちぎちと鳴る奥歯から力を抜けた頃に復帰を果たしたテオは、額に滲む脂汗をそのままに、ようやっと床の上に身を起こした。ベッドの上に陣取っているはずの少女を見ようと視線を持ち上げたテオの視界に、黒い影が映り込む。


 少女の血の気のない白い腕とはかけ離れた影を追い、テオはベッドの縁へと頭を持ち上げた。

 立ち上がり損ねて床に膝をついたままのテオがシーツに手をつく事と入れ違いに、煤を塗った蔦のような何かが、するすると毛布の縁を押し上げて引っ込んでいく。


「は、今の、今のなんだ!」

「……うるさい。朝も、夜も……眠いのなら、永遠におやすみの時間なの……」


 自分のベッドの上に現れた正体不明の影を見て驚いたテオが声を裏返す。しかし、当の少女は面倒そうに呟いて毛布の中で寝返りを打つだけだった。

 慌てたテオが毛布の縁を掴んでひっぺがそうとしたが、先程あっさりとベッドから落とされた事を思い出して手を止める。少女の細い腕では、決して軽いわけではないテオの体をああも簡単にはじき落とすことはできないだろう。だとすれば、テオをベッドの上から突き落とした実行犯はあの煤の蔦なのではないのだろうか。


 寝起きの頭ではあろうとも、目の前で毛布を被り籠城戦を決め込む少女が、聖骸という規格外の能力を持った存在だということを忘れたつもりはなかった。

 なかったが、しかし、どうしても。

 幼い外観と、勇ましさよりも優しさと意志の強さをテオの記憶に残した聖骸リリーの姿が、テオの内側から無意識の警戒心を剥ぎ取る。


 けれども、こうしていつまでも寝汚い少女の籠城を許すわけにもいかない。テオは痛む左肩を薄いシャツの上から弱く掻いた。

 二度の深呼吸を挟んだテオは意を決し、そうっと毛布の端を摘んで中を覗き見る。その灰色の目に映ったのは、額に手を当てて苦笑いを浮かべた夕焼けの髪の少女だった。


「アーニー……」

「うん。ごめん、ごめん。説明不足だった」


 前日に見慣れた姿を目にし、脱力したテオがその名を呼ぶと、夕焼けの色の瞳はほろりと笑う。淡いというには強い色をしたその少女、アーニーは、ゆっくりと毛布から這い出た。


「あの子はね、ニーナっていうんだ。夜から朝方の時間を担当してもらっているの。でもこっちに来てからというもの、とってもお寝坊さんになっちゃったんだよね」


 しなだれた橙と紺の髪が、少女の肩の上でさらりと揺れた。




 ──────────




 鉱山の巨大蟻討伐作戦に参加の義務が無いテオは、今後の予定を特に誰かに決められてはいなかった。


 とは言え、昨日治癒院を抜け出て来たテオは体の傷が治りきっておらず、負傷した左半身が未だじくじくと痛む。その傷を癒すためにも、今日はまずテオの知り合いの癒術師の元へ足を運ぶ事になった。


「何で全部治してもらわなかったの?」


 そう問い掛けたのは、テオの隣を歩くアーニーだった。アーニーは、成人男性のテオですらオーバーサイズになるカーキ色の上着を羽織り、大きなフードで顔を隠している。少女の体躯ではワンピースの様に長くなった裾丈はそのままに、長すぎる袖のみを手首丈で纏めていた。


 時折深く被ったフードから覗く、髪や瞳の色は聖骸リリー準拠の白金に染まっている。冒険者ギルドのメリルしかり、スヴェンしかり。聖骸リリーの姿の目撃者は少なからず存在している。そう言った相手に見つかった際、少しでも不審に思われないよう、可能な限り聖骸リリーのベースである白金を維持するようにと、アーニーが決めた為であった。


 午前の通りは明るく、人気も多い。馬車が埃を立てて走る道の端を、テオとアーニーは二人で並んで歩いていた。

 知り合いの癒術師が居る場所はギルドと城壁の丁度真ん中辺りに位置する。テオの泊まる宿からそう遠くは無いが、少女の歩幅に合わせて歩けば、雑談の時間に困らない程度に時間があった。


「……治癒院は、聖教の教会と併設されている。中にいるのも癒術師を兼ねている聖職者だ。あそこで治療を受けると、祈りを捧げることを強要される」

「ふうん。嫌なの?」

「……嫌だな。それに、その……」


 アーニーの質問に答えながらも、言い淀むテオは、自分を見上げるアーニーの視線から逃れる様に目を逸らす。


「ああ言う所の聖職者は、嫌がられる事に慣れてないんだ。祈りを拒否すると酷く傷付かれる。それがどうにも申し訳なくてな」

「聖教嫌いって聞いたけど、罪悪感はあるんだね」

「代金を払っているとは言え怪我を治して貰った上、本心から心配してくる相手だからな。祈りだって別に悪気があって求めている訳では無い。次は怪我がないように、次も生きて帰れますように。そう言う願掛けの善意からだ。彼らが悪い訳では無い、が、……その、受け入れられないのは、ううん……、俺の問題なので……」


 尻窄みになりながらテオが言う。どうしても自分の中で聖教と言う物を受け入れられない故に、自らの否を断言したく無い狭量な意地がそうさせた。

 しかし聖教嫌いのテオから見ても、治癒院の癒術師達には、搾取の意志も、ほんの少しの悪意ですらも感じられない。それ故に、彼らの事を頭ごなしに否定することも憚られた。

 眉間に皺を寄せたテオは気分を切り替えるように、がしがしと頭を搔く。


「いつもなら真っ直ぐに先生の所に行くんだ。ただ、昨日はどうも逃げられなくてな」


 言い訳のようだと感じながら、テオはそう言葉を紡いだ。事実、昨日は坑道から外に出て報告を終えた途端に手の空いている冒険者に、文字通り治癒院に担ぎ込まれた。


 また、現在テオ達が向かっている癒術師の評判が悪い事も原因の一端を担っていたのだろう。テオが知り合いの癒術師の所へ行くと言っても、あそこはやめておけ、と完全な善意から跳ね除けられたのである。


 テオとアーニーの二人は、表通りから角を曲がって狭い路地に入った。表の通りとは違い、道の表面を建物の影が覆う。更にもう一つ角を曲がれば、馬や荷車が入れない程に道幅は狭くなった。


 取り留めのない雑談を交えつつも、テオの案内の元、入り組んだ薄暗い路地を二人は迷いなく進んだ。数分歩いたところだろうか。テオがある一軒家の前でおもむろに足を止める。


「……アーニー」

「なんだい?」


 釣られて足を止めたアーニーは、テオの呼び掛けに答えつつ、自分よりも大きな男の顔を見上げる。テオは自分を見上げる少女の目線と合うように、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 地面に膝を着いたテオは、ズボンが汚れる事も気にしないまま、あくまでも静かに口を開いた。


「先生は悪い人じゃあ、ないんだ」

「うん」

「本当だ。悪人とか、そう言うんじゃない」


 嫌に真剣な声音でテオがアーニーに言う。白金に擬態したアーニーの瞳が、フードの奥で不思議そうに細められた。


「ただ、口が、口がな?」

「うん。口が?」

「ちょっと、ほんの少し、悪い」


 足を畳んでしゃがんだまま項垂れたテオが言った。その言葉の意味を察することが出来ず、アーニーが眉を跳ね上げて口を開きかける。しかしその小さな口が言葉を吐き出す前、テオとアーニーの二人が佇んでいた一軒家の扉ががたりと揺れた。


 横開きの木製扉が軋んだ音を上げ、土埃をまきあげながらも半ば跳ねるようにして、真横へとスライドされる。


 言いかけた言葉を飲み込んだアーニーは、唐突に開かれた扉を見やった。

 その扉の前には、黒の上下に白衣をまとった中肉中背の男が一人、むすりとした表情で立っていた。


 黒い髪に黒い瞳。グレッグと同じ色合いをした無愛想な男の姿に、アーニーは思わず息を飲む。

 しかし鼻の焼けたグレッグとは異なり、目の前の白衣は、片目に目に見えてわかるほどの大きな傷を負っていた。大分昔に出来た傷なのか、閉じた傷口が痕となって主張する。その傷は縦に引き裂くように男の左目を塞いでいた。


 自らを見上げる少女を無視した片目の男は、白衣の埃を雑な仕草で払い落とす。やがて満足いくまで叩き終えた白衣の男は、未だ道端にしゃがみ込んだままのテオを睨みつけた。


 たっぷり三秒を使って態とらしく溜息を吐いて見せた白衣の男は、流し忘れた便所の汚物を見るような目でテオを見遣り、やっと重たい口を開く。


「ついに小児性愛に目覚めたか。肥溜めに突っ込んだ様な頭をしたお前なら、いつかやると思っていたさ、テオドール。その薄汚い服を全部脱いで表の番兵の前まで走って行って来い。頭の茹だった愚かさのアピールには足りなくとも、檻に入るには十分だろう」


 滔々と吐き捨てられる白衣の男の言葉を受けても尚しゃがんだまま顔を挙げなかったテオは、まるで強い眩しさを堪えているように強く目を瞑り、ゆっくりと頭を抱えた。


 そんなテオの袖を、アーニーは小さく引く。そのささやかな呼び掛けに唸り声で返事をしたテオの頭に追撃をかけるように、呆れたような少女の声が降り注いだ。


「ほんの少し、なんだって?」

「……先生は、悪い人じゃあ、ないんだ…………」


 それでもなお、同じ言葉を繰り返し吐き出したテオの前に、アーニーは思わず黙り込む。

 テオとアーニーの間に出来たその沈黙は、白衣の男が鳴らす苛立った様な爪先の音に遮られた。




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