29話
【29】
テオとホゾキは急いで鉱山を登り、坑道出入口へと到着した。
いつも打ち合わせに使う広葉樹の下に、車輪が外れた馬車が止まっている様子をテオが見つける。傍では御者と見られる男が馬車の修理を行っていた。
現在は一時的に鉱山が閉鎖されているものの、再開後には崩れた坑道を補強する為、多くの物資が必要になる。それらの荷物を予め運び込むための荷車を引いた馬が登っている様子はテオも何度か見た事があった。
過積載か何かで車輪が外れたのかもしれないと見当を付けたテオは、その馬車を意識から外す。
ホゾキとテオの二人が坑道出入口へと近付くと、焦った顔をした二人を出迎えた兵士が不審そうな顔を見せた。
「どうしたんだ。今日は調査が無かったんじゃないのか」
二人いた番兵の一人がテオへと尋ねる。ホゾキはギルドで報告を受けるので番兵と直接の面識は無い。そのため巡回と調査で出入りがあり、顔を知っていたテオに話を振ったようだ。
「今日は仕事じゃないんだ。女の子を見なかったか? 小さいらしいんだが、十歳くらいの」
「このくらいの子で、か、髪は長くて、こう光を吸い込むみたいな色なんだけど。薄緑だった、かな」
テオの言葉にホゾキが付け足す。直接少女の姿を見た事のないテオにはどうしても細かい容姿について説明できなかった。
しかしホゾキの言葉を聞いたテオは首を傾げる。スヴェンやメリルから聞いた話と違ったように思えたからだ。
「スヴェン達からは白だか金だかって聞きましたけど」
「あれ? 僕が見た時は緑がかってたよ」
互いに首を傾げて顔を合わせたテオとホゾキに、困り顔の番兵が答える。
「いや、悪いがそもそも女の子を見てない。お前は見たか?」
「いいや、見てない。今日ここに来たのはあの馬車くらいだろ。丁度ここを通る時、岩に乗り上げたせいで車輪が外れてな。あの様だ」
番兵が答え、広葉樹下に留まる馬車を指さす。主人が馬車を修理するのを待っている馬が、木に結えられた手網を落ち着きなく揺らしていた。
「じゃあまだここまで……」
来てないんですかね、と続くはずだったテオの言葉は轟音に遮られた。
ギィアアァアァアァァァ!
発生源が坑道内部であることは直ぐに分かった。金属を擦り合わせるように背筋が泡立つ音だ。しかし同時に咆哮のように低く唸る音が重なっている。
「な、なんだ!?」
坑道から吐き出される爆音を背に浴びた番兵が慌てた様に叫ぶ。しかしあの音が何かと問われて即座に答えられる人間はここにはいなかった。皆が皆、その音の正体に思い当たる節はない。
次に口を開いたのは、目の横を指先で叩きながら視覚や聴覚等の感覚器に強化魔術を施し終えたテオだった。
「落盤の音じゃない。中には誰もいないんだよな?」
「いない、誰も入ってないぞ」
番兵の答えを聞いたテオが、坑道内部に足を踏み入れないまま強化した目を凝らす。
テオが立つ場所より坑道内部の方が暗く、視覚を強化しても視認が難しかったが、それでもここから見える範囲には動く気配は見当たらなかった。
音の反響具合からも、発生源はもっと奥まった場所であるようだ。
「テオ君、何か見えるかい?」
「ここからじゃ分からないです。中に入ってみないことには」
ホゾキの問い掛けに答えたテオが目を見開き、素早く耳を塞いだ。強化した聴覚が続く轟音の前兆を捉えたからだ。小さな音も聞き逃さない様に強化された聴覚であの轟音を受ければ、問答無用で脳が揺らされてしまう。
「また来ます!」
テオが叫ぶ。今度は、かつかつ、と小さく石を打ち合わせる様な音が先行して聞こえた。その音がやがて雨が屋根を打つように重なり合い、土砂崩れの如く増幅する。
ガガッカギィチガァチカッカヂチヂィチヂ!
言葉に表すには困難なまでに成り果てたその音はピークを超えた後、波が引くように段々と小さくなっていった。耳を覆った手の平越しに音の減少を感知したテオがゆっくりと手を下ろす。
「多分、キラーアントの警戒音です。二度ですが、潜っている際に似た音を聞きました」
テオが聴覚の強化を解除しながらホゾキに報告した。爆音の影響でつきつきと痛む頭を抑えながら、テオはその音を耳にした場面を思い出す。
一度目は初日だった。テオが横道を調査した後、カーラ達が五匹のキラーアントに追われて逃げて来た時だ。その際彼らの話し声と足音に混じって、これと似た音が響いていた。
二度目は二日目だ。テオが行き止まりを調査する直前の戦闘である。スヴェンが巨大蟻を引き付けてテオ達の元へ来る際に、彼の後方からこの音が鳴っていたはずだ。
「キラーアントが活性化しているのかもしれない。僕はギルドに、ひ、人を集めに行く。鉱山から魔物が溢れれば、城壁と違って街まで大きな障害物がないから、か、簡単に奴ら雪崩出てしまうよ」
ホゾキがそう言ってテオを振り向く。細長い体は猫背であるにも関わらず、決して周りに弱々しい雰囲気を感じさせる事は無かった。
「テオ君には、さ、先に中に入って調査を依頼したい。取り急ぎ討伐隊を組むけど、な、中の様子が全く分からないのは不味い。それに人手が集まるまでにキラーアントが出てくるようなら、あ、足止めも必要だ」
「あの音じゃ数が多いです。ここで俺に決死隊をしろってのは無理ですよ。こんな所で死ぬ為にこの街に来たんじゃない」
「それは僕も分かってる。不味いと思えば、に、逃げていい。できれば道を塞げたら、た、助かるけど」
「下手に崩れたら生き埋めになります」
ホゾキとテオのやり取りに、番兵の一人が手を挙げて挟み込んだ。
「あ、あそこに採掘用の爆薬がある。ここの入口を崩せば、中からは出て来れない。ただ、今は落盤のせいでここしか出入口がないから、ここを潰すともう……」
尻すぼみに話す番兵が指さす先には、採掘用の道具を仕舞う為の小屋があった。鍵がかかっているはずだが小屋自体が木製なので、扉を蹴破れば簡単に侵入できるだろう。
「依頼主は、で、出来るだけ早くこの鉱山を再開させたがっている。ここから産出される鉱石は城壁防衛にも使われるからね。ここを壊せば復興は更に遅れて、あ、あちらの防衛にも小さくない影響が出てしまう」
ホゾキが頭を抱えながら呻くように言った。
巨大蟻が街に降りれば、もしくは鉱山の再開が大きく遅れれば、この街に降りかかる被害は甚大なものになる事が考えられると言う話だった。
そしてその被害を被る範囲には、テオが世話になっているアイザック親子の営む宿も含まれている。容易に想像出来た事実にテオは思わず首を伏せた。
そこまで知っていて尚ホゾキの頼みを断れたのなら、テオはそもそも昼の調査を受けることもなかっただろう。
渋々了承しようとしたテオに先んじて、ホゾキが更に口を開く。
「君が酒場で喧嘩して言い渡したペナルティだけど。あれの一ヶ月間城壁の防衛参加不可の件、て、撤回するから!」
「やります」
即答だった。テオの言葉にほっとしたように笑みを浮かべたホゾキが顔を上げる。
テオはその笑顔を見て、してやられた、と思ったもののペナルティ撤回の件がなくても結果は同じだったと考え直す。
「……んん。調査の方は、出来るだけやります。でも足止めは期待しないでください。駄目なら本当にここを潰す事になりますから、その前に人を寄越してくださいよ」
「ああ! すまない、た、頼むね!」
テオの言葉にホゾキが強く頷いて、ぐるりと辺りを見渡した。ホゾキは周囲を確認し終えると、二人の番兵へと向き直る。
「爆薬を用意したら、き、君たちはここで他に人が入らないように見張りを頼むよ」
「わ、分かった」
ホゾキは二人の番兵に指示を出した後、未だ直らない馬車の影からこちらを覗いていた御者へと駆け寄って行った。馬を借りるようだ。
離れるホゾキの背中を見送りテオは背負っていた鞄を下ろして中身を確認する。
投擲散弾の残りは四発。初期に比べて半分に減ったこれでは、大きな群れに当たれば対応しきれないだろう。例えこの四発で足りる数の巨大蟻に遭遇したとして、これまでの経験からすると連射できるの二発までだ。横穴から不意打ちした際でそれなのだから、正面からぶつかれば単発で終わる可能性がある。
腰のナイフに触れるが、皮膚や筋肉の柔らかいアンデット相手ならともかく、甲殻に守られている上に外殻から内臓が遠いキラーアント相手には、四十センチのナイフでは非常に心許ない。上着の内側に隠したナイフも同じだろう。そちらの二本は腰のナイフよりも更に小さい。
いざと言う時は抜く事になるだろうが、それでもこの三本のナイフに期待を寄せるのは酷だ。
テオは鞄から投擲散弾の一つを取り出し、縄を手に巻き付けながら思考する。
鞄を背負い直し、支度を終えたテオが番兵へと向き直る。突然に変化した状況に困惑しながらも責務を果たそうと務めている番兵が、緊張した面持ちでテオの顔を見た。
「それじゃあ俺は行く。俺が出るまで出来るだけ出口は埋めないでくれよ。生き埋めになったらグールになって食いに来てやるからな」
「あ、ああ。勿論だ」
テオの皮肉に番兵が頷く。頬を伝う冷や汗は、お互いに見なかった事にした。
坑道の暗闇が昼間の明かりと一線を画すその淵でテオは立ち止まり、厚いブーツの踵で地面を叩く。振動に乗せて波が行き渡るように、魔術で施した身体強化が脚から体全体へと行き渡った。
強化された視界が暗闇をものともしないことを確認し、テオは大きく息を吸い込む。
光の差し込まない暗がりへと、テオは一歩踏み出した。
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