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錫の心臓で息をする  作者: 只野 鯨
第一章
26/144

26話

 

【26】




 二日に渡りテオから酒の誘いを断られたスヴェンは仕方なく、ギルドお抱えの酒場のカウンターに一人寂しく座っていた。


 テオが先週の酒場でルーカスに突っかかった後、スヴェンとカーラ、ジャレッドの三人はルーカスに隠れて話し合っていた。

 ルーカスの兄である聖骸セオドア。その力は三人から見ても確かに素晴らしいものだったが、果たしてルーカスを聖骸セオドアの傍に置くことは彼にとって良い方向に転ぶことだろうかと疑問に思ったのだ。

 話し合いに発展した切っ掛けはテオの啖呵だったが、ルーカスに対する懸念はそれ以前から存在した。


 ルーカスの勤勉は美徳だが、時として行き過ぎる。スヴェン達から見れば、ルーカスはそうまでしなければ兄に追いつくことは出来ないと焦っているようだった。

 その焦りからか、ルーカスが生き急いだ行動を取ることが冒険者としての活動の中で散見された。

 それは、パーティを組んでいなければ気が付かないほどに微かな兆候であった。しかしその僅かな兆候さえも、ルーカスよりも遥かに冒険者歴の長い三人からすれば、見過ごせば取り返しのつかないことになると危惧するには十分だった。


 そんな折の酒場でのルーカスの興奮具合だ。

 テオの言葉は確かに決定打とはなったが、彼が事件を起こさなくとも、三人はいずれルーカスを連れて城壁を離れることになっただろう。それが早まっただけに過ぎない。

 スヴェン達三人にとって大切なのはルーカスという仲間の命であって、身も知らぬ他人の入った聖骸と言う器ではないからだ。


 その事についてスヴェンは、本来ならテオと大した付き合いのないカーラからではなく、今までの交流でテオの心情をある程度知っている自分から話をしたいと思っていた。

 どうしてもカーラやジャレッドではルーカスの側に立った話し方になってしまう。

 そしてその立場から物を言われれば、聖教が関わると言う一点に関してのみ短絡的になりがちなテオのことだ、他の者から言われれば簡単に頷けたはずの事にすら、頭を抱えてしまうだろう。


 しかし、話をする機会に中々恵まれないまま二日が経った。それでも焦らなければ良いタイミングが来るとスヴェンは気長に構えていた。見通しが甘かったといわれれば、スヴェンも否定が難しいかもしれない。


 そんな矢先に、キラーアントの巣が発見された。あまつさえその場所が、今のルーカスとテオの二人にとって、地雷原で花火大会が始まったこのような酷い具合ときたものだ。

 結局ルーカスの混乱具合と、テオの辟易具合から、業を煮やしたカーラがテオと話をすることになった。この事に関してはカーラの独断ではなく、スヴェンにも断りを入れられていたし、こうなっては仕方ないだろうとスヴェンもそれを了承をした。


 了承はしたが。だからと言って、スヴェンとしても決して短くない付き合いのある相手に対して、何も思わない訳もない。


 カウンターに肘を着いたスヴェンは考える。

 これってもう、梃子でも使って引き摺って連れてくるべきか。いやはやしかし、腕力で言うとテオの方が上なので本気で抵抗されるとスヴェンには成す術がない。

 だからと言ってテオですら一抱えにできるジャレッドを連れてくるのは本末転倒だ。


 しかもテオはスヴェンの強制をしない所に安心して寄ってきている節があることを、スヴェン自身も気が付いていた。これに失敗すると二度目はもう来ないだろう。

 テオが本気で交流を断つ時の容赦の無さは今まで散々見てきた。これまでならそれすらも酒の肴だったのに、とスヴェンはカウンターにもたれ掛かり、大きく溜息を吐く。


 しかも今日に限っては巣を確認した人間が他に四人もいるからと、テオは報告もそこそこに宿に帰ってしまっている。


 結局スヴェンが選んだのは、テオの気が向くまで待つ事だった。

 生真面目なルーカスと違い、テオの方は放っておいてもある程度自分で毒抜きができる。散々その発散の一環に付き合ってきたスヴェンだからこそ分かっていた。

 今回の件でスヴェンがテオに対して危惧すべきは、テオとルーカスの間で起きてしまった確執であり、テオ単体の心情はそこまで危険な部類ではない。その辺はスヴェンから見ても、聖教を嫌う原因の事件があってから人生折り返しを過ぎて生きている人間は多少整理がついている様に見えた。


「と言っても。もうあいつ半分意地になってるよな」


 スヴェンはグラスに透ける琥珀色の液体を睨めながら呟いた。


 先週酒場で掴みかかり事件を起こした日は、本当に全てタイミングが悪かったとしか言えないとスヴェンは考えている。

 例えあの日のテオが素面だったとしても、ルーカスの言葉を耳にさえ入れてしまえば、結果は何も変わらなかっただろう。

 テオはルーカスに掴みかかるし、きっとあの時とほぼ同じ文句を撒き散らす。ジャレッドの一撃は躱すかもしれないが、躱したとしたらその時点でテオも正気に戻るだろう。

 そうすればとっとこと退散するはずだ。そう言う所、テオは気が小さい。そこそこ付き合いが長いスヴェンから見ても、テオは居座り強盗ができる質には思えなかった。


「悪魔の水め」


 結局最後に悪者にされるのはこいつなんだ、とスヴェンはグラスを煽った。喉の奥に強い香りごと押し込んで、飲み込んだそれを吐き出すように溜息を吐く。


 すると、スヴェンの斥候としての能力が、左手から何者かが近付いて来る気配を感じ取った。敵意がある相手ではない。

 当然だ。ここは冒険者のホームであるギルド建物内である。ここで問題を起こせば冒険者としての活動に支障をきたす。そんな無謀を望む冒険者はいない。


 近付く相手に特に反応しなかったスヴェンだったが、こんこんと自分が肘を付くカウンターを軽く叩く音がしたため、そちらを振り向く。


「あの、すみません。ひとつお聞きしてもいいですか?」


 カウンターをノックしてスヴェンを呼んだのは、夜半の酒場に見合わない幼い少女だった。

 薄い白金の長髪を揺らして、黒いエプロンドレスの上に薄汚れた青い布を巻き付けている。髪と同じ薄い色味のその瞳は、真っ直ぐに飲んだくれたスヴェンを捉えていた。

 少女の姿に思い当たる節がなく、一瞬眉をひそめたスヴェンだったが、その腕に抱かれたカーキ色の上着を見てその正体に思い至る。


 この少女は先日路地裏に座り込んでテオから上着を強奪していた少女だ。頭に被っていた布が肩の上にあるので、隠れていた顔が見られるようになっている。


「ああ、昨日の嬢ちゃんか。どうした随分しゃっきりしたな。あの時は寝惚けてたのか?」

「いいえ? 私は眠ってました」

「へ、へー。そう」


 何だか不思議な雰囲気の子だ。こう言うのは深入りしないでうんうんと聞いているのが面倒がない。子どもの相手など殆ど経験がないスヴェンはそう考えながら、苦笑いを浮かべて少女に向き合った。


「そんで? どうしたよ」

「あの、この上着をお返ししたいのです。持ち主の人はどちらに?」


 椅子の上から腰を屈めたスヴェンに、少女は腕に抱いた上着を見せる。最後に見た時には泥に汚れていたように思ったそれは、随分と綺麗に整えられていた。


「ああ、あいつなら帰ったよ。渡しとこうか?」

「いえ、いいえ! 私が頼まれたことだから私がやります。大丈夫です」


 上着を受け取ろうと手を差し出したスヴェンに対して、少女は隠すように再度上着を抱え込んだ。


「ンン? よく分からんが、そうか。あいつな、エイの宿って所にいるが。まあ今から行ってももう寝てると思うぞ」


 特に今日はテオにとって酷い一日だったので、きっと不貞寝を決め込んでいる。今から行ったところで爆睡から目覚めないか、起きたとしても居留守を使われるのが落ちだろう。


「しかし、わざわざ洗ったのか? 随分綺麗になってる」

「はい! 少し汚れていたので勝手に洗ってしまいました。服が綺麗なことは嬉しいことなので、人に好かれる活動ですよね」

「ん、ンン? うんん、そうだな?」


 一日一善とか志しているのだろうか。少女の言葉に、スヴェンは首を傾げながら頷いた。


「まあ今は鉱山で仕事してっからな、どうせまたすぐ汚れるだろうが、ありがとうな」

「はい! 鉱山でお仕事をされている方だったんですね、もしかして鉱山の作業員の方ですか?」

「いんや、冒険者。今あそこ立て込んでてね」


 少女の質問にスヴェンは肩を透かしながら答えた。そのごたごたも明日は休みとなったので、スヴェンはもう暫く酒場でゆっくりと飲んで行ける。しかし少女の方はそうもいかないだろう。もう既に時間も遅い。


「ええとな、上着洗ってくれた偉い嬢ちゃん。偉いから、あー、そろそろお家に帰るともっと良いんだが、一人で帰れるか?」

「はい、大丈夫です! じゃあ今日は帰ります。エイの宿ですね。ありがとうございました!」

「おう。もう寝惚けて道端に座り込むなよ」


 ぺこりと綺麗に腰を折ったお辞儀をし、少女は酒場を去る。ふりふりと右に左に揺れる薄い色の髪が、スイングドアの向こうへと消えて行くのをスヴェンは見送った。







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