27話
【27】
「今のでどうしてスヴェンが悪いって話になったの?」
スヴェンの話を聞き終えたテオが首を傾げる。腰を落ち着けてから話したかったスヴェンが前半を省いたため、テオがスヴェンから聞いたのは少女が来てからの件だけだったが、話を聞く限りスヴェンがメリルから責められる謂れは無いように思えた。
「私だって仕方なかったと思いますし、そんな本気で責めてないです、冗談半分八つ当たり半分ですよ。でもどうせなら私の話も聞いてください……」
テオの言葉に割り込んだのはメリルだった。腰を曲げて屈んだテオのフードから手を離すことなく、ずももも、と暗いオーラを纏っている。
そろそろ首が凝ってきたので手を離して欲しいテオだったが、メリルの雰囲気に気圧されて抗議の声を押し殺した。
テオの無言を肯定と捉えたメリルは話し出す。スヴェンの話が昨日の夜の事だったのに対し、メリルの話は今日の昼過ぎ。つまり、ほんの三十分前の出来事だった。
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この時のメリルは受付カウンターの椅子の上、いつもと同じく昼過ぎの温い空気に当てられて、こくりこくりと船を漕いでいた。
そこに、とんとん、と受付のカウンターを指で小さくノックされる音が鳴り響く。
「こんにちは、メリルさん」
「ふぁ、はい! こんにちは! いらっしゃいませ! こちらギルド受付カウンターです! ご要件をどうぞ!」
微睡みの中かけられた声にメリルは椅子の上で飛び起き、反射的に挨拶を返した。
メリルのそんな姿に特に反応することはなく、にこにことした笑顔を返すのは白金の髪をした少女だ。今日も変わらず黒いエプロンドレスを身にまとい、青い布を肩にかけている。
メリルは自分を起こしたその少女の姿を確認して安心したように肩の力を抜いた。
客が来なくとも一応業務中に当たる時間に寝ていたことは自業自得ではあるが、それでも屈強な冒険者に睨まれるのと、自分より小さい相手に微笑まれるのでは、比べるまでもなく前者の方が怖い。
自分を微睡みから引き戻したのが、顔も知らない大男ではなく、見覚えある少女であることも大きかった。
メリルの前に佇むのは四日前からギルドを訪れ、テオドールを探していると言う件の少女だ。
「ええとね。今日はテオさん、お仕事休みで夕方でも多分来ない……ってあれ? まだお昼だよ?」
少女には既に、テオは夕方に戻ると伝えてある。昨日は随分遅かったが夕方以降に来ているので、少女がそれを忘れているということは無いはずだ。メリルは首を傾げて問いかける。
「はい。今日はテオドールさんではなく、別の冒険者の方に用事があって来ました! この上着をお返ししたくて!」
そう言って、少女は胸に抱いた一枚の上着を広げて見せた。
少女の小さな背丈にはあまりに大き過ぎるその上着は、少女が精一杯腕を伸ばしてようやくその足元が見えるほどだ。受付のカウンターを挟んで背の高い椅子に座るメリルからは、少女の姿が上着の影にすっぽりと隠される。
「エイの宿という所に宿泊されているそうなんですけど、私うっかりして場所を聞くの忘れちゃいました。メリルさん分かります?」
上着の向こうで少女がふごふごと喋る。両腕を掲げるように上着を広げたせいで背中が反り、顔が布面に近くなっているようだ。
その様子を見てメリルは首を傾げる。メリルには広げられたカーキ色の上着に見覚えがあった。
「あれ、その上着ってテオさんのじゃない? 良かった、ようやく会えたんだね! あれ、でもテオドールさん以外の冒険者? ん、んん? テオさんのだよね、それ? あれ?」
「ええと? この上着の持ち主がテオドールさんだったんですか?」
「そうだよ。テオさんのこと、知らなかったの?」
「し、知らなかったです」
上着の影から顔を出した少女とメリルが揃って首を傾げ、動揺したまま見つめ合う。
ほんの数秒だったが、その間にメリルにも大体の事情が想像できた。
少女はテオと実際の面識が無かったのか、彼の顔を知らず、ただ“テオドール”という名前だけを頼りにギルドに来ていたようだ。いつも少女にテオの不在を告げると即座に帰ってしまうため、メリルはその辺の事情を知らなかった。
そしてテオから何らかの切っ掛けで上着を借り受けたものの、その際にテオが名乗らなかったのか、その相手を“テオドール”と知らぬまま擦れ違ってしまったのだろう。なんというニアピン。メリルは思わず唸った。
メリルがそう思考する間に、少女の方も状況を把握したようだった。
苦く笑うメリルと異なり、少女は興奮したように上着を畳み始めた。今にもスキップしそうなほど浮かれた少女の緑色の目がきらきらと輝いて揺れ動く。
メリルはその様子に少し嫌な予感を覚える。メリルが連日少女の名前を聞きそびれているのも、先程少女自身が宿の場所を聞き忘れたと言っていたのも、この少女が少しばかり行動を早まる傾向にあるからだった。
例えば、テオが不在であるというメリルの言葉を聞いて、もう用はないとばかりにさっさと立ち去ったり。帰れというスヴェンの言葉に従い宿の場所を聞かないままさっさと帰ったり。
その早まった行動が、少女が四日ギルドで足踏みしている原因の一端でもあった。
「なるほどなんです! あの人がテオドールさん! 鉱山で働いている冒険者の方! 理解しました! 私できます! できますよ! 返しに行きます! 会いに行きます! 今日こそ私、成し遂げます!」
「な、なにが? え? なにが? まって。ちょ、まって!?」
メリルの静止は間に合わなかった。
ぎゅ、とカーキ色の上着を腕に抱え込んだ少女がスイングドアから駆け出していく。外から差し込む太陽の光が、ひらひらと揺れる少女の長い髪に反射して、淡く薄緑に輝いた。
「だから! テオさん今日お休みなんだって!」
腰掛けていた椅子を蹴り倒し、受付のカウンターに身を乗り出したメリルが叫んだ。本来粗暴な冒険者達から非力な受付係のメリルを守るため存在する頑丈な受付カウンターが、この時ばかりは檻の役目を果たしてしまう。
「あれ? 今の子って誰? テオ君が、ど、どうかしたの? メリルちゃん?」
メリルの悲痛な訴えは肝心の少女には届かず、飛び出した少女と入れ替わりに外出から帰ってきたホゾキを呼び止めるだけに終わった。
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「それで今、ホゾキさんにその子を追いかけて貰ってます」
やっとテオのフードから手を離したメリルが話を終える。テオは二度目の旗振りがないようにフードを背中に退避させ、メリルを打ち合わせ用テーブルの椅子へと誘導した。
立ち話が長引いたので座りたかったこともあるが、取り敢えずメリルとの間に障害物が欲しかった。
「あの様子だと鉱山まで行っちゃうし。坑道出入口には番兵さんがいるから中までは入れないでしょうけど、心配で」
「今あそこは、あんな小さな子が近付く場所じゃないからな」
スヴェンがメリルと同じテーブルに着きながら言う。
最後にスヴェンを挟んでメリルと向かい合うようにテオが座った。スヴェンがメリルとテオの間に挟まるような席を陣取ってくれたことを、テオは心の中で感謝する。
「スヴェンさんがテオさんの仕事場所ばらすからあ」
「こんな事になるなんて分からねえって」
「ですよねぇ……。あー、ちゃんと私が止められてれば、あの子も今頃テオさんと会えてたのに……。感動の再会だか出会いだか知らないけど、どうせなら立ち会いたかった……。無念」
べちょり、とテーブルに突っ伏してメリルが愚痴る。最早半分野次馬根性が出ていた。
少女の件に関しては、スヴェンからすれば本当に事故のようなものだ。
メリルも分かっているので、ただ単に話し相手として巻き込みたいだけのようだった。もしかしたらスヴェンが暇を持て余しているのを見て捕まえただけかもしれない。それが思った以上に関わっていたので振り回してみたという様子である。
「それでテオ、他人事みたいに聞いてるけどよ。その子、心当たりあるのか?」
スヴェンが腕を組んでテオに問いかけた。今まで黙って聞き手に徹していたテオが、スヴェンの言葉に首を傾げる。
心当たりと言われても困るのだ。実際その二つの件に立ち会っていないテオにとっては言葉の通り他人事である。話を聞いただけでは少女の顔すら分からない。
「いやあ、俺は顔を見てないからなんとも。その子も俺の事気が付かなかったんだろう? お互い顔も知らない相手じゃ、実際に会って話を聞かないことには分からないよ」
「だよなあ。じゃあ分かったら教えろよ。ここまで来たら俺も気になる」
「いいけど。あんまり茶化さないでくれよ」
椅子の上で背中を丸めたテオの言葉に、スヴェンはひらひらと片手を振って応えた。これは何かあれば全力で笑いに来る気だ。
テオは苦い顔をしながらテーブル下に潜ったスヴェンの足を蹴ろうとしたが、先んじてスヴェンが足を引っ込めた為に空振りに終わった。
「昨日の今日で何度も引っかかるかよ」
得意げに笑うスヴェンだったが、その隣で幽霊のようにむくりと起き上がったメリルに対しては驚いたように肩を震わせた。
メリルの胡乱気な目にスヴェンが尻込みしながらも口を開く。
「ど、どうしたメリルちゃん」
「……遅くないですか?」
スヴェンの問いかけに、メリルはぼそりと呟いた。テーブル下の攻防戦は先程までテーブルの上に突っ伏していたメリルには見えていないので、蹴りの速度とかそういう話では無い。
スヴェンとテオは一瞬顔を見合わせて、メリルの言葉に思い当たる節が無いことを互いに確認した。メリルへと視線を戻したテオが言葉の意味を問いかける。
「何が遅いの?」
「ホゾキさんです。遅くないですか? もうすぐ一時間になるんですけど」
メリルの言葉に、スヴェンとテオが再度顔を見合わせる。
壁にかけられた時計の針が、静まった三人の間にかちりと音を転がした。




