38話
【38】
深く一息を吐いて、アーニーは言葉を区切った。鉱山で見せた様な興奮具合とは裏腹に物静かなアーニーの姿に、思わずテオは自らの灰色の瞳を静かに伏せる。
例え髪や瞳の色が違っても、少女の声や姿はいつかの日に失った家族の姿そのものであった。
テオの沈黙に気が付きながらも、橙と紺を混ぜた髪の少女は再度語り出す。
「でもね、ベルはそれを認めなかった。切り分けられた人格、不完全な自分。そんな不格好な“たった一人”で生きていく事を拒んだんだ」
その言葉に、テオは緩やかに顔を上げる。
分からないでもないと、そう思った。あの日、自分に唯一残されていた、最も依存した家族であるリリーを失ったテオドールも少なからず同じ事が脳裏に過ったからだ。
あの日の自分は、たった一人で生きていこうとは到底思えなかった。ただ、自らの命が守られたものである事を知っていたから、投げ出すことも選べなかっただけだ。
たった一人でも、テオドールは生きていかなければならなかった。例えその道中のどこかで、自らの命を失う事になったとしても、それが無意味であってはならないと思っていた。
生きていくにしても、死に絶えるにしても。
その為の理由や目的を求めていた。あの日の森で師匠に拾われなければ、幼いテオは感情に任せて、報復を目的に掲げていた可能性すらある。
けれど、そうはならなかった。
全ては紙一重の選択だったのかもしれない。テオが今までの人生で得た沢山の導きがなければ、今ここで聖骸リリーと出会うこともなかっただろう。
「ベルはね、元の状態により近い形に戻ることを求めたんだ」
脱線したテオの思考を元に戻したのは、目を伏せたまま自らの手元を眺めているアーニーの言葉だった。
「彼女はこの世界に来て、目が覚めて、そして、現状を理解した。ベルはその時まで、神様なんてものを欠片も信じちゃいなかったけれど、信じなくちゃならなくなった。自分の中身が欠落し、その欠けた部分が別の体を持って目の前に現れる。そんな、取り返しのつかない失敗をやらかした神様ってやつをね」
アーニーの声音は淡々と紡がれていたが、何処か自嘲を含んでいた。嘲笑った自分というのは、六つの人格の内どれを指すのか、向かい合うテオには測りきれない。
「僕達は既に新たな六つの命となってしまっていた。その肉体を潰せば、それはもう人殺しと変わらないと僕は思う。けれど、ベルはそれを躊躇わなかった」
アーニーの細い指が喉元を撫でる。自らを宥めようとする姿は、リリーの時にはあまり見ないものだった。
「聖骸というものについて、君はどれほど知っているかな。僕達の体の中には拳よりも小さい、たった指二本分くらいの大きさの結晶があるんだけれどもね。それが僕達転生者の核なんだ。僕達はこの結晶でものを考えるし、それを破壊されれば転生者の意識ごと、この体は停止する。この結晶は脳と心臓を一緒くたにした物理的な魂の器みたいなものなんだ」
そう言って、アーニーは鎖骨の間のあたりを指先でつついた。話に上がった結晶はそこにあるとでも言いたげな動きだ。
「この結晶の中に僕達の心があって、この結晶が接続された体を僕達転生者が動かしているんだ。聖骸、転生者、核。三つの関係はそうなっている。とは言っても、これを取り出して別の聖骸に移植すれば無条件で適応するわけじゃない。それなりにリスクや条件があるんだろうね。ただ、今回の僕達にはそのハードルは当てはまらなかった」
アーニーの細い指が緩やかに腹へと下がる。向かい合ったテオは、アーニーの言葉の一言一句、動作の一挙一動に、いつしか釘付けになっていた。
「ベルはね、手始めに僕を取り込んだ。お恥ずかしながら、僕は聖骸に入ったばかりの時、突然の出来事に呆然として動けずにいたからね。ベルは僕の首を食んで、あっさりと核を肉ごと飲み込んだよ」
アーニーが手のひらをテオに向けたまま、爪が見えるように指を折り曲げる。子どもが狼や獅子を真似るような姿だったが、直前の話によれば、その爪の向いた先はアーニー自身だったのかもしれない。
「それからは芋づる式かな。僕は実行役のソフィアが欲しかったし、僕の次に自由意志の強いニーナにも共に居て欲しかった。ベルは僕の望み通り二人をも飲み込んだ。そして飲み込まれたソフィアが更にキャロルを求め、ベルはその願いも叶えた。そして、マリーだけがベルの外に残った」
懐かしむ様に目を細めたアーニーが言う。橙と紺の混ざる夕焼けの瞳の上に半ばまで瞼が落ちたことで、その瞳の中に夜の部分が強くなっていく。
「けれど、マリーの特性が怒りだったものでね。目の前で立て続けに四人を飲み込んだベルに対して、あの子、とっても怒ってしまったんだ。もう凄かったよ。ベルとマリーの大喧嘩。どっちも元は自分なのにね。結局ベルはマリーをも降して、死にかけの体からマリーの核を掬いあげて飲み込んだ」
口元に手を当てて、アーニーはくすくすと笑う。その姿はリリーとは似ても似つかないように思えた。同じ肉体でも中身や所作が違うだけで、こうも印象が違うものかとテオが目を見開く。
「六つに分かたれた人格は、元の通り一つの体に収まった。けれど、一度切り離された人格がもう一度統合することは無かった。一つの体に六つの人格が入り込んだだけで、元の一人には戻れなかったんだ」
そう言って、アーニーは伏せていた瞳を持ち上げた。黙って話を聞きつつ、じっとアーニーへ向けた視線を逸らさなかったテオと目が合う。
「聖骸リリーはね、ベルが乗り移った器だったんだよ。僕みたいな、ベル以外の人格が乗り込んでいた聖骸は、核を取り出す際にベルによって破壊された。人格の回収に必要なのは核、小さな小さな結晶だけだったからね。他の部分は不要だったのさ」
テオと視線を合わせたまま、アーニーは爪先を持ち上げてテオの座る椅子の足をつついた。つられて視線を下げるテオに向けて手の平を向け、触れていないテオの頬を撫でるように指を掲げる。
「聖骸リリーを使って、ベルは全ての人格を取り戻した。元々の“一人”とは違くとも、格好ばかりは整えられたわけだ。髪や瞳の色を誤魔化して、口調と名前を揃えれば、僕達は感情の振り幅が少し激しいだけの女の子に見せられる」
指を畳み、するりと落とされるアーニーの手を、テオは思わず受け止めた。その行動は完全に無意識によるもので、手を握られたアーニーも少し驚いた様に、微かに目を見開いている。
「あ、悪い、その」
「あは、ははは。グレッグは最後まで僕達の手を取ってはくれなかったんだけれどね。君はこうも簡単に……。いや、最後だなんて、縁起が悪いか……」
少女の発した口先だけの笑い声はどこか乾いていた。反するように、伏せられた瞳は潤い、その決壊を待っている。
テオが思わず椅子から腰を浮かせるが、アーニーはそれを遮るように、テオに握られた手を緩く振りほどき、再度目の前の男に手の平をかざした。かざした手とは反対の少女の傷の無い指が、自らの目元を軽く拭う。
「大丈夫さ。少し、ほんの少しだけ、疲れが祟ったんだ。今は話を続けよう。本題にはまだ遠い。だろう?」
少女の瞳が再び強く持ち上げられた。橙に煌めくその瞳を見詰め返し、テオは浮かせた腰を椅子に戻す。
本題はこれから。聖骸リリーは何を求めてテオを尋ねたのか。そして彼女達はどうしたいのか。
アーニーの言葉を聞いて、テオは静かに息を飲む。
テオもまた、自らの行く道を決めなければならない。