37話
【37】
テオがソフィアと分かれ、坑道から外に出ると、出入り口を見張っていた二人の番兵が目を見開いてテオを迎え入れた。泥に塗れ、左腕は折れ、頭に流血の跡が残るテオの姿に驚いたようだった。
ホゾキの姿は無かったが、遠目に数人の冒険者も見えた。テオの姿を見付けて駆け寄ってきた冒険者パーティのリーダーに、警戒音の原因は不明である旨と、坑道内部の様子に多少の虚偽を混ぜて報告を済ませたテオは、すぐさま治癒院に担ぎ込まれた。
聖教の教会と併設する治癒院には当然の如く癒術師と兼任した聖職者が詰めており、テオにとってはアウェー空間に他ならない。最低限動ける程度の治療を受けて、入院必須だと引き止める癒術師達を振り切ったテオは罪悪感を胸にそそくさと宿に戻った。
借り受けた自室のドアを開き、灯りの点されていない部屋に足を踏み入れる。月明かりだけが差し込む部屋の中、古びた木製のベットの上にひとりの少女が腰掛けていた。
長い白金の髪がシーツの上に垂れ下がり、同色の瞳が扉の前に立つテオに向けて持ち上げられる。
「おかえり、テオ。お邪魔しているよ」
ひらり、と少女の小さな手がテオに向けて振られる。目を細めてそれを迎え入れたテオがゆっくりと一歩を踏み出した。
「お前、誰」
「おや、アーニーだよ。さっきの今でもう忘れたかい?」
少年のように足を投げ出して座る少女が首を傾げる。しかしテオはその言葉を素直に飲み込むことが出来なかった。
とんとんと指先で自らの頭をつつきながら、テオが口を開く。
「……、色が」
「うん?」
「色が、違うけど。アーニーなのか」
あの坑道の中でべらべらと口が減らない少女は、印象的な橙で彩られていたはずだ。テオの言葉を受けて少女が一つ頷く。少女の腕が長い髪を払うと、その根元から色が変わった。
紺色と橙を混ぜ込んだ夕焼けの色の髪だ。少女の瞳も同じように強い橙が輝いている。
「色くらいはね、聖骸リリーのデフォルトに寄せる分なら擬態はいくらでも可能なんだよ。取り繕えない程興奮するか、権能の様に魔力を使用する様なことをしない限りはね。今まではこっちでいる事が多かったんだ。紛らわしい事をして悪かったね」
ベットに座る少女、アーニーが言う。その言葉を受けたテオは、部屋に備え付けられたランプに灯りを灯した。ランプ石の光源が水面に揺れて少女の暖色の髪を照らし出す。
この世界において、髪の色と目の色は魔力と切っても切れない関係性にある。髪と目が同系色の者は魔術適正が高く、逆にその二つが異なる系統の色を持つものは魔術適性が低い。
髪をタンク、瞳をレンズとして、体内にある魔力をどれだけ効率的に魔術現象に変換できるかの違いだ。同じ色の水を同じ色の器に注いだ方が色に混ざりけがなくなり、誤差が出ない。
テオ自身もこの法則に漏れず、魔術適性が低い。しかしその分、外に出せない魔力が強く肉体を強化した。髪と目の色が異なる人間は魔術適正のある人間と比べ、身体能力が大きく優れている傾向にある。その違いは文字通り、体の作りが違うとまで言える程だ。
魔力とは魂の持つエネルギーだと言われている。体の特徴が魔力に現れるのか、はたまた魔力の特徴が体に色を付けるのか。卵が先か鶏が先かと言う話に近く、結論は出されていない。
ただ一つ言えるのは、魔力とは人格、もしくは肉体に依存する物だ。一人の人間が二色の魔力を持つことは無い。だが前例が無いだけで、一つの体に複数の人格が入っている以上、それらが多色に変化することもあるのだろう。
これ以上の事となると、そもそも魔術に適性がなく最低限以上の知識を持たないテオには分からなかった。
少女の煌めく夕焼けの色から目を逸らしたテオは、椅子を引き寄せてアーニーの傍に腰掛けた。
「説明をしてくれるか」
「ああ。勿論さ」
細く揺らめくランプの灯りが向かい合う二人を照らす。緩やかに指先を絡め、手を組んだアーニーが求められた通り口を開いた。
少女の柔らかく細められる瞳と軽く持ち上げられた口元が、遥か遠くに薄れてしまったテオの懐かしい記憶を揺さぶる。
「と言っても、どこから話したらいいのか迷ってしまうな。まずは、そうだね。僕達の話をしようか」
話しつつ、アーニーは長い髪を耳にかける。その仕草は堂に入っており、アーニーが転生を果たす前も今ほどの長髪だったのではないかと、少女の姿と相対するテオの想像をかき立てた。
「聖骸リリーには現在六つの人格が宿っている。ひとつは僕、つまりはアーニー。ひとつは先程君を連れ回したソフィア。ひとつは膝枕をしていたベル。ひとつは君が路地裏で上着を譲ったニーナ。あとはキャロルとマリーがいる。キャロルには一応面識あるのかな? さっき手慰みにキャロルの記録を辿っていたら、道端であの子が歌ってた所に君が通りかかっていたと思うんだけど。覚えてる?」
アーニーの問いかけにテオは首を傾げる。ここ暫くの記憶を反芻し、道端と歌の検索ワードにヒットした記憶が一つあった。
「ああ、あれか。木箱に乗って歌っていた」
「うん、その子だね」
昼の坑道調査に参加した初日、スヴェンと共に宿へ帰る道を歩いていた最中見かけた女性の歌を思い出す。澄んだ水、特に寄せては引いていく漣を連想させる美しい歌声だった。
「そうなると、君が全く知らないのはマリーくらいかな。まあ、六つの人格と言ってもね。初めから六つあった訳じゃないんだよ」
手慰みに指先を擦り合わせ、アーニーが語る。椅子の背もたれに寄りかかったテオは黙ったままその続きを待った。
「僕達は元々は一人の人間だった。その中心、軸になる人格こそがベルなんだ。ほら、相手にした人によって、その時の状況によって、はたまた気分によって。人の態度なんて幾らでも変わるじゃないか。誰だってそうだろう? 君もソフィアに対する態度と僕に対する態度ですら、決して同じではなかったはずだ。幼子や女性には優しくなりがちだったり、逆に仕事中は張り詰めていたりね」
アーニーの言葉にテオは頷く。浮き沈みが激しい自覚はあった。特にテオの場合仕事中の態度と、それ以外の部分での差が大きい。ゆえに、アーニーの言い分はよく理解できた。
「ベルはそういう部分が、他人より少し極端だっただけなんだ。それを神様が多重人格か何かと勘違いしてね。僕達をこちらに召喚させるに当たり、それぞれの面を切り離してしまったんだよ。僕からすればバグと言っても差し支えないほど明確な不具合さ。いい迷惑だよ、全く」
吐き捨てるようにアーニーが言う。緩く顰められた眉が、アーニーの心に巣食う不快さを表しているようだった。伏せられた瞳が強く、しかし何処か暗く、橙と紺の間に揺れる。
「……すまない。ばぐ? って、何だ」
アーニーの口にした言葉に疑問を持ったテオが、話の腰を折ることに引け目を感じながらも緩く手を挙げて問い掛ける。施された説明を訳の分からないまま聞き続ける不誠実を嫌った為であった。
「ああ、ええとね。意図せずして出来た不具合とでも言うのかな。本来は虫を指す言葉だったはずだけれど。まあ、不具合だよ。うん」
テオの言葉を受けて、俯いた顔を上げたアーニーが頬を掻く。言葉を探して迷う様子が、視線の動きから感じ取れた。
苦笑いとともに送られた目線で、今の説明を理解したか尋ねられたテオが小さく頷く。その姿を確認したアーニーが話の続きを語り始めた。
「そうだね。肝心なのは僕達にとってそれは寝耳に水で、馬鹿らしい程間違ってたって事さ」
小さく溜息を吐きながら、小柄な肩を竦めたアーニーは言う。幼い体に見合わない大人びた仕草が、何処か隠し切れない疲労を匂わせた。
「元々一つだった人格が神様の手によって無理矢理に六つに分けられた。勿論与えられた体も別々にあった。六つの人格、六つの聖骸。僕達はこの世界で目覚めた時、確かに別々の六人になったんだよ」
再度伏せられた瞳に影が落ちる。形ばかりが取り繕われた少女の笑みが、緩やかに引き攣り始めていた。




