25話
【25】
翌日、テオは仕事がなかった。
巣の場所が発見されたので、正式に討伐隊が組織されることになったからだ。ギルドが大急ぎで人手を集めるため、どんなに早くても決行は明日以降ということになった。
いつもの癖で早い時間に目が覚めてしまったテオは、二度寝をしようと寝転んだ。しかし、ここ連日夢見が悪かったことを思い出して改める。
体はそれほど疲れ切っている訳でもない。出歩いて気分転換を図ろう。ベットの上でストレッチを始めながら、テオはそう考えた。
丁度いいから新しい上着を探しに行こう。装備をつけても動きやすい物を選びたいので、面倒だけど装備も全部つけていこう。重たいけれど、上着と擦れる面の多い鞄もあったほうが感覚が掴みやすい。
今つなぎで着ている黒い上着だが、着なくなってから少し時間が開いたせいか、その頃より筋力が付いたようで肩周りが少しきつく感じる。あのカーキ色の上着が異様に緩かった反動もあるかもしれないけれど、もう少し大きい物を選ぼう。
出掛ける支度をしながらつらつらと思考する。支度を終えたテオは、部屋を出て階段を下った。今日も朝から店番に励むアイザックと目が合う。
「おはよう、アイザック」
「あ、おはようテオ」
今日のアイザックは少し眠そうだ。ほにほにと丸めた頬の上で、目を細めて笑っている。その少年独特の柔い頬を指でつつきながら、テオも釣られて笑った。
「最近変なのは来てない?」
「おう。何でか知らんけど、最近はあんまりそういうの無いぞ!」
「それは良かった。俺、今から買い物に行くけど、なんかあったらギルドに逃げ込むんだよ。ホゾキさん、覚えてる?」
「うん! 汚れたモップ逆さまにしたみたいな人な! 覚えてる!」
ひどい例えようであった。しかしテオも全く同じことを考えたことがあるだけに、あまり強く訂正ができない。
「ほ、本人の前で言っちゃだめだよ。あの人怒らないとは思うけど」
「わーかってるって! こちとら客商売だぞ! テオより口の利き方知ってるよ!」
「……ぐう」
昨日ルーカスとの口論があったばかりだったテオは、アイザックの言葉に返す言葉がない。
「じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃいませー! お早いお帰りをお待ちしておりまーす!」
背中にアイザックの調子外れの挨拶を浴びながら、テオは宿を後にした。
知り合いの店から回り、目当ての物が見つからないまま三軒の店を冷やかした後、テオは広場のベンチで休んでいた。
屋台で買った昼食のサンドイッチにかぶりついていたテオは、ふと思い出す。
「ああ、女の子。今日も来るのかな」
初めてその存在をメリルから聞いて丸三日。そのうち会えるだろうと半ば放置していた女の子の事だった。
なぜかこの街に来てからの五年間で名乗っている愛称のテオではなく、テオドールの名前でテオを探しているらしい少女。
メリルの話によれば大分小柄らしく十歳前後ではないかと言う話だ。
少女がテオの事を知ったのがこの街に来てからであれば、テオドールの名前を指定しないはずなので、それ以前街の外にいた頃に出会ったことになる。
そうなると、少女の年齢が凡そ十歳前後である事と、テオがこの街に来てから五年である事を加味しても、少女がテオを知ったのは大きくても五歳程度の頃である。
そしてテオには五歳前後の女の子の知り合いはいなかった。どちらかと言えば、テオよりも兄弟子の方が幼子相手には好かれるので、テオがその層との交流を持つ必要がなかったとも言える。
少女自体はテオと面識がなく、親族やそれに類する人に勧められて訪ねて来たとしても、やはり指定するのはテオでは無いだろう。兄弟子か、もしくは師匠を指定するはずだ。
もうその時点で実は十中八九人違いではないかと考えていたテオだが、会って話さないことには何も分からないし始まらない。もし人違いだとしたら、ずっとそれを続けていたせいで、少女が本来探すべき人の場所へ辿り着けないのも酷い話だ。
思い出すのが遅くなったが、今日は時間もあることだし、今からでもギルドへ会いに行こうとテオは考えた。
上着探しも店を三軒回ってピンとくる物が無かった時点で多少飽きが来ていたテオは、その後の予定を変更する。
どうせ暇だし、会えなくとも夕方まで粘って酒場が開いたらそこで夕飯を食べて帰ろう。それでスヴェンが居たら、そろそろ一杯くらい飲みたいので、付き合ってくれないか頼もう。そう考えながら、テオはサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込む。真昼の街中を歩くのは久しぶりだった。
「日に当たるって、素晴らしいなあ」
半日の間、暖かな陽に当たりながら外を歩いてふかふかで美味しい食事を摂ったら、そこそこ元気が出てきたテオがギルドに向かいながら呟く。
先日スヴェンが同じようなことを言って、我儘言うなと思考していた男の言うことではなかったが、テオは意識的にそれを棚に上げた。
通りを歩き、辿り着いたギルドのスイングドアを押し開ける。麗らかな日差しの溢れる外と比べ、一転して薄暗い室内に足を踏み入れて初めて、テオは受付の慌ただしさに気が付いた。
良い仕事も悪い仕事も全て、ギルドでは早い者勝ちだ。割のいい仕事を求めて混雑するのは朝方まで。その後は仕事を受けた冒険者達が報告に帰ってくる夕方までの間、ギルドは静かになる。
昼過ぎともなると受付にいるのは午睡に微睡んでいるメリルか、完全にお休みを決め込んでクローズ看板越しに爆睡するホゾキの二択になるのだが、どうやら今日はそうではないようだった。
休日用のラフな格好をしたスヴェンを捕まえて、メリルがその小さな体で身振り手振り何かを伝えている。
テオと同じく鉱山の巨大蟻討伐隊の編成待ちで丸一日の休みを得たスヴェンが、メリルの態度に苦笑い気味で、その頬に冷や汗を垂らしながら彼女の話を聞いていた。
メリルもスヴェンも入口に背を向けているため、テオが入ってきた事には気が付いていないようだった。
「どうしたの?」
「ああ! テオさん! 来た!」
背後から声を掛けたテオに、メリルはぐるりと体ごと振り返った。
声と共に凄まじい勢いで飛びついてくるメリルに、テオは反射的に逃げ出しそうになる足を踏ん張る。飛び込むと言っても過言ではない勢いで、メリルはテオの上着の端を引っ掴んだ。
「ああ! 上着違うし! やっぱりだあ!」
「な、なにが?」
「テオさん一昨日女の子に会いませんでしたか!?」
テオの襟首を掴んで自分の視線の高さに近付けさせようとするメリルに抵抗しながら、こう言う強引さはルーカスには無かったなあ、とテオは現実逃避気味に考える。
はっきり言って興奮したメリルの声は普段よりもさらに高く、至近距離で浴びせられると耳が痛かった。
「会ったよ。寒そうだったから上着あげた。そ、それがどうしたの?」
「やっぱりぃ! スヴェンさんの馬鹿あ!」
「俺悪くねえだろ!?」
メリルは屈んだことで垂れ下がったテオの上着のフードを、ひったくる様に掴んで振り回す。そうなると首が締まって仕方ないので、テオは諦めてメリルが満足いくまで屈んで耐えることにした。
白旗のごとくフードを振り回すメリルの非難に、それまで二人の様子を黙って見ていたスヴェンが抗議の声を上げた。
腰と膝を曲げながら、メリルの手に服のフードを引き倒されるテオは話の流れが読めずに首を傾げる。現状がいまいち飲み込めず、テオは素直にメリルに尋ねる事にした。
「ええと、その子が何かしたの?」
「その子です! その子だったんです! ずっとギルドに来てた、テオドールさんはいませんかちゃん!」
「何その呼び名」
「だって、なまえいづもぎぎぞびれで」
「お、おおー。泣かない泣かない、よーしよし」
メリルは最早半泣き状態だった。えぐえぐと鼻水を啜っているその頭を撫でつつ、テオは反腰を維持したままスヴェンを見上げる。
スヴェンがこうなるまでの事情を聞いているのなら、混乱を極めたメリルよりも彼の方がすんなり話を聞けそうだと思ったからだった。
「あ、ああ。ええと、な?」
「おい、こっち見ろよ」
「メリルちゃんの時と全然態度が違う……。お、怒んなよ?」
「それは聞いてから考えるけど、そんなになること何したんだよ」
すらー、と目を逸らすスヴェンに、さっさと話せと手を振ってテオが催促する。俺悪くねえって、と再度口の中で愚痴るスヴェンは渋々と口を割った。
「ええとな、昨日の夜そこで飲んでた時のことなんだけどよ」
話の始まりは、そんな言葉から始まった。
スヴェンの指が併設された酒場を示す。営業時間外の真昼間故に、この時間は打ち合わせスペースとしての役割しか持たないそこは、窓から差し込む陽の光に照らされた埃がきらきらと舞っていた。