28話
【28】
ホゾキの帰りが遅い。そう指摘したメリルの呟きに対して、先に口を開いたのはスヴェンだった。
「え、ホゾキのやつ撒かれたか? あんなちっちゃい子に?」
スヴェンが仕事中には絶対に見せないであろう、ぽかんとした表情を見せる。冒険者でなくともホゾキとて大の大人なのだから、小さな子ども一人捕まえられないとは思ってもみなかったと言う顔だ。
スヴェンの疑問に、テオが苦い顔をしながらも言葉を返す。
「いや。あの人を撒くの結構大変……と言うか、そもそも撒かれたなら一度戻ってくるんじゃないかな?」
「それもそうか。じゃあ何だ? 現在進行形で追跡中なのか? 一時間もあれば、子どもの足でも鉱山の登り口辺りまでなら辿り着けちまうだろ」
「そうだね」
ギルドの立地は鉱山と城壁の丁度真ん中辺りに位置する。山に沿って横長に発展したこの街は、鉱山から城壁までの距離はそう離れていない。
ギルドからでは鉱山と城壁のどちらに向かうにしても、大人の足で徒歩三十分から四十分程度だ。ただしこれが東西に行くと極端に長くなるので、街自体の規模は小さくない。
考え込むように首をひねったテオが考えついた可能性を漏らす。
「ええ? ホゾキさん、小さい子を捕まえられないとかある?」
「もしくは泣かせたとかか? 縦にでかいから子どもからしたら威圧感あるし、髪ボサボサでろくに顔見えねえし、幽霊みあるだろホゾキ」
「あー、そうなると狼狽えそう。凄く困ってそう」
テオの疑問よりもリアリティあるスヴェンの言葉が、テオの脳内に困り果てたホゾキの姿を勝手に想像させた。
少女もホゾキも両者共に不憫である。テオは思わず顔を覆った。切っ掛けが自分であるだけにいたたまれない。
「俺、ちょっと様子見に行こうかな」
「着いてってやろうか。お前も泣いた子あやすの苦手そうだし、隣で見ててやるよ」
「面白がるな野次馬め。君だって苦手だろ。苦手が三人に増えたって変わんないよ」
テオは顔を覆った手で前髪をかきあげるようにしながら、スヴェンを睨み反論した。
するとそれまで黙って話を聞いていたメリルが口を開く。
「それ言うと苦手が二人になっても同じでは?」
この中で最も愛想がよく子どもの相手に向いているのがメリルだ。テオもスヴェンも横から差し込まれた正論に言葉が出ない。
元々ギルドに常駐している職員はホゾキだけだったのだが、そのホゾキが愛想を振りまけるタイプではなかったために雇われたのがメリルだ。
実際彼女が来てからまだ日が浅いと言うのに、深い確認以外の、手続き等の業務ではメリルが受付をしているカウンターの方が混む。楽ができて良い、とホゾキが漏らしていた事をテオは知っていた。
「でもメリルは受付離れられないよね。ホゾキさんが居ないから、メリルまでいなくなるとギルドが空になる」
「そうでした……無念」
テオの言葉にメリルは再度テーブルの上に撃沈した。顎を付くようにして潰れている。
そんなに残念がることあるだろうか。何でこの件に関してはメリルもスヴェンも二人して野次馬根性発揮してくるんだ、とテオが首を傾げる。
「それじゃあ行ってくるけど。スヴェンはまだ暫くここにいる?」
「ああ。暇だしな」
「じゃあもしホゾキさん達が戻ってきたら呼びに来てくれないか。入れ違いになったの知らないで探してるのも悲しい」
「良いぞ」
テオの提案にスヴェンはあっさりと頷いた。余程時間を持て余しているらしい。そもそも休日であるにも関わらず、パーティメンバーすらいないギルドに顔を出している時点で相当やる事が無いのは明白だった。
「ついでなんだけどさ。スヴェン、今晩空いてる?」
「空いてる。暇」
「この間話してた店行かないか。あれ。魚の、甘くて辛い? なんかあるって言ってたろ」
「おお! 遂に折れたな! 意志薄弱野郎!」
「やっぱり止めようかな」
「馬鹿言うな! もう撤回は無しだ!」
立ち上がりかけたテオの肩を掴んでがくがく揺らしたスヴェンが言う。思った以上に快く受け入れられた事に対して、テオは昨日のカーラの言葉を思い出した。にやりとテオの口角が上がる。最近からかわれることが多かったので反撃の時である。
「そう言えば、俺が相手にしないから拗ねてたって? カーラから聞いたぞ」
「げ、余計なこと……いや拗ねてねえよ。ガキじゃあるまいし」
「いや、さっき全力で拗ねてましたよ。テオさん来る前。カーラの話は聞くくせに俺と酒は飲めないってか、って」
メリルの証言により、生暖かくなったテオの視線がスヴェンに刺さる。
どうやらこれはメリルが一方的にスヴェンを捕まえていたわけでは無さそうだ、とテオは思い至った。どちらが先だったのかまでは知らないが、メリルとスヴェンは互いに愚痴を撒いてたらしい。
「いや、正直に言うとカーラからされるのは仕事の話だと思ってたから、あれは完全に不意打ちだったんだけどね」
「ですって。良かったですねスヴェンさん。“パーティの中じゃ俺が一番テオと付き合い長い”のは変わらないみたいですよ」
「ええい! やめんか! つうか、テオはさっさと行け! ホゾキ助けてこい! もう! 行け! 散れ! しっしっ!」
スヴェンは猫でも追い払う様にテオをギルドから追い出す。されるがままに背中を押し出されたテオは、未だ天頂から降り注ぐ日差しに目を細めた。
「眩しい」
外と比べ薄暗い室内にいたせいか、日光の眩さがテオの目を焼く。テオを追い出し次第、スヴェンはスイングドアの向こうに戻ってしまったので、テオも諦めて目的地へと向かうことにした。
履き込んだブーツの踵で地を数度叩き、脚を中心に強化魔術を施していく。ここは街中だが、街は街でも冒険者の街とまで呼ばれる粗暴と荒事の街だ。道の真ん中を馬同等の速度で走る人間は稀によくいる。
そして今日、その順番が自分に回ってきただけだ。そう心中で言い訳をしたテオは、強化魔術の掛けられた脚で強く地を蹴った。
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鉱山に辿り着いたテオは、予想していたよりもあっさりとホゾキと合流することが出来た。正確には、鉱山付近まで駆け付けたテオを遠目に発見したホゾキが、テオと擦れ違いになる前に急いで駆け寄って呼び止めたのだった。
「あれ、ホゾキさん一人なんですか」
合流したホゾキは一人であり、話に聞いていた少女の姿が目に見える範囲にないことを確認したテオが問いかけた。
ホゾキは昼の野外では良く目立つ真っ黒な格好のまま、草臥れたように膝に手を付いている。
「びっくりする! あの子、な、なんなんだい。特に足が速いわけじゃないのにどうしてか、て、定期的に見失うんだけど……」
「えー……。もしや身長差的な話ですか? 小さ過ぎて視界に入らないと?」
「違うよ! この辺りまでは追い掛けられたんだけど、そ、その」
「は、え? まさか本当に撒かれたんですか?」
「ううううん、ま、撒かれちゃった」
「えー……、それは」
テオの言葉にホゾキは頭を抱えるように答えた。
ホゾキ自身は冒険者ではないものの、冒険者達が集まるギルドに常駐する管理者を務める男だ。細長いと言う意味では華奢な見た目と反して、屈強な輩の暴力に簡単に張り倒されるほど貧弱ではない。そうでなければ、最前線のこの街のギルド管理者など務まらないだろう。
スヴェンは普段から素行もよく、彼のパーティにはカーラというメンバー管理に長けたリーダーもいる。大きな問題を起こすこと無く生活出来ていた為にその辺の事情には詳しくないようだったが、テオは違う。
テオは聖教と相性が悪い関係上、この街に来てから一年間で三つのパーティを抜けている。その脱退に関しても多少問題を起こしていていたこともあり、ギルド内の諍いを治める立場にあるホゾキの厄介さは身に染みて知っていた。
先週酒場でルーカスに掴みかかった件は大分久しい問題行動だったが、テオは決して優等生の分類には入らない。
ゆえに、ほぼ奉仕活動レベルの報酬で閉所のアンデット相手の夜間巡回を押し付けられている。しかもその上で向こう一ヶ月城壁防衛戦に参加不可、というペナルティまでもしっかりと受けていた。裏を返せばテオは、痛い目に合わせなければこいつはまた何かやらかす、と思われる部類の人間であった。
ホゾキに捕まって説教を受けた事のある数少ない冒険者の一人がテオである。その数少ない説教被害者の殆どが現在ソロで活動していることを考えると、彼らソロ活動者の厄介さが伺い知れるが大体全員自業自得であった。
しかしそのソロ活動者の中には斥候を名乗る者もいる。単体で冒険者として活動することが可能な実力を持った斥候を、容易ではなくともホゾキは確かに捕まえて見せたのだ。冒険者が魔物特化の人間であるとするならば、ホゾキは人間を相手にすることに長けた人間であった。
だからこそテオは、そのホゾキが簡単に撒かれるとは思ってもいなかったのである。
「ああ、番兵! 坑道入口には番兵が立っています! 見てないか聞きに行きましょう!」
「そうか! それもそうだね、あ、あの子が中に入ろうとしたなら止めてくれてるはずだ。行こう行こう!」
暖かな陽射しの下で場違いに冷や汗をかいたテオとホゾキの男二人が話し合う。
強化魔術のおかげで、ここまで走っても大した疲労がなかったテオだったが、ここに来て心臓が嫌な音を立て始めていた。